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第87章:大地の神、トーラの付き人編

第87章:大地の神、トーラの付き人編


初冬の朝特有の、身を切るように冷涼で澄み切った空気が、ルーセン工科大学の二十階建て校舎タワーの窓ガラスを白く曇らせていた。

四階に広がる「応用生物・農芸化学科」のフロア。

カロンの設計によって全館に張り巡らされた「カロン・クール」の温風サーキュレーションが静かに稼働し、外の寒風が嘘のように快適な二十三度の室温が保たれている。


白衣の襟元を正し、銀縁眼鏡の位置を指先で直したのは、学部長たるマルクス――前世における国立大学理学部生物学科の教授、佐藤であった。


作業台の上には、千倍の倍率を誇る魔導光学顕微鏡、オートクレーブ(高圧蒸気滅菌器)、温度を一定に保つ培養恒温槽インキュベーター、そして無数の試験管やビーカーが整然と並んでいる。

顕微鏡を覗き込むマルクスの視界には、エレン山麓の特異放線菌が分泌した透明な阻止円――細菌の増殖を鮮やかに阻害する「ペニシリン系抗生物質」の結晶化プロセスが、克明に映し出されていた。


「よし……三番シャーレの力価(活性度)は設計基準値を完全にクリアしたな。これなら大量培養タンクへ移行できる」


マルクスは独りごちて満足げに息を吐き、手元の観察日誌に万年筆を走らせた。


前世において、佐藤教授の専門は純粋な分子生物学および細胞機能学であった。

しかし、この異世界に転生し、ルーセン工科大学で一学部の長として教壇に立つようになってからというもの、彼の研究領域は純粋生物学の枠を大きく飛び越え、農業工学、土壌化学、そして生化学・薬学の領域へと急速に拡大していた。


それには、明確な理由があった。


(前世の大学では、理学部、農学部、薬学部、医学部と、縦割りの分厚い壁が立ちはだかっていた。だが、生命現象の根本を突き詰めれば、それらはすべて一つのサークルとして繋がっているのだ)


土の中の微生物が土壌を耕し、豊かな農作物を育てる。

農作物が健全に育てば、民衆の飢餓が消え、栄養状態が改善される。

そして、その土壌の微生物や放線菌の代謝産物から、人の命を脅かす感染症を打ち砕く「薬」が生まれる。


(この異世界には、高度な医療保険も、安定した化学肥料プラントも存在しない。切り傷が化膿すれば高位の神聖治癒魔法に頼るしかなく、作物が立ち枯れ病にかかれば『土の精霊の祟り』と怯えて飢えに沈む。……せっかく前世の知恵を保ったままこの世界へ生まれ変わったのだ。学問の縦割りのハードルなどすべて取り払い、農民も平民も誰もが安価に恩恵を受けられる『総合バイオ・インフラ』を築き上げねばならない)


それは、知を愛する科学者としての、マルクスの偽らざる誓いであった。


しかし――いくら前世の理論体系が頭に入っていようと、未知の生態系と魔導現象が入り混じるこの異世界において、一人の学者が手探りで土壌サンプルを集め、鉱石をスクリーニングするには、物理的な限界があるはずだった。


それらの過酷な研究開発のハードルを、まるで子供のパズルを解くかのように軽々と打ち砕き、彼の最高の推進力となってくれている存在がいた。


大地の至高神――トーラその人であった。


「……おい、マルクス。また顕微鏡に張り付いておるのか。目を悪くするぞ」


ドス……と床を微かに揺らす重厚な足音とともに、研究室の引き戸が開いた。

入ってきたのは、作業着のチュニックを身にまとい、筋骨隆々の太い首筋に手ぬぐいを巻いた大男――大地の神トーラであった。

手には、農場で収穫されたばかりの巨大な泥付きのサツマイモを二本提げている。


マルクスは顕微鏡から顔を上げ、苦笑いを浮かべた。


「トーラ様。お戻りでしたか。……ええ、先日エレン山の麓で採取していただいた土壌の放線菌から、ペニシリンの純粋結晶が完全に抽出できましたよ。これがあれば、冬の肺炎や傷口の化膿で命を落とす子供たちを、劇的に救うことができます」


