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第78章:駄女神のツケと金融の夜明け

第78章:駄女神のツケと金融の夜明け


帝都グランツを揺るがした大規模クーデターの電撃鎮圧、隣国アストル神聖教国の平和的な「ルミナス共和国」への解体再編、そして前代未聞の「三神公認体制」の樹立という大遠征から「第一号試作型メガEVバス」がルーセンへと凱旋して、早くも二週間余りの月日が流れていた。


エレン山脈から吹き下ろす風は日増しに冷たさを増し、路面電車の通る中央大通りや新工房区の街路樹は、すっかり葉を落として冬支度を整えつつあった。

ルーセン工科大学のキャンパスでは、帝国大学との単位互換プログラムによりやってきたエリート留学生たちと、ガロニアから派遣されたドワーフの若者たちが、マルクス学部長の開発したペニシリン培養基礎理論や、カロンの提唱する新素材工学を熱心に学んでいる。


街は平穏を取り戻し、冬を前にした産業の歯車は極めて力強く回転していた。


……しかし。

どれほど世界が激変しようとも、どれほど国家のパワーバランスが塗り替えられようとも、「この街において、絶対に変わらない不条理の特異点」が、ただ一つだけ存在していた。


地上二十階建てのルーセン工科大学、二階にある学長室。

重厚な執務机の前に座るカロンは、羽ペンを握ったまま、深い、深い、魂の底からのため息をついていた。


「……またか」


カロンの目の前に積まれていたのは、学術論文でも、都市開発の図面でも、帝国宰相ハインリヒ大公からの公文書でもなかった。

それは――大きさも、紙質も、インクの色も、筆跡すらも完全にバラバラな、異様な厚みを持つ「飲食のツケ(請求伝票)の山」であった。


『純喫茶白鳩:秋の焼きリンゴパイ・ホール食い五台、特製シナモンティー三杯』

『新工房区テラスカフェ:和栗と紫芋のメガ盛りタワーパフェ八杯』

『中央生鮮市場・串焼き亭:特選猪肉の塩焼き五十本、串のまま一気食い』

『大通りパン工房・麦の穂:焼きたてクロワッサン三十個、クリームパン二十個』

『アパート一階大食堂:石鍋煮込みメガハンバーグ定食、おかわり四杯』


一番上の請求書の合計金額を見るだけで、帝国金貨にして数十枚。

もちろん、これらをたった一人で、わずか数日の間に胃袋へと収めた犯人は、言わずと知れたトラブルの元凶――学長室の隣室に居候している金髪碧眼の駄女神、メリスであった。


カロンは眉間を指先で強く揉みながら、呆れ果てて天井を見上げた。


「あいつめ……帝都を救い、教国の政変を成し遂げた至高の主神などと王宮で持て囃されておきながら、ルーセンに戻ってきた途端、以前と一ミリも変わらず街中を食べ歩き、当たり前のように『カロンにつけておいて☆』で済ませているとは……」


神の身体構造はどうなっているのか。パフェを食べた直後に串焼き五十本を平らげるなど、生体エネルギー保存の法則を完全に嘲笑っているとしか思えない。


だが――カロンが真に頭を悩ませていたのは、メリスの底なしの食欲や、金貨が飛んでいくことそのものではなかった。

カロン自身、Bランク冒険者時代の巨額の報酬や、アパートの家賃収入、エアコン・建材の特許ライセンス料により、個人資産としてはすでに貴族の小領主を遥かに凌駕する蓄財がある。金貨数十枚程度で破産することはない。


