第82章:黒炭の谷とドワーフ大招致作戦
第82章:黒炭の谷とドワーフ大招致作戦
冬の冷たい風が、鉄とコンクリートの巨塔がそびえ立つ学園都市ルーセンを吹き抜けていた。
しかし、その寒気をものともしない熱狂と喧騒が、街の至る所で地鳴りのように響き渡っている。
ルーセン銀行局の華々しい開業、そして旧市街と新工房区を跨ぐように建設が進む「ルーセン証券取引所」の巨大な鉄骨の骨組み。それに呼応するように、街中では空前の建設特需が巻き起こっていた。
帝都や近隣の諸都市から毎日押し寄せる移住者、職人、商人のための集合住宅。
工科大学の第二期生を迎えるための追加講義棟や学生宿舎。
さらには、街の外縁部へと延びる上下水道のコンクリート共同溝、路面電車の延伸軌道、そして新設が決まった大型公共施設の数々――。
カロンが前世の知識と魔導工学を結集して生み出した「普通ポルトランドセメント」と「異形鉄筋」の量産体制は整っていた。資材の不足はない。
だが、その資材を使って型枠を組み、鉄筋を結束し、コンクリートを流し込み、鉄骨を組み上げるための「決定的な要素」が、極限まで枯渇していたのである。
そう――現場で汗を流す「職人の絶対的な頭数」であった。
地上二十階建てのルーセン工科大学、二階にある学長室。
カロンが執務机の上で、各工区から届いた悲鳴のような工程遅延報告書に目を通していた時、重厚な扉がノックとともに開かれた。
入ってきたのは、作業着を煤と泥で汚した三人のドワーフであった。
一人は、眼鏡を直しながら眉間に深いシワを寄せる副学長、ボルト教授。
もう一人は、白銀の長い髭を荒々しく揺らし、巨大なミスリル槌を肩に担いだガロニア鍛冶ギルドの総元締め、バログ大親方。
そして最後の一人は、腕組みをして渋い顔を浮かべるカロンの実の父、熟練鍛冶師ガイルであった。
「カロン学長……少々、現場の限界についての直訴に来たぞ」
ボルト副学長が重い足取りで進み出る。
バログ大親方がドカリと長椅子に腰を下ろし、分厚い拳で膝を叩いた。
「おいカロン! 景気がいいのは結構だし、新しい『しょうけん』とかいう取引所の鉄骨を組むのも楽しいがな……とにかく、建設する頭数が足りねえ!! 現場の職人も石工も、一日二交代で槌を振るっとるが、全然手が回らんぞ!」
大親方の野太い怒号に、カロンは苦笑いを浮かべながら頷いた。
「ええ、大親方。各工区から届く日報を見て、私も頭を抱えていたところです。……ガロニアから、さらに追加の職人衆を呼ぶことはできませんか?」
その問いに対し、首を横に振ったのは大親方自身であった。
「駄目じゃ。ガロニアにも最低限の頭数を残しておかなければならぬ。ルーセンから注文された規格鋼板やレール、建築用H鋼を昼夜兼行で溶鉱炉から吐き出し続けるには、今のガロニアの職人どもが全員張り付いていなければ炉が止まっちまう。これ以上ガロニアの街を空っぽにするわけにはいかんのじゃ」
生産拠点のガロニアをこれ以上削ることはできない。
腕組みをして唸る一同の中、父ガイルが不敵な笑みを浮かべ、髭の下の口元をニヤリと歪めた。
「まあ、そう焦るな親方。ガロニアが駄目なら、別の場所から連れてくりゃいいだけの話だ。『財布が豊かになって、飲める酒が増える』……この言葉をガイゼンのドワーフ共に行って、連れてくる。それしかねえよ」
「ガイゼン……?」
カロンは聞き覚えのない名前に首を傾げた。
ボルト副学長が眼鏡のブリッジを押し上げ、解説を引き取った。
「うむ。ガイゼンとはな、このルーセンから西、エルフの国ルートリード皇国との国境に近い山岳地帯に位置する、ガロニアの次に最も近いドワーフの居住区のことじゃ。規模はおよそ三千名。ガロニアが『鉄と鍛冶の街』であるならば、ガイゼンは『石炭の街』じゃな」
「石炭ですか」
