第三十四話 高司祭と神殿騎士
すぐ真上から鐘の音が聞こえた。時同じくして遠くから、三つほど重なるように鐘の音が聞こえてくる。
「この教会ってね、他の教会と違ってどっちかって言うと庶民向けなの。ガワは立派だけど内装は、ほら。調度品とか装飾品とかあまりないでしょ」
私の言葉にアーニャは教会内を見渡し、そうじゃのう、とうなずく。
「あのオーゲン爺ちゃん……じゃなくて、オーゲンさんがそういう性格でね。人は来るもの拒まず、しかし寄進と寄付は最小限しか受け取らないの。だから私が従士――見習い騎士みたいなもの――のときによく入り浸ってたのよ」
『ほぅ。して、そうとう悪さをしたようじゃの』
残り少ない髪に視線を向けるのは、邪悪そのものだと思う。さすがアークデーモン。
ちなみにだが、抜毛は決して私が心労をかけたとか、毟ったとか、ストレスを与えたとかではない。神に誓って。
ようやく祭壇の手前まで来た。子供の頃ははよくこの広い礼拝堂で、ハイラムと一緒にかくれんぼや鬼ごっこをしたものだ。
オーゲンさんは短く小声で神への謝辞を述べた後、
「まったく。急に飛び出していったと思えば急に帰って来おって。しかも手紙の一枚も送らず」
ちょっぴり怒ったように言う。しかし、とっても嬉しそう。
「ごめんね。送ろうとは思っていたんだけど、いろいろと忙しくて」
「まあよい。こうして顔を見せてくれるのが何よりじゃ」
「お土産もないけどね」
「端っから期待しておらん」
それはそれでどうなのかと思う。私って菓子折り一つ持ってこない風に思われてるのだろうか?
バックパックを長机に置き、ストームブリンカーは立てかける。お行儀悪くバックパックの隣に腰掛けた。
「そういうところは変わらんな。ハイラムもそうじゃが、未だに神殿騎士になったのが信じられんわい。神聖魔法はまだ使えるんじゃろな?」
使えますー!もちろん使えますー!
『坊主よ、聞こえてないと思うが、こ奴はコカトリスレースにうつつを抜かすような輩じゃぞ』
聞こえてないと前置きするくらいなら言わないでほしい。
「そんな放蕩娘が帰ってきたんじゃ。理由くらい聞いても構わんよな?」
頷いて返す。元よりオーゲンさんには伝えるつもりである。
レベルドレインの解呪には、高司祭の力が必要なのだから。
「実はね――」
あの後、二階の空き部屋に通された。礼拝堂の奥が客間や食堂など住居空間となっている。
当分の間、ここを使用していいらしい。少しカビっぽい匂いがするけど、神殿騎士としてロイヴェリク教会に宿を求めるよりは何倍もマシである。
エグゼクタ教会にいたっては銀ギラ趣味で余計にしんどい。壺とか絵画とかいっぱいあるし、ステンドグラスも三教会で一番規模が大きい。
私にはここで十分なのだ。
バックパックを始めとする荷物を全て置き、サーコートもチェインメイルも脱いでから私はベッドへ横になった。ギシギシと軋む音がした。
『人の世というものは何とも融通が利かんものよ』
横になったまま顔だけを声がした方へと向ける。
壁際に置かれたテーブルの上にアーニャが座っていた。足をバタバタとさせている。
「そういうものよ。高司祭といっても好き放題にできるわけじゃないの」
『わっちらはチカラあるものが主導権を握っていたがな』
「そこは人の世もいっしょ。ただチカラは力こぶじゃなくて、肩書やお金とかが複雑に絡んでいるけどね」
オーゲンさんにはハイラムと同様にアーニャのことを除くすべてを説明した。あわよくばその場で解呪をしてくれないだろうかと思いつつ。
まあ、無理だったけど。
いかに高司祭とはいえ、アークデーモンの呪いを単独で解呪することはできないようだ。解呪の神聖魔法は唱えてくれたけど、効果は微塵もなかった。これが人のかけた呪なら容易く打ち破っていたけれども。
オーゲンさんは申し訳なさそうに顔を伏せた。むしろ私の方が申し訳ない。
「儀式が必要じゃな。それも儂以外の高司祭、あるいはそれに匹敵する者たちを集めての儀式が」
内心やっぱりか、と落胆する。
