第二十話 頂の教会
とある日のことだった。
「この先の山を抜けて、もう少し南の方へ行こうかと」
「え。あそこの山を抜けるのかい?」
私は赤茄子のパスタを巻き取る手を止めて訊き返していた。
「ダメですか?」
ここは皇帝都市リューハイムより、さらに南下したところにあるレンゲンという小さな町。
かなり距離は離れているけど、ぎりぎりリューハイムの支配領域内である。私の感覚で言うと町というよりは村って規模である。
めっちゃ失礼な話なので住民には口が裂けても言えないけれど。
私はレンゲンの町にある唯一の飯屋で、遅めの昼食をとっていた。
カウンターや棚にはよくわからない置物が統一感なく置かれ、壁には手配書が無造作に張られている。
リューハイムの衛兵が発行したものらしい。皆、人相が悪い。
いかにも道楽でやっているといった感じの店だ。
お昼時はとうに過ぎているせいか、テーブルはまだ空きがあるのに私以外にお客は誰もおらず、がらんとしていた。
だからだろう。
「あら奇麗な冒険者さん、これからどこに行くんだい?」
暇を持て余した従業員のおばちゃんが話しかけてきた。奇麗な冒険者さんとは無論、この私レティシア・モンフィスのことである。
そうです超絶美女の冒険者兼神殿騎士とは私のことなのです!
…………。
いやまあそれはさておき。
ただでさえあまり人が行き来しない山を通るのだ。できれば地元民の方々から不穏な雰囲気を出すのはやめてほしいんだけど……。
「お客さん、冒険者さんだし、ダメってことはないと思うけど……」
私の内心など知ったこっちゃなく、でもたぶん親切心からだと思う。おばちゃんはちょっと渋い表情を浮かべた。
「あまりお勧めしないね」
わかりやすいお返事ありがとうございます。詳細をお聞きしても?
「最近……二、三ヶ月前かしら?山から変な声が聞こえるって噂が流れてね。昼も夜も関係なしに聞こえるとか。だからみんな気味悪がっちゃって、今じゃ誰も近寄らなくなったのさ……」
ふむふむ。気味悪い声ねえ……。
おばちゃんはそう言うけど、だいたいこういうのは相場が決まっているものだ。
「モンスターとかじゃないんですか?」
「でも、あの山はモンスターとか危険な動物はいないはずなんだよ……」
と言われてもねえ……。
枯れた草木が幽霊に見えることもあるのだ。モンスターがいない山なら、風が通り抜ける音が反響して鳴き声みたいに聞こえたのかもしれない。
もしくは最近になって移り住んできたのかも。ありえなくはない。
とはいえ今さら道のりを変えることも難しい話だ。
「まあ気を付けます」とだけ返しておく。
下手に食いついて深入りしようものなら、声の正体を確かめて来てくださいなんて言われかねない。
そうなるとなんだか高確率で帰ってこれない気がするし。ほら、嵐の日に川の様子を見に行くようなものじゃん。
私の軽い返事におばちゃんはなおも不安そうに言う。
「あと小さい山だけど、道が細くて旅人さんはよく見失って迷いやすいから気を付けるんだよ」
「はいはい。大丈夫ですって」
おばちゃんの忠告を軽く聞き流しながら、私はパスタをはくりと口にしたのであった。
結果、迷った。
「はあ……はぁ……」
気のせいか、私の荒い息遣いがやけに大きく聞こえる。
しかも、迷っただけではない。
『レティ、来おるぞ!七時の方向じゃ!』
珍しく緊迫した私の頭の中の同居人の声。
新月の夜を切り取ったかのような黒く長い髪に、ガーネットのように赤い瞳を持つ褐色の美少女。自称アークデーモンでたぶん私の幻覚と幻聴のアーニャは、私の頭より少し上に浮かびながら指示を飛ばす。
「りょーかい!」
私は振り返ると同時にメイスを力の限り叩き込む。
タイミングはばっちりだった。
グぇ!と耳障りな音を立てて、背中から襲い掛かろうとしていたソイツの頭部が弾け飛んだ。
ワームというモンスターをご存じだろうか?
