第二十九話 朝焼けの霊廟
一片の欠けもない月は、未だ朧げな光でディンケルの街を照らしていた。
市民曰く、この街で月を最後に見送るのはヴェルキン大霊廟だろう。そして、最初に太陽と顔を合わせるのもヴェルキン大霊廟に違いない。
そんな霊廟のそばを、速足に進む影が一つあった。
朝がすぐそこまで近づいているとはいえ、まだまだ暗い。しかし、その影は明かり一つ持っておらず、代わりに背中に大きな袋を背負っている。
その背に向かって、
「こんばんは」
突然の声に影がびくりと肩を震わした。激しい動揺の気配が伝わって来る。
霊廟を支える幾本も立ち並ぶ白い柱の影から、私はゆらりと現れた。
「ねえ。こんな夜分にどこ行くの?」
ゆっくりと、ゆっくりと彼女は振り返った。
彼女には今の私がどのように見えたのだろうか。月光よりも白い髪に、魔法が如く淡く光る翡翠色の左腕で、鞘に収まったストームブリンカーを持って佇む私のことを。
義手に一瞬視線を奪われるも、すぐに調子を取り戻す。
「知り合いのところですよぉ。今日はいろいろなことがあったのでー」
クララは亜麻色の髪を揺らし、薄くはにかんだ。
「そうね。たしかに色々あったからね」
私はいったん言葉を切って、
「で、知り合いのところに物騒なお友達と一緒に逃げる、と」
途端にクララとは異なる動揺した気配が、周囲から吹き出した。
一人……いや、二人か?
『三人じゃ。正確には一人と二人組』
すぐ隣でアーニャが目頭をこすりつつ訂正してくる。意外と多いな。
クララは口元に人差し指を添え、ワザとらしく首を傾げると、
「レティさんこそ。こんな時間に、こんなところでどうしたんですか?」
「ディンケルの中心街からアグー門に行くには、ここを通るのが一番って聞いてね。そうそう――盗賊団は全員捕まったよ。クスリも全部押収されたって」
「なら安心ですねぇ」
私はゆっくりとした足取りで道のど真ん中、クララと対面する位置に移動する。
「でも、そこで面白いことを聞いたの」
「へぇー。どんなことですかぁ?」
クララは笑顔を絶やさない。
私はこの娘のことを舐めていたようだ。
感嘆の声すら上げてしまいそうなほどに、したたかな娘だった。
「あんた、クスリの一部を猫ババしてたんだって?よくもまあ、まんまと私を利用してくれたものね。感心するわ」
どれだけお人好しと言われようが気にはしない。実際、薄々自覚しているし、そういう性分なのだろう。アーニャが事あるごとに言うのも頷ける。
だが、犯罪の片棒を担ぐような真似を見逃してやるほど馬鹿ではない。
クララは自分で言った通り何度もクスリの荷運びをし、その度に気付かれない量をちょろまかしていたのだ。そして、とうとうそれが露見してしまった。
そもそも港でごろつきに絡まれていたのも、猫ババしたことについて尋問を受けていたためである。
だからケーニッヒ・ファミリーのボスは、衛兵がクララとの諍いに首を突っ込んできたのを怪訝に思ったのだ。
そっちもクスリを猫ババしているのだからタダじゃ済まないのに、と。
「盗賊の言葉なんて信じるんですかぁ?」
「なら、その背中に背負っている袋の中身を見せてよ」
その一言でクララは顔に笑みを張り付けたまま無言になる。
小賢しい小娘とはよく言ったものだ。私を盗賊団との抗争の矢面に立たせつつ、その隙に逃げようと企むなんて。
ふぅと悩まし気に、クララは小さい子のわがままに悩む母親のようにため息をついた。
いつのまにかクララから笑みは消えていた。白刃のように鋭利な印象を受ける。これが彼女の素顔なのかもしれない。
指をパチンと鳴らすと、それを合図に男たちが現れた。
アーニャが言った通り、一人と二人組だ。チェインメイルを身に着け、抜身のロングソードを持ったいかにも傭兵といった出で立ちである。
私が相手した盗賊とは違い、身のこなし、視線の動かし方からプロ、しかもベテランだろう。向けられた殺気もレイピアの刃先のように鋭い。
「あなたとは、いい関係に慣れると思ったのに」
語るに落ちるとはこのことだ。
クララと私との間に割って入るように、傭兵は武器を構えて立つ。
「私を助けてくれた運のない冒険者さん」
再びクララに微笑が戻ると、からかうような調子で彼女は言う。
