第十九話 祝福を貴女へ
御者は白目を剥いてのけ反り、そのまま仰向けにぶっ倒れた。
ぱっくりと裂けた額から血がどくどくと流れているが、まあ死にはしないだろう。
アーニャがふわふわと降りてきた。
『ナイスショット……と言いたいところじゃが、石を投げるのはずるくないかや?神殿騎士として如何なものかと思いんす』
非難しているわけではないのは、彼女の今にも笑いだしそうな表情と声音から確かめるまでもない。
私は使い古されたスリングを懐へ戻しながら、御者のもとへと歩く。歩きながら、
「何言ってんのよ。戦争は石投げてなんぼのもんでしょ。攻城戦でも使われる正々堂々とした戦い方よ」
さんざん異教徒の戦いでも使った戦術である。神殿騎士の嗜みでもあり、だからスリングは私の得意な武器の一つだ。
というか石投げでもしないと、正面からメイスで殴りかかってもたぶんこの人には勝てなかっただろう。
……これほどの魔法の使い手ならそもそも盗賊に囲まれても一蹴できたのでは?
訊きたいことは山ほどあるが、まずは目の前のあるべきことを片付けよう。
私はピクリとも動かない御者の傍まで近寄り、見下ろす。完全に伸びている。
その場にしゃがみ込み、水袋を拾い上げる。それから御者の額に手をかざし、
「治癒」
治癒の神聖魔法により、傷から流れ出る血の勢いが弱まっていく。完治まではしないが出血くらいならこれで止まるだろう。
神殿騎士は修道士にして騎士である。多少の神聖魔法は使えて当たり前なのだ。
ただ、私の行動が信じられないと言わんばかりに、アーニャが驚きに目を丸くした。
『治してやるのかえ……?』
「当たり前よ。これで死なれたら寝覚めが悪いし」
『いや……しかしのう、おぬしを殺そうとした輩じゃぞ。お人好しが過ぎんか?』
なおもアーニャは言ってくる。わからないでもない。
でも、
「まあ、そこら辺は雇い主に償ってもらおうじゃないの。リリアーヌさん、いるんでしょ?」
私は顔をあげると声を張った。
少し間が開いて、
「私の使用人が無礼を、申し訳ありませんわ」
物言わぬ竜の骨の影から、燃えるような赤毛が現れた。リリアーヌは口では謝りつつも、どこかその表情は楽し気な雰囲気を漂わせている。
「今さら謝罪なんていらないから。で――どうして私を襲ったのか、もちろん説明してくれるんですよね?」
私は立ち上がると、腕を組んで仁王立ちをした。リリアーヌをまっすぐねめつける。
「深い理由はありません。私の使用人が早とちりをした、そのことにつきますわ」
説明になっていない。このままリューハイムの官憲に駆け込んでもいいんだぞ。
リリアーヌはゆっくりとこちらに向かって近寄って来る。
私に向かって?
いや、倒れたままの御者に向かってか?
彼女は近づく合間も静かに話を続ける。
「その昔、ドラゴンは別の勢力と――この石碑を残した者たちと争っていました。私の使用人はあなたがこの文字を読めたことから、そのドラゴンと争っていた者たちだと勘違いをしたのでしょう。まったく。いくら邪悪な気配を感じたとはいえ、少し考えればわかるというのに」
ため息をつき、リリアーヌは悩まし気に首を傾げる。
「なるほどわからん。ちゃんと説明して。私が理解できるように説明して」
「そうですね。敵を攻撃しない理由がありますでしょうか?」
リリアーヌは私の目の前で止まった。
飛び掛かれば拳を叩き込める距離であり、魔法を撃たれたら絶対に躱せない距離だ。
そしてリリアーヌは赤毛を揺らすと、深々と頭を下げた。
「上に立つ者として重ねてお詫び申し上げます。大変失礼いたしました」
思わず私は一歩後退った。
微妙に話がかみ合わない。この女はいったい何を話しているんだ?
言いようのない薄気味悪さと本能的な恐怖が相まって、私は何一つ返事をすることができない。
リリアーヌがさらに一歩近づくというのに、私はその場を動けずにいた。
『レティ!』
アーニャの声も届かず、ごく自然な動作でリリアーヌが私の左手をとる。
手の甲に手を重ねると何かを口ずさんだ。
魔力が膨らみ――萎んだ。
「これはお詫びのしるしです」
そう言うとリリアーヌは左手を離した。背中をぞわぞわとした悪寒が走る。
意味不明すぎる。
これのどこがお詫びなのか。今、私に何をしたんだ?
「では、私はこれにて失礼いたします。そして彼を治療していただきありがとうございます。これ以上、仲間を失うところを見たくありませんから――」
リリアーヌは驚くべきことに、気絶した御者をひょいと担ぐと軽い足取りで去っていく。
信じられない光景に、私はただただ茫然するしかなかった。
『まったく。いったいなんじゃったんじゃ?』
リリアーヌの背を見ながらアーニャは憤慨したように鼻を鳴らす。
私はただただ肩をすくめることしかできなかった。
『本当にお人好しじゃな。文句の一つぐらい言ってやればよかったのに』
「いやー……あんまり関わり合いになりたくなかったというかなんとゆーかおそのぉ」
頬を掻きながらため息をつく。ようやく体の緊張が解けた。
アーニャが言う通り謝るだけで済む問題ではなかったのは重々わかっているが、それでも直感で詮索や文句を言わない方が得策だと思ったのだ。
ヤバい匂いがする人や組織とは関わらない。私がラグナデナンで学んだ重要なことだ。
…………はあ。
ほんと、どうしてこんな面倒なことばかりに巻き込まれてしまうのか。
『……どうしたんじゃ、その左?』
唐突にアーニャが私の左腕を見て、透明な棒で殴られたかのように後ろに仰け反った。口が半開きのまま一向に閉じようとしない。
いったいどうしたというのだ?
頬を掻く左手を止めて首を傾げる。何かおかしなことでもしたというのだろうか?
…………。
…………ん?
口の中の水分が乾いていくのがわかる。
いやいやいやいや!待って待って!
私は今「左手」で、翡翠色の義手で頬を掻いてたの⁉
魔力を燃料にして動く義手。だからデーモンの魔法が弱まり、本来の力を取り戻す満月の夜でない限り、指は動かせないはずなのに。
私は左手に視線を落とす。それから握ったり開けたりを繰り返す。
信じられないことに自前の腕のようにスムーズな動きである。びっくりしすぎて声すら出てこない。
私は恐る恐る革手袋を外した。翡翠色の無機質な手の甲に、いつの間にか淡く輝く紋章が描かれている。
これが左手を動かすことができる要因……なのか?
アーニャがしげしげと覗き込む。こと魔法に関しては、私なんかよりアークデーモンの方が詳しいかもしれない。好きに見させてやることにする。
『これは……魔法陣の一種じゃな。しかもかなり高度な……んぬ』
それはアークデーモンが唸るほどの魔法。誰がこんなことを?
いや、考えるまでもない。
まさか……。
と――左腕を凝視していたらふと影が差した。
私は弾かれたように見上げた。
そこには何もない、青空がひろがっているだけ。
しかし――
しかし、私はいま確かに何か巨大なものが飛んでいったような気配を感じた。
「まさか……ね」
私の掠れ声は風に巻かれ、悠久の時を鎮座する骨たちが見下ろすばかりであった。
竜の背骨。
ドラゴンの骨だと、想像に任せて人は言う。
あながち、それは間違いではないのかもしれない。
四章へ続く