「うむ。人の子の病を癒す薬か。大地に眠る小さな菌がそのような働きをするとは、何度聞いても面白いものよ」

トーラ神はサツマイモを作業台の隅へ置き、ドカリと特注の巨大な木製椅子に腰を下ろした。


トーラ神という存在は、お世辞にも愛想が良いとは言えなかった。

口数は少なく、表情は常に彫像のように厳格で、世辞や媚びへつらいの類は一切通じない。神の威光を傘に着て民衆を従わせるようなこともしなければ、祈りを捧げられても「形式張った儀礼など鬱陶しい」と眉をひそめる。


だが――信じられないほど「筋を通す」神であった。


マルクスがかつて駄女神メリスの理不尽な不手際によって早死にさせられ、この世界へ放り投げられたことを知った際、トーラ神は自らの同胞の非礼を深く恥じ、マルクスに対して頭を下げて心からの詫びを入れた。

そして「迷惑をかけた詫びの印として、其方の志す生命の学問を我が力で支えよう」と誓ったその言葉を、彼は何があろうと寸分違わず実行し続けていたのである。


マルクスは机の上の土壌成分分析シートを示しながら、ふと悩ましげにため息をついた。


「トーラ様。実は……次の課題である『総合有機化成肥料』の開発で、少々頭を抱えておりましてね」


「肥料か。作物の育ちを良くする土の糧だな。何が足りぬのだ?」


「窒素分は、大気中の窒素を固定する根粒菌のバイオ接種で解決の目処が立ちました。カリウム分も、木灰や海藻の抽出液で補えます。……しかし、植物の根の張りを強め、開花結実を爆発的に促進させる『リン(リン酸分)』が、どうしても天然の有機物だけでは不足してしまうのです。前世の世界であれば、鉱山から採掘される『リン鉱石』を粉砕して過リン酸石灰を製造していたのですが……この周辺の地質図を見る限り、堆積性のリン鉱床が見当たらず……」


マルクスがそこまで言いかけた、まさにその瞬間であった。


トーラ神は腕を組み、琥珀色の双眸をわずかに細めると、事も無げにボソリと言い放った。


「――リン鉱石か。それならば、この街から南西へ三里(約十二キロ)、古い干上がった湖底の泥岩層が隆起した白亜の崖がある。あの一帯の地下五メートルの地層に、太古の巨大海獣の骨が堆積して化石化した、高純度の灰白色のリン鉱石の鉱脈が帯状に眠っておるぞ」


「………………………………え?」


マルクスは万年筆を取り落としそうになった。


「な……南西へ十二キロの、白亜の崖……!? 地下五メートルに、高純度のリン鉱床が……!?」


「うむ。地表には粘土層が被さっておるゆえ人の目には見えんが、大地の中に何が埋まっておるかなど、我にとっては手掌を眺めるよりも明瞭よ。……掘り出したいのなら、我が一掻きで地表を剥ぎ取ってきてもよいが?」


「め、滅相もありません! 場所が分かれば、学生たちの地質調査実習を兼ねて採掘隊を組織できます!」


マルクスは激しく震える手で地図を広げ、トーラ神が指差した地点に赤インクで大きな丸を書き込んだ。

前世の地球であれば、何億円もの探査予算と数年のボーリング調査を要する地下資源の特定が、大地の神の一言で、わずかコンマ五秒で解決してしまったのだ。


(……本当に、ありがたい。ありがたすぎて足が震える……)


マルクスは眼鏡を外し、目頭を強く押さえた。

神頼みではなく、学問の論理を理解した上で、必要なピースをピンポイントで供給してくれる。

(……こんなに実直で、話が通じて、頼りになる神が存在するのか……)


天界から放り込まれた直後は理不尽に呪いを吐いたものだが、今ではこの大地の至高神の存在に、マルクスは心底からの敬意と感謝を抱かずにはいられなかった。


しかし、トーラ神のその類稀なる知識と面倒見の良さは、マルクスの研究室の中だけに留まるはずがなかった。


「トーラ様ァァァッ!! おられましたかッ!!」


ドタドタドタッ!と廊下を揺らす激しい足音とともに、研究室の扉が勢いよく開いた。

現れたのは、黄色い安全ヘルメットを小脇に抱え、全身をセメント粉で真っ白にしたガロニア鍛冶ギルドのバログ大親方、そしてガイゼンから合流したばかりの石工親方たち数名であった。


