第66章:大公叙任と三神の巡幸
第66章:大公叙任と三神の巡幸
大地の神トーラがルーセンの街に留まり、前世の知友たるマルクス学部長と共に農事改良と微生物研究を本格始動させてから、二週間が過ぎていた。
先祖伝来の「祖神トール様」が実は「大地の神トーラ様」であり、その専門分野が鍛冶のみならず農業や土壌全般に及ぶという天界の真実を突きつけられ、泡を吹いて卒倒したバログ大親方率いるガロニアの親方衆五十余名。
彼らはその後、カロンとマルクスが処方した強力な胃腸薬と精神安定ハーブティーでどうにか正気を取り戻したものの、今度は「祖神様が畑を耕しておられるのに、我ら子孫が鉄ばかり叩いておれるか!」と猛烈に発奮。新工房区の広大な実験農場へ鍬と鋤を手に繰り出し、筋骨隆々の肉体で土を耕し、堆肥を梳き込むという、前代未聞の「農夫ドワーフ集団」へと変貌を遂げていた。
そんな混沌と活気が渦巻く秋のある日の朝。
ライネス川沿いの整備された幹線街道を砂煙を上げて駆け抜けてきた帝都からの特急早馬が、領主邸へと一通の極めて重厚な書状を届けた。
紫紺の絹張りの封筒、ゲスハルト帝国皇室の直筆署名、そして黄金の獅子と鷲が刻まれた国璽の封蝋。
執務室に緊急招集されたカロンが見守る中、以前の重度胃潰瘍と卒倒劇からようやく復帰したハインリヒ侯爵が、震える指先でその封を切り、書面を広げた。
「……こ、これは……」
侯爵の顔色が、青から白へ、そして一気に紅潮へと目まぐるしく変化した。
「侯爵閣下、帝都のセルセデス3世陛下より何と?」
カロンが尋ねると、ハインリヒ侯爵は息を呑み、掠れた声で読み上げた。
「『予てより貴領に降臨あらせられたる慈愛と豊穣の主神メリス様に加え、風の主神シルフ様、大地の主神トーラ様の三神が、ルーセンの地にて安寧の日々をお過ごしであるとの報、具さに拝聴せり。帝国の安寧と繁栄を統べる王として、畏れ多くも至高の三神に直々に拝眉の上、臣民を代表して御慶びと感謝の言上を申し上げたく存ず。追って一週間後、王室一同を挙げ、直々にルーセンへと行幸いたす――ゲスハルト帝国国王セルセデス3世』……だそうだ」
「……国王一家が、またこのルーセンへ?」
カロンは思わずこめかみを押さえた。
前回のローゼン山噴火による火山灰避難の際は、メリスが国王に直談判して「シルフちゃんに頼んで風向きを変えさせた」ことで事なきを得たが、今回は避難ではない。神々に正式に謁見するための、国家公式の「大行幸」である。
「カロン殿……前回の避難とは訳が違うぞ」
ハインリヒ侯爵は、手元の書状を握りしめながら武者震いのように身体を小刻みに震わせた。
「一国の王が、三柱もの本物の主神が滞在する都市へ平伏しにやって来るのだ。粗相一つで帝国の神祇政策が崩壊しかねん。セバスチャン! 直ちに迎賓館の全室を清掃させよ! 近衛の儀仗兵を整列させ、街道筋の不浄をすべて改めよ!」
「は、ははっ! 直ちに手配いたします!」
セバスチャンが滑るように部屋を飛び出し、領主邸は再び嵐のような超厳戒態勢へと突入していった。
それから一週間後。
雲一つない抜けるような秋晴れの青空の下、ルーセン東門の跳ね橋が厳かに下ろされた。
