第二十一話 管理人
気付けば日が傾きつつあった。夕日に照らされる教会の石壁は、まるで返り血のように真っ赤に染まっていた。
我に返った私は、恐る恐る城塞と見間違うばかりの教会に近づいてみる。
いったいどうしてこんな山の中に教会があるのだろうか。しかも近寄るものを遠ざけるようにバリケードや木の杭、枝を尖らせた枯れ木なんかまで置いてある始末。
ただ、どうやら生木を削って作ったバリケードは、最近置かれたもののようだ。最近と言っても一、二ヶ月くらいだと思うけど。
『なるほど。だいたいわかりんす。レティ、あれを見よ』
アーニャが指さす方を向いてみれば、いくつものワームの死骸が転がっていた。
斧か何かで頭をかち割られているものもいれば、炭化しているもの、杭に突き刺さって絶命しているものなどなど。
どれもこれもがほんの一日二日ほどにできた死骸で、僅かに異臭が漂っている。
『誰かおるようじゃな。ふむ、さっきのわっちらと同じ事をやっておったようじゃ』
「あーやだやだ。悪い予感しかしないじゃん……」
私は顔をしかめてワームの死骸たちから目を背ける。
いったいどうなっているんだここは?
いくら首を傾げようがわかるはずもなく、ただ、碌なものが待っていないということだけは明らかだった。
さて、教会である。
門扉は固く閉じられており物音一つ聞こえない。バリケードとは違い石壁はかなり古いものだというのが一目見ただけでわかる。
うーん……不審感しかない。ノックするのが躊躇われる。
でも、どう考えてもこんな森で夜を過ごすよりは中に入ったほうが百倍マシである。
あ。ちょっといいこと思い付いた。
「ねえ、アーニャ。ちょっと中を覗いて来てよ」
途端にアーニャはひどく嫌そうな顔をする。
『……嫌じゃ』
「はあ?なんでよ?」
『なんでもじゃ』
アーニャはぷいと顔をそむき、口を一文字に閉じてしまう。こうなっては彼女はてこでも動かない。
いったい何が気に入らないというのか。実体がないんだから壁をすり抜けて偵察くらいしてもいいじゃない。
まったく。わがままな幻覚だ。こうも強情だとビビってるんじゃないかと勘繰ってしまう。
私はため息をつくと意を決して扉をノックした。
沈黙。
返事はない。
もう一度叩いてみるが、やっぱり返事はない。
こりゃまいったなあ……。
留守かそれとも、もとより誰もいないのか。
『扉をぶち破るんではないぞ』
「しないわよ!」
揶揄うように言ってくるアーニャを一喝し、私は勢いに任せてドアノブを握った。
――って、あれ?
「開いてるじゃん」
あろうことか鍵がかかってなかった。ラッキーじゃね?
ギィ……と軋む扉を押し開けると私は中に入る。
「すみませーん。誰かいますかー?」
さすがに無言で入るのはマズいので、一応控えめに声をかける。
窓が全部閉じられているせいで教会の中は真っ暗だ。
よく見えないのだが、シルエット的にたぶん長椅子の信徒席がずらっと奥まで並んでいる。建物自体が小さいため、入口からすぐに礼拝堂というパターンらしい。
まだ暗さに慣れないので、足元に注意しながら私は奥の祭祀場へと向かって進む。
真ん中まで来て、ようやく祭壇の壁に所々破れた教会の紋章がかかっているのが分かった。
うーん荒れてるなあ。
率直な感想である。あまり人の手が入った感じはしない。埃臭さに鼻がむずむずする。
「んん?」
不意にその場で立ち止まる。
気配が一つ、こちらに向かって近づいて来る。
たぶん奥にある別室へと繋がっているだろう扉から。
私は念のため腰のメイスに手を伸ばす。
そして、ドアが開くと同時に炎の明かりが、ばーっと広がり出てくる。
眩しさに目を細めるだけでなく、左手で傘をつくる。
「おや。お客さんとは珍しいですね。ただ、無断で上がり込むのはどうかと思いますよ」
三十代から四十代の間くらいの男がランタン片手にやって来た。