「バログ大親方、ノックくらいしてください」

マルクスが苦笑いするが、親方衆はマルクスなど目に入らない様子で、トーラ神の前にドサリと五体投地で平伏した。


「祖神トーラ様! お知恵を拝借に参りました! 現在建設中の『ルーセン証券取引所』の大広間を支える無柱アーチ、ならびに新設される各神の大聖堂の外壁に使う『耐火装飾レンガ』のことでございます!」


バログ大親方が、抱えていた数種類の土のサンプルを差し出す。


「カロンの坊主から『美しい真紅の耐火レンガを十万個焼け』と無茶な注文を出されましてな! ガロニアやガイゼンの粘土では鉄分が多すぎて黒ずんでしまうのです! どこかに、熱に強く、焼き上がりが鮮やかな真紅に仕上がる極上のキルン粘土はございませんでしょうか!?」


親方衆の必死の懇願。

先祖代々「トール様」と呼び間違えていた負い目があるとはいえ、今やドワーフたちにとって、トーラ神は文字通りの「土木建築の絶対的最高顧問」となっていた。


トーラ神はサツマイモをモグモグと噛み砕きながら、差し出された土の粉末を指先でつまみ、ペロリと舐めた。


「……ふむ。東の丘の赤土は酸化鉄の純度が低すぎる。粘着性も足らんな。……レンガを焼く土ならば、ライネス川の上流、第二渓谷の滝壺の東岸を掘れ。あそこの川岸には、清らかな水で長年洗われた高アルミナ質の長石粘土が堆積しておる。千三百度の炉で焼けば、傷一つ付かぬ見事な紅蓮の耐火レンガが焼き上がるぞ」


「「「お……おおおおおっ!!」」」


親方衆から、地鳴りのような感涙の叫びが上がった。

「第二渓谷の滝壺じゃ!」「おい、スコップと荷車を用意しろ!」「祖神様、ありがたき極みィッ!」


ドワーフたちが雪崩を打って部屋を飛び出していくのを見送りながら、マルクスは目をパチクリとさせた。


「……トーラ様。レンガの土の配合や、セメント原料の石灰岩の採掘場所まで、すべて把握しておられるのですか?」


「当たり前だ。岩を砕き、土を捏ねて形を成すのは、大地の営みの初歩の初歩よ。カロンが造っておるあの『コンクリート』とやらも、骨材となる砂利の角の丸み一つで強度が変わるからの。暇な時に現場を覗いては、職人どもに適切な粒度の砂利の川底を教えてやっておるのだ」


さらりと語るトーラ神。

マルクスは、先日カロンから学長室で聞かされた、ある事件を思い出していた。


風の神シルフが、故郷ルートリード皇国から押し寄せてきた熱狂的なエルフ巡礼団のストーカー行為に怯え、家から一歩も出られなくなって泣き崩れていた際――

トーラ神が朝の散歩のついでに、リアリスの家から四軒隣の空き倉庫まで、地下五メートルの深さを貫通する『完全無音の頑丈な避難トンネル』を一時間足らずで掘り抜いて助け出したという話である。


(……本当に、面倒見が良い神様なんだよな)


ぶっきらぼうで、無骨で、愛想笑い一つ浮かべない。

だが、困っている者がいれば、ドワーフであれ、エルフの幼女であれ、異世界の学者であれ、決して見捨てることなく、自らの大地の力を使って音もなく手を差し伸べる。


……しかし、だ。


マルクスは窓の外、新工房区や大通りで林立する巨大な工事用クレーン群を見やりながら、ふと心配そうに眉根を寄せた。


銀行局の地下金庫工事、証券取引所の基礎地盤改良、新外壁の延長、そしてトーラ大聖堂とシルフ大聖堂の同時建設――。

現在、ルーセンの街で稼働している大規模土木工事の現場において、トーラ神は「土質力学の最高権威」として、文字通りドワーフたちに引っ張りだこの状態であった。


朝はマルクスの農場で土を耕し、昼は土木現場で地層のヒントを与え、夕方は採掘場へ案内し、夜は親方衆の酒盛りで建材の相談に乗る。


(……いくら神様だからって、これは明らかに『働きすぎ』じゃないだろうか?)


