第三十五話 お茶会
緩やかな昼下がりのレーレンの街は、来た時と同じく行き交う人で溢れかえっていた。
まったく、今日は安息日だというのに。いや、むしろ安息日だからか?
それはさておき、そんな人の波を見ながら、店舗の外に置かれたテーブルと椅子、そこに一人座って私はお茶を啜っていた。注文したのはお茶のみで、お茶菓子は無しだ。
『出費がかさむからの』
アーニャが世知辛いことを言いだす。いやまあ当たってはいるんだけど……。
教皇庁から呪い除去の儀式の許可が下りるまで、滞在するのは構わない。しかし、その分滞在費が私の財布をひっ迫する。
旅をする身だし、もとよりそんなにお金はもっていない。教会に泊まり込んでいるから宿代はかからないしても、聖人のように霞を食べて生活できるわけもない。
食費やその他の費用は否応なしに発生する。あと何日もつか、財布の中を確認するのが恐ろしい。
せめて冒険者組合があればと思うが、教会都市にそんなものはない。さてどうしようか。
『お茶を我慢すればよいのでは……なんじゃその顔は?』
アーニャはちょっとムッとしたように返す。
顔を背けて私は肩を揺らす。はてなんのことやら?
「ティータイムを無くすのは却下の方向で」
『我が儘よのう。ではこれはどうかや。おぬしは神殿騎士?なのじゃから、騎士団から給金をもらえば解決じゃ。長年貰っておらんかったんじゃろ?』
なぜクエスチョンマークがついたのか問い詰めるのは後にして、たしかにお給金という手はある。
それこそ何年と手当は貰っていないし、北伐の時の恩賞的なものも貰っていない。
しかし、それを躊躇う最大の理由がある。
「総長と会うのはちょっと……」
半ば出奔する形で騎士団を飛び出したのだ。会ったら絶対に、めっちゃ怒るに決まってる。
想像しただけでお茶の味がわからなくなる。やはりここは修道士の精神で耐えるしかない。
まあそんな感じでうだうだと時間を潰していると、
「相席よろしいかな?」
突然降ってきた言葉に顔を上げてみれば――背が高いからもう少し上向くと、そこにはハイラムの姿があった。相も変わらず騎士らしい精悍な顔つきだ。
今日の彼は先日入管の前で会った時とは違い、鎧兜は身に付けず平服に近い服装である。だが、騎士団を表す紋章を腰のあたりからぶら下げている。
「よろしくてよ」
私は心が広いので特別に許可を出してあげる。仕方なしだぞ。
「有難き幸せ」
ハイラムはおどけるように笑って、椅子を引き私の対面に座った。それから従業員を手招きすると、メニューも見ずに白湯を頼む。
「騎士様が、しかも大隊長様が白湯って」
途端にハイラムは仏頂面になり、
「甘ったるいのは好かん。あと渋いのも苦手だ」
などと昔と変わらないことを言う。
「お茶が渋いってゆー感覚がわかんないや」
「すまんな。舌が繊細で」
馬鹿にされたような気がして、ちょっとイラっとする。
運ばれてきた白湯気の立つ白湯を受け取り、ハイラムはちびりちびりと口を付ける。
後から来たのだから話題の一つくらい振れよと思いつつ、さて何を話そうかと頭を巡らした結果、最初に思ったことを何気なしに訊いてみる。
「よく私がここにいるってわかったね」
他意はない。
「あ、いや、別にお前を訪ねてきたわけじゃないぞ」
そこは嘘でもいいから否定すんなよ。
「またまた。恥ずかしがらなくていいんだから」
「本当だって。近くで少し人と会うんだよ」
ふーん。
「それって女?」
「あいにく仕事関連だ」
指を差すとまではいかないが、けらけらと笑う。
「しけてんねえ」
「言うな。三十超えて役職持ちになると、生活が仕事中心になっちまうんだよ」
拗ねたようにハイラムはそっぽを向いた。
似合わない顎髭以外は昔のままだ。
「なあ」
「ん?」
横から見る彼は、真面目な顔をしていた。
「なんで騎士団を出た?」
「騎士団にはまだ席はあるわよ」
「そういう意味じゃなくて」
「いろいろあんのよ」
理由を説明する気にはなれなかった。しゃべるのを拒否するように、私はお茶に口を付ける。ぬるい。
ハイラムは察するところがあったのか、これ以上訊いては来なかった。
「騎士団を離れてどう思った?」
