第三十話 教会都市レーレン
行き交う人々の列から逸れ、私は足を止めた。
胸に込み上げてくる熱いものを押さえながら、大きく深呼吸する。
とうとうこの日が来た。
目の前では大河ガーミー川が、時の流れが鈍化したのかと疑うほど、ゆるりと流れる。
そこに架けられたスンムニルド橋は装飾のない機能一辺倒な橋だが、その大きさと幅には圧倒されるものがある。
編笠を押し上げて、さらにその向こうに視線を向けてみる。
整備された道が真っすぐ続く先、平原の中に市壁で囲まれた都市が見える。
『あそこがかや?』
挑発的な笑みを浮かべるのは、ここらではあまり見かけないような褐色の肌をもつ美少女だ。
肩甲骨の辺りまで伸びた艶やかな黒髪が風に靡き、赤い瞳はまるでスピネルのよう。
自称アークデーモンにして幻覚と幻聴の類のアーニャに、私はうなずいて返す。
「そう。あれが私の目的地であり約束の地。教会都市レーレンよ」
教会都市レーレンはまるで城壁のように高い市壁に囲まれ、内側にはさらにそれより高い教会の尖塔がいくつも見える。
教会都市というだけあって、都市の中には三つの教会に一つの大聖堂がある。もっとも、私の知らないうちに増えていなければ、だけど。
『ほう、それはそれは大きそうな街じゃのう。もっとこじんまりしておるのを想像しておったんじゃが……下手な都市より大きいんじゃな』
「そりゃ教会勢力の一大拠点だし、なんたって宗教騎士団の本拠地なんだから。人がいればその分、商いが活発になるのは世の常ってもんよ」
教会には聖職者がいて、宗教騎士団には騎士や従士がいるのだ。それだけ人が多ければご飯もたくさんいる。
ご飯がたくさんいるなら、それを売りに来る商人もその分増える。彼らが商売をする間、街に滞在するのだから燃料も必要になる。
さらには食器に、紙に、職人と、どんどん人が鼠算式に増えていく。
『だから旅人も多いし、商人どもも多いのじゃな。うむ、納得しんす』
アーニャが言うのは大方合っている。スンムニルド橋を渡っている人は、旅人か巡礼中の信者かあるいは荷物で一杯になった四輪の荷車を引く荷馬車ばかりだ。
その中には武装した傭兵や冒険者といった姿はない。
まあ宗教騎士団なんて物騒な武装勢力がいるのだから、そういった輩は普通は寄らない。腕っぷしの強さは間に合っているからだ。
私だってこの橋を渡る人たちの中では、さぞ浮いていることだろう。
それにしても、
「あんた、なんだか浮かれてない?」
物珍しそうに周囲をきょろきょろとしているアーニャに向かって、私はジト目を向ける。観光じゃないんですけど。
『んあ。そうかや?』
アーニャは小首をかしげるが、小鼻が引くついているのを私は見逃さなかった。何か企んでいるのだろうか。
「私が気にするのもおかしな話だけど、ここに来た理由をわかってるの?」
スンムニルド橋を渡っている最中なので、なるべく声を落とす。
『もちろんじゃ。レベルドレインを解呪するためじゃろ?』
自分を頭の中から消し去るためだ、と言わないあたりアーニャも彼女が言うところのたわけではないようだ。
「そうよ。だから首を洗って待ってなさい。高司祭の呪い除去は効果抜群なんだから」
いかにアークデーモンとはいえ、レベルドレインをかけた術者はもういないのだ。高司祭の呪い除去、あるいは解呪の儀式の前では恐るるに足らず。
ふっふっふっ。どうだどうだ、怖かろう。
しかし、アーニャは本気で困った顔をする。呆れ果てるとか小馬鹿にするとかではない。
『たかだか人間ごときに、わっちのレベルドレインが解呪できるわけなかろう。何人集まって儀式をしようが一緒じゃ』
親が子に言い聞かせるように、それが自然の摂理であるかのように言う。
幻覚のくせに生意気だ。デーモンの魔法如きに神の御業が劣ると本気で考えているらしい。まったくこれだから邪悪な輩は困るのだ。
『なんじゃ、ムスッとした顔をして?』
アーニャは不思議そうに私の顔を覗き込む。
そして一番腹立たしいのは、私自身だ。
不覚にも、心に雑念が湧いてしまったからだ。解呪できないのでは、という不安。
私はそれを振り払うように語気を強めて言う。
「なんでもない!」
スンムニルド橋を渡ってガーミー川を越えると、あれよあれよという間にレーレンにたどり着いた。
正確にはレーレンの市壁前。旅人や荷馬車などが列をなしてゆっくりと進んでいる。
市内に入るためには、他の都市と同様に、入管による簡単な検問があるからだ。
ただそのシステムが少々異なる。これがラグナデナンならどこから来たのかと滞在目的をリリエ門にいる衛兵に伝えるだけである。
ではレーレンはというと、衛兵と助祭が二人一組で検問を行う。
衛兵はどこから来たのかと滞在目的を聞き、助祭は簡単な神聖魔法をかけてくる。この神聖魔法で邪悪かどうかを判断するのだ。
邪悪と判断されたらどうなるかって?
もちろん邪教徒なので、即刻縛り首である。
要するに、隠れて入り込もうとする邪教徒を水際で防ぐといった目的なのだ。
その昔、デーモンに唆された邪教徒がデーモンや眷属を召喚しまくって大暴れし、レーレンを火の海に変えたことがあるのだ。
その対策でもある。どこの都市でも導入しちゃえばいいのにと思わなくもない。
『ふむ。検問とは面倒じゃの』
「まあそう言わないの。こればっかりは必要なことなんだから」
さくさくと検問の列は進み、いよいよ私の番である。
面倒なので編笠も脱がず、衛兵の簡単な質問を受けて、邪気感知を受ける。
この神聖魔法を受けるのも久しぶりだ。柔らかな光が私の頭から足先までを撫でていく。
ただ突っ立っているだけだと暇なので、その間に私はこれからどうしようかを考える。
市壁を越えたら、とりあえずまずは聖クネフ教会に行こう。
レイド宗教騎士団を飛び出すまでは、いい意味でも悪い意味でもよくお世話になった教会である。
市壁の外からでもその尖塔が見える立派な教会で、建物に負けず劣らずの立派な高司祭がいる。彼なら力になってくれるはず。
でも……また怒られるんだろうなとちょっぴし憂鬱になっていると、邪悪か否かのチェックが終わったようだ。
お疲れ様です。では、私は先を急ぎますので。
「あ、ちょっと待ってくださいねー」
歩き出そうとする私をすかさず助祭が呼び止める。
「え?」
ちょっと予想外の出来事に頭が追い付かない。
待ってください?はて?どういうことだろう。
私の後ろの列がざわめき始める。
えっとですねーと助祭は私のことをちらりと見ると、
「邪教徒の方……じゃないですよね。どう見ても冒険者ですよね?」
「そうだけど……今、邪気感知したでしょうが」
「いやぁ……完全な邪悪じゃなさそうなんですけど、邪気感知の結果がどうも微妙な判定でして。邪悪でもあり邪悪でもなし、みたいな」
「うそ⁉」
邪気感知に引っかかるなんて夢にも思っていなかったので、声が裏返ってしまった。
で、でも……完全な邪悪と判断されたわけじゃないし、都市の中には入れるよね?
「うーん、これではレーレンに入ることは認められませんね」
助祭が言った言葉に、思わず我が耳を疑った。
入れないだって?
神殿騎士が邪気感知に引っかかって入れないだって?
「んなバカなあああああッ⁉」




