第三十三話 聖クネフ教会
ようやく荷馬車は聖クネフ教会の門前で止まった。
私がストームブリンカーを始めとする荷物を下ろしていると、
「クラインシュミット卿!」
ハイラムを呼ぶ声がしたのはちょうどその時だった。
見ればサーコートにマントといった、典型的な騎士スタイルの青年がやって来た。
二十も半ばくらいで私と変わらないくらいだろう。線が細く金髪の美形で、まるで物語の中に登場する騎士のようなだ。
どうやら入管からここまで走ってきたらしく、荒く肩が上下している。よく完全装備で走れるものだ。
「勝手にどこかへ行かないでください。レーレンに戻れたとはいえまだ任務中なのですよ……」
「いやはや、すまんな」
「卿はご自分がなさることの重大さをもう少し……ん?この白髪の女性は?」
若い騎士の目つきが鋭くなる。
なんだなんだ、いきなり白髪呼ばわりとはデリカシーに欠けた無礼なヤツめ。
「彼女はレティシア。私の同期で同じくレイド宗教騎士団の神殿騎士だ。ここ最近は軍団から離れて……ラグナデナンの方でデーモンと戦っている」
私が騎士団を出ていくためにでっちあげた理由を、律義に言ってくれるとは泣ける。
「卿と同期……あまり見ない顔ですが……」
若い騎士はますます怖い顔になる。というか完全に睨みつけられていますねこれ。初対面でここまで敵対心を向けられるとは、いったい私が何をしたというのだ?
「ラグナデナン……はーん」
ラグナデナンに察するものがあったのか若い騎士はしたり顔で、
「つまりは、異教徒との戦いから逃げた背信者ってとこですか?あーやだやだ」
人は誰しも言って良いことと悪いことがある。
今の言葉は――言うまでもない。
「……ハイラム。誰、この口の悪いガキは?」
私は額に青筋を浮かべながら左拳を握った。いつでもそのどたまをカチ割る準備はできているぞ。
「二人とも止めんか……ここは教会の前だぞ。レティシア、紹介しよう。彼はアルス。若いが、私の隊のなかでも特に優秀な騎士だ。剣の腕は私が鍛えたから――当代最強と呼ばれたレティにはかなわないが、なかなかのものだぞ」
さり気なく燃料を投下するんじゃない。
「クラインシュミット卿の、腹心の、アルス・ブラウンだ」
やけに腹心という単語に語気がこもっていた。さっきの言動と今の自己紹介と手すら差し出さなかったことから、この若い騎士がどういった人間なのかが容易に読み取れる。
どうせ自称腹心だろう。こういった上司に煽てられた若い騎士にはよくあることだ。
あまりお近づきにならない方が精神衛生上よろしいに決まっている。
「どうも、レティシアよ」
「ふぅん」
と値踏みするかのように私のことを見る。
うわーヤな感じ。まったく、部下の教育くらいちゃんとしてほしいんだけど。
抗議の視線をハイラムに向けてやろうとしたとき、アルスの右手が動いた。
瞬きほどの短い時間。
事もあろうにアルスはナイフを抜いて、私の首元にその刃を添わせる。
目では追えたけど、体が追い付かなかった。
「アルス!止めんか!」
まさかこんな暴挙に出るとは思っていなかったらしく、ハイラムが血相を変えて制止した。
アルスは、ふんと鼻を鳴らしてナイフを仕舞う。拍子抜けしたのかしてキツイ視線は無くなった。代わりに、明らかに私のことを見下したように、
「おいおいおい。この程度の動きにも付いて来れないなんて、あんた本当に神殿騎士か?当代最強ってのも何かの間違いじゃないのか?んんっ?」
めちゃくちゃ腹の立つ言い方だった。だが、事実でもある。
それよりも――
「お前、呪いで弱体化ってのは本当だったんだな……」
ハイラムの、その言葉の方が私の心を抉った。
去り行く荷馬車と若い騎士の背中を見送る私の隣に、いつの間にかアーニャが立っていた。
