第54章:神々の系譜と父の受難
第54章:神々の系譜と父の受難
帝都グランツから乗り込んできたメリス教総本部の大司教バルデスと、ゲスハルト帝国大学総長マンハイム率いる尊大な使節団が、駄女神メリスの理不尽な神罰によって丸ごと「リアルな等身大石像」へと変えられ、領主邸の地下深くに永久封印された事件から三日。
都市規模の記憶消去結界のおかげで、ルーセンの町は何事もなかったかのように平穏な朝を迎えていた。
初冬のキリリと澄み切った冷気の中、地上二十階建てのルーセン工科大学キャンパスタワーの二階――広々とした学長室の大きなガラス窓からは、規則正しく敷設された路面電車のレールと、活気あふれる新工房区の街並みが一望できていた。
コンコン、と控えめながら重厚なノックの音が響いた。
「学長、ガロニアからのお客様がお見えです」
大学事務局の職員が扉を開けると、そこには分厚い毛皮の外套を羽織り、白銀の混じった立派な髭を蓄えた屈強なドワーフの男が立っていた。
カロンの父――ガロニアの熟練鍛冶師、ガイルであった。
「父さん! ガロニアからわざわざ来てくれたのですか」
カロンが立ち上がって出迎えると、ガイルは太い腕組みを解き、破顔して部屋に入ってきた。手にはガロニアの鍛冶ギルドの印章が押された分厚い革袋を提げている。
「おう、カロン! 昼間ならこの部屋にいると聞いてな。……いやあ、大聖堂の工房を訪ねたら『学長先生はタワーの二階だ』と言われて迷っちまったぞ」
「ええ、学長としての執務机はここに置いてありますからね。もっとも、私も講義を受け持っていますから、三階や四階の大講義室でチョークを握っている時間も長いのですが」
カロンが温かいハーブティーをカップに注いで勧めると、ガイルはデスクの前にドカリと腰を下ろし、まじまじと天井や窓の外を見回した。
「それにしても……外から見上げてもたまげたが、中に入るとさらに度肝を抜かれるな。この建物、本当に全部が鉄とセメントだけで持ちこたえているのか? 二十階まで階段を使わずに上がれるあの『エレベーター』って箱も、魔法の絨毯に乗っているみたいで腰が抜けそうだったぜ」
「ふふ、材料力学と構造力学の計算通りに建てれば、百メートル級の塔でも絶対に倒れませんよ」
ガイルは深く感嘆のため息をつき、革袋をトントンと叩いた。
「お前が作った新工房区のおかげで、ガロニアは今も鋼板の注文が途切れず大好況だ。みんな財布が重くてかなわんと言っておる。……でな、今日ここへ来たのは親方衆から頼まれたからだ。以前、お前が運んできてくれた『ルーセンの特製ワインとエール』があっただろう?」
「ええ、新工房区の町開き祝いでいただいた四十四樽ですね」
「あれがガロニア中で大評判でな! あんな美味い酒は生まれて初めて飲んだと、親方衆も鉱夫どもも喉を鳴らして騒いでおるんだ。そこで、ルーセンの醸造ギルドと直接契約を結んで、定期的に大量買い付けをさせてもらえないかと、使者として父親の俺が買い付け交渉にやってきたってわけだ」
「なるほど、お酒の買い付け契約ですか。それなら中州の果樹園主のトマスさんや、ゲオル商会のマリアベルさんに話を通せば、喜んでガロニア専用の定期輸送枠を組んでくれるはずですよ」
「おお、そうか! そいつは助かる! バログ大親方も『契約がまとまるまで帰ってくるな』と息巻いていたからな!」
ホッと胸を撫で下ろしたガイルと、商談の手順を打ち合わせていた――その時であった。
ガチャリ。
ノックもなしに学長室の重厚な扉が無遠慮に開け放たれた。
「カロン〜! お腹空いたわ! 二階の学食に行ったら女将さんが『今日は仕込み中だから十一時半まで待って』って言うのよ! 学長権限で今すぐローストビーフサンド作らせてよ〜!」
入ってきたのは、深緑色の魔法使い風ローブを前全開に着崩し、黄金の髪をサラサラとなびかせた絶世の美女――駄女神メリスであった。
