2話 変な絵
「ごめん、シトエン。続きを描こうか」
声をかけると、シトエンもほっとしたようにうなずく。
「そうですね。筆……あ、ロゼちゃん、ありがとうございます」
床に放り出したままだった絵筆をロゼが拾ってシトエンに渡してくれた。
シトエンは改めて画用紙を床に置いた。
下書きのときはテーブルで描いてたんだけど、水彩画特有のこう……にじませる技法?をやってみようということになって。
それを教えるために、シトエンが俺の後ろから手を添えてやろうとしたらテーブルでは難しくて……。
だから床に直接画用紙を置いて、二人羽織みたいにしてシトエンに手ほどきしてもらっていた、というわけだ。
「まだ画用紙は水で湿っていますから。上からそっと絵筆を落とす感じで色を乗せてください。で、また別の色を足していけば、きれいに滲んで混ざり合うと思います」
シトエンが説明してくれた。
「わかった。じゃあ、ちょっと今度はひとりでやってみるから」
またよからぬ妄想にとらわれたら大変だ、とキリリとした表情で宣言する。
そんな俺をシトエンはちょっとだけ見つめた。
ん?なんだ、と思っていたら、シトエンは少しだけ首を右に傾けた。さらりと彼女の銀色の髪が肩から流れ落ちる。
「どうかした? まだ注意点とかある?」
「いえ。その……」
シトエンはちょっとだけ言いよどみ、それから絵筆を俺に渡すために近づいた。
「サリュ王子とくっついて絵を描くのがわたし、楽しかったので……。ちょっと残念だって思ってしまって……」
小さな。
本当に小さな声で言う。
うつむいているから顔は見えないけれど。
髪からのぞく耳はまっかっかで……。
そんなのを見たら俺だって……!
俺だってえぇぇぇぇぇ!
俺だって楽しかった――――――――――――!!!!!!
本音は―――――――――――!
もっとやりたかったです――――――――――――!!!!!!!
危うく絶叫しそうになったけど、モネロゼがいることを必死で思い出してシトエンから絵筆を受け取る。
ダメだ。ダメだ!
絵に集中しよう、絵に!
パレットにぶちゃっと絵筆をつけ、画用紙の枯れ葉に色をつける。
画用紙はあらかじめ水で濡らしてあるから、色をのせるとその水分でにじんでいく。
で、色を足していって、その重ね具合で葉の色を表現する、と。
俺は無心になってばちゃばちゃと色をつけていく。
それを繰り返していると、ふと視線に気づいた。
いつの間にかモネロゼも絵を見ている。
……俺も、目が離せない。
なんかこう……。
おもってたんと、違う。
おかしいな。
ここにじゃあ、色を追加したらどうだ?
……んー…………。えー……っと、じゃあ、ここに……この色を……。
やっべ……。え、これ……。なんか違……。
モネロゼももはやなんも言ってこねぇじゃん。
額から冷汗がにじみ出はじめたとき、コンコンコンとノックが鳴った。
「はい」
シトエンがやわらかな声で返事をする。
本当はモネかロゼが返事をすべきなんだろうけど、なんかさっきからあいつら、本当に無言なんだよな……。
「ラウルです。入室しても?」
「どうぞ」
シトエンが返事をし、ラウルが入ってきた。
と、思う。扉が開く音がしたし、足音もしたから。でも、ラウルの方を見ることができない。
というのも。
俺の絵から目が離せないからだ。モネロゼだって微動だにしていない。その気持ち、わかる。
目を離したらどうなるかわからない恐ろしさがその絵にはあった。
「……え。団長、これなにを……」
ラウルが立ったまま俺の絵を見下ろしていた。
やつもまた、この絵に捕らわれたひとりとなったようだ。
「サリュ王子と一緒に水彩画を描いていました」
シトエンが答える。
「水彩画⁉ という名の心理テストかなんかですか⁉ 団長の心の傷の大きさをはかるとか? え、団長。あの戦闘のせいで心にこんな闇を⁉」
「あ、危ない……! ようやく視線がはずれた……。これは手に負えない……。危険すぎる暗闇を感じるわ」
「やばいよね⁉ お姉ちゃん‼ じんじょーじゃないよ、これ! やっば!」
ラウルが驚愕し、モネが震え、ロゼが「やばい」を連呼する。
「そんなことないですよ? 混ざりすぎちゃっただけで……。だけ……だ、と」
なにかフォローしようとしたシトエンも急に黙り込み、じぃぃぃっと水彩画を見つめ始める。
いかん! なんかわからんが毒気にあてられてしまう!
俺は慌てて絵筆を放り出し、画用紙をくしゃくしゃに丸め、ぽいっと部屋の隅に放り投げた。
「あ……あやうく、シトエン妃が団長の闇に飲まれるところでしたね」
「妄念かしら。シトエン妃、大丈夫ですか? ロゼも平気?」
「こわ……。お姉ちゃん、あれなんだったんだろ」
「み、みなさん、おおげさですよ」
シトエンだけがぎこちなく笑っているけど、ラウルは冷や汗を拭い、モネとロゼはくっついていたわりあっている。
俺、なんか変な才能があるのかもしれん。やばい絵を爆誕させるところだった……。
「で? なんだ、ラウル」
俺はごほんと咳ばらいをし、絵筆をパレットの上に置いて立ち上がった。
「そうでした。団長は王太子殿下のところへ。それからシトエン妃は王妃陛下のところへ行くように、と。王太子妃のユリア様もお待ちとのことです」
ようやくいつもの顔でラウルが言う。
「王太子?」
「王妃さま?」
俺とシトエンは声をそろえて互いの顔を見た。




