第四十五話 旅の終わり
いわゆる外征派を名乗った若手騎士の反乱が終わって、一週間が過ぎようとしていた。
神殿騎士たちが暴れまわったせいで至る所が破壊された教会都市レーレンだが、驚くべきことに僅か一週間で表面上は元の姿に戻っていた。
とはいえ外征派に制圧された教会や官公庁舎など、中はめちゃくちゃのままだったりする。
ロイヴェリク教会やエグゼクタ教会、レーレン大聖堂も未だ関係者以外立ち入り禁止となっている。
特にエグゼクタ教会は復興すら危ういほど深刻なダメージを受けていた。
そりゃ腕だけとはいえアークデーモンやグレーターデーモンが暴れたのだ。倒壊しなかっただけよかったものである。
私はというと、相変わらず聖クネフ教会の二階に居候をしていた。
ただ、今日はちょっとお出かけしている。
場所はレーレン大聖堂。今宵、呪い除去の儀式を行う許可が教皇庁から降りたのだ。
『ようやくか』
レーレン大聖堂にある控室のような場所で、待機する私の斜め上にアーニャが浮かんでいる。
しかし、ようやくなんて言う割には緊張感の欠片もなく欠伸をしている。ガーネットのような瞳の端には、涙まで浮かんでいる。
「そうね。ようやくあんたともおさらばね」
『んぬ。じゃが、そう寂しそうな顔をされてはわっちも困りんす』
「誰が寂しいなんて思うか。むしろせいせいするっての」
私をからかったのだと気づいたのは、顔を背けてアーニャが肩を震わせているから。
『とはいえ何度も言うが、たかだか人間如きの儀式で解呪できるとは思えんがな』
「まーたそんなこと言って。レベルドレインを解呪したいのか解呪したくないのかどっちなのよ」
さすがに聞き飽きた。銀腕のように人間の力を思い知ってもらいたいものだ。
『そりゃ解呪したいがの、何事も現実というものがあってじゃな』
「なら大人しく人の力でも信じておきなさい」
『んあ。そうすることにしんす』
アーニャは目を瞑るとその場で浮かびながら横になる。まるでハンモックに身を預けているかのようにゆらゆらと揺らめく。
呑気なものだ。苦笑いすらできやしない。
そんなアーニャの向こう、壁にチェインメイルが吊られていた。銀腕によって半壊させられた愛用のチェインメイルだ。
エグゼクタ教会での戦いの後、ずっとこのままだった。魔法で強化されているせいか、レーレンの鍛冶屋では修理不可能なのだ。
「――で。銀腕のことだけど」
訊くのが怖くて一週間も先延ばしにしていたが、もうできない。私は腹を括って訊くことにした。
『手首から先が千切れただけじゃ。大したダメージにはなっておらぬ』
「やっぱ追い返しただけってことね……しかもめっちゃ怒らせて」
ずぅぅぅんと心が重くなる。
その場の雰囲気に任せてやりたい放題やってしまったけど、よくよく考えればかなりマズい。
ダンジョンで暴れたりしないだろうか?
