第28章:意図せぬ昇格と新たな資産
第28章:意図せぬ昇格と新たな資産
昨日の激闘から一夜が明け、澄み渡る朝の光が町の石畳を優しく照らしていた。
自慢の電気温水器で沸かした朝風呂を浴び、心身ともに完璧にリフレッシュしたカロンは、作業着に袖を通して東門へと向かった。
目的は、昨日洞窟で回収し、自身の空間収納に保管したままになっている大量のオークの死骸と、討伐したオークキングの処遇について、ガース隊長たちと相談するためだった。正規の討伐隊として同行した以上、戦利品の分配を行うのが筋である。
東門の広場に近づくと、昨日の詰所改修でピカピカになった建物の前で、ガース隊長をはじめとする非番の警備兵たちが勢揃いしていた。カロンの姿を認めるやいなや、彼らは一斉に破顔し、割れんばかりの拍手と歓声で出迎えてくれた。
「おお! カロン殿! お待ちしておりましたぞ!」
「昨日は本当にありがとうございました!」
「カロンさん、最高にかっこよかったです!」
兵士たちが口々に感謝を叫び、ガース隊長が包帯の巻かれた腹部を気にしながらも力強く歩み寄ってきた。昨日の重傷が嘘のように、顔色は極めて良好だった。
「隊長、傷の具合はどうですか? あまり無理をしてはいけませんよ」
「カロン殿の神がかり的な治癒魔法のおかげで、痛みはすっかり引いたよ。それより……今日ここへ来られたのは、昨日のオークどもの件だな?」
「ええ。私の空間収納に入ったままのオーク十数体と、オークキングの巨体です。警備隊の皆さんで山分けにするか、町の防衛戦果として納めていただこうと思いましてね」
カロンがそう切り出すと、ガース隊長は大きく首を横に振った。
「とんでもない! 昨日の戦い、我々はただの露払いで、オークキングの討伐もガストンの無力化も、すべてカロン殿お一人の力によるものだ。その獲物は、すべてカロン殿がそのまま受け取ってくれ!」
「しかし、皆さんにも危険な現場へ同行していただいたわけですし……」
「いやいや! 命を救ってもらった上に、奪われた商会の物資と金貨も無事に戻ったのだ。我々警備隊には領主様から正規の特別手当が出る手はずになっておる。それに……オークキングの素材ともなれば、冒険者ギルドに持ち込めば目玉が飛び出るような大金になるぞ。職人としてのカロン殿の研究費や、あの教会の子供たちのために役立ててくだされ」
他の兵士たちも「そうです、カロンさんが受け取るべきです!」「俺たちの分まで稼いできてください!」と笑顔で頷いている。
彼らの実直で温かい好意を無下にするわけにもいかず、カロンは「……分かりました。ありがたく頂戴します」と頭を下げた。
東門を後にしたカロンは、中央通りを抜け、剣と盾の紋章が掲げられた冒険者ギルドへと向かった。先日、解体場に大型冷蔵庫を設置したばかりの場所である。
重厚な両開き扉を押して中に入ると、朝のギルド内は多くの冒険者たちでごった返していた。
屈強な大男や身軽そうな斥候、ローブをまとった魔導士たちが、壁一面に設置された巨大な掲示板の前に群がり、貼られた羊皮紙の依頼書を真剣な眼差しで吟味している。
「おい、東の街道のウルフ討伐、誰か組まねえか?」
「西の鉱山での薬草採取、報酬が上がってるぞ!」
飛び交う怒号や相談の声を耳にしながら、カロンはふと懐かしい既視感を覚えた。
(……ふむ。こうして大勢が掲示板に群がって真剣に眺めている姿は、一昔前の大学の掲示板を思い出すな)
前世の中山教授の時代、講義の休講情報や試験日程、ゼミの募集要項などが張り出された掲示板の前に、学生たちが我先にと押し寄せていた光景。デジタル化が進む前のあの独特の熱気と喧騒が、この異世界のギルドの風景とどこか重なり、カロンの口元に自然と苦笑が浮かんだ。
物思いに耽りつつ、カロンは総合受付のカウンターへと歩み寄った。
対応してくれたのは、以前ショールームの案内でも見かけたことのある、愛想の良い若い女性受付嬢だった。
「いらっしゃいませ! 本日はどのようなご用件でしょうか?」
「昨日、森で討伐した獲物の買い取りをお願いしたくてね。オーク数体と……オークキングの一体なんだが」
「はい、オークの買い取りですね――えっ!? オ、オークキング……ですか!?」
受付嬢の声が裏返り、周囲にいた数名の冒険者が一斉にこちらを振り返った。
受付嬢は慌てて書類を整えると、青ざめた顔で立ち上がった。
「し、少々お待ちください! カロン様、奥の部屋へご案内いたします!」
案内されたのは、ギルドの最奥にある重厚な扉の部屋――ギルドマスターの執務室だった。
部屋の中では、以前電化工事の際に大型冷蔵庫を熱望した歴戦の巨漢、ギルド長のギルバートが、書類の山と格闘していた。
「おう、カロン殿! 受付から聞いたぞ、オークキングを仕留めたというのは本当か!?」
「ええ。昨日の街道襲撃の元凶だった個体です。ここに現物を出しても構いませんか?」
「おお、頼む!」
カロンが執務室の空いたスペースに手をかざし、空間収納を発動させた。
ズンッ……!
