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4/9

また俺、何かやっちゃいました?

■1


「キャー! 直ったわ! あなた、天才ね!」


サリアの歓声が、牧場中へ響いた。


古いトラクターが、黒い煙を吐きながら、ゆっくりと前へ進む。


「動いた! 本当に動いた!」


運転席のサリアは、両手を上げた。


トラクターがわずかに右へそれる。


「前! 前を見てください!」


慎吾が叫んだ。


「あっ」


サリアは慌ててハンドルを握り直した。


トラクターは干し草の山をかすめ、どうにか納屋の前で止まる。


慎吾は大きく息を吐いた。


「直した直後に壊さないでくださいよ」


「大丈夫。ぶつかってないわ!」


「大丈夫の基準が低すぎませんか?」


サリアは運転席から飛び降りた。


地面へ着地すると、そのまま慎吾の両肩をつかむ。


「シン、すごいわ!」


「うーん」


慎吾は、動き続けるトラクターへ耳を澄ませた。


エンジン音には、まだわずかな乱れがある。


「直ってはいないんだけどなぁ」


「動いてるじゃない!」


「今はね」


「じゃあ、直ったのよ!」


「そういう判定でいいんですか?」


「いいの!」


サリアは迷いなく言い切った。


■2


慎吾はトラクターのボンネットへ手を置く。


熱と振動を確かめてから、もう一度エンジン音を聞いた。


「町で部品を買ったなら、あとで交換しましょう」


「分かってるわよ」


「本当に?」


「もちろん!」


サリアは笑顔で答えた。


慎吾は少し間を置く。


「さっきも、車を叩けば直ると思ってましたよね」


「思ってないわよ」


「叩いたんでしょう?」


「腹が立ったから叩いただけ」


「余計に駄目じゃないですか」


「でも、あなたが直してくれた」


「だから、直ってはいないんですって」


サリアは聞いていなかった。


家のほうへ向き直り、大きく手を振る。


「母さーん!」


牧場の母屋は、納屋から少し離れた場所に建っていた。


白い壁。


低い屋根。


その前には、洗濯物が乾いた風に揺れている。


玄関から、一人の女性が姿を現した。


白髪の混じった髪を後ろで束ねた、細身の女性だった。


サリアはトラクターを指差す。


「動いたわ!」


女性は目を細め、トラクターを見る。


それから、その隣に立つ慎吾へ視線を移した。


「その人が直したの?」


サリアは気にせず続ける。


「日本から来たメカニックなの。シンっていうの」


「旅行者です」


慎吾は訂正した。


「同じようなものよ」


「全然違います」


女性は二人のやり取りをしばらく眺めていた。


慎吾は軽く頭を下げた。


■3


「久世慎吾です。突然、お邪魔してすみません」


女性は慎吾の顔から、トラクターへ視線を戻した。


エンジンはまだ動いている。


「本当に、あなたが?」


「ええっ……まあ……」


慎吾が曖昧に答えると、サリアが隣で笑った。


女性は慎吾へ近づき、トラクターの周囲を一度回る。


「朝から、何をしても動かなかったのよ」


「たまたま、使える部品が納屋にありましたから」


「それでも、助かったわ。本当にありがとう」


女性の口元が、わずかに緩んだ。


「私はマーサ。サリアの母です」


「よろしくお願いします」


マーサは慎吾の手元を見る。


油で黒く汚れている。


腕にも、細かな傷がついていた。


「お代は、いくら?」


慎吾は首を振った。


「いえ。旅行中なので、お金は受け取れません」


「でも、直してもらったのよ」


「本当に、たいしたことでは――」


「シン」


サリアが低い声で呼ぶ。


「はい」


「そこ、もういいから」


慎吾は口を閉じた。


■4


マーサは少し考えたあと、母屋へ向かって歩き出した。


「お金を受け取らないなら、夕食くらい食べていきなさい」


「いえ、そこまでしていただかなくても」


マーサは足を止めた。


「それじゃ、こっちの気が済まないわ」


慎吾は返事に詰まる。


マーサはサリアを見る。


「手を洗う場所を教えてあげて」


「分かった!」


サリアは慎吾の腕をつかんだ。


「さあ、行きましょう」


「いや、俺はそろそろ――」


「どうせ今日、泊まるところも決めてないんでしょ?」


慎吾は言葉を止めた。


「……どうして分かったんですか?」


サリアは牧場の前に停まった四輪駆動車を見る。


「その車を見れば分かるわよ」


「車は関係ないでしょう」


「行き先も決めずに走ってるって、自分で言ってたじゃない」


「それは……そうですけど」


サリアは満面の笑みを浮かべる。


「じゃあ決まり。夕食を食べて、今日はうちに泊まっていきなさい」


「夕食の話から、宿泊まで増えてませんか?」


「暗くなってから宿を探すより安全よ」


マーサが母屋へ歩きながら言う。


「客間なら空いているわ」


慎吾はマーサとサリアを交互に見た。


「ええっ……」


「母さんの料理、おいしいわよ!」


「そういう問題ではなくてですね」


サリアは慎吾を引っ張り、母屋へ向かう。


「その返事、信用できないんだよなぁ……」


慎吾の声が、夜の牧場へ消えていった。


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