第三十二話 レイド宗教騎士団
市壁を越えた向こうには、整然とした街並みが広がっていた。
『教会都市と聞いて畏まったイメージじゃったが、ふむ』
そこに人と露店が加わるとどういう風になるか、反応を見るに理解して頂けたようである。
市壁でアーニャと話していた通り、人がいればそれだけ市場が賑わう。
商人が訪れ、旅人が訪れる。となれば剣やナイフを打つ鍛冶職人や研ぎ師、服の仕立て屋や靴職人など街の生活を支える職人連中も大盛況だ。
いやはや、ラグナデナンやディンケルにも劣らない活気に満ちあふれている。
人通りの多さは私の記憶よりもなお多い。
右を向いても左を向いても人だかり。街は絶えず発展していくのだなあ、と図らずも実感する。市の入口でこうなのだから、中心部はさぞ人でごった返しているだろう。
久しぶりの大きな街でもあり、懐かしい場所でもあるので、私は道の真ん中に突っ立って眺めていた。後ろからやって来た荷馬車の御者に怒鳴られるまで、じっと立っていた。
アーニャがニヤニヤと、意地の悪そうな笑みを浮かべている。
『前を向いてばかりもいかんのう』
返事をする代わりに私は肩をすくめてみせた。時と場合によるけどね。
『悪いことは言わぬ。後ろを見てみ』
アーニャに言われるがまま振り返ると、一台の荷馬車がこちらに向かって真っすぐ近寄って来るのが見えた。
まさか――と予想した通り、そこにはレイド宗教騎士団を表す白地に灰十字の紋章が掲げられている。
そして御者はというと、ハイラム自ら御者台に座り馬を操っていた。
「よかった追いつけた」
さっきの情けない表情はどこへやら、すっかり神殿騎士の顔に戻ったハイラムが手招きする。
「他の人は放っておいていいの?」
「優秀な部下だからな。俺がいなくても、あとは勝手にやってくれるさ。で、お嬢さん。目的地まで送ってあげますがどうでしょうか?」
芝居がかった仕草がむず痒い。こういう気取ったのは似合わないぞ。
「お言葉に甘えて」
とはいえ、断る理由もないので、私は遠慮なく荷馬車に乗り込む。
荷物は荷台に置いて、私は御者台に――ハイラムの隣に座った。アーニャもいつの間にか荷台に寝転がり、足をパタパタとさせている。
「行き先は?」とハイラム。
「もちろん聖クネフ教会」
「我らが始まりの地ってか」
ハイラムがぴしゃりと馬を打つと、荷馬車はゆったりとした速度で進み始めた。
露天が軒を連ね、焼きたてパンの香ばしい香りや、肉が焼ける匂いが風に乗って漂ってくる。
レーレンの活気に相応しい豊富な品揃えだ。思わず目移りしそうになる。旅の途中では絶対に味わえない誘惑がいくつも過ぎていく。
手綱を握るハイラムが、小さく肩を震わせていることに気が付いた。
「なによ?」
「目は口ほどにものを言う。いや、この場合は腹ほどにって言うべきか」
私は黙ってハイラムの肩を小突いた。馬車の操作が一瞬乱れる。馬が抗議めいてブルルと嘶いた。ごめんごめん。
「最近は――」
真っすぐ前を見ながらハイラムが口を開く。
「さっきの助祭もそうだが、自分の頭で判断できる者が減った。少し考えればわかるだろうことを決められない。邪教徒の類が神聖魔法を使えるわけがなかろう。嘆かわしいものだ」
まあでもハイラムはそう言うが、私が同じ立場であってもたぶん拒否しただろう。入管としては正しい姿だったのではないかと思う。
「だから南の、熱砂の異教徒にも負けるのだろうな……」
独り言ちるような言い方であった。しかも、間違っても同じ騎士団の人間には言えない内容だ。
「しかし……助祭が暗黒神の外法を感じたのもまた事実だ。レティシア、今になって戻ってきたのと何か関係があるのか?」