手には大食堂から失敬してきたらしいリンゴを丸かじりしながら、我が物顔でカロンのデスクへと歩み寄ってくる。ここ数日、大学のメガタワー内を散歩しては、物珍しそうに講義室を覗き見たり、学食をつまみ食いしたりするのが日課となっていたのだ。
「め、メリス様……! ノックくらいしてくださいと言っているでしょう。今はお客様と大事な商談中なんですから」
カロンが頭を抱えて窘めると、メリスは「むぅ、ケチ」と頬を膨らませた。
一方――目の前に突如として現れた、人間離れした美貌と圧倒的な神聖気配を漂わせる美女を見て、ガイルは完全に硬直し、飲んでいたハーブティーを喉に詰まらせて激しくむせ返った。
「ゴホッ! ゲホッ、ゴホッ……! か、カロン……!? だ、誰だこの女子は……!? お前、ルーセンでいつの間にこんなとんでもねえ貴族の姫様みたいな愛人を囲い込んでやがったんだ!?」
「あ、愛人ではありません! 誤解です!」
カロンは慌てて否定した。しかし、どう説明すべきか。
先日の教会での大騒動といい、東門での目撃といい、すでにルーセンの街の一部では彼女の存在が知れ渡り始めている。何より、相手は自分の実の父親である。下手な嘘をついて後から露見する方が面倒な事態を招くのは目に見えていた。
カロンは深呼吸をし、至極真面目な顔でガイルに向き直った。
「……父さん。驚かないで聞いてくださいね。あー……その人は、本物の『女神』です」
「……は?」
ガイルの動きがピタリと止まった。
その丸い目を限界まで見開き、カロンの顔と、リンゴをシャクシャクかじっているメリスの顔を、何度も往復するように見つめる。
「め……女神? おいおいカロン、寝ぼけてるのか? いくら綺麗だからって、生きた女を神様扱いする奴があるか」
「本当なんです。先日、東の洞窟ダンジョンでスタンピードが起きかけた事件があったでしょう? あの時、ギルバートさんやリアリスさんと最深部に潜ったら、そこで魔力を暴走させていたこの人と遭遇しましてね。色々あって、パーティーメンバー……というか、私の身元引受人として地上へ連れて帰ってきたのです」
「はあああぁぁぁっ!? どうしてお前がダンジョンで女神を仲間に引き連れて帰ってくるんだよ!?」
ガイルの絶叫が学長室に木霊した。
至極もっともなツッコミである。工学の祖となった愛息が、今度はダンジョンから本物の神様をホイホイと連れ帰ってきたのだ。父親として理解のキャパシティを遥かに超えていた。
カロンは気まずそうに目を逸らし、両手を広げた。
「……どうしてと言われましても、落ちてきたものは拾わざるを得ないというか……不可抗力と言いますか……」
何も言い返せないカロンであった。
そんな二人のやり取りを見ていたメリスは、リンゴの芯をペッとゴミ箱に投げ捨て、ふふんと鼻を鳴らした。
「そうよ、お父さん! 私は慈愛と豊穣を司る偉大なる主神、女神メリスその人よ! カロンの保護者みたいなものなんだから、もっと敬いなさいよね!」
威厳があるのかないのか分からない態度で胸を反らすメリス。
しかし、その全身から立ち上る魔力の純度は、地上の一介の魔導士や聖職者が束になっても足元に及ばない、紛れもない「本物の神気」であった。
百戦錬磨の鍛冶師であるガイルも、その圧倒的な存在感を肌で察知し、次第に額に冷や汗を滲ませ始めた。
そして、恐る恐る、何かに縋るような敬虔な面持ちでメリスに問いかけた。
「あ、あの……め、女神様。失礼をばいたしました……。その、神々の世界におわすお方であれば、一つだけお聞きしたいことがございまして……」
「なになに? 何でも聞いていいわよ!」
ガイルは姿勢を正し、膝の上に両手を置いて深々と頭を下げた。
