第四十四話 闇、終わるとき
私は駆けた。
一瞬で距離を詰める。
グレーターデーモンが反応するよりも、私の方がずっと早い。
右手を振りかぶる。
逆手に持ったストームブリンカー。その漆黒の刃を一閃。
防御する間もなくグレーターデーモンの胸板を切っ先がぶち抜いた。
引き抜くのも億劫なので力任せに横に薙ぐ。
グレーターデーモンの腹が2/3ほど千切れた。
左の拳を固く握る。
「だあああああッ!」
渾身の左拳を、自重も支えられぬグレーターデーモンのわき腹へと叩き込んだ。
技術もクソもない、力任せの一撃。
衝撃と破壊が体内で暴風雨のように暴れまわり、残った1/3の胴が弾け飛ぶ。
血と内蔵が飛沫となって降り注ぐ。
そこへ警告が投げられる。
『後ろじゃ!』
聞き惚れそうになるアーニャの声。
右足を軸に回転し、振り返る。
卑怯にも、後ろから襲い掛かろうとしていたグレーターデーモンと視線が合った。
彼が持つ頭蓋を模した斧が振り下ろされるよりも先に、ストームブリンカーで殴りつけた。
あばら骨がいくつも砕ける音がし、グレーターデーモンが苦悶の声を上げて折れ曲がる。
再びストームブリンガーを振り上げると――今度は両手で握り、振り下ろす。
教会の石床が大きく抉れ、めくれ上がった。
濛々と巻き起こる土煙の中、左右に分かれた二匹目のグレーターデーモンの内側から臓物が零れ出る。
呆気なく、一つの強大な命が弾けて消えた。
その向こう、複雑な印を組んだ三匹目のグレーターデーモンが、この世に非ざる咆哮と共に異界の魔法を放った。
揺らめく青い光弾が、いくつも私に向かって飛来する。
「ふんッ!」
そのうち、直撃しそうな一発を左腕で叩き落とす。
爆発と閃光。
教会が軋み、柱に大きなヒビが入る。
光弾を叩き落としてから、めくれ上がった石床を足場にして、前へと矢のように跳ぶ。
グレーターデーモンの両腕に奇怪な魔方陣が生まれた。魔法陣の中から、まるで肉切包丁のような大振りの片刃の魔剣を引き抜いた。
斬り合いと洒落こむつもりらしい。
知らず知らずのうちに口端が上がっていた。
次の瞬間、鋼と鋼がぶつかり合う。
互いの剣に込められた魔法が相互干渉し、ガラスが割れたような音が響いた。
弾き合った衝撃を利用して私は手首を返し、刃先の向きを変える。
重い手ごたえと共に、グレーターデーモンの両腕がぼとりと落ちた。
バックファイアーのように吹き出る血を全身に浴びながら、首を斬り落とす。
残り一匹。
「ゴるぉおおおおおおおおッ!」
最後のグレーターデーモンは咆哮する。威嚇ではない。
その御前に赤、青、黄の三色三重の魔法陣が生まれた。
光の粒子が魔法陣の中心へと次々に集まっていく。
そして、
私は構わず飛び込むと、
三重魔方陣ごとデーモンの身体を横に薙ぎ払っていた。
グレーターデーモンの屍が積み重なり、エグゼクタ教会はひどい臭いが充満していた。
『へー、やるじゃん。人の身でそこまでできるなんてねー』
手駒を全て片づけられたというのに、彼女の口調は依然として軽い。
強がっているのか、予想の範囲内なのか、それともおもしろがっているだけか……。
銀腕が握り拳を作ると、人差し指を私に向けた。
『ばーんっ!』
微弱な魔力と同時に紫電が迸る。
私は反射的にストームブリンガーを振るっていた。
『あらら。マジで意外』
視界の端で二つに裂けた紫電が、それぞれ教会の石壁を粉砕したのが見えた。
恐怖が私の耳元で囁く。
『でもー、やっぱしー、あたしが相手をするまでじゃないのよねー』
銀腕が羽虫でも追い払うかのように手を振った。
その瞬間、重い空気の塊が私の身体を殴りつけた。
鎧を着こんでいるはずの私の身体が、優に数メートルほど後ろへ吹き飛ばされた。チェインメイルの破片をまき散らしながら。
「げほっ!」
全身に痛みが駆け抜けるのと同時に、肺の中の空気が全部抜ける。倒れ込んだ拍子に、ストームブリンカーが手から離れた。
いったい何が起きた?