前世の日本の大学で、研究と講義と学会と産学連携に追われ、過労死寸前まですり減った自身の苦い過去が脳裏をよぎる。


「あの……トーラ様」


「何だ、マルクス」


「神様に向かって申し上げるのも大変不遜なのですが……少し、休暇を取られた方がよろしいのではありませんか? ここ数週間のトーラ様のお忙しさは、見ていて心配になるレベルです。いくら神聖な肉体をお持ちとはいえ、たまには温泉にでも浸かってゆっくり休まれては……」


マルクスがおずおずと進言すると、トーラ神はキョトンと琥珀色の目を丸くした。

そして――ガハハハハッ!と、割れんばかりの豪快な笑い声を研究室中に轟かせたのである。


「ハハハハッ! 人の子が神の過労を心配するか! 愉快な男よ、マルクス! 心配するな。我は大地の神ぞ? 大地を踏みしめ、土の温もりを感じておる限り、足の裏から無尽蔵の大地エネルギーが満ちてくるのだ。疲労などという概念は、このトーラには毛頭存在せぬわい!」


トーラ神は逞しい力瘤を作り、泥のついたスコップをポンと叩いた。


「それに……退屈な天界で何万年も雲を眺めておるより、此処で若者たちと汗を流し、作物を育て、街が力強く立ち上がっていく様を見る方が、何万倍も血が滾るわ! ……さあマルクス、能書きはここまでだ。次はあの『たいひ(堆肥)』の発酵温度の測定に行くぞ!」


「あ……はいっ! すぐに温度計を持ってまいります!」


不器用だがどこまでも熱く、実直な神の背中を追いかけながら、マルクスは不思議な活力と幸福感が全身を満たしていくのを覚えるのであった。


夕暮れ時。

一日中、農場での堆肥発酵実験とリン鉱石サンプルの簡易分析を終えたマルクスは、白衣を脱ぎ、ルーセン工科大学のキャンパスを歩いていた。


街路樹にはカロンの敷設した温かな魔導街灯が灯り始め、新工房区の方向からは、一日の仕事を終えた職人たちの笑い声と、路面電車の軽快なベルの音が響いてくる。


心地よい疲労感を覚えながら歩くマルクスの頭に、ふと、現在この学園都市ルーセンに定住している「天界の五柱の神々」の奇妙な勢力図が浮かんできた。


(……考えてみれば、だ)


マルクスは眼鏡のブリッジを押し上げ、指を折って数え始めた。


(神様の付き人、お世話役……なんて役回りを押し付けられた時は、一体どんな厄介事を背負い込むのかと戦慄したが……私の担当がトーラ様で、本当によかった)


トーラ神は、食事の贅沢を言わない。サツマイモや麦飯、食堂の素朴なシチューを「美味い」と平らげてくれる。

ギャンブルになど目もくれないし、ツケの請求書を回してくることもない。

不満を垂れることもなければ、家族や人の前で理不尽な癇癪を起こすこともない。

むしろ、研究の最大のブレイクスルーを次々と授けてくれる最高の共同研究者であり、人生の頼もしい兄貴分のような存在だ。


(そして……リアリスさんが預かっている、風の神シルフちゃんも同様だ)


先日の全校集会で見かけたが、シルフちゃんはエルフの姿で実にお行儀よく、冒険者ギルドで書類にスタンプを押して手伝いをしている。

野菜と果物、そしてたまのパフェを一口食べては「おいひいですぅ」と愛らしく微笑み、風力発電のために一日中休むことなく心地よい風を街へ送り続けてくれている。同胞のエルフたちが外で黄色い歓声を上げて取り囲むのが少々騒がしいくらいで、実害など微塵もない。