問題は、「その請求と決済のプロセス」にあった。


トントン。


控えめなノックの音が響き、学長室の扉が開いた。

入ってきたのは、大通りにある洋菓子店の初老の店主と、中央市場の肉屋の若旦那であった。二人は帽子を脱ぎ、恐縮しきった様子でペコペコと頭を下げながら入ってきた。


「あ、あの……カロン学長先生。大変お忙しい講義の合間に、誠に申し訳ございません……」

「今週分の、その……メリス様の買い食いの伝票をお持ちにあがりました……」


「ああ、わざわざ来ていただき、ありがとうございます。ご苦労様でした」


カロンは立ち上がり、金貨の入った革袋を取り出し、二人が差し出した不揃いな羊皮紙の伝票の計算を自らそろばんで弾き、その場で硬貨を手渡して領収のサインを交わした。


店主たちは「助かりました!」「毎度ありがとうございます!」と深々と頭を下げて退出していった。


パタンと扉が閉まった後、カロンは机の上に散らばる伝票を見つめ、再び重いため息をついた。


(……これだ。これが、どうしても我慢ならんのだ)


カロンは工学者であり、何よりも「効率と合理性」を重んじる元国立大学教授である。

街の商店の店主たちが、仕込みや接客で最も忙しい時間帯に、わざわざ大学タワーの二階まで足を運び、エレベーターに乗って学長室まで伝票を届けに来る。

店によって伝票の締め日もバラバラ、様式も羊皮紙の切れ端から手帳の破り取りまで不統一、支払いも毎回その場で硬貨を一枚ずつ数えて手渡しする。


(店の人たちに、こんな無駄で非効率な手間を取らせてしまっていること自体が、申し訳なくてたまらない。そもそも――この街の『お金の流れ(決済システム)』そのものが、都市の規模に対してあまりにも原始的すぎるのだ)


カロンは椅子に深く腰掛け、前世の近代社会のインフラに思いを馳せた。


現在の交易都市ルーセン――いや、ゲスハルト帝国全土における金融システムは、極めて未発達であった。


一般市民がまとまった財産を保管する場合、自宅の床下に隠すか、頑丈な金庫を買うくらいしかない。

例外的に、冒険者ギルドが所属するギルド員(冒険者)に限って報酬の預金を預かるシステムを運用していたが、それはあくまでギルド員向けの福利厚生であり、一般の商店主や職人、農民が利用することはできない。


一方、事業を拡大したい職人や商人が資金を借りる「金貸し(融資)」の分野に至っては、さらに混沌を極めていた。

街の裕福な大商人が個人的な裁量で貸し付けるか、あるいは路地裏の怪しげな金融業者――いわゆる高利貸しや闇ギルド紛いの組織が、法外な暴利と曖昧な利子設定で金を貸し付けていたのである。統一された金利の基準もなければ、法的な返済ルールの透明性もない。


(街には鉄筋コンクリートの摩天楼が建ち、路面電車が走り、家庭には電灯とエアコンが普及し、大学では最先端の科学が教えられている。……にもかかわらず、その社会を循環する血液たる『通貨と決済』だけが、いまだ中世の物々交換の延長線上に留まっている)


カロンの頭脳に、閃きが走った。


(銀行だ。現代地球における『普通銀行』、そして『郵便局』のような近代金融インフラが必要だ!)


もし、街に誰もが安心して預け入れができる公的な金融機関が存在すればどうなるか。


市民や職人は、自宅に現金を置いて盗難に怯える必要がなくなる。

店主たちは、メリスのツケのような請求をわざわざ大学まで届けに来ずとも、口座間の振替や一括引き落としで瞬時に決済できる。

そして何より――街中に眠っている退蔵金(タンス預金)を預金として集約し、それを元手として、新工房区で新たな設備投資を行いたい熱心な職人や若手起業家へ、明確で公正な低金利で融資を行うことができる。


(だが……金融機関の最大の資本は『信用トラスト』だ。一介のドワーフや、単独の民間商会がポッと『銀行を作りました』と言ったところで、慎重な市民たちが虎の子の資産を預けるはずがない)


どうすれば、万人が絶対に疑わない絶対的な信用を担保できるか。


カロンは製図用紙を引き寄せ、素早く組織の相関図をペンで走らせた。


(合弁だ。単独資本ではなく、この街を動かす三大勢力が手を結んだ『半官半民の合弁組織』を立ち上げるのだ!)