「我らドワーフ族が古来より崇め奉る、鍛冶と雷の祖神――『偉大なるトール様』は、天界において息災であらせられますでしょうか?」
何百年もの間、ドワーフたちが炉に火を入れるたびに祈りを捧げ、金床を叩くたびに名を唱えてきた誇り高き祖神トール。
父親として、ドワーフの伝統の守り手として、本物の神を前にしてその名を口にしたガイルの表情は真剣そのものであった。
しかし――メリスは小首を傾げ、人差し指を顎に当ててあっけらかんと言い放った。
「トール? ……だぁれそれ? そんな神様、天界にいないわよ?」
「………………………………え?」
ガイルの喉から、間の抜けた掠れ声が漏れた。
カロンは(あちゃあ……)と心の中で天を仰ぎ、深くため息をついた。
「い、いない……!? トール様が実在しないと仰るのですか!?」
ガイルの顔が青ざめ、髭がワナワナと震え出した。
メリスは腕を組み、至極当たり前の事実を告げるようにペラペラと言葉を続けた。
「いないものはいません! ほら、この町でカロンが叩き潰したっていう怪しげな新興宗教……アストル教だっけ? あれと同じよ! 人間が勝手に作ったアストルなんて神様が実在しないのと同じで、ドワーフが勝手に崇めてるトールなんて神様も、神々の名簿のどこにも載ってないわよ〜」
「そ、そんな馬鹿な……! 我らドワーフは何百年もの間、存在しない幻を拝んできたというのか……!?」
先祖代々の信仰を根底からへし折られたガイルは、魂が抜け出たような顔でガタガタと震え出した。
カロンも内心で(なるほど、宗教の神話体系と天界の実際の神格は必ずしも一致しないということか)と工学者的に納得していた。しかし、目の前でアイデンティティを喪失しかけている父親を放置するわけにはいかない。
「ま、まあ待ちなさいよ、お父さん! トールはいなくても、『トーラ』ならいるわよ! 大地の神の!」
メリスが思い出したように手を叩いた。
「トーラ様……?」
ガイルがすがるように顔を上げる。
カロンも助け舟を出すように口を開いた。
「父さん、発音が少し訛って伝わっていただけかもしれませんよ。『トール』ではなく、これからは『トーラ様』を崇拝する……ということで手を打つのはどうでしょう?」
「あ、ああ……はぁー……」
ガイルは頭を抱え、重苦しい特大のため息を吐き出した。ドワーフの歴史を揺るがす事実を前に、思考が完全にショートしていた。
カロンはメリスに向き直り、問いかけた。
「ところでメリス様、そのトーラ様というのは、一体どんな神様なのですか?」
メリスは少し嫌そうな顔をして肩をすくめた。
「そうねぇ……男の神様で、とにかく『大地』を熱烈に愛している神ね。鉱物とか、岩石とか、土壌の地層とか、農業の土作りなんかが彼の専門分野よ。……でもね、あいつ、とにかく真面目すぎて頭がガッチガチに硬いのよ! 冗談は一切通じないし、ルールにうるさいし、天界の会議でも理屈ばかりこねててすっごく退屈な男なんだから!」
「なるほど、鉱物と岩石を司る実直な大地の神……。まさにドワーフの守り神として完璧な属性ではありませんか」
カロンが頷くと、ガイルは両手で顔を覆って唸り声を上げた。
「衝撃的すぎる……。鉱物と大地を愛する神が実在し、その本名がトーラ様だったとは……。お、俺はガロニアへ戻って、バログ大親方や長老たちになんて説明すればいいんだ!? 『先祖伝来のトール様はいませんでした、これからはトーラ様と呼んでください』なんて言ったら、頭がおかしくなったと叩き出されちまうぞ……!」
お酒の買い付けの商談どころか、民族の存亡に関わる神学的危機に直面し、完全にパニックに陥るガイル。
その取り乱しぶりを見たメリスは、つまらなそうにため息をつき、腰に手を当てた。
「もうっ! 男のくせにウジウジ悩んで面倒くさいわね! そこまで言うなら、今すぐ本物のトーラをここに呼んできてあげるわよ!」