「そうじゃ。あの山一帯は良質な瀝青炭の巨大な鉱脈が走っておってな。彼らはその石炭を掘り出し、街道を通じて人間や他種族の街へ輸出して生計を立てておる。ドワーフの気質はガロニアの連中と寸分違わん。屈強で、頑固で、そして何よりも……酒と旨い飯、そして手応えのあるデカい仕事に目がねえ連中じゃ」
ガイルが太い腕でカロンの背中をバシッと叩いた。
「な? ちょうどいいだろ! あの山から若くて頑丈な鉱夫や石工どもを数百人単位でスカウトしてくりゃ、ルーセンの現場の人手不足なんて一発で吹き飛ぶぜ!」
「なるほど……三千人規模のドワーフコミュニティですか」
カロンの頭脳が素早く計算を弾き出した。
石炭の採掘で培われた彼らのトンネル掘削技術、岩盤支持工法、そしてドワーフ特有の怪力は、鉄筋コンクリートの施工や地下インフラの拡張において喉から手が出るほど欲しい即戦力である。
「分かりました。ボルト先生、私と一緒にガイゼンへ赴き、現地の頭領と直接リクルートの交渉を行いましょう。契約がまとまり次第、大型EVバスをピストン輸送させて、一気にルーセンへ人員を合流させます」
「うむ! 私も昔、あそこの中央学舎で鉱物力学を教えていたことがあってな。話を通すにはうってつけじゃ」
ボルト副学長が胸を張る。
方針は決まった。
……しかし、この平穏で建設的な出張計画を、ただ黙って見過ごすはずのない「厄介者」が、この部屋に居座っていたのである。
バターンッ!!
学長室の隣室――居候用の休憩室の扉が勢いよく開け放たれた。
「聞いたわよアンタたち!!」
両手に大食堂の焼きたてシナモンロールを持ち、口の周りにシュガーパウダーをまぶした黄金の駄女神、メリスが仁王立ちしていた。
その青い瞳は、好奇心で爛々と輝いている。
「新しいドワーフの街に行くんでしょ!? なんか面白そうじゃない! 私もついて行ってあげるわよ!!」
「「………………………………」」
カロンとボルト副学長の表情が一瞬で凍りついた。
カロンは額を押さえ、胃のあたりをさすりながら、即座に両手を突き出した。
「断固として拒絶します。これは大学と街の存亡に関わる極めて真面目な公務です。あなたを連れて行ったら、また道中で何を食べ散らかし、どんなトラブルを引き起こすか分かったものではありません!」
「なによケチカロン! 私が行けば、神の威光でドワーフどもなんてイチコロよ! ほら、大地のトーラや風のシルフちゃんだって私の言うこと聞いてるんだから、ガイゼンの鉱夫たちだって私の美貌に平伏して全員ついて来るに決まってるじゃない! 行くわよ、決定よーっ!!」
駄女神はまったく話を聞かず、すでにカロンの電気自動車の鍵を指先でクルクルと回していた。
カロンは深々と天を仰ぎ、魂の抜けたため息をついた。
(……ただ残念なニュースが一つ。なんか面白そうだということで、この駄女神がついてくることになってしまった……)
父ガイルが「カロン……強く生きろよ」と、哀愁に満ちた目で息子の肩を叩くのであった。
数時間後。
ルーセン工科大学の一階ガレージから、滑らかなモーターの唸りとともに、一台の銀色の四人乗り電気自動車(EV)が滑り出した。
運転席には、作業着の袖を捲り上げたカロン。
助手席には、手帳と地図を膝の上に広げたボルト副学長。
そして後部座席には、テイクアウトのサンドイッチと果実水の入った籠を抱え、「ドライブね〜♪」と上機嫌で足を揺らす駄女神メリス。
西門の跳ね橋を抜け、車は西へと延びる山岳街道へと進路を取った。
「ボルト先生、ガイゼンへの道のりはどのような状態ですか?」
カロンがステアリングを握りながら尋ねる。
「うむ。ガイゼンは石炭の一大産地じゃからな。毎日、何十台もの重装甲荷馬車が何トンもの石炭を積んで行き交っておる。そのため、路盤は石炭殻と砂利で入念に突き固められておって、馬車のすれ違いができるよう道幅もかなり広く取られておるはずじゃ」
その言葉通り、街道の路面状態は、以前エレン山へ登った際の獣道とは比べ物にならないほど良好であった。