床を揺らす重い地響きとともに、身の丈三メートルを超える漆黒のオークキングの巨体が姿を現した。巨大な筋肉、鋭い牙、そしてカロンのゴーレムによって粉砕された頭部の痕跡が、生々しい威圧感を放っている。
ギルバートは立ち上がり、傷跡だらけの顔を近づけて隈なく検分した。
「……見事なものだ。頭部の一撃以外に素材を傷つける余計な損壊がほとんどねえ。魔石も角も無傷だ。これは……とんでもない極上品だぞ」
ギルバートは深く息を吐き、机の引き出しから一枚の眩い金属製のプレートを取り出した。そこにはカロンの名前と、大きく『B』の文字が刻印されていた。
「はいよ、カロン殿。あんたの冒険者登録証だ」
ギルバートが平然とプレートを差し出してくる。
カロンは目を丸くしてプレートを見つめた。
「……ん? ギルバートさん、私は冒険者になろうとは思わんのだが」
そもそも前世は大学教授であり、現世でも魔導工学者・職人として生きるつもりである。危険な依頼を受けて魔物を狩る冒険者稼業に身を投じる意志は毛頭なかった。
しかし、ギルバートは太い腕を組み、ニヤリと笑って首を横に振った。
「そうは言ってもな、カロン殿。こいつは単独で一小隊を壊滅させる『Aランク指定』の凶悪な魔物だ。それを単独で仕留めた実力者を無登録の一般人として放置できるわけがねえ。ギルドの規定上、本来なら特級の功績だが……あんたの実績が初討伐ってことで、特例として『Bランク』からの登録とさせてもらう。CランクやFランクじゃ、この功績と釣り合わねえからな!」
「いや、ですから私は職人でして……」
「いいじゃねえか! Bランク証を持っていれば、他国の検問も顔パス、ギルドの卸値で希少鉱石や素材も仕入れ放題だ。職人にとっても得しかないぞ! ほら、指紋を登録して受け取りな!」
ギルバートの豪快すぎる押しに抗いきれず、カロンは半ば不可抗力のように指先を魔導プレートに触れさせ、正式に「Bランク冒険者・カロン」として登録されてしまった。
(やれやれ……工学者のはずが、なぜか一流冒険者の仲間入りをしてしまうとは……)
カロンは手元の銀色に輝くプレートを見つめ、心の中で深い溜息を漏らした。
執務室を出た後、カロンはギルドの裏手にある広大な解体場へと案内された。
先日据え付けた大型冷蔵庫が快調に唸りを上げているその場所で、カロンは空間収納に残っていた十数体の通常オークと、先ほどのオークキングの巨体をすべて搬出した。
解体場の職人たちが歓声を上げて群がり、手際よく解体作業の準備を始める。
その様子を眺めていたカロンは、解体職人たちが何度も裏庭の井戸まで桶を持って往復し、重そうに水を運んでいる姿に目を留めた。
「ギルバートさん、解体作業には大量の水が必要なようですね」
「ああ。血抜きや内臓の洗浄、床の清掃で一日中井戸と往復さ。腰が痛くてたまらんよ」
「……よし、ついでです。昨日アパートで試作したポンプと給水システムを、ここにも導入しましょう」
カロンの職人魂が再び点火した。
空間収納から予備の電動ポンプと給水配管、真鍮の蛇口を取り出し、すぐさま作業に取り掛かる。
ギルドの裏庭にある大井戸に自動加圧式電動ポンプを据え付け、ギルド建屋の配電盤から動力を接続。耐圧配管を壁沿いに解体場へと引き込み、解体台のすぐ脇と床清掃用の二箇所に頑丈な蛇口を新設した。
「作業完了です。レバーを捻ってみてください」
ギルバートが恐る恐るレバーを回すと、勢いよく清らかな地下水がドッと噴き出した。
「うおおおっ!? 解体場で直接水が出るぞ!」
「水汲みに行かなくていいのか!? 神かよ……!」
解体職人たちが歓喜の声を上げて抱き合い、ギルバートもカロンの肩を力強く叩いて絶賛した。
すべての手続きと査定が完了し、事務所に戻ったカロンの前に差し出されたのは、ずっしりと重い複数の麻袋だった。中身は眩い光を放つ金貨の山である。