行政・領主権力(ハインリヒ大公):国家および領地としての法的な営業認可、治安の保障、そして最高監査権を提供する。


民間経済・流通網(ゲオル商会・マリアベル):すでに全土に交易ルートと帳簿管理のノウハウを持つ商会が、出納や窓口業務、帳簿管理といった実務のオペレーションを一手に担う。


現場ネットワーク・保安力(冒険者ギルド・ギルバート):街中の冒険者や輸送護衛のネットワークと提携し、現金輸送の強固な警備と、既存のギルド預金システムの統合を図る。


技術・学術基盤(ルーセン工科大学・カロン):偽造不能な通帳や小切手、魔導セキュリティ金庫、複式簿記の導入、そして将来的な通信ネットワークによる振替技術を供給する。


「……これだ。これならば、預ける側も借りる側も、微塵の不安もなく利用できる!」


さらにカロンは、将来的なビジョンを次々と書き加えていった。


(最初は銀行業務(預金・融資・為替決済)からスタートするが、組織網が整えば、手紙や小包を低価格かつ定期的に全土へ届ける『郵政・物流事業(郵便局機能)』へと業務を拡張できる。路面電車やメガEVバスの物流網と直結させれば、情報と物資の流通スピードは十倍に跳ね上がる)


そしてカロンは、さらに一歩先の未来――産業資本の発展を見据えた決定的な構想をペン先で記した。


(――さらにその先だ。産業が巨大化し、株式会社のような大規模事業が次々と立ち上がった時、出資者を広く募り、企業の成長を市民や投資家が共有するための『証券・株式売買業務(証券業)』もこの機関に併設させる。資本主義経済のダイナミズムを、この異世界に健全に導入するのだ)


カロンは完成した企画書をファイルに綴じると、迷うことなく立ち上がった。

「善は急げだ。早速、大公閣下へ相談に行こう」


午前十時。

初冬の冷涼な空気が流れる中央通りを、路面電車に乗って領主邸へと向かったカロン。

事前に緊急の面談要請を飛ばしていたため、通された大公執務室には、すでにルーセンの命運を握る重要人物たちが勢揃いしていた。


上座の革張りソファには、真新しい大公の星章と、帝室最高官職たる「帝国宰相」の紫紺のローブをまとったハインリヒ大公。

その隣には、狐皮の襟巻きを優雅に羽織り、敏腕商人としての鋭い琥珀色の瞳を輝かせるゲオル商会の会頭、マリアベル。

そして、向かいのソファには、巨体を窮屈そうに沈め、太い腕を組んで葉巻の煙を燻らせる冒険者ギルドマスター、ギルバートが座っていた。


「カロン殿! よく来てくれた」

ハインリヒ大公が温かく手招きする。胃潰瘍の影は消え去り、帝国のNo.2としての風格が板についていたが、カロンが真面目な顔で分厚い書類ファイルを取り出したのを見て、少しだけ眉をピクリと動かした。


「して……カロン殿。君がこれほど切迫した様子で我々三人を同時に招集するなど、滅多にないことだ。……まさか、また地下の石像が喋り出したとか、天界から四人目の神様が降臨したというわけではあるまいな?」


「違います、閣下。今回は至極真面目で、平和的かつ建設的な『経済のインフラ整備』のご提案です」


カロンが苦笑いしながら書類を広げると、ギルバートが太い髭を揺らして笑った。

「なんだ、物騒な魔物のスタンピードじゃねえのか。安心したぜ」


「皆さん、手元の書類をご覧ください」


カロンは全員に羊皮紙の企画書を配り、前世のビジネススクールさながらの理路整然としたプレゼンテーションを開始した。


「現在、我がルーセンは新工房区の完成、エアコン特需、そして大学の発展により、未曾有の好景気に沸いています。しかし――街の中を流れる『お金の仕組み』は、依然として手渡しの硬貨と、個人のタンス預金、そして無法な高利貸しに依存しています。