「えっ!?」
カロンとガイルが同時に声を上げた瞬間――
シュンッ。
メリスの姿が、空気の揺らぎとともに学長室から一瞬で掻き消えた。
「消えた……!?」
ガイルが目を丸くして立ち上がった、まさにその次の刹那。
フッ……。
学長室の中央に目も眩むような黄金と褐色の神聖光が満ち、空間が歪んだ。
光が収まった時――そこには、再び現れたメリスの隣に、もう一つの圧倒的な人影が並び立っていた。
「連れてきたわよ! こちらがトーラよ!」
メリスが得意げに紹介する。
「……我を呼び出すとは、一体何の騒ぎだ、メリス」
地鳴りのような重低音が、二十階建てタワーの窓ガラスをビリビリと震わせた。
そこに立っていたのは、神話の英雄ヘラクレスを彷彿とさせる、途方もない威容を誇る神であった。
身長は優に二メートルを超え、浅黒く日焼けした肌には、鋼鉄のワイヤーを束ねたような筋骨隆々の筋肉が盛り上がっている。古代ギリシャの戦士のような白と茶のトーガをまとい、その太い腕には金剛石やミスリルの原石が埋め込まれた重厚な腕輪が光っていた。
角ばった精悍な顎髭を蓄え、琥珀色に輝く双眸には、何億年もの歳月を見つめ続けてきた大地の静謐と威厳が宿っている。
立っているだけで、部屋全体の重力が二倍になったかのような凄まじい大地のプレッシャー。
「トーラだ」
その男神は腕を組み、短く名乗った。
「……………………」
ガイルは完全に言葉を失い、喉からヒッ、ヒッと細い息を漏らすだけで、床にへたり込みそうになっていた。
鍛冶師として、金属と鉱物を愛する者として、目の前に立つ存在が「大地の頂点に君臨する本物の神」であることを、本能が完全に理解してしまったのだ。
トーラ神は琥珀色の瞳を巡らせ、部屋の隅に縮こまるガイルを見下ろした。
その厳格な眉が、わずかに和らぐ。
「……ほう。ドワーフ族か。よく知っておるぞ。地下を掘り進み、鉱石を愛し、鉄を打つ者たちだな。紛れもなく、我の愛しき地上の眷属たちだ」
「ひっ……! は、ははーっ……!!」
ガイルは弾かれたように床に平伏し、絨毯に額を擦り付けた。
「お、大地の神様……! いや、トーラ様! ご無礼をばお許しくださいまし! 我ら愚かなドワーフ族、長きにわたり御神名を『トール』などと間違えてお呼びしておりまして……! 何たる不敬、何たる無知! どうか、どうか一族に神罰を下されますな……!」
ガイルが必死に許しを請うと、トーラ神は豪快に胸板を震わせて笑い声を上げた。
「ハハハハッ! 何を怯えておるのだ、我が愛しき子よ。面を上げよ」
トーラ神は屈み込み、分厚い岩のような手でガイルの肩をポンと優しく叩いた。
「知っておる。其方たちが我のことを『トール』と呼んで敬っておることは、天界の祭壇を通じて疾刻知っておったわ。太古の昔、地上に遣わした我の使徒の名がトールであったゆえ、混同して伝わったのであろう。……気にするな。其方たちドワーフ族に限っては、親愛を込めて今まで通り『トール』と呼んでも構わぬぞ」
「おお……っ! トール様……!!」
何という度量の広さ。何という慈悲の深さ。
ガイルは感極まって大粒の涙を床にボロボロとこぼし、震える声で誓いを立てた。
「あ、ありがとうございます……! 我らドワーフ族、これからも大地を敬い、岩を砕き、命の限り最高の鉄を打ち続けることを、トール様に……いや、トーラ様に誓いまする……!!」
ガイルの熱烈な忠誠の祈りを聞き届け、トーラ神は満足そうに頷いた。
「うむ。そんなに硬くならずともよい。我は大地と鉱物を愛する者が好きだ。これからも其方たちドワーフ族の歩みは、我が温かく見守っておるぞ」
そしてトーラ神は視線を転じ、デスクの脇に立っていたカロンへと向けた。
その厳格な瞳が、カロンの全身に宿る魔力と知識の奔流を見透かすように細められる。
