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6/9

俺、ただの観光客なんですが?

■1


翌朝。


久世慎吾は、サリアの運転するピックアップの助手席に座っていた。


後ろには、大型の家畜用トレーラーがつながれている。


トレーラーの中では、品評会へ出す肉牛が、ときどき低い声で鳴いていた。


「揺れ、問題ない?」


サリアが尋ねる。


慎吾はサイドミラーでトレーラーを見る。


「今のところは」


「今のところ?」


「昨日、タイヤと連結部分は確認しました。変な音も出てません」


「じゃあ大丈夫ね!」


「だから、急に飛ばさないでくださいよ」


サリアはアクセルを緩めた。


「飛ばしてないわよ」


「今、制限速度を越えてました」


「少しだけ」


「牛を乗せてるんですよ」


「分かってるって」


慎吾はサリアを見る。


「その返事、信用できないんだよなぁ」


サリアは笑った。


道路の先に、小さな町が見えてくる。


赤い大地の中に、低い建物が集まっていた。


ガソリンスタンド。


食料品店。


パブ。


役場。


消防署。


その奥には、白い壁の地域病院が建っている。


町の端には、家畜市場を兼ねた広い催事場があり、その周囲にはすでに多くの車が集まっていた。


大型ピックアップ。


家畜運搬車。


トレーラー。


農場名の入ったトラック。


慎吾は駐車場を見回した。


「すごい数ですね」


「この辺の牧場、ほとんど全部来るわよ」


「そんなに大きな品評会なんですか」


「この町ではね」


サリアは胸を張った。


「一年で一番、牛が多い日!」


「人じゃないんですか」


「人も多いわよ」


「基準が牛なんだなぁ」


サリアは会場の搬入口へ車を進めた。


係員が手を振り、トレーラーを所定の場所へ誘導する。


車が止まると、サリアはすぐにシートベルトを外した。


「じゃあ、私は受付して、牛を降ろして、体を拭いて、番号札をもらってくるから」


「ずいぶんありますね」


「シンは、その辺で待ってて!」


「手伝わなくていいんですか」


「牛、扱える?」


慎吾はトレーラーを見る。


大きな牛が、柵越しにこちらを見ている。


「……無理ですね」


「でしょう?」


サリアは運転席から飛び降りた。


「終わったら探すから!」


「どこにいればいいんですか」


「その辺!」


「範囲が広すぎません?」


サリアはもう走り出している。


「サリア!」


慎吾が呼ぶ。


サリアは振り返り、片手を上げた。


「迷子にならないでね、シン!」


「それは案内する側の台詞でしょう!」


サリアは笑いながら、人と牛の間へ消えていった。


慎吾は助手席に一人残された。


しばらく会場を眺める。


「また放り出されたなぁ……」


慎吾は車を降りた。


■2


品評会場には、干し草と土と家畜の匂いが混ざっていた。


柵の向こうには、毛並みを整えられた牛が並んでいる。


農場主たちは牛の背中を拭き、脚の泥を落とし、番号札を確認していた。


慎吾には、どの牛も大きく見えた。


体格。


毛艶。


脚の形。


背中の線。


それぞれ違いがあるらしいが、慎吾にはほとんど分からない。


会場の端では、簡易テントが並んでいた。


コーヒー。


焼いた肉。


パン。


農業用品。


子ども向けの小さな遊具。


慎吾はコーヒーを買おうと、テントの列へ向かった。


「シン!」


背後から大声で呼ばれる。


慎吾が振り返る。


昨日、四輪駆動車を直したビルが手を振っていた。


「おはようございます」


ビルは慎吾の肩を勢いよく叩いた。


「車、絶好調だ!」


「部品は交換しましたか?」


慎吾が尋ねる。


ビルは笑顔で親指を立てる。


慎吾は眉をひそめた。


「その顔、交換してませんね?」


ビルは笑いながら、慎吾へコーヒーを差し出した。


「どうしてコーヒーでごまかすんですか」


慎吾は受け取った。


少し歩くと、今度は発電機を直した老人が声をかけてくる。


「シン! 井戸のポンプ、動いてるぞ!」


「それはよかったです」


老人は慎吾の手を握り、隣にいた男へ何かを話し始めた。


男が慎吾を見る。


「あなたが日本人のメカニックか」


慎吾は老人を見る。


「どこまで広まってるんですか」


老人は笑うだけだった。


その後も、慎吾は何度も呼び止められた。


車を直してもらった。


発電機が動いた。


ポンプが使えるようになった。


パンは食べたか。


ビールは冷やしたか。


慎吾は、全員の名前を覚えていなかった。


しかし、相手は慎吾の名前を知っている。


「シン」


「シン」


「シン!」


そのたびに慎吾は立ち止まり、礼を言われ、肩を叩かれた。


サリアはいない。


それでも誰も、慎吾を知らない旅行者としては扱わなかった。


会場の奥へ歩くと、道路を挟んだ向かいに地域病院が見えた。


平屋に近い、小さな建物だった。


入口の脇には、医療搬送車が停まっている。


その隣には消防署。


少し先には役場。


慎吾は周囲を見回した。


「本当に、全部ここにあるんだな」