そこで私は、領主邸、ゲオル商会、冒険者ギルド、そして工科大学が共同出資し、街のすべての経済活動を円滑化する公的な総合金融機関――『ルーセン銀行局』の設立を提案いたします」


「「「ぎんこう……きょく?」」」


三人が同時に首を傾げた。この世界には存在しない未知の概念である。


マリアベルが書類に目を走らせ、商人としての鋭い嗅覚で問いかけた。

「カロン学長。この『預金』と『融資』、そして『為替決済』とは、具体的にどのような商売なのですか?」


カロンは待ってましたとばかりに、指を立てて解説した。


「まず『預金業務』です。市民や職人、商人たちから余剰の現金を預かります。盗難の心配のない安全な巨大金庫で保管し、預けてくれた市民には、預け入れ金額と期間に応じて、年利一パーセントから二パーセント程度の『利子(預金金利)』を支払います」


「金を預かる側が、客に利子を払うのかい!?」

ギルバートが目を丸くした。

「ギルドの預かり所じゃ、管理手数料として預ける側から金を取ってるぜ? 預かってやって、さらに利子を払ってたら大赤字じゃねえか」


「そこで連動するのが、第二の柱たる『融資(貸出)業務』です、ギルバートさん」

カロンは微笑み、マリアベルへと視線を向けた。


「集まった莫大な預金を金庫に眠らせておくのではなく、新工房区で新しい工場を建てたい鍛冶職人や、新造船を買いたい交易商人に、厳正な事業計画の審査を行った上で事業資金として貸し出すのです。その際、借主からは年利四パーセントから六パーセント程度の『明確で公正な利子(貸出金利)』をいただきます。

この【貸出金利】と【預金金利】の差額――いわゆる『利ザヤ』こそが、銀行局の安定した収益源となります」


マリアベルの琥珀色の瞳が、カッと見開かれた。

計算尺を弾くまでもなく、彼女の天才的な頭脳が、そのビジネスモデルの途方もないスケールと合理性を瞬時に理解したのだ。


「……な、なんて合理的で美しい仕組みですの……!」

マリアベルは身を乗り出し、震える手で書類を握りしめた。


「タンスの奥で死んでいた街中の小銭を集めて巨大な資本ファンドへと束ね、それを成長する産業へ投資して街全体を潤す……! しかも、高利貸しの法外な暴利を排除し、年利数パーセントという明確なルールを敷けば、真面目な職人たちが安心して事業を拡大できますわ! これぞ、商業の血液の循環です!」


「その通りです、マリアベルさん。そして第三の柱が、私が個人的にも最も渇望している『為替・口座振替決済業務』です」


カロンは苦笑いを浮かべ、懐から先ほどのメリスのツケ伝票の束を取り出して見せた。


「現在、街の商店は、ツケの請求書を一枚一枚手作業で大学まで運んできています。しかし、店主も顧客も銀行局に口座を開設していれば――伝票を銀行局に提出するだけで、銀行局内の帳簿上で数字を書き換えるだけで、硬貨を一枚も動かさずに一瞬で支払いが完了します。

さらに、遠方のガロニアや帝都との取引でも、重い金貨の詰まった木箱を馬車で運ぶリスクを冒さず、『為替手形(小切手)』を一枚送るだけで安全に決済ができるようになるのです」


「「おおおおおっ……!!」」


ハインリヒ大公とギルバートが感嘆の声を上げた。

特に、現金輸送のたびに護衛の手配に頭を悩ませていたギルバートにとって、現金の移動そのものを不要にする為替システムは、目から鱗が落ちるような革新であった。


さらにカロンは、将来の構想を熱く語った。

「設立当初は、この銀行業務からスタートします。しかし、全土に路線網を持つメガEVバスや路面電車のインフラが整えば――銀行局の窓口と輸送網を活用し、一般市民の手紙や書類、小包を定期的に届ける『郵政・物流事業』を併設します。