ランタンの明かりで影になっているせいでどういう表情かはわからない。口調からそこまで咎めているわけではなさそうだけど……。
「ちゃんとノックはしたんだけど。聞こえてなかった?」
「ぜんぜん聞こえませんでしたね」
近寄ってきたのは中肉中背で柔和な顔をした男だった。この教会の神父だろうか?だとしたらもう少し礼拝堂の掃除を頑張ってほしいんだけど。
「で、冒険者さんがどのようなご用件で本教会に?」
勝手に入ったことは不問にしてくれるようだ。
「レンゲンから山を抜けようとしたんだけど道に迷っちゃって……しかも道中ワームに襲われるし。できれば今夜だけでも泊めていただけないかなあって」
「ああ。そう言うことでしたら構いません。是非ともどうぞ。私としてもちょうどいいタイミングですし」
話が分かる神父で助かった。たまにいるのだ、たとえ神殿騎士でも教会に泊まろうとするのを頑なに拒む輩が。神の雷で焼かれればいいのに。
なにはともあれ、これでワームが蠢く山で野宿をしなくて済む。良かった良かった。
「ここはまだ荒れているので、どうぞ奥へ」
奥へと案内する神父の後を私は付いて行く。
外から見た時は小さい教会だと思ったのだが、神父が入ってきた扉の向こうは細い廊下で、他の部屋へと繋がる扉がいくつかあった。
連れてて来られたのは、客間と思しき広めの部屋だ。小さなテーブルと椅子が二脚、それに暖炉の中で揺らめく炎が暖かい。
「あいにくお食事などは提供できませんが、ここでごゆっくりどうぞ」
私は礼を言うと部屋の隅に荷物を下ろした。バックパックに編み笠、あとはストームブリンカーを始めとする武具の類。チェインメイルは念のため脱がずに着たままにしておく。
旅を始めた頃は武装解除するまで時間がかかったが、竜の背骨からこっち左手の義手が思い通りに動くようになってからはとても短い時間で終わる。
私が一息つく頃には神父は暖炉の傍で椅子に座り、書物に目を落としていた。ちらちらと私の白髪に視線を向ける割には、口を開けようとしない。
あまり詮索をしようとしないタイプらしい。つくづくありがたい。
『外のワームについて訊かんで良いのかや?』
アーニャは催促してくるが、もう少し馴染んでからでも大丈夫だろう。
「こんな山の中の教会にいるなんて、物好きな神父ね」
世間話もかねて私は言う。神父は書物から目を離すことなく、
「ああ、私神父じゃないですよ。管理人とかそういう類のです。神聖魔法の方は使えませんしね」
まあたしかに神父っぽくない出で立ちとは思ったけど、まさか廃教会に好き好んで住んでいるとは……。むしろ、より物好きではないかと思う。
「私はレティシア。レティで構わないわ」
「どうもレティさん。私は……名乗るほどの者ではないので管理人とでも呼んでください」
いや、なぜそうなる?
「こういう生活をしていると名前を名乗るのも億劫でしてね」
「はぇー。隠遁生活というやつですか?」
「まあそんなものです」
小さく笑うと神父改め管理人は、再び書物に視線を戻した。それっきり口を開けようとはしない。口数が少ない人のようだ。
アーニャはワームについて訊けと急かしてくるが、無理に話しかけるのも泊めてもらっている手前、気が引ける。
となると訪れるのは静寂だ。
聞こえるのは、時たま捲られるページの音。
暖炉の薪がバチバチと爆ぜる音。
風だろうか、木窓がカタカタと揺れる音。
これらが合わさり、みょーに心地の良い音色を作り上げる。
ふと上を向けばアーニャが横になって浮いている。肩が規則正しく上下していることから眠っているらしい。幻覚が居眠りをするとはいやはや。
そんな姿を見ていると私も次第に瞼が重くなっていく。眠るのは夕食を終えてからにしようと思っていたのに……。
「――レティさん?」
管理人が気遣ってか声をかけてくれるが、答える気力が私には残ってない。
抗えない睡魔を相手にこっくりこっくりと船を漕ぎだすまで、それほど時間はかからなかった。