路肩には黒い石炭の粉が薄っすらと混ざり、硬く締まった路盤が続いている。カロンの設計した独立懸架サスペンションが段差を完璧に吸収し、時速六十キロメートルの快適なクルージングを維持していた。
車窓の景色は、やがて雄大な針葉樹林から、黒褐色の岩肌が剥き出しになった険しい峡谷地帯へと変わっていった。
空を覆う山々の斜面には、所々に石炭の露天掘り跡や、木組みの巻き上げ機が見え隠れしている。
「あの尾根を回り込んだ谷の奥が、ガイゼンじゃ」
ボルト副学長が前方を指差す。
出発からわずか三時間半。通常の荷馬車なら二日を要する道のりを、EVは昼過ぎには難なく走破してしまった。
谷底へと続く広い坂道を下りきると、そこにはドワーフの都市ガロニアとも、地上のルーセンとも異なる、独特の景観が広がっていた。
切り立った巨大な岩山の斜面。
その黒々とした山肌に、まるで蜂の巣のように大小無数の円形トンネルがぽっかりと口を開けていたのである。
煙突や櫓が岩肌から突き出し、黒い石炭を満載したトロッコや荷馬車が、トンネルの出入り口を慌ただしく行き交っている。
「これがガイゼンか……。山の斜面に直接トンネルを掘り抜いて街を形成する方式ですね」
カロンが工学者として感嘆の声を漏らす。
中央の最も巨大なメインシャフト(坑道入り口)の前には、厚い鉄板で補強された防衛柵が構えられ、黒い革鎧を着込んで巨大なツルハシを担いだ二名のドワーフ衛兵が、鋭い眼光で見張りに立っていた。
突如として音もなく現れた銀色の鉄の車に、衛兵たちが驚愕してツルハシを構え直す。
「止まれ! 何奴だ、馬も引かぬ妙な鉄の箱で我がガイゼンへ乗り込んでくる者は!」
カロンが車を停めて窓を下ろすと、助手席からボルト副学長が顔を出した。
丸眼鏡の位置を指先で直し、豊かな髭を揺らす。
「これ、若造ども。騒ぎ立てるでない。……ワシの顔を忘れたか?」
衛兵の一人が目を細め、ボルトの顔をまじまじと見つめた。
その瞬間、衛兵の目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「げ……げげっ!? ボルトの爺さん……いや、ボルト元教授じゃねえか!?」
「誰が爺さんじゃ、礼儀を知らんか。相変わらず口の減らん街じゃな」
ボルトが苦笑いすると、衛兵たちは慌ててツルハシを下ろし、恐縮して頭を下げた。
「す、すいません教授! ガロニアの中央学舎へ栄転されてからもう何十年にもなるのに、急にこんな化け物じみた乗り物に乗って現れるから驚いちまいましたよ! どうされたんですか、里帰りですか?」
「うむ。ガイゼンに暮らす親方衆と大親方に、極めて重要な話があってな。中へ通してもらおうか」
「教授の紹介なら審査も要りませんよ! どうぞお通りください!」
ボルト先生がかつてこの街で暮らし、教鞭を執っていたという実績のおかげで、入国手続きはわずか一分で完了。防衛柵が跳ね上げられ、車は巨大なトンネルの中へと滑り込んでいった。
トンネルの中は、壁面に埋め込まれた発光鉱石と油ランプによって薄明るく照らされていた。
幅六メートル、高さ四メートルの見事なアーチ構造。頑丈な黒鉄樹の支保工が等間隔で組まれ、石炭の粉塵の匂いが心地よく漂っている。
緩やかな下り坂のトンネルを数百メートル進むと、視界が一気に開けた。
「……おお、広いな」
そこに広がっていたのは、岩山をくり抜いて作られた巨大な「地下中央広場」であった。
周囲の岩壁には三層、四層におよぶドワーフたちの住宅や酒場が掘り抜かれ、広場の中央には石炭の集積所と鍛冶場が広がっている。
カロンは広場の片隅、荷馬車の邪魔にならない平坦な石畳の上に車を停めた。
車を降りた三人は、ボルト副学長の先導で、広場の一等地にそびえ立つ重厚な石造りの館へと向かった。
そこは、ガイゼンの全鉱区と親方衆を束ねる「大親方執務室」であった。
重い鉄扉を開けて中に入ると、部屋の中央に据え付けられた頑丈な鉄の机の向こうで、一人の老ドワーフが煙管を吹かしていた。