ガース隊長率いる東門警備隊が直立不動で捧げ槍の礼を取る中、深紅の布で美しく飾られた豪奢な王室専用馬車が三台、そして白銀の甲冑に身を包んだ帝都近衛重騎兵百騎が、蹄の音を規則正しく響かせながら堂々と入城してきた。
馬車が領主邸の正面広場へと滑り込み、近衛兵たちが素早く扉を開く。
降り立ったのは、堂々たる体躯に豪奢なマントを羽織った君主――ゲスハルト帝国国王セルセデス3世。
続いて、気品に満ちた金髪を揺らすイザベラ王妃、引き締まった知的な顔立ちの長男ハミル第一王子、そして可憐な佇まいの中に凛とした気品をたたえる長女セレスティア第一王女。
帝国のロイヤルファミリーが勢揃いしていた。
大広間に通された国王一家を出迎えたのは、整然と並ぶルーセンの要人たちであった。
上座の特等席には、すでに三つの豪奢な椅子が用意されていた。
中央には、前開きの魔法使いローブを着崩して「まだかしら〜」と足をブラブラさせている駄女神メリス。
その左手には、リアリスの仕立てた緑色の小奇麗なドレスに身を包み、おっかなびっくり背もたれに隠れるように座るエルフ姿の風神シルフ。
そして右手には、簡素な農夫のチュニックながら、放たれる大地の神気だけで広間の空気をピンと張り詰めさせている大男トーラ。
その脇に、カロン、リアリス、マルクスの三人が、それぞれの神の守護者・同居人として控えていた。
セルセデス3世は部屋に入るなり、王冠を外して胸に当て、威厳を保ちつつも深々と頭を下げた。王妃、王子、王女もそれに倣い、最敬礼を捧げる。
「天界の至高なる主神、メリス様、シルフ様、トーラ様。ゲスハルト帝国国王セルセデス3世にございます。この度は、神々の御神威が我が帝国の地、ここルーセンに満ち満ちておりますこと、国家元首として至上の慶びに堪えませぬ」
その誠実で威風堂々たる拝謁の礼に、まず反応したのはトーラ神であった。
トーラは太い腕を組み、満足そうに頷いた。
「うむ。面を上げよ、帝国の王よ。其方の統治、天界の祭壇より幾度も見届けておったぞ。民の声をよく聞き、大地の恵みを無駄にせぬ実直な治世、実に天晴れである」
続いて、シルフがおずおずと小さな頭を下げた。
「あ、あの……わたしも、お空から見てました……。優しい王様で、よかったです……」
二柱の神々からの温かな言葉に、セルセデス3世は胸を撫で下ろし、相好を崩した。
神々は決して気まぐれに地上で暴れているのではなく、天界からこの国の歩みを見守り、王の治世を好意的に評価していたのだ。
……だが、残る一柱が黙っているはずがなかった。
「ちょっと国王! 挨拶はいいから、約束のアレはどうしたのよ、アレは!」
メリスが身を乗り出し、人差し指をビシッと突きつける。
カロンが「メリス様、御前です!」と制止しようとしたが、セルセデス3世は豪快に笑い飛ばした。
「ははは! 無論、忘れてはおりませぬぞ、メリス様! 先日のローゼン山噴煙鎮静の折、貴女様に約束いたしました『帝国最高の歓待』……王宮筆頭料理長を筆頭に、宮廷料理人十名を直々に連れてまいりました! 帝都の王立氷室より運ばせた最上級の霜降り飛竜肉、ライネス下流特産の巨大川海老、そして王室秘蔵の百年熟成ヴィンテージワインの数々、すべてここ領主邸の厨房へ運び込ませてございます!」