(ハインリヒ大公が引き取った、水と氷の女神ヒュドール様も……まあ、最初は家庭内修羅場を引き起こしかけたらしいが、大公の胃袋を神性強化して完治させ、大公決済カードで上品にパフェやソルベを食べ歩いているだけだと聞く。

ギルバートさんが引き取った炎の神イグニ様も、見た目は赤髪のギルバートそのもので乱暴だが、シルフちゃんの面倒をよく見て、ギルドの喧嘩を力尽くで一瞬で鎮圧してくれている……)


そこまで思考を巡らせた時――

マルクスの脳裏に、ドス黒い雷鳴とともに、一人の金髪碧眼の美女の姿が浮かび上がった。


(……一番大変なのは……どう考えても、あの駄女神だよな……)


背筋に、ゾワリと冷たい悪寒が走る。


慈愛と豊穣の主神――メリス。


前世において、佐藤教授が持病の狭心症を抱えながらも、まだ志半ばで研究室の後進を育てていたその寿命を、何の手違いか「予定より早く魂を引っこ抜いて」死に至らしめ。

あまつさえ神界で「間違えちゃった、てヘ☆」と舌を出し、記憶を保持させたままこの異世界へ適当に放り投げておきながら、自分自身はその不手際を綺麗さっぱり忘却。


そして現在、このルーセンに居座って何をしているかといえば――

朝から晩まで街中のレストランやカフェを食べ歩き、パフェを百二十杯平らげては「カロンにつけておいて☆」と巨額のツケを回し。

先日などは旧市街の闇カジノに手を出して金貨五百枚を溶かし、カロンに借金を肩代わりさせ、公営カジノができたらできたで毎日スロットの前に張り付いて台を叩き、「癖になりそう、てへっ♡」と笑っている。


(……理不尽の塊。歩く天災。災厄の化身……!)


マルクスは心底から戦慄し、両腕を抱きしめた。


そして、その駄女神のすべての不始末、すべてのツケ、すべての暴走の後始末を、文句を言いながらも一人で背負い込み、胃薬を煽りながらフォローし続けている男――


工科大学学長、カロン。

前世における、材料工学科の盟友・中山実教授。


(中山先生……。先生、日本にいた頃も『学会の予算会議が〜』『学科長の雑務が〜』と愚痴をこぼしながらも、誰よりも誠実に仕事をこなす苦労人でしたが……。こっちの世界に来てから、確実に前世の百倍は過酷な仕事量をこなしていますよね……?)


水力発電所を設計し、送電網を敷き、コンクリートを焼き、鉄筋を圧延し、路面電車を走らせ、大学を創設し、メガタワーを建て、エアコンを開発し、銀行局を立ち上げ、証券取引所を建設し、電気自動車を走らせ、そして駄女神の借金を耳を揃えて支払い、子供たちに算術を教える……。


もはや超人という言葉すら生ぬるい。一人のエンジニアが背負っていいタスクの限界を、銀河系の彼方まで突破している。


(元同僚として、そして今世でも同じ大学を支える友として、中山先生を全力で助けなければならないという気持ちは山々だ。……だが)


マルクスは自室のアパートの鍵を握りしめ、心の中で天を仰ぎ、固く固く誓った。


(――あの駄女神の面倒を見ることだけは、何があっても絶対に御免被る!! あの地獄のババ抜きだけは、死んでも申し訳ないがカロン先生に押し付け続けよう……!!)


冷たい冬の夜風が吹き抜ける中、マルクスは小走りで馴染みの食堂へと向かった。


今夜も大食堂では、仕事を終えたドワーフたちと、美味しいご飯を頬張る学生たちの笑顔が待っている。

そして、その片隅で、山盛りのオムライスにかぶりつきながら「カロン、おかわりー!」と叫ぶ駄女神と、胃を押さえながら伝票にサインするカロンの、いつもの不毛で愛おしい小競り合いが繰り広げられるはずであった。


それぞれの神が、それぞれの付き人と共に織りなす、騒がしくも温かな異世界の日常。

マルクスは自らの研究室で待つ大地の神の頼もしさを改めて噛み締めながら、明日という新たなる科学の探求へ向けて、確かな足取りで夜の帳の中へと消えていったのであった。

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