バログ大親方にも劣らない筋骨隆々の巨躯。しかし、その肌は長年の石炭の粉によって浅黒く引き締まり、顎の下には真っ黒な毛並みの中に白い毛が混ざった見事な大髭が蓄えられている。腰には使い込まれた黒鉄のツルハシが差されていた。
彼こそが、ガイゼンの全権を握る大親方――ゼンであった。
「――何の騒ぎじゃ。広場の若い奴らが『馬のいねえ鉄の化け物が滑り込んできた』と騒いでおったが……おや?」
ゼン大親方が煙管を離し、目を丸くした。
「ボルト……? ボルトの教授か!? お主、ガロニアで優雅に学者暮らしをしておったはずが、なぜこんな埃っぽい炭鉱の街へやってきたんじゃ?」
「久しぶりじゃな、ゼン。昔と変わらん煙管を吸っておるな」
ボルトが歩み寄り、二人は太い腕を交わして再会を喜んだ。
そしてボルトは、後ろに控えるカロンを手招きした。
「ゼンよ。今日ここへ来たのは、昔話をするためではない。……我が愛弟子であり、ガロニアとルーセンを揺るがす稀代の工学者、カロンを紹介するためじゃ」
カロンが一歩前へ進み出て、ドワーフの伝統に則った敬礼を捧げた。
「初めまして、ゼン大親方。ルーセン工科大学の学長を務めております、カロンです」
ゼン大親方は、灰色の鋭い眼光でカロンをじろじろと値踏みするように見つめた。
その視線には、警戒と、深い興味が混ざり合っていた。
「……ほう。お前が噂の『カロン』か。話なら、街道を往復する石炭商人や、ガロニアの行商人から嫌というほど耳に入っておるぞ。ガロニアで水車を回して旋盤を作り、ルーセンで天を突く塔を建てて、エアコンなる冷たい風の箱で親方どもを骨抜きにした神童じゃな」
ゼン大親方はニヤリと不敵に笑った。
「して……その神童が、我がガイゼンに何の用じゃ? まさか、この山に眠る石炭を全部買い占めたいとでも言いに来たのか?」
カロンは静かに首を横に振った。
「いいえ、大親方。買い占めたいのは石炭ではなく――ガイゼンの誇る『屈強な職人たちの腕と力』です」
カロンは手元の鞄から、ルーセンの都市開発図面と、先ほど起草したばかりの人員募集要項を取り出し、机の上に広げた。
「現在、ルーセンでは新しい銀行局、証券取引所、そして無数の住宅とインフラの建設需要が爆発しており、職人の頭数が致命的に不足しています。……そこで、ガイゼンから百名、いや三百名規模の若手石工、鉱夫、鍛冶職人を、高待遇の建設技術者としてルーセンへ招致したいのです」
「……人を貸せ、と?」
ゼン大親方が眉をひそめ、腕を組んだ。
その空気を察したカロンは、すかさず言葉を続けた。
「大親方。遠路はるばる手ぶらでお願いに上がったわけではありません。私の車から、ルーセンから持参した『手土産』を持ってまいります」
カロンは一旦部屋を出て、広場の車へと戻った。
後部トランクから取り出したのは、厚手の木箱に詰められた、藁で丁寧に保護された六本のガラス瓶――ルーセン中州の特産『最高級赤玉ブドウのヴィンテージ・ワイン』であった。
部屋に戻ったカロンは、木箱をゼン大親方の机の上にドンと置いた。
「これは……?」
ゼン大親方が訝しげに箱の蓋を開ける。
そこには、磨き抜かれたガラス瓶の中で、深紅のルビーのように妖艶な光をたたえる極上の液体が鎮座していた。
カロンは手早く栓を抜き、銀のゴブレットになみなみと注いで差し出した。
途端に、石炭の匂いが立ち込めていた執務室の中に、甘酸っぱく芳醇な、花と果実が混ざり合った至高のアロマが爆発的に広がった。
「な……なんという香りじゃ……!」
ゼン大親方の鼻腔がピクピクと動いた。
大親方はゴブレットを鷲掴みにすると、待ちきれない様子で一気に喉へと流し込んだ。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……ぷはぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!
