第三十六話 解呪まであと何日?
教会都市レーレンに来てから数日が過ぎた。未だに解呪の儀式は行われていない。可不可の連絡もない。
ただ、オーゲンさんはレーレン大聖堂から呼び出しがあったため、今日は出かけている。
レーレンにそびえる一つの大聖堂と三つの教会のうち、街の名前を冠する大聖堂である。
ちなみに、大聖堂は市庁舎の隣にあり、行政と神職のこの街における癒着ゲフンゲフン――肩を並べて共に治めている。
『苦しい誤魔化しかたじゃの』
「放っておいて」
仕方がないのであまり余る時間を使って、私は観光に興じていた。
レーレンを出てからかなり時間が経った。
大枠ではあまり変化はなさそうだが、細かい所はどうしても月日の流れを感じる。
昔、よく行ったお店がなくなっていたり、ハイラムと稽古していた空き地に煮売り屋ができていたり。
無くなるばかりではない。お気に入りのスポットだって見つけてきた。これはいい成果だ。
教会の鐘の音が聞こえた。
聖クネフ教会に戻ると、どうやら一足先にオーゲンさんは帰って来ていたらしい。祭壇の周りに他の司祭や助祭たちと一緒になって、何やら話し込んでいる。
司祭の一人がドアの開閉音で、私が帰ってきたことに気が付いたらしい。
普段なら会釈の一つでもして部屋に戻っていただろう。その司祭の表情が、どこか気まずいものに遭遇したときのようでなければ。
司祭たちが横に逸れ、オーゲンさんが前へと出てきた。その顔には、戸惑いと気まずさと憤慨をこねくり回したようなものが浮かんでいる。
オーゲンさんの次の一言が手に取るようにわかってしまう。
「レティ、心して聞け。解呪の件だが……許可が下りなんだ」
「なんで?」
自分でも驚くほどに冷たく抑揚のない声が出た。
「わからん。これほど邪教徒どもに対して特効になるようなこと、教皇庁が放っておくとは思わん……」
「なんでって言ってんのよ!」
思わず左拳を振り下ろしてしまい、長机の一部が呆気なく砕けた。
「お、落ち着いてください」
と司祭の一人が備品を壊されてはかなわないと、駆け寄り、私の腕を取る。その腕を振り払おうとし――やめた。
オーゲンさんはまだ続きがあると、
「あと一つ。解呪に加え、教会都市レーレンから出ることも禁止だそうだ」
「――オーゲン爺ちゃん、さすがに言ってる意味がわかんないんだけど」
激昂のあまり声が震える。
司祭は身の危険を感じたらしく、腕を離して後ろへ下がった。いい判断だ。
「落ち着けレティ。誤っても大聖堂に殴り込みをかけるなどと言うなよ」
「言わないわ。言う前に殴り込むから」
「じゃから殴り込むのを止めいと言うておる。案ずるな。教皇庁には儂からもう一度掛け合ってみる」
一度却下されたのだ。YESと返ってくる見込みはないと思うけど。それより、今から教皇庁がおわす大聖堂を夜襲した方がいいのでは?
偶然にも今宵は満月、私が全てのチカラを取り戻すことができる日だ。
「聖クネフ教会の立場を考えんか。よしんば頷かせても、ここが睨まれるではないか……」
オーゲンさんは胸に詰まっていたものを吐き出すように言った。
できればこういう言い方はしたくなかった。そういう思いが言葉にしなくても、口調と表情から伝わって来る。
やり場のない怒りに上下している私の肩に、アーニャが手を置いた。
『レティ、無理を押しても道理は引っ込みはせん。ここでいくら咆えようが、事態は変わらん。その教皇庁?とやらで咆えても、今度はここにいる者どもが被害を受けるだけじゃ。それは嫌じゃろ』
何も言い返せない。
わかってはいるのだ。
だけど、ラグナデナンからここまでやって来てその結果が、許可が下りないなんていいのか?
『こういう時こそ落ち着くんじゃ。あの爺の話を聞くに、あまりにも不可解すぎる。わっちらの知らない何かが起こっているのやもしれん』
知らない何か?
『うぬ。例えばあの爺が許可を求めたから、なんてことも考えられるじゃろ』
政争。
世界一くだらない言葉が脳裏を過ぎった。
熱くなった頭を冷やすため、大きく息を吸い、吐いた。
「オーゲン爺ちゃん、もしかしてだけど……最近レーレンってきな臭いの?」
「爺ちゃんは止めい。司祭や助祭がいるんじゃぞ。いや、教皇庁自体はそういうことはない。ただ……」
「ただ?」
オーゲンさんがその立派な髭を撫でるときは、何かを思い出すときの合図だ。
「最近、騎士団がややこしいな」
レーレンで騎士団といえば一つ、レイド宗教騎士団のことである。
「本来、騎士団に教皇庁を動かせはせんが……」
「かまわない。話して」
「う、うむ。南の遠征で大敗して以来、穏健派と外征派が対立しておる。しかも、最近邪教徒が領内に跋扈しておってな。総長が穏健派になった結果、騎士団の方針として北伐も南征も中止。当面は帝国領内の邪教徒狩りに徹すると……」
「外征派はそれを是としないと……」
オーゲンさんは頷く。
思い出すのはヨンパの村。なるほど。外征ばかりしていたせいで、レイド宗教騎士団の力が衰えているから、邪教徒が大胆に村を襲ったりしているのね。
宗教騎士団とは無縁の迷宮都市ラグナデナンでは知り得ぬ情報である。外を見てばかりで足元が疎かになっている。
「そもそも今時、異教徒から帝国にちょっかいをかけることなどないからのう。時代は変わったんじゃ――ああ、ようやく合点がいったわい」
オーゲンさんは額に手を当て大きなため息をついた。また何歳か老けたな、と意地悪なことを思う。
「おそらく騎士団内が混乱しているからだな。おぬしの実力は教皇庁でも有名じゃ。そんな騎士が力を取り戻して騎士団に加わってもみろ。よりややこしい事態になる。教皇庁は日和見をしたんだろうな」
情けないと言わんばかりである。
いくらなんでもバカげた話だ。外征派が私を担ぎ上げるとでも?たかだか一神殿騎士にいったい何を求めようというのか。
対立が激化すれば各地に点在する軍団を含め、レイド宗教騎士団は統率が取れなくなってお終いだ。
最近の騎士団は――とハイラムが嘆くのももっともだ。
「教皇庁には儀式の件を訴え続けはする。だから、馬鹿な真似だけは止めてくれ」
と懇願するようにオーゲンさんは言う。
「わかってるわよ。今は止めておく」
私は拳で粉砕した長机を一瞥した。そして、くるりときびすを返す。
「どこに行くつもりだ……?」
「ちょっと夜風に当たってくる。大丈夫、少ししたら戻るから――」
オーゲンさんには悪いけど、これ以上誰とも話す気にもなれなかった。暴れないだけ優秀だとほめてほしいくらいだ。
拳を固く握りしめ、私は聖クネフ教会を後にした。
眩しいほどの赤に目がくらむ。目の上に傘を作った。
どこかから、夕食を作る匂いが漂ってくる。
西日が、レーレンの街を真っ赤に染め上げていた。