「私のお仕事に一噛みする?それとも手練れの傭兵を相手に、三対一で勝てるかしら?」
たしかに――ベテランの傭兵を相手に囲まれでもすれば、並みの神殿騎士では一巻の終わりだろう。
そして、私は並みの神殿騎士なんかではない。
「運がないのはあなたのほうよ――」
私は右手で天を差す。
一片の欠けもない月――満月を。
「月が、どうしたって言うんです?」
答えず、代わりに私は鞘から一思いに魔剣ストームブリンカーを引き抜いた。
今宵は満月。
デーモンが息を潜め、私が全盛期の力を取り戻す日だ。
月光に照らされながら現れたのは、漆黒の剣身。そこにはびっしりとルーン文字が刻まれ、魔剣と呼ぶにふさわしい禍々しい魔力の光を放っている。
人はこのグレートソードを、抜けない魔剣ストームブリンカーと呼ぶ。
次の瞬間、私は動いた。
足下の石畳を蹴り割り、一歩で数メートルの間合いを殺した。
最も近い位置にいた傭兵の前で一拍停止。
ストームブリンカーの黒い刃を叩き込む。
残像すら残る剣撃。
チェインメイルが鎧としての機能を果たすことができないまま、傭兵は倒れた。ひしゃげたチェインメイルのリングが足下に散らばる。
瞬き数回の間の出来事であった。
「うそ……」
クララが掠れた声を漏らした。さぞ猫ババで儲かり、さぞ腕のたつ傭兵を護衛に雇ったはずだったのだろう。
「大丈夫、私だって都市の中で殺しはしないよ」
私は傭兵のチェインメイルだけを叩き切ったのだ。血の一滴も流れていない証拠に、傭兵は胸を押さえて呻いている。当分、起き上がれはしないはず。
傭兵たちは剣を構えながら、じりりと後退る。
視線はそれぞれストームブリンカーと白髪に向けられているのに気が付いた。
「こいつ……まさか……白騎士だ!」
「大怪我して引退したって聞いていたが……その剣、その髪色、間違いない!ラグナデナンの白騎士だ!」
途端に傭兵たちから殺気が消えた。
「かかか勝てるかよッ!こんなやつにッ!」
この瞬間、勝負は決まった。
「ちょっと!こっちは依頼料払ってるのよ⁉」
クララが語気を荒げるも、戦意喪失したせいで自然と剣の切っ先が下を向く。傭兵たちは今にも剣を放り投げて、きびすを返しそうだ。
もちろん逃がすわけがない。
ストームブリンカーの黒い切っ先が走り、瞬く間に傭兵二人が崩れ落ちる。
これで邪魔者は片付けた。残るはあと一人――
さっきの微笑はどこへ行ったのやら、口元を引きつらせたクララは数歩後退る。
「は、話をしましょう!」
訳が分からぬまま一瞬のうちに立場が逆転してしまい、なおも諦めようとしない彼女が何とか捻り出した言葉がそれであった。
「話?」
「そう、話!交渉よ!」
空が白み、夜の闇が開け始めてきた。
おかげで彼女の額からとめどなく溢れ出ている脂汗が良く見える。後ろ手に手を組み、必死に笑顔を作る。
「売り上げの一部を分けましょ!そうね、三割!いやいや、半々でどう?」
はぁん。そうくるか。
クララが背負う袋の大きさからすると、一年は遊んで暮らせる額になるだろう。
「それは、とてもいい話ね」
私はストームブリンカーを鞘に戻した。
「そうそう!利用したのは謝るんでぇ、ここはビジネスライクにいきましょう!」
クララの顔に安堵ともつかぬ微笑がようやく戻り――
次の瞬間には凍り付いていた。
「あいにく。そういう邪悪なことは遠慮するわ」
私の左拳はクララの腹にめり込んでいた。
「だって私、神殿騎士だし」
肺の中の空気を全て吐き出したクララは、陸に上がった魚のように口をパクパクとさせた後、膝から崩れ落ちた。
彼女の手から、小ぶりのナイフが転がり落ちた。
かくて一つの悪は滅びた。
しかし、報酬をくれる予定だったクララがその悪であったため、完全にタダ働きである。
不正は見逃してこそ金になるとはよく言ったもので、私も見て見ぬふりをすればよかったのだろうか。
『たわけ。この小娘は、誰がどう見ても依頼料を踏み倒すつもりじゃったぞ』
……ですよねー。
アーニャの呆れた視線から逃げるように、私は遠くを見つめる。
月はまだ沈んでいないけど、夜が明ける。
朝焼けでオレンジ色に染め上がった霊廟に背を預け、私は吐息を零すのであった。
次章へ続く