そしてさらにその先――新工房区や商会の事業が巨大化した暁には、事業の権利を分割して一般から資金を募り、売買を仲介する『証券・株式売買業務(証券業)』へと発展させます。市民の誰もが産業の成長に出資し、その配当を得られるようにするのです!」


「素晴らしい構想だ……! 実に素晴らしいぞ、カロン殿!」


ハインリヒ大公が机を両手で叩き、立ち上がった。

その顔には、一国の宰相としての先見の明が爛々と輝いていた。


「これこそ、我がルーセンが帝国全土、ひいては大陸全体の金融の中心地へと飛躍するための決定打だ! カロン殿、この『ルーセン銀行局』の組織体制と役割分担は、具体的にどう考えておるのだね?」


カロンは頷き、企画書の組織図を指し示した。


「合弁会社としての役割分担は、以下のように提案いたします」


実務・窓口運営(ゲオル商会)


全店舗の窓口業務、帳簿記帳、顧客対応、および日常の出納管理をゲオル商会が責任を持って執行する。


初代頭取(局長)の実務代行には、マリアベル会頭が就任する。


警備・セキュリティ提携(冒険者ギルド)


本局金庫の警備、および各支店間の現金輸送警備を、冒険者ギルドが直属の特命護衛任務として一括請け負う。


既存のギルド預金システムを銀行局の口座へとスムーズに統合・移行し、冒険者たちへの口座開設を推奨する。


技術・セキュリティ基盤(ルーセン工科大学)


カロン・スチールを用いた絶対不破の「地下巨大防盗金庫」の設計・施工。


偽造が絶対に不可能な、魔導透かしと微細幾何学模様を印刷した「公認通帳」および「小切手用紙」の開発。


経営工学科における複式簿記と近代会計学の教育カリキュラム開設と、銀行員バンカーの育成。


公的認可および最高監査(ハインリヒ大公・領主邸)


ルーセン自治領における公認金融機関としての営業独占権と法的保護の付与。


利子制限法および不正融資を監視する「公的監査委員会」の設置。


ギルバートが太い拳を打ち鳴らした。

「いいねえ! ギルドとしても願ったり叶ったりだ。冒険者どもに『稼いだ金は銀行局へ預けて利子をつけろ』と指導すりゃ、宵越しの金を持たずに博打でスる馬鹿も減るし、警備の仕事で食い扶持も増える!」


マリアベルも興奮を隠せない様子で深く一礼した。

「我がゲオル商会の総力を挙げ、帝国一の堅牢かつ誠実な実務組織を構築してみせますわ! カロン学長、任せてくださいませ!」


三者の合意が完璧に成立した。

しかし――ハインリヒ大公は、顎髭を撫でながら深く考え込んだ。


「……うむ。構想も布陣も完璧だ。だが、カロン殿。この規模の『通貨と金融、そして将来の郵政や証券』に関わる大事業を立ち上げるとなると、地方領主の一存だけで進めるのは少々筋が通らん。……国家の通貨秩序を揺るがす行為として、後から帝都の文官どもに横槍を入れられては面倒だ。余が直々に、国王セルセデス3世陛下へ事の次第を上奏し、『勅許(国家の正式な認可)』を取り付けるべきだと考えるが、どうだろうか?」


「閣下の仰る通りです。帝都の正式な認可があれば、将来的に他領や帝都へ支店を展開する際にも、一切の法的障害がなくなります」


ハインリヒ大公は即座に立ち上がり、マントを翻して決断を下した。

「よし! ならば善は急げだ。カロン殿、あの銀色の車を出してくれ! 先日そなたから教習を受け、帝都への緊急往復の任を帯びたこの宰相自ら、帝都へ赴き陛下へ直談判する!」


「承知いたしました。私の運転で、帝都までひとっ走りいたしましょう!」


カロンはすぐさま大学タワーから銀色の電気自動車(EV)を領主邸へ回航。助手席に宰相ローブを纏ったハインリヒ大公を乗せると、東門の跳ね橋を越えて東部幹線街道へと飛び出した。