『安心するが良い。あやつはああ見えてプライドも高い』
アーニャは片目をちらりと開け、
『だからこそ。銀腕の欠けた姿を、たとえ人間ども相手だとしても、見せるとは――ふふっ、到底思えんがの』
ほっと胸を撫でおろす。
よかった。ラグナデナンの冒険者たちが、私のせいで危険な目に合うことはないみたいで。
しかし、アーニャは犬歯をちらりと覗かせると、
『グレーターデーモンをたくさん野に放つくらいはするかもしれんが。くっくっくっ』
…………。
いや。笑えないんだが。
止まらない手の震えに頭を悩ましていると、コンコンコンとドアをノックする音。
アーニャと目と目が合う。
「レティシア殿。お呼びに参りました」
今行きます、と返事をして身支度を終えるとドアを開けた。
司祭が一人、やや緊張した面持ちで待っていた。
なんだか見覚えがあるなと思えば、なるほど、あの時アルスに刺された司祭だ。
癒し手の腕がいいと後遺症も残らないんだなあ。
そんなことを思いつつ部屋を後にする。
「私が希望したのです。貴女をお連れしたいと」
案内される道すがら、司祭は照れくさそうにそう言った。
変わった司祭だな、と思う。だからこそ神殿騎士に食って掛かったのかもしれない。
司祭と私はぽつりぽつりと会話しながら、ゆっくりと祭祀場へ向かう。
レーレン大聖堂は広く、大きい。訪れるたびにいつも思うのだが、大聖堂とは言うが城か何かの間違いではないだろうか。
「知ってます?今、貴女はデモンスレイヤーとかレーレンの白い悪魔なんて呼ばれてるんですよ」
司祭がふとそんなことを言う。
「デモンスレイヤーはまだしも、神殿騎士が悪魔呼ばわりなんて皮肉ね」
「外征派の生き残りが畏怖と嫌がらせで広めてるのでは?あわよくば異端審問にかけようとか」
うっ……やだな、それ。
司祭にばれないように左腕を見た。ダンジョン産の義手ならまだしも、マジもんのアークデーモンの腕なのだから異端審問にかけられるのは非常にマズい。
額にちょっとだけ汗が浮かんだ。
ようやく祭祀場の手前まで来た。
ここから先は私一人だ。
「レティシア殿。最後に吉報を一つ」
ドアのノブに手を伸ばしたところで司祭が口を開けた。
「なに?」
「今朝、ハイラム殿が目を覚ましたようです」
窓から差し込む陽の光が、一段と明るく感じられた。
「ありがとう」
私は短く礼を告げると、扉を押し開けた。
燭台に灯された蝋燭が扉の開閉で、その炎を揺らめかした。
祭祀場には数人の司祭が私のことを迎えてくれた。
聖クネフ教会の高司祭オーゲンさんに、ロイヴェリク教会の高司祭であるグスタフ司祭もいる。
二人の後ろに控える方々も、それに準ずる腕を持った司祭たちだろう。さらには何か起こった時に備えてか、神殿騎士も控えている。
「レティ、気分はどうだ?」
オーゲンさんがにこやかに笑いかけてくれる。
「うーん、普通ね。良くもなし、悪くもなし」
そうか、と言葉短く返してから、オーゲンさんは部屋の中央にある台座まで来るよう促した。
「ハイラムの件は聞いたか?」
「さっきね」
彼がどうなるかはあえて聞かない。アークデーモンの件は報告済みとはいえ、寛大な処置が下るとは到底思えないから。
「なら。もうお喋りはこれくらいにしよう。本題に入るぞ」
司祭たちがゆっくりとした足取りで配置に付き始める。
「今からお前の呪い除去――解呪の儀式を行う。主祭は儂が務める。グスタフ高司祭には補助に入ってもらう」
「どうもレティシアさん。あの夜は――処刑される前に助けてくれたのだから、今度は私たちが助ける番だ」
グスタフ高司祭が伸ばす手を、恐れ多いけれども握り返す。
「助けてよかったって思えるように、今日は頼みますね」
私の返事に、面食らったようになりながらグスタフ高司祭は小さく笑った。
「アークデーモンを退けた騎士というだけあって肝が据わってるな。神殿騎士としてはいささか軽いが」
肝が据わっているというよりも、これだけの司祭が集まって解呪するのだから、安心しきっているというのが正しい。アーニャはまだ不安そうだけれども。
「儀式は二日ほど休憩なしで続ける。良いな?」
「ええ。望むところよ」
台座に寝転ぶよう言われて、私は仰向けになった。
天井にはラピスラズリの青い夜と宝石の星が広がっていた。そして、私のことを覗き込む赤い双眸の星。
『レティよ』
「なに?」
『短い間じゃったが……んぬ。楽しかったぞ』
「迷惑かけたほうが楽しんでどうすんのよ。レベルドレインはほんとこりごりなんだから」
アーニャがクスクスと笑う。
憎まれ口を叩いているのにどこか嬉しそうだ。
『そうかそうか……ふふっ。そうかそうか』
アーニャは口を横一文字にし、しかし、こちらを見て小さく吹き出すと深呼吸を一つ。
凛々しい顔つきのアークデーモンがそこにいた。
まったく、このつるぺたお子様ランチときたら。
目を反らすような愚は犯さない。
「じゃあね。相棒」
『うぬ。さらばじゃ』
そして――儀式が始まった。