儀式となると今日明日という話ではない。まずはこのレーレンの街の教皇庁に許可を取らないといけない。複数の高司祭に助力を求めることはそれほど大掛かりなことなのだ。
「許可申請は儂からする。安心せい。歳はとったが、儂とてこの聖クネフ教会を預かる高司祭の一人じゃ。問題あるまい」
オーゲンさんの言葉のなんたる心強さか。アークデーモンには全く響いていないようだったけど。
「それまではうちに泊まると良い。久しぶりのレーレンを満喫するのも悪くはなかろうて」
ほんとうにありがたい話である。
以上が、少し前の出来事だ。
『まあ、レティがよいなら構いんす。気長に待つとしんす』
アーニャをじっと見る。なんじゃいと逆に視線で問われた。
「前々から思ってたけど、やっぱりあんた、解呪に前向きすぎやしない?普通もっと邪魔してやろうだとか、不安にさせてやろうだとかしそうなんだけど」
『ん……あ……うぬ。そういう輩もおるじゃろうて。そうじゃな、わっちにはそういう陰気さは似合わん。そうじゃろ?』
まあ……たしかにそれもそうだ。呪いという言葉を陰気臭いからレベルドレインと呼べ、なんて言うくらいだし。
『そうじゃろ、そうじゃろ。それに所詮人の身でわっちらのレベルドレインを解呪できるとは思えんしの。いうなれば余興じゃな。くっくっ。人がどれだけデーモンに対抗できるかという』
ふーん。
「じゃあ前哨戦は人の勝ちね」
『んぬ?』
意味を測りかねていたのか、しばらくぽかんと見つめていた。
「ダンジョンであんたを倒したんだから、勝ちでしょ」
私はニヤリと浮かべた笑みは、アーニャからしてみればさぞ意地の悪いものだろう
ようやく言わんとしていることを理解したようで、アーニャは鼻先にしわを寄せる。
『くくっ。認めたくはないんじゃがな』
――何かあるな。
らしくないアーニャを見ながら私は直感めいたものを感じていた。
すっかり日も沈み夕食の時間だ。
オーゲンさんや助祭など皆が集まっての食事である。もちろん私も一緒にテーブルを囲んでいる。
燭台が揺らめく長テーブルに置かれた料理は、旅の途中では決して食べられないものばかり。
ただ、肉っ気がないのでちょっと私にはヘルシーすぎる。夜中に自分の腹の音で目を覚まさないことを祈るばかりだ。
オーゲンさんは神の血たる葡萄酒をがぶがぶと呑みながら、とても楽しそうに若い助祭たちに話をしている。
歳も歳なんだから、もう少しお酒を控えてほしいのだけど。司祭としてもあまりお酒を飲むのはいかがなものだろうか。
『この子にしてこの親あり、じゃな』
一応訂正しておくが、親ではないんだけど。
『血のつながり云々はどうでもよい。親が子のことを話すような顔じゃと言いたいんじゃ』
酔い以外の理由で顔が熱くなる。
オーゲンさんがさっきから機嫌よく話しているのは、もっぱら私に関することである。意識しなくても聞こえてくるのだから困ったものだ。
「レティはこう見えても当代最強と名高い騎士なんじゃぞ。剣の腕だけならハイラムを越えて騎士団随一!この前にあった北の異教徒との戦でも、獅子奮迅の活躍をしておったしな」
もちろん老人基準での、この前だ。何年も前の話である。
「撤退する友軍の殿を買って出て、橋の上に陣取ると、襲い掛かる異教徒どもを千切っては投げ千切っては投げ!レティの奮戦のおかげで見事友軍は撤退に成功し、最小限の犠牲で済んだのじゃ!」
助祭だけでなく修行中の従士も同じテーブルを囲んでいるので、ちらちらと向けられる視線がどうにもむず痒い。
「この話を聞くたびに鬼気迫る状況とレティの勇気、そして信仰が伝わって来るわい。まったく。態度が悪い先輩を稽古でボコボコにしたあげく、止めに入った上司もボコボコにした問題児と同一人物は到底思えんわ。そのあとハイラムに連れて行かれるまでがセットじゃったのう」
途端に巻き起こる小さな笑いの数々。
若気の至りを、私は後ろ頭を掻いて誤魔化す。葡萄酒が潤滑剤となっているせいでオーゲンさんの話は止まる気配が見えない。もう、私は知らないからね。
『その活躍、まことかや?』
法螺話だろうとアーニャの目が言っている。
だから私も視線で応える。
秘密、と。