代わりに、別のことを聞いてくるのは予想外だった。
「どうって……うーん」
ちょっと困る。冒険者の生活のことを言うべきか、それともコカトリスレースを布教するべきか。
「ごめん、難しい」
口が勝手にそう言っていた。
「難しい?」
「ハイラムはさ――騎士団随一の剣の腕前なんて言われてるらしいけど、デーモンと斬り合ったことないでしょ?」
「まあ……ないが……」
「じゃあ、わからないと思う」
この答え方は自分でも卑怯だなと思った。でも、こればっかりは自分の肌で実感しないと伝わらないと思う。ダンジョンも、そこに住まう異界の住人についても。
「つまり、俺も騎士団を抜けない限りわからないってことか」
「どう?ラグナデナンはいつでも新人冒険者を歓迎するけど」
遠慮しておく、とハイラムは苦笑しながら断った。
「もう平の騎士じゃないしな。あいつらを放っておくなんて無理だ」
あーね。昔じゃあるまいし、責任と立場があるからね。
私は視線をハイラムと同じように、横へと向けてみた。
いかにも騎士でございますといった出で立ちの若い男と、四十も手前ほどの頬に傷のある男からなる二人組が、真っすぐ私たちがいるテーブルへと向かって来る。
ふむ、若い金髪の方は見覚えがある。たしかアルスとかいう神殿騎士だったはず。
となると隣の男も神殿騎士ということだろうか。
「卿、いったいこんなところで何を……あぁ!あんたは白髪の――」
若い方は開口一番そう言って、途端に敵意を向けてくる。隠そうとすらしない。
「ふんっ。神殿騎士崩れの冒険者か。貴様の居場所などこの街にはないぞ」
話し方も嫌味っぽくて、ほんと初めて顔を合わせた時と全く変わらず、腹立つ奴だ。いったい私のどこが気に食わないというのだ?
ただ私はそんな内心をおくびにも出さず、お茶をひと啜りしてから一言。
「二流はすぐ口撃してくるから嫌になるのよね」
アルスの顔色が露骨に変わる。嘲りから憤怒へと。
「ザコが、口だけは達者に……!」
まったく、何をそんなにカッカしているのだか。聖職者としての修行が足りてないのでは?平静の魔法でもかけてあげようか?
「それくらいにしておけ。彼女はお前よりよっぽど神殿騎士としての歴は長い。先輩だぞ」
さすがに「若いから」で見過ごせないレベルだと思ったのか、すぐさまハイラムはたしなめる。アルスも不服そうだがハイラムに言われては口をつぐむしかない。
もっと部下の教育をしてもらいたいものだ。主に口の利き方と常識について。
軽く顎鬚を撫でてから、ハイラムは数枚の硬貨をテーブルに置いた。白湯一杯の値段にしてはいささか多すぎる。
「部下が失礼したお詫びだ。受け取っといてくれ」
「では遠慮なく」
拒否する理由もないので私は硬貨を懐へと仕舞う。
ハイラムは一気に白湯を飲み干すと、立ち上がった。よれた外套を正して、アルスたちの元へと歩いていく。ふと足を止めて振り返ると、
「忠告だが、これからあまりふらふらと出歩かないほうがいいぞ」
変な忠告だなあ。
「なんでよ」
「……いや、金ないだろ?」
見事なまでの図星。ぐうの音も出ない。
「無駄遣いもやめるんだぞ」
ここまでくると保護者か何かのつもりだろうか?もとより浪費などするわけがないぞ。
ハイラムは渋面のアルスたちを従え、お店の敷地外へと出て行く。しかし、またもや足を止めて振り返ると、
「夜は不用意に出歩かず、教会で大人しくしておくんだぞ」
「はいはい」
いいからさっさと行けと、口に出す代わりに私は手をひらひらと振る。
まだ何か言いたそうだったが、今度こそハイラムたちの姿は人ごみの中へと消えていった。
ハイラムが去ったと思ったら、彼が座っていた席にアーニャが収まっていた。
『おぬし、楽しそうじゃの?』
「そう見える?」
アルスとか言う神殿騎士のせいで、結構ストレスがヤバいんだけど。
『口元が終始緩んでおる』
しまったと思ったのは、口に手を当ててしまったから。
「昔馴染みだからね」
言い訳のように聞こえただろうか?
『そうかそうか』
「なによ?」
『いんや、なんでもない。なんでもないのう』
アーニャは目を細め、にっと笑った。