「きゃああああああっっ!! 最高じゃないの王様!! 話が分かる男は大好きよーっ!!」
メリスが椅子の上で跳ね起き、歓喜の舞を踊り始めた。
一国の主神が食い気だけで狂喜乱舞する姿に、ハミル王子やセレスティア王女は目を丸くしていたが、場は一気に和やかな歓迎の宴へと移行した。
厨房から次々と運び込まれる、芸術品のような宮廷料理の数々。
メリスは両手にフォークとナイフを持ち、霜降り肉のローストを瞬く間に平らげてワインを呷り、シルフは王妃やセレスティア王女から手ずから取り分けられた色鮮やかなフルーツゼリーを「おいひいですぅ……」と涙目で頬張り、トーラは分厚い牛肉の塊を豪快に噛み砕きながらセルセデス3世と農政について語り合っていた。
宴が一段落し、神々が料理に舌鼓を打っている合間を縫って、セルセデス3世はハインリヒ侯爵を手招きした。
「ハインリヒ侯爵、前へ」
「は、ははっ!」
背筋を正し、絨毯の上に跪くハインリヒ侯爵。
セルセデス3世の表情が、一国の君主としての引き締まったものへと戻った。
「ハインリヒ侯爵。其方のこれまでの労苦、余は具さに聞き及んでおる。突如として降臨された神々を敬い、粗相なく迎え入れ、あまつさえ三柱もの主神がこのルーセンの地を気に入り、心地よく定住するまでに至ったその手腕……。これは単なる地方統治の枠を遥かに超えた、空前絶後の大功績である」
セルセデス3世は、傍らのハミル王子から漆黒のベルベット張りの小箱を受け取った。
「考えてもみるがよい。主神が三柱も揃って平穏に暮らしておられる都市が存在する……この事実そのものが、我がゲスハルト帝国にとって最大の抑止力となるのだ。西の好戦的な隣国も、東の軍事国家も、神々の逆鱗に触れることを恐れ、我が帝国へ刃を向けることなど金輪際叶わぬ。国防という観点において、其方は十万の軍勢に匹敵する鉄壁の防壁を築いたのだ」
国王は小箱を開けた。中には、燦然と白金と金剛石の光を放つ、帝室最高位の星章が収められていた。
「よって、余は帝国憲章に基づき、其方の長年にわたる功績を称え――ハインリヒ侯爵を、貴族の最高位たる『大公』へと昇爵させる! 今後は我が帝国屈指の筆頭諸侯として、このルーセン自治領を末長く安寧に導くがよい!」
大広間に、どよめきと息を呑む音が広がった。
男爵から始まり、子爵、伯爵、侯爵と登り詰めた貴族の、その頂点――皇族に準ずる最高爵位「大公」。
「た……大公……私が……?」
ハインリヒ侯爵の全身が、ワナワナと激しく震え出した。
脳裏を過るのは、ここ数ヶ月の壮絶な日々の記憶であった。
駄女神メリスが突然教会で正体を明かして街中を大パニックに陥れたあの日。
帝都の大司教と大学総長が乗り込んできて、目の前で全員石像に変えられ、国家反逆罪の恐怖に震えながら地下へ隠蔽したあの日。
国王一家が火山灰から避難してきて、胃が砕け散るような接待に追われ、重度の胃潰瘍で血を吐いて寝込んだあの日。
そして、風の神に続いて大地の神までが居座り、ガロニアのドワーフ五十人が泡を吹いて卒倒し、自らも意識を失って倒れたあの日……。
(ああ……神よ……。余の胃痛は……あの地獄のような心労と胃潰瘍は……決して無駄ではなかったのだ……!!)