全長二メートルはあろうかという、白くてぶよぶよした芋虫のようなモンスターだ。特に外見に対し、円らな二個の目が異様な嫌悪感を掻き立てる。
女の子が百人いたら百人とも悲鳴を上げる見た目である。
しかも、それが何匹も私を包囲しているのだからたまったものじゃない。
行儀が悪くとも舌打ちを一つ。
「ああもう!何匹ぶっ倒しても次から次に湧いて出てきやがる!どうなってんのよこの山は⁉とゆーかモンスターはいないんじゃなかったの⁉」
そう――レンゲンの町を後にし、山の中に入ったまでは良かった。さっさと通り抜けて街道にでるつもりだったのだが、案の定道に迷った。
予想以上の細道で、おばちゃんが杞憂していた通り、気が付いたら道を見失ってしまった。
さらには元の道に戻ろうと山の中をふらふらしていたら、こいつらワームの大群と遭遇してしまったのだ。
見た目が見た目だけに、正直生理的に受け付けない。
しかも動きが早く、子供の歩くスピードほどでキィキィ鳴きながら近寄ってくるのだから、嫌悪感がこれまたひどい。
『あの町で言っておった気味の悪い声というのは、こ奴らのことらしいのう。こんなにも集まって鳴かれた日には鬱陶しくてかなわん』
アーニャは顔をしかめながら吐き捨てるように言う。今回ばかりはアーニャの言うことに同意せざるを得ない。
私は盾を身体の前に構えながら油断なく周囲を伺う。
背中に何かあった時はさっきみたいにアーニャが知らせてくれる。幻覚の正しい使い方だと自画自賛したくなる。
おかげで無傷で何匹ものワームを死骸に変えることができた。
さて、これからどうしようか……と考える暇すらくれず、がばぁっと小さな牙が生えた口を大きく開けて、ワームが突っ込んできた。
キモい!くっそキモい!
唇を噛み締め、カウンターでメイスを叩き込み、ワームをひるませる。このメイスも後で洗わないと……。
ほんと私が何をしたって言うのだ⁉
『泣き言は後にしんす!今はこ奴らをどうするかを考えよ!』
どうするかだって?そんなもの決まっているじゃない!
群れの死骸を乗り越えて距離を詰めてくるワームども。多分数は十を下らない。
こんなバケモノどもを相手していたら、体力がいくらあっても持ちやしない。
「逃げるに決まってんでしょうが!」
私は鹿皮のケープを翻すと一目散に駆けだした。
いくらこの私が冒険者にして神殿騎士であるといえど、こんな無謀な戦いを続ける理由などどこにもない。
神殿騎士は退かないなんて、そんな前時代的考え方は最近の私には通用しない。名誉のために全滅したら意味がないのだ。
ワームたちが這いずり寄って来る音が背中から聞こえてくる。
ただ幸いなことに私が走れば走るほど、その音は小さくなっていく。山道で足腰に来るが、そんなこと気にしていられない。
歯を食いしばりながら私は――無意識のうちに山を登っていく。
どれほど走っただろうか。
気が付けばワームの気配は消えていた。しかし、奴ら自体は未だ山の中にたくさん残っているはず。あくまでも一時しのぎだ。
そのまま草木を掻き分けて進んで行くと、不意に整備された道に繋がった。といっても人が通れるほどに、という程度ではあるが。
ワームを警戒しながらその道を進むと、急に視界が開けた。
『なんじゃここは?』
アーニャが驚いたような声を上げる。
『山の中に教会とな?』
アーニャが言う通り、小高い山の頂上に小さな石造りの教会が建っていた――いや、神殿騎士としてこれを教会と表すのは少し躊躇いがある。
石造りの教会、これをぐるりと囲むようにして腰ほどの高さの木の柵が張り巡らされている。
また乱杭とかいう先端を尖らせ、斜めに打ち込んだ木の杭がいくつもこちらに向けられている。
これじゃあまるで――
「城塞じゃない……」