大親方はゴブレットを机に叩きつけ、目を見開いて天を仰いだ。
「う……美味い……ッ!! なんじゃこのワインはァッ!? 喉を通る瞬間に果汁の甘みと高貴な香りが鼻を突き抜け、後味には雑味一つ残らん! 我がガイゼンの酒場で出しておる酸っぱい安酒とは、月とスッポンじゃわい!!」
大親方は自らボトルを掴み、二杯目、三杯目を立て続けに注ぎ足して喉を鳴らした。
その至福の表情を見届け、カロンは静かに畳み掛けた。
「大親方。ガロニアの経済が今、空前の大好況に沸いていることはご存知ですね?」
「……うむ。知っておる。ガロニアの溶鉱炉は昼夜フル稼働で、鍛冶ギルドの連中は財布を金貨でパンパンにして、毎晩のようにルーセンから届くこの美味いワインやエールを浴びるように飲んでおると、商人どもが羨ましそうに語っておったわ」
「その富を、今度はガイゼンにも循環させたいのです」
カロンは真剣な眼差しで告げた。
「ルーセンへ来てくれる職人たちには、帝国の標準賃金の二倍の基本給を保証します。宿舎は冷暖房完備の鉄筋コンクリート製アパートを提供し、食事はこのワインや極上の肉が毎日食べられる環境を整えます。彼らが稼いだ給与の半分は、ガイゼンの家族へ定期送金させましょう。
さらに――ルーセンの鉄鋼プラントや火力発電設備で消費するための『ガイゼン産石炭』を、ゲオル商会を通じて今後五年間、定価の二割増しで全量独占買い取りする長期通商協定を結びます!」
机の上に並べられた条件の数々。
ワインを飲み干したゼン大親方は、しばらくの間、無言で天井の岩肌を見つめていた。
そして――プハァーッと豪快に煙管から煙を吐き出し、机を拳でドカンと叩いた。
「決まりじゃ!!」
ゼン大親方は白い歯を剥き出しにして破顔した。
「カロンよ! お前の評判は本物じゃな! 我がガイゼンの若い衆は、狭い坑道の中で煤にまみれ、腕を持て余しておる腕自慢ばかりじゃ。そんな連中に、高い賃金と美味い飯、そして外の広い世界で最先端のデカいモノを造るチャンスを与えてくれるというなら、断る理由がどこにある!」
大親方はカロンの手をガシッと力強く握りしめた。
「三百人と言わず、五百人でも千人でも連れて行くがいい! ガイゼンの石工と鉱夫の底力、ルーセンの街にたっぷり見せつけてやれ!!」
「ありがとうございます、ゼン大親方!」
握手を交わす二人。
こうして、ルーセンの建設危機を救う「ドワーフ大招致作戦」は、極上のワインの香りと共に、完全なる大成功を収めたのであった。
商談を終え、カロンとボルト副学長が執務室を出て広場へと戻ってきた時――
そこには、ちょっとした暴動でも起きたかのような黒山の人だかりができていた。
「おい、触るな! 傷がついたらどうする!」
「すげえ……鏡みたいにピカピカの銀色だぞ!」
「この黒い輪っかは何だ!? 鉄じゃねえ、ゴムだ! 弾力がありやがる!」
数百人におよぶガイゼンの鉱夫や若者たちが、カロンの停めておいた電気自動車(EV)を取り囲み、目を血走らせて車体を撫で回していたのである。
炭鉱の街で、無骨な木製トロッコや荷馬車しか見たことのない彼らにとって、流線型のアルミモノコックと独立懸架サスペンションを備えたEVは、まさに異世界から降臨した神の乗り物そのものであった。
そこへカロンが歩み寄ると、人だかりがサッと割れた。
「あ、持ち主が戻ってきたぞ!」
「坊主、いや……旦那! こいつは一体何なんだ!?」
好奇心に満ちたドワーフたちの視線を浴び、カロン――前世の中山教授の「教員魂」に、カチリとスイッチが入った。
(ふむ……これだけの若者が純粋な技術的関心を抱いている。これは講義をしない手はないな)
カロンは作業着の袖を捲り上げ、車のボンネットをパカリと開け放った。
「皆さん、よく集まってくれました。それでは、この『電気自動車』の駆動構造と材料力学についての基礎講義を始めましょう」
「「「おおおおおっ!?」」」
カロンは手元のチョークを取り出し、車の横の平らな岩壁にサラサラと三面図と回路図を描き始めた。