四輪独立モーターが唸りを上げ、時速八十キロから百キロで秋の街道を猛烈に疾走。通常馬車なら一週間を要する五百キロの道のりを、カロンの巧みなステアリングと大容量雷魔石バッテリーの急速交換により、わずか数時間で走破してしまった。


夕刻前、夕陽に輝く帝都グランツの西門を抜け、銀色の車体は王宮の内郭へと滑り込んだ。

突然現れた宰相とカロンの姿に近衛兵たちが驚愕する中、緊急の謁見が即座に設定された。


玉座の間。

セルセデス3世は、ハインリヒ大公とカロンが差し出した分厚い「ルーセン銀行局設立趣意書」に目を通した。

傍らにはハミル第一王子が控え、熱心に内容を読み込んでいる。


「……なるほど。私利私欲の高利貸しを排し、民草の富を守り、産業を興すための金融組織の創設か。実に時宜を得た卓見であるな」


セルセデス3世は顔を上げ、威厳に満ちた笑みを浮かべた。


「余は帝国国王の名において、ルーセン銀行局の設立を無条件で全面承認(勅許)し、自治領内における一切の金融統括権を其方に委ねるものとする!

……ただし、余からも一つ、絶対の要望があるぞ」


国王は身を乗り出し、力強く指を立てた。


「現在、我が帝都グランツもまた、先日のクーデターの傷跡を癒やし、急速な復興事業の最中にある。ルーセン銀行局の立ち上げが成功した暁には――間髪を入れず、帝都グランツに第一号支店を開設せよ!

帝都の放漫な金融を正し、王宮と帝都市民の資金を預かる強固な支店を据えること。これを勅許の条件とする。カロン学長、そしてハインリヒ宰相、其方たちの叡智に大いに期待しておるぞ!」


「「ははっ! ありがたき仕合わせにございます!」」


カロンと大公は深々と頭を下げた。

全面承認どころか、国王直々に「帝都支店を今すぐ作れ」という、これ以上ない強力な後押しと国家事業としての使命が下されたのである。

大司教や総長のような利権亡者が一掃された現在の帝都において、セルセデス3世もまた、国家の復興を支える近代金融システムの導入を喉から手が出るほど欲していたのだ。


王宮での謁見を無事に終えた二人は、その日の夜のうちに再び車に乗り込み、夜闇の街道を疾走してルーセンへの帰途に就いた。


翌朝。領主邸の大公執務室に再び集まったマリアベルとギルバートの前で、ハインリヒ大公は国王の親書を高く掲げ、満面の笑みで宣言した。


「聞いたな、皆の者! 国王陛下より正式な勅許を賜った! ルーセン銀行局は、帝国の国策事業として堂々と産声を上げることとなったのだ!」


「やりましたわね、カロン学長!」

マリアベルが歓喜に顔を輝かせる。


カロンも力強く頷き、前世の工学者としての血をたぎらせた。


「これで、お膳立てはすべて整いました。……大公閣下、マリアベルさん、ギルバートさん。直ちに本局の建設、防盗金庫の施工、そして口座管理システムの立ち上げに入りましょう!」


こうして――

駄女神の無軌道なツケ伝票から端を発した小さな悩みは、一国の最高権力者たちを巻き込み、大陸の金融史を塗り替える巨大な国家プロジェクトへと、華々しく昇華していったのである。


領主邸での打ち合わせを終え、夕暮れの街を歩いてアパートへと戻ってきたカロン。


新工房区へと続くメインストリートを見渡すと、路面電車のレールに沿って設置された街灯が、夕闇の中に温かなオレンジ色の光を一斉に灯し始めていた。

道行く職人たちが笑顔で家族への土産のパンを抱えて家路につき、店舗のショーウィンドウからは、カロンの設計したエアコンの涼やかな風と、人々の賑やかな笑い声が漏れ聞こえてくる。


(水力と風力でエネルギーを創り、セメントと鉄筋で強固な建物を建て、エアコンで気候を克服した。……そして次は、銀行局によって人々の富と努力を正当に循環させる番だ)