「オークキングの希少魔石と素材一式の買い取り代金、群れのオークたちの報奨金、それに今回の解体場への水道・ポンプ設置工事の特注施工費……諸々合わせて、金貨三千枚だ!」
「さ、三千枚……!?」
カロンは思わず目を疑った。
一般的な庶民の家庭なら、金貨数十枚で数年間は贅沢に暮らせる世界である。金貨三千枚といえば、貴族の邸宅が建つほどの天文学的な巨額であった。
「あんたの働きに見合った正当な対価だ。遠慮なく受け取ってくれ!」
カロンは苦笑しながら、その莫大な財産を丸ごと空間収納へと収めた。
ギルドを出たカロンは、その足で再びゲオルの商会へと向かった。
午前中に得た金貨に加えて、予期せぬ金貨三千枚という巨額の資金を手に入れたため、ある手続きを進めるためである。
商会の執務室でゲオルと向かい合うと、カロンは切り出した。
「ゲオルさん。現在私が借りて住んでいるあのアパートの家賃について、今後の支払いをまとめて済ませておきたいのですが」
すると、ゲオルは帳簿をめくりながら顎に手を当て、思いがけない提案を持ちかけてきた。
「おお、カロン殿。実はあのアパートですが……持ち主である家主が高齢で引退を考えておりましてな。一階の食堂部分も含めて、建物と敷地丸ごと買い取ってくれる買い手を探していたところなのです。……もしよろしければ、カロン殿、いっそ建物ごと敷地を買い取ってしまわれませんか?」
「え? 私がアパートを?」
「左様でございます。カロン殿の手で厨房は最新鋭に生まれ変わり、水道まで引かれたあの物件は、今や町で最も価値の高い優良物件です。他人に渡すより、カロン殿ご自身が所有された方が、今後の研究や増改築も自由に行えますぞ。土地と建物の権利一式、一階の食堂の営業権込みで……金貨五百枚でいかがでしょう?」
カロンは少し考えた。
手元には今受け取ったばかりの金貨三千枚がある。研究拠点として、そして何より親切にしてくれる食堂の女将さんたちの生活拠点を守るためにも、自分がオーナーになっておくのは極めて合理的だった。
「分かりました。その条件で買い取りましょう」
その場で売買契約書にサインが交わされ、代金が支払われた。
こうしてカロンは、冒険者ギルドでの成り行きBランク登録に続き、今度は成り行きで「アパートと食堂の一棟丸ごとのオーナー(大家)」になってしまったのである。
商会での手続きを終えたカロンは、夕暮れが近づく町を歩き、日課であるメリス教の教会へと向かった。
手に入れた技術と設備は、当然ながらこの学び舎にも還元するつもりだった。
教会に到着すると、カロンは授業の前の時間を使って、教会の裏庭にある井戸へと向かった。
新設された広い教室と礼拝堂、そして神父たちの生活スペースのために、ここにも電動ポンプを据え付け、給水配管を通して手洗い場と厨房に真鍮の蛇口を設置した。
「神父様、これで子供たちが手を洗うのも、炊き出しの水を用意するのも格段に楽になりますよ」
「おお……! 蛇口から清らかな水が……! カロン先生、何から何まで本当にありがとうございます……!」
老神父が感涙する中、鐘の音が響き、本日の授業が始まった。
新しく広くなった教室には、今日もカイとミミル、孤児たち、貧困区の子供たちが満員御礼で席についていた。天井の明るい電灯の下、子供たちは新品のノートを開いてカロンを見つめている。
カロンは教壇に立ち、チョークを手に取った。
「みんな、こんばんは。さっき裏庭の井戸に、蛇口を捻るだけで水が出る『電動ポンプ』を取り付けたのを見たかな?」
「見たよ! すっごい勢いで水が出てた!」
カイが元気に手を挙げる。
「よし。今日の理科の授業は、あの『ポンプの仕組みと大気圧の原理』について勉強しよう!」
カロンは黒板に大きな井戸とパイプの断面図を描き始めた。
