第四十六話 神殿騎士、発つ
目を覚ませば祭祀場の天井があった。
儀式は終わっていたようだ。
つまり二日が過ぎたということだが、意識がなかったせいか実感がわかない。
上体を起こすと、疲労困憊といった様子の司祭たちが、グッと親指を立ててくれる。二日間不眠不休で儀式が行われたのは確かなようだ。
はたして上手くいったのだろうか。
左手を見た。
手の甲には魔法陣が、変わらず薄い光を発している。
「レティ、気分はどうだ?」
左手を握ったり開いたりしていると、オーゲンさんが声をかけてくれた。儀式前と今で、さらに老け込んだのではなかろうか。
「いえ……特には……」
身体に目立った変化は、ない。
レベルドレインがなくなったという実感もわかない。
周囲に視線を向けてみる。
燭台の蝋燭はほとんど残っておらず、過ぎた時間を物語っている。
そして、どこにも黒く長い髪に褐色の肌を持つ赤い瞳の少女の姿はなかった。
「まあ儀式が終わったばかりはそんなもんじゃ」
そうなのだろうか……?
呪い除去なんて初めてだからよくわからん。
もっとこうピロリロリンみたいな音楽が流れてレベルドレインは解除されました、みたいな声が天から聞こえてもいいんだけど。
頭が重く身体も怠い。
長く患っていた風邪が完治した次の日の朝のような、そんな気分であった。
アークデーモンの呪いに人間が打ち勝った。
そういうことで良いのだろうか。
『――愚かなり。実に愚かなり』
声がした。
この声を訊くのは二度目だ。
司祭たちが青ざめた顔で私の方を、いやその後ろを見ている。
人の心の奥底から恐怖を呼び起こす声。
一度目は、そう――ダンジョンの下層で、アークデーモンと遭遇したときだった。
『脆弱な人間の術ごときで、我らデーモンのレベルドレインが失せるとでも?』
私はゆっくりと、ゆっくりと振り返る。
新月の夜を切り取ったかのような黒く長い髪。
艶やかな褐色の肌。
ルビーのように煌く赤い瞳。
『たわけが。貴様ら如きの力で、打ち破ろうなど片腹痛いわ』
呪い除去の儀式の前と変わらぬ姿のアーニャが、私のことを見下ろしながら薄く笑っていた。
司祭たちは怯え、神殿騎士までもが腰が引けている。
つまり失敗だ。
儀式は失敗したのだ。
アーニャがいる。この事実が、高司祭が集まってもレベルドレインを解呪することはできなかったことを、無慈悲に私たちに知らしめる。
…………。
ん?
ちょい待ち。
なんか違和感があるよーな……。
私は古くなった水車のようにぎこちなく首を動かす。
「おい。なんであんたら司祭連中もアーニャのことが見えてるんだ?んんっ?」
アーニャの姿は私にしか見えず、その声も私にしか聞こえない。
そのはずなのに、
なぜオーゲンさんたちも「見えてますよ」「聞こえてますよ」みたいなリアクションするの⁉
いやーな予感が脳裏を駆ける。
『まあ、わっちを現世に引きずり出せたことは褒めて遣わす。レベルドレインで失ったレベルも幾分かは取り返せたようじゃしな』
口元を手で隠して肩を揺らしているのは、多分笑い出すのを堪えるため。
『しかし、それがレティにとって良いかどうかは……くふふっ。わっちは知らんがな』
かんべんしてよ……。
つまり……レベルドレインは完全には解呪できず、しかも中途半端に解呪したもんだからアーニャの姿が周りに見えるようになったと?
私は額に手を当て、天井を仰ぎ見る。
そして、
「そんなバカな話があってたまるかああああッ!」
複雑な思いを全て吐き出すかのように、私は心の底から思いっきり叫んだのであった。
編笠をぐいと押し上げた。
私の瞳と同じ青い空を、私の髪と同じ白い綿雲が流れていく。
足を止めて振り返る。
あれほど高かったレーレンの市壁が今では遠く、豆粒くらいの大きさに見えた。
『まったく、えらい目にあったの。教会はもうこりごりじゃ』
アーニャがため息混じりにわざとらしく言う。
誰の目にもみえるようになった彼女の姿は、解呪の儀式以前よりくっきりはっきりとしている。
とはいえ若干透けていたり、足が地面から浮いていたりと、この世の存在でないことも忘れず主張している。
「私の方がダメージでかいっての。神殿騎士の反乱を鎮圧してアークデーモンとも戦って、それで結果がこれとか……」
『過ぎたことじゃ。気にするでない』
お前が言うんじゃない!
ため息一つついて心を落ち着かせる。
アーニャが言わんとすることもわかる。まだ失意のどん底に陥るには早すぎるからだ。
具体的にはバックパックに入った司教様の印が押された紹介状。
教会都市レーレンではダメだった。
だが、歯が立たなかったわけではない。光明は見えた。
この呪いから私とアーニャを解き放つには、教会勢力の総本山におわす大司祭、あるいは教皇自らによる呪い除去しか無理だろう。
それをとりなすのがこの紹介状である。
どうやら私の旅はもう少し続くようだ。
『で、どうする?このまま直で総本山とやらに向かうのかや?』
「ううん。寄り道する。ほら、壊れたチェインメイルを直さないと」
『新しいのを貰ったのにかや?』
たしかにサーコートも併せて新調したけど、やっぱり愛用のチェインメイルが一番なのだ。
こればっかりはしゃーない。
だって、しっくりこないんだもん。
『まあよい。で、直す当てはあるのかや?』
「うん。帝都に向かう。あそこは魔法も鍛冶も盛んだからね」
『で、そこでまた揉め事に巻き込まれると?』
「うっさい!」
けたけたと笑うアーニャを放って、鹿皮のケープを翻して歩き出す。
――不本意だけど。
私も、笑いが零れたのを隠すように。
何か良からぬことが起こるとき、いつも決まって天気が悪い。
かといって、天気が良いからステキなことが起こる、というわけでもない。
でも、
できることなら、ステキなことが起こるように。
そう祈りつつ私は歩く。
二人並んで、しかし一人分の足音だけが響く、どこまでも続く青空の下を。
これにて本作は完結となります。
一人称、ましてや女主人公は難しいなと実感する今日この頃。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。




