第四十三話 白銀の悪魔
エグゼクタ教会に澱む空気は重く、息苦しさまで覚えるほどであった。
「そう、もう少し付き合ってもらうぞ!このバカ騒ぎにな!あーはっはっはっはっ!」
面前に垂らした布が外れ、エーリッヒ司祭の笑い声が響く。
彼の目は焦点が合っておらず虚ろだ。
正気じゃない。
『――気を付けよ。あれはただの人じゃありんせん』
アーニャの視線は鋭く、表情は険しい。何かを警戒している。
「エーリッヒ司祭はいったい……」
事態を飲み込めないらしく、ハイラムが呟く言葉も途中で途切れてしまう。
私はというと――壺を撫でるエーリッヒ司祭の姿が、ヨンパの村を壊滅させたダグラスと重なり、戦慄していた。
デーモン召喚の壺。
まさか高司祭が邪教の暗黒神官だと?ありえない。
大方、美術品と間違えて購入したのだと思うが……。
「それにあの壺、そしてなんだあの腕は⁉」
ハイラムの視線はデーモン召喚の壺、そこから伸びる銀色の腕に釘付けになっていた。
壺の口よりも太い銀の腕は準備運動でもするかのように、全ての球体間接を動かして、さっきからしきりに空を掴むような仕草をしていた。
その腕には生物感が全くなく、名工の工芸品かと思わせるような――銀と翡翠の違いはあれど、私の義手と瓜二つの腕であった。
「まあ……何が起こっているかはわからんが、エーリッヒ司祭とあの壺をどうにかしないといかん、ということはわかる。穏健派がどうの外征派がどうのと、言っている場合ではなさそうだな」
さっきまで抜け殻のようだったハイラムが再び剣を握った。瞳にも生気が戻っている。
ほんの数分前までは剣を合わせる相手だったというのに、今はとても心強い。
いや、安心していると言うべきか。
「レティは壺を、俺はエーリッヒ高司祭を押さえる。オーケー?」
私はウインク一つを返し、
「オーケー」
「なら――行くぞ!」
ハイラムと私は昔のように肩を並べると、床を蹴って駆け出した。
相手はいくら高司祭とはいえ、教会勤めの荒事とは無縁の司祭だ。神殿騎士が、しかも私とハイラムが二人がかりで圧倒できない相手ではない。
相手ではないはずだった。
『だめよー。この司祭を殺しちゃうのわ。だって本人の意思で悪いこと、半分くらいしかしてないんですものー。可哀そうでしょ?』
唐突に声が頭の中に響いた。
思わず足が止まってしまった。
前に出たハイラムの背中が視界に映る。
そして、エーリッヒ司祭を中心に不可視の衝撃波が発生したのはその時だった。
司祭は己の気を固め、それを放って攻撃できる。気弾という神聖魔法だ。
ただそれは個人に向けて放つものであり、今みたいに周囲に向けて爆発させるようなものではない。
これは人外の魔法であった。
私はとっさにストームブリンガーを縦に振って切り裂いたが、直撃を受けたハイラムは、長椅子をいくつも巻き込みながらいとも簡単に吹き飛ばされた。
「ハイラムっ⁉」
喉から血が出そうなほどに叫ぶが、ハイラムはぐったりとしたまま動く気配を見せない。
背筋が寒くなっていく。脳裏にチラつく「死」の文字。
私はたまらずハイラムの元へと駆け寄ろうとし、
『あらん?ちょっと強くやりすぎちゃった感じ?ま、いっか』
先と同じくまたもや声が頭の中に響いた。女性の声だ。しかも人間で言えば、私よりもずっと上のお姉さんといった感じの、そんな声がした。
同時に、銀腕が放つ異常なほど重いプレッシャーにあてられ、意思に反して足が止まった。動かない。
『やーほんと便利だわ、この壺。ダンジョンじゃなくても、こっちとそっちを繋げられるんだもん。脆弱な人間にしては頭使った方じゃないかしらん』
そして、やけに話し方が鼻につく。
『んー?あなたー、普通の人間じゃないのねー。なんかこう違和感とゆーか、懐かしい感じがするのよねーん。なんでだろー?なんでかなー?』
さらには、やたら馴れ馴れしく話しかけてくる。
たぶん……あの銀色の腕が、だと思うけど。あまり自信はない。常識的に考えて腕がしゃべるか!とツッコミをいれたいが……。
アーニャに訊こうとして、私は口を開けたまでは良かったが、声を発することはできなかった。彼女の額に汗が一筋流れ落ちたからだ。
『……レティ、気を付けよ。間抜けなしゃべり方をしておるが……騙されるでない。あやつは紛れもなく白銀のアークデーモン。わっちと同じ、デーモンを統べる将の一体じゃ』
待て、今なんて言った?
アークデーモンだと⁉
あの腕一本が?