その表情はどこか遠い昔に見たことがあるような――
『いかにも若手といった風じゃな』
とアーニャ。赤い瞳が炎のように揺れる。
『自信とプライドに溺れておる。あれは勝てない相手に喧嘩を売って自滅するタイプじゃ』
と、けらけらと笑う。
結構辛辣なことを言う幻覚である。さすがの私もそこまで言わないぞ。思うだけにとどめておくぞ。
「もしかして怒ってる?」
『たわけ。ああいう自惚れは茶化す気にもならんということじゃ』
「どっちのこと?」
『両方ともじゃ』
ふと思い出す。
お気に入りのおもちゃを貶された子供が、彼女と同じ表情を浮かべていたことを。
『ほぅ。ここが悪の総本山かや』
などと罰当たりなことをつぶやき、アーニャは見上げる。今まで訪れたどの町の教会よりも高い尖塔を前に、どうやら圧倒されているみたいだ。
『しかし、大きい教会じゃのう。巨人の指を除けば一番高いやもしれぬ』
聖クネフ教会は尖塔の先端まで見ようとするなら、首を思いっきり上げないと見えないほど大きい。幾本もの尖塔や大きな窓、飛梁が特徴的だ。
「なら三番目になるね。レーレンにはあと二つの教会と一つの大聖堂があって、全部ここより大きいから」
しかも、残り二つあるうちの一つのロイヴェリク教会にいたっては、レイド宗教騎士団の本拠地である。
アーニャが見たなら空いた口が塞がらなくなるだろう。こんな大きい建物なんぞ立てる意味があるのかなんとか言って。
『ここより大きいとな……そんな大きな建物なんぞ立てる意味があるのかや?人間どもの考えることはわからん』
見るまでもなかったようだ。
『しかし、なるほど教会都市とはよく言ったものじゃ』
私を置いてアーニャはふわふわと教会の方へと飛んでいく。
突っ立っていても仕方がない。今はなすべきことをしよう。
教会の敷地に入り、まっすぐ進む。控えめな装飾が施されたアーチ型の扉が私たちを出迎える。取っ手を握ると静かに開けた。
開放感を感じさせる円形状の天井とそれを支える木製の丸柱がいくつも立ち、何台もの長机が祭壇に向かって並んでいる。
重厚感と華やかさが両立する一方、この教会独特の雰囲気である清貧さ質素さも僅かに感じられる。いつ来ても、いつ見てもステキだ。
祭壇の方を見れば、司祭らしき爺がちょうど書物を閉じたところだ。
相変わらず御髪が侘しいくせに、その灰色の髭の剛毛たるや。
「おや。お客さんか、それとも迷える子羊か」
聖クネフ教会の長にしてオーゲン高司祭はこちらに顔を向けると、
「どちらでもなさそうじゃな」
私はその場で立ち止まり、深々と頭を下げた。
「お久しぶりです、オーゲン高司祭。息災で何よりです」
「やめんか。そう畏まった口調で話しかけられてもむず痒くてかなわん。昔の通りでよいぞ」
下げていた頭を上げる。私は満面の笑みを浮かべて、
「オーゲンさんが元気でよかった。髪の毛以外は」
「童のおぬしが毟ったのが原因だと何度言えばわかるんだ、この悪童め」
オーゲンさんはそう言いつつも懐かしそうに目を細める。そんな十年以上も昔のこと覚えてるわけがないんだよね。
『レティよ、あの爺とは古い知り合いなのかや?』
耳元に口を寄せて、控えめな声量でアーニャが訊いてきた。
距離もあるし、今なら話してもオーゲンさんには聞こえないだろう。たぶん耳も遠くなってるだろうし。
「うん。私がここに来た時からずっとお世話になってる人。私はオーゲンさんとかオーゲン爺ちゃんって呼ぶけど、ほんとはダメ。列聖の推薦すら受ける司祭の中の司祭。レーレンの教会勢力を束ねる三高司祭の一人だから」
久しぶりに会ったオーゲンさんは、長老の二つ名がしっくりくるほど歳を取っていた。
そして、私が飛び出していった時より、ちょっとだけ痩せていた。