彼の言葉には、らしくない真剣みが感じられた。
だからこそ、さて困ったことになった。
レベルドレインの解呪の依頼を教会に依頼するうえで、レイド宗教騎士団にはもとより頼るつもりであった。
レイド宗教騎士団のコネと、今から向かう聖クネフ教会のオーゲン高司祭が私の頼りの綱である。
逆に言えば、彼ら以外には最低限の人にしか、出来るだけ知られたくなかった。
いかに気心のしれた仲とはいえ、言うべきか言わざるべきか……。
ちらりとハイラムを見る。
彼とは神殿騎士になる前、歳は離れているけど従士時代からの旧知の仲。
…………。
この人になら……。
「無茶苦茶な理由をでっちあげてまで飛び出したってのに、何か事情があるんだろ?」
「ちょっと野暮用でね。ちょっとこっち向ける?」
私は軽く笑うと、左手の革手袋を取ってみせた。
途端にハイラムから動揺した気配が伝わって来る。
日の光を浴びて、一段と澄んだ輝きを見せる翡翠色をした義手。甲に描かれた魔法陣のおかげで、球体関節は私の思い通りに動いてくれる。
「どうした……その左腕?」
掠れた声でハイラムは尋ねた。
「私、ラグナデナンで冒険者やっててさ。左腕。デーモンに切り落とされちゃったの」
ついでに肘の辺りまで袖をめくってやった。
やけに大きな息を呑む音が、隣から聞こえた。ハイラムは目を見開き、またもや荷馬車の操作がおろそかになる。
教会につく前に事故るのだけはやめてほしいんだけど。
「ほら、前を見て」
「あ、うむ。すまん」
ハイラムは平然を装おうとするが、どうしても意識が義手の方に向いてしまうらしい。
そこまでベタな反応しなくても、と苦笑する。
そして――
私はレーレンに来た目的と理由をハイラムに話した。
左腕のこと、レベルドレインのこと、もはや出会った頃よりも弱くなっていること。アーニャのことを除く、全てを話す。
始め、ハイラムは頷きながら聞いていた。しかし、話がアークデーモンやレベルドレインに差し掛かると、さすがに表情が険しいものへと変わった。
次第に相槌もなくなり、やがて黙り込んでしまった。
ガラガラと、車輪の音だけしか聞こえない。
ただ、不思議と気まずくはなかった。
むしろ、胸が軽くなるような開放感さえ感じた。
「なるほど。たしかに、ここに来たのは正解だな。レーレンなら一流の司祭がそろっているし、数も他の都市とは比べ物にならん……しかし……」
ハイラムはそこで言葉を切ると、難しい顔をして考え込む。いったい何を思案するようなことがあるのだろうか。
次に彼が口を開いたのは、聖クネフ教会の尖塔が建物の合間から見えてきた頃であった。
「解呪の件、俺からも進言しておくよ」
「何よ偉そうに」
横目で見た彼の顔は、昔のそれと何ら変わらない。
「こう見えても大隊の隊長だぞ。俺の下には何十人もの騎士がいて、その十倍の従士がいる。ここまで来れば上だって案外話を聞いてくれるんだぜ」
「ふぅん。模擬戦で私に歯が立たなかったあのハイラムがね」
「お前以外には勝ったさ。それに、昔の俺と今の俺とは違う。立場も、志も、信念も。だから――もっと早く知りたかった」
真面目腐った顔でハイラムは言った。
らしくもない。笑ってしまいそうになる。
「じゃあ、お願いするわ。総長に進言して頂いて、せいぜい司教様に解呪してもらおうじゃないの」
「いやいやいや。司教様はさすがに……無茶言わんでくれ……」
荷車を引く馬の歩みが緩まり始めた。歩く速さよりも、なおのことゆっくりになっていく。
聖クネフ教会は目と鼻の先であった。