都会なら離れた場所にある機能が、この町では一か所へ集まっている。


町の中心というより、この地域全体の中心だった。


消防署の前にいた男が、慎吾へ手を上げる。


「シン! あとで消防車も見てくれ!」


慎吾は即座に首を振った。


「今日は仕事しませんよ!」


男は笑った。


「見るだけでいい!」


慎吾は額を押さえた。


「この町で、その言葉は禁止にしたほうがいいな……」


■3


昼前。


品評会の審査が始まった。


慎吾は観客席の端で、牛を眺めていた。


一頭ずつ、番号を付けた牛が審査場へ入ってくる。


審査員が牛の周囲を歩き、背中や脚を確認する。


場内放送で何か説明されているが、慎吾にはほとんど分からない。


隣に座っていたビルが、得意そうに解説する。


慎吾は半分ほどしか理解できなかった。


「つまり、どこを見ればいいんですか」


ビルは牛の背中を指差した。


慎吾も同じ場所を見る。


「……全部同じに見えます」


ビルが大声で笑った。


やがて、サリアが一頭の牛を引いて現れた。


朝から走り回っていたのだろう。


金髪は少し乱れ、額には汗が浮かんでいる。


それでも、満面の笑みだった。


慎吾に気づき、大きく手を振る。


「シーン!」


慎吾も軽く手を上げる。


隣のビルが慎吾の脇腹をつついた。


「サリアの牛だ」


「それは分かります」


「いい牛だろ?」


慎吾は牛を見る。


大きい。


毛並みもきれいだ。


しかし、それ以上は分からない。


「たぶん」


ビルが呆れた顔をする。


「車のことなら、音だけで分かるんだろ?」


「牛にはエンジンがありませんから」


審査員が牛の周囲を回る。


サリアは真剣な表情で手綱を握っている。


慎吾は、初めて見る顔だと思った。


いつも笑い、次々と修理を押しつけてくるサリアとは違う。


牛の動きへ注意を払い、審査員の指示を聞き、立ち位置を細かく調整している。


慎吾には牛の良し悪しは分からない。


だが、サリアがこの日のために準備してきたことは分かった。


審査が終わる。


サリアが牛を連れて退場する。


しばらくして、結果が発表された。


サリアの牧場の牛は、部門二位だった。


周囲から拍手が起こる。


慎吾も拍手した。


隣のビルは、立ち上がって口笛を吹いている。


サリアがマーサと抱き合う。


マーサは笑いながら、娘の背中を叩いた。


慎吾は二人を見て、少し笑った。


サリアが慎吾を見つける。


二位のリボンを掲げ、誇らしげに叫ぶ。


「見た、シン!」


慎吾は親指を立てた。


「見ました!」


「すごいでしょう!」


「牛の違いは分かりませんけど!」


「そこは分かったって言いなさいよ!」


周囲から笑いが起こった。


慎吾も笑った。


■4


午後。


審査を終えた牛たちは、それぞれの待機区画へ戻されていた。


サリアは何人もの農場主に呼び止められ、二位入賞を祝われている。


慎吾は会場の端で、肉を挟んだパンを食べていた。


マーサが隣へ来る。


「退屈してない?」


「大丈夫です」


慎吾は紙皿を少し持ち上げた。


「食べ物もありますし」


マーサは笑った。


「サリアが無理に連れてきたんでしょう」


「ええ、まあ」


「嫌なら断っていいのよ」


慎吾は、遠くで笑っているサリアを見る。


「断っても、聞かないと思います」


「それはそうね」


マーサはあっさり認めた。


二人でしばらく会場を眺める。


マーサが慎吾へ尋ねる。


「明日、出発するの?」


「その予定です」


「そう」


マーサはそれ以上、何も言わなかった。


慎吾は少しだけ意外に思った。


引き止められるかもしれないと、どこかで考えていたのかもしれない。


会場の反対側から、牛の大きな鳴き声が響いた。


一度。


二度。


周囲の農場主たちが振り返る。


柵の中で、一頭の大型牛が激しく首を振っていた。


係員が近づき、牛を落ち着かせようとする。


慎吾は紙皿を持ったまま、その様子を見る。


牛が後脚で地面を蹴る。


柵が大きく揺れた。


マーサの表情が変わる。


「少し離れたほうがいいわね」


二人が立ち上がる。


その瞬間。


大きな金属音が響いた。


柵の留め具が外れる。


牛が体を押し込み、柵を倒した。


悲鳴が上がる。


会場にいた人々が、一斉に逃げ始めた。


牛は興奮し、目の前を走る人影を追う。


進行方向には、小さな子どもが立ち尽くしていた。


母親らしい女性が叫ぶ。


「動いて!」


子どもは恐怖で動けない。


マーサが走った。


「マーサさん!」


慎吾の声より早く、マーサは子どもへ手を伸ばした。


子どもの体を突き飛ばす。


次の瞬間。


牛の肩がマーサへぶつかった。


マーサの体が宙へ浮く。


柵へ叩きつけられ、地面へ落ちた。


慎吾は紙皿を投げ捨て、走り出した。


周囲では、農場主たちが牛を囲もうとしている。


誰かが子どもを抱き上げる。


マーサは地面に倒れたまま動かない。


脚の下から、赤い血が土へ広がっていく。


「母さん!」


サリアの叫び声が、会場に響いた。



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