カロンは自身の掌を見つめた。

ただ便利な機械を発明するだけでは、真の社会の豊かさは完成しない。

公正なルール、安心できる制度、そして誰もが正当に挑戦できる経済の土台があってこそ、科学と工学は人々の笑顔を守る盾となるのだ。


アパートの一階、大食堂の扉をくぐると、カランコロンと澄んだベルの音が鳴り響いた。


「いらっしゃい、大家さん! 今日もお疲れ様!」

女将さんと娘が、湯気の立つ厨房から満面の笑顔で迎えてくれた。

店内は仕事を終えた職人たちや、工科大学のドワーフ留学生たちで大繁盛している。


カロンがカウンターの特等席に腰を下ろすと、冷えた果実水とともに、今夜の特製ディナー――じっくり煮込まれた柔らかい牛タンシチューと、焼きたてのガーリックブレッドが運ばれてきた。


「どうぞ、大家さん! 腕によりをかけたよ!」

「ありがとうございます、女将さん。いただきます」


スプーンでシチューを口に運ぶ。

ホロホロと解ける肉の旨味と、濃厚なデミグラスソースの深いコクが、一日中頭をフル回転させていたカロンの全身の細胞へと染み渡っていく。


そこへ――


ドスドスドスッ!


「あーっ! カロン、ずるい! 一人でそんな美味しそうなもの食べてる!」


奥のボックス席から、口の周りにケチャップをつけた駄女神メリスが、特大のオムライス皿を片手に突進してきた。

「私にもそのシチュー一口ちょうだい! あ、ついでに帰りに駅前で新しいイチゴタルトのお店を見つけたから、明日買ってきてよね!」


カロンはスプーンを口に含んだまま、呆れ果てて半眼になった。


(……やれやれ。お前という奴は、本当に最後まで自分の欲望に忠実だな)


しかし、カロンはもう怒る気にもならなかった。

この自堕落で我が儘な駄女神が、街中を食べ歩いてツケを溜め込んでくれたからこそ――今日、帝国全土を揺るがす「近代銀行局」という巨大なアイデアが結実したのだ。

ある意味で、彼女の底なしの食欲こそが、この世界の金融革命を引き起こした最大の功労者(?)なのかもしれなかった。


カロンは小さく苦笑し、手元のパンをちぎってメリスの皿へと放り込んだ。


「ほら、シチューにつけて食べなさい。……それとメリス様。近いうちに、あなたのツケを自動で引き落とすための『メリス様専用口座』を作りますからね。無駄遣いの上限額も、私がきっちり管理しますよ」


「ええっ!? なにそれ、お小遣い制ってこと!? 自由の女神に対する人権侵害よーっ!!」


ぎゃあぎゃあと抗議する駄女神の声をBGMに、食堂の店内にはドッと温かな笑い声が広がった。


食事を終え、二階の自室へと戻ったカロンは、いつものように自慢の電気温水器から完璧な四十一・五度のお湯をバスタブにたっぷりと張った。


服を脱ぎ、湯船へと肩まで深く身を沈める。


「――はぁぁぁぁ……っ、極楽、極楽……」


立ち上る湯気を見つめながら、カロンは静かに目を閉じた。


明日からは、旧アストル大聖堂の工房を使い、マリアベルやギルバートと共に、ルーセン銀行局の建設資材と防盗金庫の設計が始まる。

偽造防止の魔導小切手、複式簿記の教科書の執筆、そして帝都支店の構想。


やるべきことは山積みであり、多忙を極める日々に変わりはない。

だが、そのすべてが、この愛するルーセンの街と、未来を生きる人々の確かな笑顔へと繋がっている。


「……よし。明日も、良い仕事をしよう」


カロンは至福のため息を漏らし、温まった身体で柔らかなベッドへと潜り込むと、満ち足りた静寂と心地よい疲労感の中で、穏やかな眠りへと落ちていったのであった。

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