「まず、この車には馬がいません。馬車のように煙を吐く内燃機関もありません。動力源は、床下に敷き詰められた『雷氷複合魔石バッテリー』です。……いいですか、雷の魔石の熱暴走を抑えるため、氷の魔石を粉末焼結して電子のトラップ密度を高めています。
そして、この軸の先端にあるのが『ブラシレス・インホイールモーター』です。フレミングの左手の法則に基づき、電磁気力によって回転トルクを直接車輪へ伝達しています」
カロンの淀みない、かつ直感的で明快な工学解説。
普段はツルハシを振るうことしか知らなかった若きドワーフたちは、誰一人として私語を交わさず、食い入るように図面と車体の内部構造を見つめていた。
「すげえ……! 魔法の力学が、全部計算通りに歯車と車輪に繋がってる……!」
「俺たちも、ルーセンへ行けばこんなすげえ機械を造れるようになるのか!?」
若者たちの瞳に、技術への憧れの炎がメラメラと燃え上がる。
リクルートの成果としては、これ以上ない完璧なプレゼンテーションであった。
……だが、その熱狂の輪から、完全に外れた場所で一人。
広場の端の木箱に腰掛け、両足をブラブラと揺らしていた人物がいた。
深緑色のローブを着崩した駄女神、メリスであった。
メリスは退屈そうに大あくびを噛み殺し、周囲を見渡して不満そうに唇を尖らせていた。
「ふわぁぁ〜あ……。なによこの街、見渡す限り真っ黒な石炭と岩ばっかりじゃない。お洒落なカフェもなければ、パフェもケーキもないし……。炭鉱の男たちが食べるような、塩辛い干し肉と硬い黒パンくらいしか置いてないじゃないの。なーんだ、ちっとも美味しくなさそうね」
メリスは退屈に耐えかねたように、カロンの背中を指差してブツブツと文句を垂れた。
「カロンのやつ、また小難しい講義なんか始めちゃってさ。あんなの、神様の奇跡でドカンと動かせば一発なのに。……早くルーセンに帰って、学食の特大ハンバーグが食べたいわぁ〜」
天界の至高の主神にとって、炭鉱都市の無骨な機能美と工学のロマンは、爪の先ほども響かなかったようである。
やがて講義が一区切りついたところで、カロンは集まったドワーフたちへ高らかに宣言した。
「諸君! ルーセンでは、君たちの力と腕を待っている! 明日から、大型の電動客車――バスをピストン運行させ、希望者を順次ルーセンへと送迎する! 家族への仕送りも、美味い酒も、技術の学びもすべて保証しよう! 共に新しい時代を創ろうではないか!」
「「「うおおおおおおおおっ!! 行くぞォッ!! ルーセンへ行くぞォッ!!」」」
地下大広間に、数百人のドワーフたちの割れんばかりの鬨の声が響き渡った。
契約を取り交わし、ゼン大親方とボルト副学長が固い握手を交わした後、カロンたちは再び電気自動車へと乗り込んだ。
手を振る大勢のドワーフたちに見送られ、車はトンネルを抜けて、夕暮れの街道へと滑らかに飛び出した。
帰路の車内。
助手席のボルト副学長が、手帳を見つめながら深く息を吐いた。
「見事な交渉じゃったな、カロン。これでルーセンの全工区の人手不足は一気に解決するぞ」
「ええ。石炭の安定供給ルートも確保できましたから、今後の火力発電や製鉄のバックアップも盤石です」
カロンがアクセルを踏み込む。
後部座席でグースカと居眠りを始めた駄女神の寝息を聞きながら、銀色の車は初冬の冷たい夜風を切り裂き、光り輝く学園都市ルーセンへの帰路を軽快に駆け抜けていった。
翌朝から、ルーセンとガイゼンを結ぶ百数十キロの山岳街道は、前代未聞の「ピストン輸送大作戦」の舞台となった。
カロンが運転席に座る、青と白の「第一号試作型メガEVバス」。
さらに、新工房区で完成したばかりの「第二号試作型メガEVバス」には、カロン直伝の運転講習を修了した東門警備隊の選抜ドライバーが乗り込んだ。
二台の巨大な鉄の巨獣が、早朝から夕暮れにかけて、街道を何往復も休むことなくピストン運行を開始したのである。
プシューーーッ!