ハインリヒ――いや、新しきハインリヒ大公の両目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
床の絨毯に額を擦り付け、嗚咽を漏らしながら声を絞り出す。
「へ、陛下……! ありがたき仕合わせ……! 我が一族の誇り、身命を賭して、このルーセンと帝国のために尽くす所存にございます……! う、うう……苦労が……今までの苦労が、報われましたぞォォォッ……!!」
大広間の隅でその姿を見ていたカロンとセバスチャンは、深く、深く頷き合い、心からの温かな拍手を送ったのであった。
宴の翌日から、国王一家による「ルーセン市内公式視察」の幕が切って落とされた。
セルセデス3世の目的は、神々がどのような環境で過ごし、カロンの工学が街をどう変えたのかを、自らの目で直接確かめることにあった。
【視察一日目:冒険者ギルド】
初日に訪れたのは、リアリスとシルフが待つルーセン冒険者ギルド本部であった。
いつもは荒くれ者の冒険者たちが昼間からジョッキを傾け、喧嘩と怒号が絶えないギルドの酒場フロア。
しかしこの日ばかりは、床は塵一つなく磨き上げられ、屈強なBランク、Aランクの冒険者たちが全員直立不動で壁際に張り付き、借りてきた猫のように静まり返っていた。
カウンターの前で出迎えたのは、普段は豪快な笑い声を響かせているギルドマスター、ギルバートであった。
正装の革鎧の襟元を極限まで締め上げ、額から滝のような脂汗を流している。
「へ、陛下におかれましては……お、お初にお目にかかり奉り候……! あっしが……いや、不肖このギルバート、冒険者ギルドの差配を預かり候……!」
生まれて初めて使う貴族言葉と宮廷儀礼に舌がもつれ、今にも噛み切りそうなギルバート。
セルセデス3世は苦笑いを浮かべ、手を軽く挙げて制した。
「堅苦しい挨拶は不要だ、ギルドマスター。冒険者の荒々しき力こそが、フロンティアの礎であることは承知しておる。楽にせよ」
「は、ははーっ! ありがたき極みにございます!」
ギルバートが安堵の息を漏らす横で、リアリスが歩み出て、カウンターの奥を指差した。
そこには、専用の小さな踏み台の上に立ち、エプロンを着けて一生懸命に依頼書の羊皮紙をスタンプで仕分けしている、エルフ姿のシルフの姿があった。
「陛下。シルフ様は現在、私の自宅で生活されながら、日中はこうしてギルドの書類整理や受付の補助を手伝ってくださっております。シルフ様のお優しい笑顔と気配りに触れることで、荒くれ者の冒険者たちも心が洗われ、街の治安維持にも多大な貢献をいただいております」
シルフがおずおずと振り向き、ペコリとお辞儀をした。
「えへへ……紙をそろえるの、たのしいです……」
その愛らしい姿に、王妃イザベラとセレスティア王女が胸を押さえて相好を崩した。
「まあ……! なんと愛らしい……。風の主神様が、このような健気にお仕事をなさっているなんて……」
セルセデス3世も深く感銘を受け、ギルドへの王室特別交付金の支給をその場で即決したのであった。
【視察二日目:ルーセン工科大学・実験農場】
二日目は、新工房区の東側に広がるルーセン工科大学付属の広大な実験農場であった。
白衣を着たマルクス学部長が、セルセデス3世とハミル王子を案内した。
「陛下、こちらが当学科で進めております、大地の神トーラ様の知見と近代微生物学を融合させた『バイオ農法実験圃場』でございます。現在、エレン山麓の特異放線菌を用いたペニシリンの精製プラントの基礎試験、ならびに土壌窒素固定菌の培養試験が極めて順調に進んでおります」
整然と区画整理された畑には、従来の二倍の大きさに実った黄金色の麦穂や、みずみずしい巨大な根菜類がたわわに実っていた。
ハミル王子が目を見張る。
「信じられない……! 帝都周辺の王室直轄農場の麦と比べても、明らかに茎の太さも実の密度も桁違いだ! これが、科学と神の知恵の力なのか……!」
そして、畑の中央へ進むと――
そこには、泥まみれになりながら満面の笑みで巨大な鋤を振るうトーラ神と、その周囲で汗だくになって鍬を振るうバログ大親方、父ガイルをはじめとする五十名のドワーフ親方衆の姿があった。
「そりゃあッ! 土を掘り起こせ! 空気を入れろ!」
「祖神トーラ様、この畝の深さはこれでよろしいでしょうか!」
「うむ、完璧だ! いい筋肉の使い込みようだな、我が子らよ!」
神とドワーフが一体となって泥にまみれる異様な光景。
そこへ国王一行が歩み寄ると、作業の手を止めたバログ大親方が、泥のついたタオルで頭を拭いながらドスドスと前に出てきた。
カロンの背筋に、氷水のような冷や汗がツーーッと流れた。
(……ひ、父さん! 大親方! 頼むから余計なことを言わないでくれ……! 相手は帝国の国王陛下なんだぞ……!)