「まず、みんながストローでジュースを吸う時を思い出してごらん。口で空気を吸い出すと、ストローの中の空気が減るね。すると、周りの空気――『大気の重さ(大気圧)』が水面を押し下げて、水が上に押し上げられるんだ。ポンプも同じ原理を使っている」
カロンはさらに、内部のインペラ(羽根車)の回転による遠心力、シリンダーとピストンの往復運動、逆止弁が水の逆流を防ぐメカニズムを、身振り手振りを交えて分かりやすく解説していった。
「魔法で水を出すのは簡単かもしれない。けれど、こうして自然の法則や物理の仕組みを理解して機械を作れば、魔法を使えない人でも、誰でも安全に水を手に入れることができる。それが『工学』の力なんだよ」
子供たちは目を輝かせ、一心不乱にノートへピストンの図や矢印を描き込んでいた。
知識が世界を変える。その確信が、幼い子供たちの心に深く根付いていくのを感じ、カロンは温かい満足感に包まれた。
授業を終え、子供たちを笑顔で見送った後、カロンは夕闇に包まれた町を歩き、自分がオーナーとなったアパートへと戻ってきた。
一階の食堂の扉を開けると、リノベーションされたかまどの心地よい熱気と、香ばしい焼き魚とハーブの香りが漂っていた。
「いらっしゃい、カロンさん! ……あ、ううん!」
カウンターの奥から顔を出した女将さんが、満面の笑みを浮かべ、少し改まった様子で深々と頭を下げた。
「いらっしゃいませ、大家さん!」
「あはは……ゲオルさんからもう話を聞いたんですね」
カロンが苦笑いしながらカウンター席に腰掛けると、女将さんと娘が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「夕方、ゲオルさんが権利証を持って挨拶に来てくれたよ! 前の大家さんが急にいなくなるって聞いて不安だったんだけど、まさかカロンさんが丸ごと買い取ってくれるなんてねえ! これで私たちも安心してここで店を続けられるよ。本当にありがとうね、大家さん!」
「いえいえ、私もこの食堂の料理が食べられなくなったら困りますからね。家賃も今まで通りで構いませんし、これからも美味しいご飯を作ってください」
「もちろんさ! 大家さんには一生、腕によりをかけた最高の料理を出すよ!」
女将さんが運んできてくれたのは、新設された水道で丁寧に下処理され、新型オーブンで皮目をパリッと香ばしく焼き上げられた肉厚の川魚のハーブローストと、蒸したての温野菜、そして具沢山の豆スープだった。
「いただきます」
フォークで白身をほぐし、口へと運ぶ。
ふっくらとジューシーな魚の甘みと香草の香りが口いっぱいに広がり、冷えたエールが心地よく喉を潤す。
「美味い……! 今日も最高ですね、女将さん」
「ふふっ、水道のおかげで仕込みが楽になった分、焼き加減に集中できるからね!」
美味しい食事を綺麗に平らげ、女将さんたちの温かい見送りを受けて二階の自室へと上がった。
部屋の鍵を開け、ランプを灯す。
静まり返った自室の浴室へ向かい、蛇口を捻って完璧な四十一・五度のお湯をバスタブにたっぷりと張る。
服を脱ぎ、湯船へと体を滑り込ませた。
「――はぁぁぁぁ……っ」
心地よい湯気が立ち込める中、全身の筋肉の芯まで温もりが染み渡っていく。
朝の東門での歓迎、ギルドでの意図せぬBランク登録、解体場の水道工事と金貨三千枚の報酬、アパート丸ごとの購入、そして教会でのポンプの講義。
目まぐるしく変化する日々の中で、自らの工学知識と魔導の力が、町の人々の暮らしを確実に豊かにし、自分自身の確固たる生活基盤を築き上げている。
(Bランク冒険者にして、アパートの大家か……。中山教授だった頃には想像もつかなかった人生だが、悪くないな)
カロンは湯船の縁に頭を預け、至福のため息を漏らしながら、穏やかな夜の静寂の中で心地よい眠気へと身を委ねていった。




