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第2 難航する捜査 6.

6.


 十八時二七分。

 台所に置いてある買い物籠を手に取り「今日は俺が買い物に行って来るよ。すき焼きだぞ、今夜は」玄関へと歩きながら畠山は二人に声を掛ける。

 息子を連れた三人で病院からの帰宅途中に夕飯の食材を買ってくれば良かったが、とにかく少しでも息子に負担を掛けないようにする為、極力最小限の行動に心がけた。だが、無理を言って病院にお願いしたこと自体負担には変わりない。帰りの車中、妻に注意されながらも興奮気味に嬉々としてはしゃいでいた息子。それよりも何よりも妻が嬉しいに決まっている。この時間は妻にとっても息子にとっても重要な意味を持つ時間だ。ここ最近塞ぎ込んでいた妻の精神状態も息子と過ごす時間があれば和らぐ。息子にしても同じこと、二人共々ゆっくりと語らいでくれれば。

 今の妻には弘明だけが頼りだ。妻は弘明の傍に居れば気が晴れる事は判っている。

畠山自身、内心自分も肩の力を抜きたいが、今はまだだ。

 妻と息子とゆっくりと話が出来るように気を利かし畠山は買い物に出かける。日頃なら妻が一週間分として食材を切り詰め買い込んでいるが、ここのところ妻の異変で買い置きも無くまともに食材がない。今日ばかりは久しぶりに家族が揃った。だから贅沢かもしれないが精のつく物でもしようか、と。

 居間からの返事がない。ふと廊下で足を止め、壁越しに部屋の様子に耳を傾け窺った。

 とても静かだ。部屋に人がいる気配が感じられない。一瞬、嫌な不安。いや、そんな事はない。不吉な予感にかられながらも否定して安直に考える

 眠っているのだろう。覗き込むまでも無い。まあ、日頃の疲れ。先ほど寝ていた息子の寝顔を見ていれば安堵の気持ちで二人眠っているのだろう。不安を打ち消し、気に留めるより、玄関へ足を向けた。

 玄関を出て鍵を落とすと急に胸が苦しくなる。動悸が激しくなり、吐きそうになる。息が乱れ眩暈がした。ドアに背を凭れ、左手でこめかみを覆い、頭を抱えながら危うくその場に倒れそうになったが気を張り、気力で堪えた。

 通りがかりの学生らしき靴が朧出ながら見える。自分の姿が怪訝そうに見えるだろうな。

 手が震え始めた。脂汗でびっしょりと濡れた背中に寒気が襲う。この手の震えはやはり自分の不調を訴えているのか。強く拳を作ると更に震えるが、そうでもしないと気が気でならなかった。全身が震えながらその場で蹲ると目を閉じ、心で叫ぶ。自分の身体はいったいどうしたというのだ!

 暫く続いていた震えが治まる。深く息をし、呼吸を整える。何度も何度も深呼吸をした。

 それからややしてからやっと楽になってきたので弱音を吹っ切るように立ち上がる。

 自分はやはり弱い人間だと思う。弱気で不安だらけだ。震えている間、助けを求めるように妻と息子の顔が浮かんだ。「だめだ。ヤバイ」何度もその言葉が湧き出る。

 妻と弘明、それに私の三人。もしかすると、もう――無いのかも……、と。考えすぎかもしれないが考えてしまう。息子と対話する時、相好を崩した妻の表情を見ていると何もかも忘れ、本当に何事も無かったのだと自分も思いたい。明美を見ていると言いそびれたが、妻と弘明と一緒にこの家で過ごすことに不安を感じた。

 暫くしてやっとの思いで車に乗り込み近くのスーパーへ向かった。


 妙に嫌な気がする。

 スーパーに入ってからどうも気に掛かる。というか背後に視線を感じる。

 背中にざわついた感のある気分だ。思えばこの店に来てからだ。薄闇が広がり始める夕刻にアパートを出て通りを抜ける時、ちらほらと店の明かりが灯り始めていた。すれ違う車もヘッドライトを点けていた。薄暗い車内から何気に覗くルームミラーに違和感がなかったし、店に入る前まで何事もなかった。いつも見かける店員も商品棚もいつも通りだが、何かが違う。

 違和感の中、辺りに警戒の視線を巡らせながら、畠山は買い物籠を乗せたカートを押し、生肉売り場に近づく。

 生肉売り場の前に立ち、自然な素振りで物色しているように背後へと振り返る。

 店員がお客へ商品の説明応対している姿が目に入る。特別なにもない。だが、どうしても違和感は消えない。後ろ頭をひと掻きし生肉が並べてある商品棚へ目を向けると脂の乗った国産和牛のパックを手に取り、ろくに値札も見ないまま籠へ放り込む。

 ふと店内の天井に備え付けてあるテレビカメラと凸面ミラーが目に留まる。瞬間だが凸面ミラーに駆け抜ける男の後姿が見えた。

 三人分で適量なのか、内心焦りつつもう一つ、パックを手に取る。それから少し早足で必要な野菜と調味料を乱暴に籠へと次から次へと放り込んだ。

 レジに向かう時でも畠山の視線は落ち着きなく凸面ミラーを意識した。もしかするとあのテレビカメラの先に繋がる警備室でこちらの行動を監視されているのではないかと思い始めた途端、更に気が急いて少し駆け足になった。

 なんとか落ち着きを払いながらスーパーを出ると足早に駐車場に停めてある車へと乗り込んだ。外はすでに真っ暗になっていたが、駐車場の街灯に照らされているので辺りの様子が分かる。息があがったまま姿勢を変えず、目だけで運転席からフロントガラス越しに外を見据える。

 一つ溜息を着くとエンジンキーを回した。同時に運転席のガラスを叩く音が聞こえた。

 畠山は脅え息が止まりそうになる。

 思わず首を横に振ると薄闇の中から不意に男が現れた。

こちらを見下ろす男。――見覚えあると気付くのは直ぐだった。赤松とか言う刑事だ。

 畠山は目を細め睨みつけた。赤松も視線を逸らさず、細い目が爬虫類を思わせる不敵な面構えで見下ろす。

 暫く対峙したままでいるが赤松はなかなかその場を立ち去らない。痺れを切らした畠山は溜息を着くとウインドを下ろした。

「いや、奇遇ですな」

 何が『奇遇』だ。さっきからずっと付けまわしていたのだろうが。

「何か用ですか?」全くしつこい男だ。

「いや、偶々ですから。それじゃ」赤松は煙草に火を点けながら呟くようにその場を立ち去る。

 畠山は赤松の背中を睨みつけるとウインドを閉めた。

 本当にあの男は警察の人間だろうか。とても信じがたく嫌な感じが漂う男だ。

 だが、次第に警察との距離が狭まっている。恐らく常に監視されているに違いない。だが、何故私達が疑われるのだろうか?

――まさか、妻に。そんな有り得ない。妻に限って有り得ない。

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