ガロニアのドワーフたちは、権威や貴族を極端に嫌う頑固一徹の職人気質である。もし国王に向かって「おい王様、邪魔だからあっちへ行け」などと不敬を働いたら、いくら大公領となったとはいえ外交問題に発展しかねない。カロンは胃を押さえ、いつでも土下座できるよう身構えた。
しかし――。
バログ大親方は、国王セルセデス3世の前に立つと、直立不動の姿勢を取った。
そして、泥だらけの拳を己の分厚い左胸にドカンと叩きつけ、大地が震えるようなドワーフ式最敬礼をバシッと決めたのである。
「ゲスハルト帝国国王、セルセデス3世陛下とお見受けいたす! 儂は鉱山都市ガロニア鍛冶ギルドの大親方、バログである! 我らドワーフ一族、このルーセンの地において祖神トーラ様より『大地を慈しむ真の知恵』を賜り、鉄のみならず食の礎を築く喜びに魂を震わせておるところである! 我が息子の師カロン、ならびにこの地を治めるハインリヒ大公の施政、誠に見事! 国王陛下の寛大なる治世に、ガロニアの職人一同、深甚なる敬意を表するッ!!」
「「「オオオオオッッ!!」」」
後ろの五十名の親方衆も一斉に胸を叩き、見事な敬礼を捧げた。
「………………………………」
カロンは、あんぐりと口を開けて立ち尽くした。
セルセデス3世は感激に目を潤ませ、泥だらけの大親方の右手を両手で固く握りしめた。
「おお……! 誇り高きガロニアの親方衆よ! そなたたちのような偉大な職人が、神と共に土を耕し、帝国を支えてくれていること、余はこれ以上の誇りはない! 礼を言うぞ!」
(……よ、良かった……! 大親方が大人の対応をしてくれた……!)
カロンは胸を撫で下ろし、天を仰いで深く安堵のため息をついたのであった。
【視察四日目:ルーセン教会】
視察の後半、カロンと駄女神メリスが案内したのは、下町に佇むメリス教のルーセン教会であった。
大聖堂の礼拝堂。
トーマス神父が緊張で震えながら出迎える中、広間には数十名の孤児や貧民街の子供たちが集まっていた。
しかし、以前のような薄汚れたボロ布をまとい、空腹に怯える子供たちの姿はそこにはなかった。
全員が清潔な衣服を着て、カロンが寄贈した木製の机と椅子に座り、石板とチョークを手にして、真剣な眼差しで文字の読み書きと簡単な算術の計算に取り組んでいたのである。
「三かける四は、十二! 先生、できたよ!」
「次は分数の足し算を教えて!」
無邪気な子供たちの歓声が、ステンドグラスの光の下に響き渡る。
メリスが腕を組み、これ見よがしに胸を反らせてセルセデス3世に語りかけた。
「見たでしょ、王様! これが私の教会よ! 帝都の大司教みたいに、金ピカの服を着て信者からお布施を巻き上げることしか頭にない腐った奴らとは大違いでしょ! この子たちね、カロンの大学の学生たちが交代で文字と計算を教えてあげてるの! みんな、将来は大学に入って立派な技術者になりたいって頑張ってるんだから!」
トーマス神父がおずおずと補足する。
「は、はい……。カロン学長のご支援により、孤児院に給食と初等教育の場を設けることができました。貧しい子供たちも、学ぶことで未来を選べるようになりつつあります……」
セルセデス3世は深く心を打たれ、子供たちの一人の頭を優しく撫でた。
「……素晴らしい。これぞ、真の信仰の姿だ。帝都の総本部の腐敗に目を奪われ、足元の民草の苦しみに気づけなかったこと、王として恥じ入るばかりである」
国王はトーマス神父の手を取り、力強く告げた。