『たわけ。そんなわけがあるか。ちゃんと身体はある。おぬしが言ったではないか、ああいう召喚の壺は一方通行じゃと。出口が開きっぱなしなら、腕だけを出すことくらい容易いわ』
銀腕の、ただでさえ高いテンションがさらに高くなる。
『あらあらあら!その声!もしかして翡翠⁉あんた人間にぶっ殺されたんじゃないのー?はっはーん、なるほどねー』
アーニャが目に見えて不機嫌になっていく。どうやらこの二人、かなり仲が悪いらしい。まあ私もああいう軽い口ぶりやつは苦手な部類だけど。
その腹に何を抱えているかわからないからだ。
『それが呪いなのねー。あー怖い怖い。人間の小娘に取り憑いてるとか、想像しただけで震えちゃうわ』
今の言葉はアーニャの琴線に触れるものがあったようで、彼女の全身の毛が逆立った。犬歯を剥き出しにし、射殺すような視線を向ける。
『黙りんす!そもそも貴様はこの世界にちょっかいを出すことを禁じられているはずじゃ。《協定》を破るのかや⁉』
『いやねー。そんな《協定》破る気なんてないに決まってるじゃなーい。だって前に街を焼いたときにめっちゃ怒られたしー。こういう面白オモチャがあるって知ったから、ちょっと遊ぼうかなってねー』
銀腕が壺の縁をぺしぺしと叩く。
『しかも、ちょうど操りやすい人間もいたし。ふふーん。でーも、ちょっと調子に乗っちゃって大変なことになってるけどねー』
「つまり……あんたがエーリッヒ司祭を操ってるの?」
私がそう言うと、ぴたりと銀腕の動きが止まった。
『あ、誤解しないでくれる?魔法で操ってはいるけどさー、この人間の欲望を解放しただけだかんね。別に町一つ乗っ取れなんて言ってないしー。でも、いつかはすっごく悪いことはしてたと思うよーこいつ』
そして、けらけらと笑う。腕が笑うのもおかしな話だが。
「そ、そう……」
ダメだ、どうも間延びした喋り方に調子が狂ってしまう。アークデーモンならもっとアークデーモンらしくしてくれればいいのに。
しかし、さっきから放っているプレッシャーだけは本物だ。
アーニャはよほど会話したくないのか顔をこれでもかとしかめながら、
『貴様と喋るとたわけがうつる。十分遊んだのならさっさと帰るが良い』
そうだ。早くハイラムの怪我の具合を確認しないと――
『え、ヤダ』
私の頭の中に響く声はきっぱりと言い切った。
……は?
銀腕がひらひらと手を振る。
『だってせっかく軌道に乗ったんだもん。もう少し遊びたいし』
遊ぶ?
『とゆーか、この人間とあそこで死にかけている人間が二人して企んだだけだしー。アタシあんまし関係ないんだけど。あ、そうだ!今思い付いたんだけど、せっかくだしまたこの街をデーモンやら眷属で百鬼夜行しちゃおうかなー?さらに賑やかになっておもしろそうっしょ』
こいつは、何を言っているんだ?
アーニャが呆れ果てたようについたため息が、耳元を撫でる。
『な、わかったじゃろ?わっちがこやつを嫌う理由が。こやつは悪気というものがない。何の脈略もなく突然現れて、場を引っかき回すだけ引っかき回し、めちゃくちゃにする。自分の気が済むまでな』
途端に、私を釘付けにしていたプレッシャーから解放された。身体に自由が戻る。
「十分わかったわ。やっぱあんたらデーモンはダンジョンの中から出しちゃいけないんだって」
『んあ?もしや、そのデーモンとやらにわっちも混ざっておるのかや?』
私はあえて明言はせず、鼻で笑って誤魔化す。
それから切っ先を再びデーモン召喚の壺へと向け、ストームブリンカーを構え直した。
『ふーん。もしかして、もしかしてだけどー、アタシとやろうっての?』
私は黙って頷く。
『ふぅん。変わった人間ね』
銀腕はパチンと指を鳴らすと、
『おっけー。その勝負乗った。じゃあ、アタシの持ち駒、全部突っ込むから頑張ってね!』
言うや否や、壺の周りの空間が滲み始めた。水の中から見る太陽のように、不定形だったそれらは次第に形作っていく。
何でも来い。全部ぶっ殺してやる。
現れたのはグレーターデーモンが四体。教会の中でひしめき合い、閉塞感に息が詰まる。
アークデーモンの為せる業か、どう考えてもデーモン召喚の壺のスペックを遥かに超えている。
すると、いきなりエーリッヒ司祭が白目を剥いてぶっ倒れた。魔力を吸われすぎたのだろう、口から泡を吹いて痙攣している。
「ねぇ、アーニャ」
『なんじゃ?』
「今更だけど、あのお喋り糞デーモンをぶっ殺しても問題ないのよね?」
アーニャは堰を切ったように笑い出した。
『構わん!わっちもあやつの話を聞くのに飽きておったところじゃ。思う存分やってやれい!』
りょーかい。
私は態勢を低くしてストームブリンカーを構える。翡翠色の左腕が魔力を喰らい、虫の羽音のような重低音が響く
戦闘開始だ。




