第三十八話 レーレン燃ゆ
夢を見ていた。
火が舞い上がり、鋼がぶつかり合い、怒号が飛び交う。
遠い昔、北伐に従軍したときの記憶だ。
……いや――違う。
これは北の古き神を信仰する人々と戦った時の記憶ではない。
ならこれはいったい――
『起きるんじゃ!』
「ひゃあっ!」
突然耳元で聞こえた大声に私は飛び起きる。なんだなんだ!異教徒でも攻めてきたのか⁉
毛羽立つ毛布が足下で丸まり、横を向けばアーニャが血相を変えている。
これは……ただ事ではないな。
と思った矢先、身体が浮くほどの爆発音がびりびりと教会を震わした。しかも一回だけではない。立て続けに何回も、まるでレーレンの街中が爆発しているかのようだ。
私は反射的にベッドから降りると、木窓を開けた。
「なによ……これ……?」
まるで――じゃない。文字通り教会都市レーレンが燃えていた。
背の高い聖クネフ教会からだと、街のあちこちから火が上がっているのがよく見える。
いったい何がどうなっているんだ?
アーニャの衝撃発言を聞いた後、教会に帰って飯食って寝たらこのありさまだ。
わけがわからんぞ!
『賊じゃ!賊徒が攻めてきおった!』
ガラにもなく焦るアーニャは、さっきから言葉数が足りていない。これでは彼女が何をいいたいのか全く伝わってこない。とりあえず深呼吸をするんだ。
木窓を閉めるとすぐさま着替える。状況は未だ理解できていないが、さすがに再びベッドに戻るほど楽観的でもない。
「賊徒?何言ってんのよ。ここは教会都市よ。教会勢力のおひざ元だっての」
『誰も異教徒や邪教徒などと言ってはおらん!良いか、武装した狼藉者があちらこちらで暴れておる!あの火も爆発もじゃ』
にわかに信じ難い。とてもじゃないが、たかだか盗賊の類が市壁を越えて攻めるなど考えられない。
食うに困った傭兵団が夜襲をしかけたのなら…爺さんの世代の話ならまだわかるけど。
ふむ。アーニャと私とではどうやら温度感が違うらしい。
たしかにレーレンが緊急事態なのはわかる。ただそれが自然災害などではなく、人の手によるものだとしたら話は別だ。
アーニャが言う通り賊徒が攻めてきたとしよう。しかし、この街には圧倒的な武力集団――レイド宗教騎士団がいるのだ。
帝国領内最強の戦士である神殿騎士を有する騎士団の、しかも本拠地である。
この街だけでいったい何個大隊が駐留していると思っているのだ。たとえ異教徒や邪教徒が攻めてきたとしても、瞬く間に鎮圧するだろう。
『たわけ。こういう事態に巻き込まれるのは得策とは思えん。早く荷物をまとめるんじゃ。今すぐ逃げるが良い』
また爆発音がし、衝撃が木窓を打ち据えた。
「冗談!今教会から飛び出すほうが危険でしょうが。ただでさえレーレンには冒険者が少ないんだから、賊徒と勘違いされちゃうし。レイド宗教騎士団が賊をせん滅するまで待機するのがセオリーよ」
『じゃが……』
アーニャはそれでもなお考え直せと言わんばかりだが、あいにく何を言われても逃げる気にはならない。
他のエグゼクタ教会や騎士団の拠点であるロイヴェリク教会、レーレン大聖堂と違い、聖クネフ教会には衛兵も神殿騎士も常駐していない。
もし賊徒が押し寄せてきたとき、教会の守り手が誰もいないのだ。オーゲンさんを放っておくほど、私は非情ではない。
しかし、いったい賊徒とはどこの誰なのだろうか。窓からでは全体は見えても、細かいところまでは見えない。
着替えはようやく終わり、荷物もバックパックに詰めなおした。髪飾りも一応付けたし、あとは他の防具を身に着けるだけだ。
チェインメイルに手を伸ばそうとし、止まる。
部屋の外、扉を挟んだ向こう側から微かに足音が聞こえた。
騒ぎに目をさました助祭か司祭か?