「トーマス神父よ。王宮直轄の『教育振興基金』より、このルーセン教会ならびに孤児教育プログラムに対し、毎年金貨五百枚の恒久支援を約束しよう。この子供たちこそが、帝国の未来の宝である!」
「お、おお……! 陛下、寛大なるご慈悲、心より感謝申し上げます……!」
トーマス神父が涙を流して平伏し、子供たちからも大歓声が上がった。
メリスも「ふふん、王様、なかなかやるじゃない!」と満足げに頷いていた。
【視察最終日:先端研究棟と電気自動車】
そして視察の最終日。
カロンは国王一家を、三十階建てメガタワーの最上階展望フロア、ならびに地下の先端機械工学実験室へと案内した。
カロンは黒板と模型を使い、ルーセン工科大学が達成した数々の工学的ブレイクスルーを理路整然とプレゼンテーションした。
鉄筋コンクリート(RC)技術:高層ビルの耐震・耐火構造と、橋梁・防壁の長寿命化。
多電源統合スマートグリッド:水力発電、大型風力発電、そして人造蓄電魔石バンクを組み合わせた、停電の起きない電力ネットワーク。
魔導インバーターエアコン「カロン・クール」:都市の熱環境を制圧し、労働生産性を劇的に高める空調インフラ。
カロン・スチール:従来の鋼鉄の三倍の強度を誇る超強靭耐熱合金。
セルセデス3世とハミル王子は、カロンの説明を一言も聞き漏らすまいと食い入るようにメモを取り、その完璧な論理性に感嘆の声を漏らし続けた。
「……信じがたい。魔術をただの超常現象として崇めるのではなく、再現可能な『法則』として解き明かし、社会インフラへと組み込む……。カロン学長、そなたの工学は、帝国の文明を千年先へと押し進める力だ」
「恐縮でございます、陛下」
カロンは一礼し、微笑んだ。
「そして陛下。この度の行幸の記念として――我がルーセン工科大学より、国王陛下ならびに帝室へ、最新の工学の結晶を一台、献上いたしたく存じます」
カロンが地下ガレージのシャッターを跳ね上げた。
ブォォォン……と静かな換気ファンの音とともに現れたのは――
深紅のボディに純金の装飾ラインが施され、最高級の「カロン・スチール」で鍛造された流線型の美しい車体を持つ、四人乗りの最新型・帝室専用サルーン――『ロイヤル・電気自動車(EV)特装車』であった。
車内には本革張りの豪華なシート、カロン・クールによる完全冷暖房空調、そして床下には最新型の人造蓄電魔石大容量バッテリーパックが搭載され、時速八十キロ、一充電での航続距離四百キロメートルを誇る、世界最高の乗り物であった。
「な……なんという美しき鉄の駿馬……!」
ハミル王子が目を奪われ、セレスティア王女が息を呑む。
「馬を必要とせず、煙も出さず、音もなく地を駆ける鉄の馬車か……! これを、余に下賜してくれるというのか!?」
セルセデス3世の目が少年のように輝いた。
「はい。帝都グランツの復興と、広大な帝国の政務にお役立てください。……なお、安全にお乗りいただくため、本日より出発までの二日間、陛下直属の近衛御者と技師の方々に対し、運転技術ならびにバッテリー交換・日常メンテナンスの集中講習を実施いたします」
「素晴らしい! ハミル、そなたも技師たちと共に学べ! これからの時代、王族自らがこの機械の理を知らねばならん!」
「はい、父上!」
そこからの二日間、工科大学のテストコースでは、ハミル王子や近衛兵たちが真剣な表情でハンドルを握り、クランクやスラローム、急速魔石交換の手順を徹底的に叩き込まれた。