今の一撃に魔力の類は一切感じられなかった。文字通り手を一振りしただけ。
たかだか手の一振りで、ここまでの力を出せるとは信じられない……。いや、信じられないことをアークデーモンが起こした。そう考えるほうが理にかなっている。
こいつらはそういう生き物なのだ。
『人間やめてる強さってのはわかったわー。うん。あなたくらいのが何人も集まってー、やっとこさ虐殺を回避できるーみたいなー。ほんと脳筋の翡翠だから倒せたんだろなーってのがアタシの感想』
アーニャに対しても人間に対しても、無礼極まる言い方だ。しかも、本当のことだから余計に質が悪い。
『でも――』
銀腕は言葉を続ける。
『退屈しのぎにはちょうどよかったわー。この白目向いて伸びてるヤツを操るよりはよっぽど刺激的!うちの子が四人やられたけど、愚かで脆弱な人間にしてはマジでよくやったんじゃない?』
徹底的に上から目線を崩さない銀腕に、もはや感心さえしてしまう。こいつにとって人間なんて、ほんとうに取るに足りない存在なのだと。
『うんうん。今日は満足したし、アタシもう帰るねー』
負けた。
完全に負けた。
私ではアークデーモンの腕一本にすら敵わなかった。
悔しさにぎりりと歯を噛み締める。
いや、むしろ生き延びることができたことを喜ぶべきなのではないだろうか。腕だけとはいえ、二度アークデーモンと対峙したのだから。
『うふふ。じゃあねー人間。今度はダンジョンで会おうねー』
これほど会いたくない相手が他にいるだろうか。
そう一方的に告げると、銀腕は手を振り壺の中へと腕を引っ込め――
『レティ!帰すのはまだ早い!おぬしの手で扉を閉めるのじゃ!』
アーニャの声が、折れかけていた心をつなぎとめる。
――その手があったか!
私は落としてしまったストームブリンガーを手探りで探す。
左手が柄に触れた。
あった!
銀腕は名残惜しむかのように、虚無へゆっくりと沈んでいく。
『じゃあね。翡翠色の白い騎士さん』
「そんな急がなくてもいいじゃない。もうちょっとゆっくりしていきなさいよ」
『え?』
銀腕が驚きに動きを止めた。
よろめきながらも立ち上がった私は、翡翠の腕で大きく振りかぶる。
手にはストームブリンカー!
まるでバリスタのごとく投擲した漆黒の剣は、
空気を切り裂き、
音を置き去りにし、
銀腕の反応を超える速度で、
デーモン召喚の壺を撃ち抜いた。
大穴が開いた壺から伸びる銀腕は、あからさまに不審がる。今さら召喚装置を壊したところで何になるのか、と。
手首より上を残すのみとなったとき――その動きが急に止まる
『あなたー……いったい何をしてくれたのかしらん?』
余裕ぶってはいるが、震える声は隠しきれていない。
今さら気付いたところでもう遅いけど、
「あんたらが人間を舐めてくれたから助かったわ。そのデーモン召喚の壺ってね、異界とこちらを無理やりつなぐゲートみたいなものなの」
片膝を付き、荒い呼吸で私が話す合間にも、壺に大小無数のヒビが走り始める。
銀腕は慌てて腕を引っ込めようとするが、最早ピクリとも動かすことができない。
「たとえば壺を破壊するとかして、ゲートを無理やり閉じたら――どうなると思う?」
銀腕がわなわなと震える。
『まさかー……これはー……』
さっきまではなかった感情が見え隠れし始める。
細かい破片が落ち、次第に壺の形すら崩れ始める。
『ちとゆっくりしすぎたようじゃの。人間を侮るからじゃ』
アーニャがカカッと軽快に笑った。
すでに異界とこちらとの接続は断たれているのだ。
では、
そのゲートが閉じた時、異界とこちらとの境目はどうなるのか。
答えはヨンパの村で私自身が言っていたこと。
すなわち――
世界すら切り裂くギロチンとなる。
『ありえないわー……そう……そんなことあるわけない……』
愚かで脆弱な人間如きに一杯食わされた。
アークデーモンとしてのプライドが、油断していたとはいえこの事実を認めることを拒むのだろうか。
『たかだか人の分際でええええええええぇええぇぇぇぇッ!』
「あらあら。正体現したね」
烈火のごとく怒り出し、余裕がなくなった銀腕に向けて、厭味ったらしく笑いかけてやる。
「じゃあね。銀腕さん。今度はダンジョンで会いましょう」
手が振れない銀腕の代わりに、翡翠の義手を振ってさよならを告げた。
『殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッ!』
身も凍る怨嗟の声を、いくつも残しながら――
声がぷつりと途切れた。
散らばるデーモン召喚の壺の破片に紛れるようにして、銀色の手首から先だけが残っていた。
馬鹿騒ぎがようやく終わったのだ。
「ハイラム!」
私は痛む身体を押して、うつぶせに倒れるハイラムに駆け寄った。
傍らに膝を付けるも、苦しそうに呻く彼に何をしてあげればいいのかわからない。机の破片が肩を貫き、真っ赤になっている。
滲む赤に視線が吸い寄せられ、頭が真っ白になる。
死んではいないが、死んではいないけど!
『レティ!何を馬鹿なことをしておる!おぬしも神殿騎士なら治癒の魔法の一つも唱えんか!』
アーニャの怒鳴り声で我に返った。
迷うまでもなく私は治癒を唱える。ハイラムの傷を柔らかな光が包み込む。
「おい……」
「喋んないで!私、あんまり神聖魔法は得意じゃないんだから!」
これは効いているのか?流血は少しマシになったような気がするけど傷口も塞がっていないし、表情は苦しそうなままだし、クソッ!クソッ!
「レティ……」
「だから黙れって言ってんのがわからないの⁉」
ハイラムの手が私の義手に触れた。驚いたが、それよりも――
「……会えてよかった」
「うるさいっ!私もだッ!」
私は治癒を唱え続ける。
魔力がすっからかんになり、神聖魔法が発動すらしなくなるまで、ずっとずっとずっと唱え続けた。
東の空が白み始める。
夜が明けようとしていた。