いや、それならもっと慌てたような足音だろう。
『レティよ……』
私は息を殺してゆっくりと扉へと近寄る。床が軋む音すらたてず、耳を扉に当てる。
足音と……これは金属がこすれ合う音か、二つの音がちょうど私の部屋の前から聞こえた。気配は察知されていないはず。
本当ならアーニャに扉の外を確認してほしいが、今は声を出すわけにはいかない。
私はドアノブを握ると――勢いよく押し開けた。
窓がない暗い廊下の中、抜身の剣を持った男が目を丸くしていた。もちろん司祭や助祭じゃない。
「賊か⁉」
返事は鋼色の輝き。
賊は一切の警告なく、大きく踏み込みながら突きを繰り出した。
既に賊が教会に入り込んでいることに驚きつつも、私は半身をひねって切っ先を躱す。
狭い室内だ、斬りかかるのではなく突きを選択したのは良い判断だ。しかし、踏み込みが大きすぎる。
私は賊の伸びきった肘あたりを右手で押さえる。たったこれだけで、もう剣を振るうことができなくなる。
そのまま距離を詰めると、左拳を賊の首へと横から殴りつけた。
「んグぁっ!」
賊の首辺りからゴキリッ、と固いものが割れる音がした。
その一撃で、呆気なく賊は廊下に倒れ伏す。
殺すつもりはなかったと言えば嘘になるけど……うーん、人は脆いなあ。
『んぬ。キルマークを進呈してあげようぞ』
「いらんわ。そんなもん」
それにしても、まさか教会に賊がもう侵入しているとは思いもよらなかった。これは、早くオーゲンさんのところに行かなければ。
ただ、向かう前にいったいどんな輩が襲ってきたのか、確認する必要がある。
私はうつ伏せに倒れる賊を、足でひっくり返す。
ようやく暗闇にも目が慣れてきた。賊の姿を一瞥し、私は息を呑む。
『レティ……こやつ……』
賊にしては整った装備である。夜間ということもあり兜はつけていないが、よく手入れされたブロードソードに、腕の先まで覆うチェインメイルの上にはサーコートを着ている。
胸のところには紋章まで描かれている。
白地に灰十字。
「神殿騎士ね。しかもレイド宗教騎士団の……」
まごうことなきレイド宗教騎士団の神殿騎士だ。
信じられないことに、教会都市レーレンはこの街を本拠とするレイド宗教騎士団の攻撃を受けていたのだ。
んなバカな……。
『ややこしいことになりんす。レティ、教会と騎士団はそんなに仲が悪いのかや?』
「いや……少なくとも剣を抜いて押し入るほど険悪な仲じゃなかったはず……」
いったいどうなっているのだ?
私は事切れた神殿騎士から剣を奪うと、そのまま階段へと向かう。
オーゲンさんを始めとする司祭たちの私室は一階にある。あの神殿騎士が二階にやって来たことを鑑みると……かなりマズいことになっているのは想像に難くない。
というかこんな状況になるまで寝ている私は、いったいどれだけ間抜けなのだろうか。
気配と足音を殺しながら、ゆっくりと階段を降りていく。
「教会を血で汚したな?」
明確な怒気を孕んだオーゲンさんの声がした。どうやらまだ無事の様らしく、ほっと胸を撫でおろす。
気付かれないように、一階の様子をそっと窺う。
夜間は消えているはずの燭台は、そのすべてに明かりが灯されていた。
教会の祭壇前にいたのは十人ばかりの神殿騎士だ。皆、そろいもそろって武器を抜いている。
そして、彼らに囲まれ、跪かされているオーゲンさんを始めとする司祭たちの姿であった。