若き王子は驚くべき呑み込みの早さで運転をマスターし、二日目の夕方には、見事なコーナリングを決めてカロンから「合格」のサインをもぎ取っていた。
一週間にわたる公式行幸の全日程が終了した日の朝。
秋晴れの東門前には、整然と並ぶルーセンの町民たち、工科大学の全学生、そしてハインリヒ新大公とカロン、神々が集まり、見送りの列を作っていた。
車列の先頭には、ハミル王子自らがハンドルを握る、深紅のロイヤルEV。
その後ろを、王妃や王女を乗せた馬車と近衛騎兵たちが従っている。
馬車に乗り込む直前、セルセデス3世はハインリヒ大公、そしてカロンの前へと歩み寄り、自ら力強く二人の手を握りしめた。
「ハインリヒ大公、カロン学長。この一週間、余が生涯で最も驚きと学びに満ちた時間であった。ルーセンの知恵、そして神々の加護……我がゲスハルト帝国は、世界で最も幸福な国であると確信したぞ」
「勿体なき極みにございます、陛下」
ハインリヒ大公が深々と一礼する。その表情には、もはや以前のような胃痛に怯える影はなく、帝国の重鎮たる堂々たる気品が宿っていた。
そして国王は、後ろで手を振っている三柱の神々――呑気にパイをかじるメリス、リアリスの手を握るシルフ、腕を組むトーラへと向き直り、最敬礼を捧げた。
「偉大なる主神の皆様方。帝国の地を愛し、留まってくださる大恩、王室一同決して忘れませぬ。……帝都グランツの復興が成った暁には、王宮にて再び至高の宴を催すことをお約束いたします」
「はーい、王様! 次はもっと大きいケーキを用意しておいてね〜!」
メリスの呑気な返事に、セルセデス3世は豪快に笑い、深紅のEVへと乗り込んだ。
キィィィィン……!
ハミル王子がアクセルを踏み込むと、美しいモーター音とともにロイヤルEVが滑らかに発進し、大車列が歓声に包まれながら帝都への帰途へと就いていった。
排気煙一つ残さず、秋の風を切り裂いて地平線の彼方へと去っていくその姿は、帝国が踏み出した新たなる近代の幕開けを象徴していた。
車列が見えなくなった東門の跳ね橋の上。
ハインリヒ大公が、腰に佩いた大公の佩刀に手を当て、晴れやかな笑顔でカロンを振り返った。
「……カロン殿」
「はい、大公閣下」
「余は……いや、儂はな。君と出会えて、本当に良かったと心から思っておるよ。君の工学が、儂をここまで連れてきてくれた」
「いいえ、閣下。何が起きても私を信じ、矢面に立ち続けてくださった閣下のご器量があったからこそ、工学はこの街に根付くことができたのです」
二人は微笑み合い、固い握手を交わした。
その横で、メリスが「あーあ、王様帰っちゃった。今日の晩ご飯は何かしら〜?」と呟き、シルフが「リアリスさん、ギルドのお仕事に戻りましょう!」と服の裾を引っ張り、トーラが「よし、畑へ戻るぞ!」と大親方たちを呼び集めている。
カロンは空を見上げた。
エレン見晴らしの丘の三基の風車が、シルフの優しい風を受けて、今日も力強く白い軌跡を描いている。
神々が集い、王家が認め、工学の光が照らす街――学園都市ルーセン。
数々の激動と嵐を乗り越え、この街の礎は、今や大地深くに打ち込まれた鉄筋コンクリートのように、何者にも揺るがすことのできない絶対の強度を獲得していた。
「さあ……私も講義に戻るとしましょうか」
カロンは作業着の袖を捲り上げ、自らの愛する弟子たちと、無限に広がる科学のフロンティアが待つキャンパスタワーへと、力強い足取りで歩み出していくのであった。