「……そして、カロンよ」
「は、はい」
カロンが姿勢を正すと、トーラ神は髭を撫でながらフッと口元を緩めた。
「其方の造ったこの二十階の塔、そして外に広がる街区……見事なものだな。大地の恵みであるセメントと砂利、そして鉄を見事に調和させ、揺るぎなき巨塔へと昇華させておる。工学とやら、実に素晴らしい大地の応用だ」
「お褒めに預かり光栄です、トーラ様」
「うむ、其方のことも共に見守っておるぞ。……もっとも」
トーラ神は隣でリンゴの皮を爪先で弄んでいるメリスを一瞥し、苦笑いを浮かべて言葉を継いだ。
「其方はドワーフの肉体を持ちながら、その魂の縁からすれば――メリスの眷属と言ってもよいかもしれぬな」
その瞬間。
メリスがパァァァッ!と満面の笑顔を咲かせ、両手を腰に当てて飛び上がった。
「聞いた!? ねえカロン、今の聞いたでしょ!? あの堅物トーラが認めたのよ! アンタは私の眷属! 正真正銘、私の直属の使徒なのよ〜!! ふふん、どうだ参ったか〜!」
メリスはこれ見よがしにカロンの周りをスキップしながら、得意満面のドヤ顔を炸裂させた。
カロンは深々と天を仰ぎ、この日一番の長い、長いため息をついた。
(……やれやれ。大地の神に直々に『メリスの眷属』とお墨付きを与えられてしまうとは……。ということは、私はこれからもずっと、このトラブルメーカーな駄女神の面倒を見続けねばならないということか……)
前世の優秀なエンジニアとしての頭脳が、今後降りかかるであろう無数の面倒事の確率を高速で弾き出し、カロンの胃をシクシクと痛めつけていた。
「では、我が眷属たちよ。励むがよい。其方たちの打ち鳴らす槌の音、天界より楽しみに聞いておるぞ」
トーラ神は温かな光の粒子となり、大地の神気をふわりと残しながら、静かに虚空へと消え去っていった。
学長室に再び静寂が戻る。
……いや、完全な静寂ではなかった。
「あはは〜! そういうことだからカロン! あいつ公認なんだから、これからもちゃ〜んと私の美味しいご飯とベッドの面倒を見てよね! 今夜はステーキが良いな〜!」
隣には、神聖な気配など微塵も残さずに、満面の笑顔で夜の献立を要求してくる金髪の駄女神が、バッチリと居残っていたのである。
カロンは力なく項垂れ、こめかみを押さえた。
「……やっぱり、こうなるのか」
そんな息子の哀れな姿を見つめていたガイルが、床から立ち上がり、埃を払った。
先ほどまでの神話の崩壊と再構築による激しい精神的ショックから立ち直った父親は、カロンの隣へ静かに歩み寄り、その肩にポンと温かい手を置いた。
その瞳には、かつて見たことがないほどの深すぎる同情と憐憫の光が湛えられていた。
「……カロン」
「……何ですか、父さん」
「お前……大変なんだな」
「…………ええ、胃が痛いです」
ガイルは深く深く頷き、力強くカロンの背中を叩いた。
「祖神トール様……いや、トーラ様に直接お会いできたのはドワーフ族最大の誉れだが……お前のその、神様のお守り役の苦労を思うと……父さん、涙が出てくるぜ。今夜はガロニアの酒場を貸し切ってお前のために祈ってやるからな」
「できれば祈るだけでなく、ガロニアから胃薬の原料となる薬草を大量に送ってください……」
カロンの切実な懇願に、ガイルは「任せとけ、一番苦い特効薬を送ってやる」と苦笑いを浮かべるのであった。
こうして、ガロニアのワイン買い付け交渉から始まった予期せぬ神々の降臨劇は、ドワーフの神話の真実の解明と、カロンの「駄女神の保護者」としての地位の完全確定という、奇妙で温かな結末を迎えた。
窓の外では、今日も路面電車が軽快な鐘の音を響かせ、新工房区からは職人たちの力強い槌音が天へと響き渡っていた。
神に見守られ、駄女神に振り回されながらも、カロンが築き上げる工学の都は、今日も力強く前進を続けていくのであった。