ガイゼンの山肌のトンネル前にバスが滑り込むたびに、荷物を背負った数十名の屈強なドワーフの若者たちが、歓声を上げて車内へと乗り込んでいく。
「すげえ! 本当に八十人も乗れるぞ!」
「座席がふかふかだ! 揺れねえ!」
シルフの追い風の加護を受けたバスは、片道わずか二時間半でガイゼンとルーセンを直結。
一度の往復で百六十名、一日で四往復――わずか数日間のピストン輸送によって、総勢五百名を超えるガイゼンのドワーフ職人たちが、整然とルーセンの街へと合流を果たしたのである。
東門の跳ね橋を渡り、新工房区に降り立ったガイゼンの若者たちは、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
白く輝く舗装道路。
頭上を行き交う電線と、澄んだ鐘の音を鳴らして走る路面電車。
そして、彼らのために用意された、蛇口を捻れば温かい湯が出る真新しい鉄筋コンクリート造のアパート群。
「な……何だここは……!? 本当に地上の街なのか……!?」
「天国じゃ……! ガイゼンの薄暗い穴倉とは比べ物にならんぞ!」
合流した五百名のドワーフたちは、カロンとバログ大親方の指揮のもと、即座に各工区へと配属されていった。
証券取引所の巨大な無柱大空間の鉄骨建て方。
銀行局本店の内装と地下共同溝の仕上げ。
新工房区の第二期アパートメント建設。
そして、冬の凍結を防ぐための道路ヒーティング配管の埋設工事。
ツルハシとハンマーの扱いに長けたガイゼンの職人たちが加わったことで、停滞しかけていた全工事現場の進捗率は一気に三倍へと跳ね上がり、工期の遅れは瞬く間に取り戻されていった。
夕暮れ時。
新工房区の中央広場では、新しく合流したガイゼンのドワーフたちを歓迎する、盛大な大宴会が催されていた。
広場に並べられた無数の長テーブルには、大食堂の女将さんたちが総出で焼き上げた山盛りの肉料理と、中州の特製ワイン、そしてカロン特製の「ルーセン・プレミアム・ヴァイツェン(白ビール)」の樽が何十個も並べられた。
「「「かんぱーーーーいっっっ!!!!」」」
ドガガガアンッとジョッキが打ち合わされ、泡が飛び散る。
「う、うめええええっ!! なんだこの白ビールってやつは!?」
「飯が美味い! 風呂が温かい! ルーセン最高じゃァァッ!!」
「カロン学長万歳! バログ大親方万歳ッ!!」
ガイゼンの若者たちが肩を組み、歌い、踊る。
その輪の真ん中で、バログ大親方と父ガイルがジョッキを片手に豪快に笑い合っていた。
カロンは広場の隅のベンチに腰掛け、冷たいアイスコーヒーを一口啜りながら、その光景を穏やかな眼差しで見つめていた。
(ガイゼンの労働力と、ルーセンの近代工学。そして、ガロニアの製鉄力……。三つの力が完全に一つに噛み合ったな)
人手不足の危機は去った。
これで、銀行局の完全稼働、そして次なる大目標たる「ルーセン証券取引所」の開場へ向けて、すべてのピースが完璧に揃ったのである。
そこへ――
「カロン〜! パフェがなかったから、お肉いっぱい食べさせてよね〜!」
口の周りをタレでベタベタにした駄女神メリスが、骨付き肉を両手に持って乱入してきた。
カロンは深く息を吐き出しながらも、手元のナプキンを差し出して苦笑した。
「はいはい、お疲れ様でした。口を拭きなさい」
夜空を見上げれば、エレン見晴らしの丘の三基の風車が、シルフの優しい風を受けて静かに、力強く回転を続けている。
冬の足音が近づく学園都市ルーセン。
新たな仲間を迎え入れ、膨大なエネルギーと知恵を宿したこの街は、明日という未知のフロンティアへ向けて、さらに力強い歩調で前進を続けていくのであった。




