第18章:水底の怪獣と雷光の覚醒
第18章:水底の怪獣と雷光の覚醒
朝靄の立ち込めるライネス川の河原。
ゲオル商会が周囲一帯に厳重な私兵の警備網を敷いてくれたおかげで、現場には邪魔者の一人も近寄る気配はなく、川のせせらぎだけが静かに響き渡っていた。
「よし……上流の取水アーチからタービンハウスへと繋がる圧力暗渠の内壁補強を、午前中に終わらせてしまおう」
カロン(中山実)は、頑丈な作業服の袖をまくり上げ、昨日成形した直径三メートルの巨大な導水トンネルの内部へと足を踏み入れた。
今回扱うのは、毎秒数十立方メートルもの高圧水流である。管壁に微細な巣(内部空洞)やクラックが存在すれば、長年の水撃作用によって岩盤が疲労破壊を起こし、最悪の場合は発電所全体が水没しかねない。
「――【構造鑑定・音響断層走査】」
カロンが暗渠の内壁に手を当てると、マナの超音波パルスが岩盤の深部まで浸透し、応力集中部位が三次元グリッドとして脳裏に浮かび上がる。
「やはり、川底直下の継ぎ目にわずかなせん断応力が残っているな。――【元素魔法・合成】」
カロンの指先から、目映い青白い光が溢れ出す。
岩盤に含まれるシリカと酸化アルミニウムを瞬時に再結晶化させ、さらに【抽出】によって周囲の砂利から高密度の炭化ケイ素(ファインセラミックス相当)の結晶層を生成。内壁の表面に、厚さ五センチの完全な無気孔・超硬質耐摩耗コーティングを一体成形していった。
これで、流砂による摩耗にも数百年耐えうる永久暗渠が完成する。
カロンが満足げに頷き、暗渠の外へと這い出た――その瞬間だった。
――ザワリ。
川面を渡る風の匂いが、一瞬にして変わった。
清涼だった水の香りに、鼻腔を突く強烈な泥臭さと、腐敗した魚の内臓のような生臭い悪臭が混ざり合う。
ゴボッ……ゴボボボボボッ!!
川の中央、水深四メートルの深みから、ドラム缶ほどの巨大な気泡が次々と浮上し、水面が沸騰したかのように激しく波打ち始めた。
「……っ?! 水底のガス噴出か? いや、違う……この質量反応は……!」
カロンが咄嗟に身構えた刹那、水面が爆発した。
ドッパァァァァァァァンッッ!!!!
水飛沫が十メートル以上の高さまで吹き上がり、河原の上に巨大な影が躍り出た。
「ギシャアアアアアアアアッッッ!!!!」
鼓膜を激震させる、地鳴りのような怪異の咆哮。
水煙の向こうから這い上がってきたのは、全長十五メートルを優に超える、規格外の超巨大水生生物――『メガロ・アビス・サラマンダー(深淵大山椒魚)』だった。
青黒くぬめり光る分厚い皮膚は、岩石のように硬化した無数の角質突起で覆われ、丸太のような太い四肢には鋼鉄をもしならせる鋭利な爪が生えている。
車のボンネットほどもある巨大な頭部には、濁った黄色の複眼がギラリと光り、巨大な口からは毒素を含む白濁した粘液がボタボタと滴り落ちていた。
(……災害級の魔獣! 大河の深淵に潜んでいた主か?! 昨日の土木魔法の振動で目を覚まし、縄張りを荒らされたと思って上がってきたのか……!)
カロンの思考回路が、瞬時に戦闘モードへと切り替わる。
知力102の頭脳が、怪物の外骨格、筋肉繊維、マナの流動経路をミリ秒単位でスキャンしていく。
『対象:メガロ・アビス・サラマンダー(水・土複合属性・災害級個体)』
『特性:高密度粘液による物理打撃分散・対魔法装甲。皮膚表面に炭酸カルシウムとキチン質の複合装甲板を形成。心臓部に高純度水魔石を保有』
『推定脅威度:一小隊の騎士団が壊滅するレベル』
「ギシャッ!!」
サラマンダーが巨躯をくねらせ、鉄柱のような太い尾を水平に薙ぎ払ってきた。
空気を切り裂く轟音とともに、数十個の巨岩が破片となって弾け飛ぶ!
「――【土魔法・ロックボルト】!」
カロンは足元の土壌を瞬間的に硬化・反発させ、スプリングのように後方十メートルへと跳躍。
サラマンダーの尾撃が、直前までカロンのいた岩盤を木っ端微塵に粉砕した。
(通常の火魔法や風魔法の刃では、あの分厚い粘液層と複合装甲に減衰されて致命傷を与えられない……。ならば、物理学の極限をぶち込むまでだ!)
「グルルルルァッ!」
標的を取り逃がしたサラマンダーが、大きく顎門を開いた。
喉奥の水魔石が青白く輝き、超高圧の水流ブレス――鉄板をも断ち切る『ウォーター・カッターキャノン』が充填されていく。
「撃たせるか! 第一フェーズ――【電磁誘導・高周波励起】!」
カロンは両手を突き出し、サラマンダーの頭部の周囲の空間に、目に見えない強力な交番磁場を展開した。
怪獣の皮膚を覆う水分とミネラル粘液に、毎秒数万サイクルの高周波渦電流が直接誘導される!
ジュウウウウウウッッ!!
「ギャオォォッ?!」
サラマンダーの表面を覆っていた防御粘液が一瞬にして沸騰・蒸発し、自慢の対魔法コーティングが白い水蒸気となって吹き飛んだ。無防備な生身の装甲板が剥き出しになる。
「第二フェーズ――【熱線放射・プラズマ収束ビーム】!」
カロンの右手から放たれたのは、数千度の超高温プラズマの束。
レーザーのように細く絞り込まれた熱線が、サラマンダーの口内に溜まっていた高圧水流ブレスの噴射孔へと、寸分の狂いもなく直撃した。
――チュドォォォォォンッ!!
ブレスの圧縮水蒸気爆発が怪物の口腔内で暴発。
口から黒煙を噴き出し、サラマンダーが激痛に身悶えして仰け反った。
「トドメだ……! 第三フェーズ――【サンダーボルト・最大出力・接地放電】!!」
カロンは左手を天に掲げ、右手の指先をサラマンダーの剥き出しの脳天へと向けた。
大気中のマナが青紫色の火花となって収束し、一条の巨大な雷柱となって怪獣の頭頂部を直撃した。
――バリバリバリバリッ……ドガァァァァァァァンッッ!!!!
雷光の直撃を受けたサラマンダーの巨体が、ビクビクと激しく痙攣する。
数万ボルトの超高圧電流が、濡れた巨体の神経系と心臓部の水魔石を一瞬で焼き尽くし、体内から青白い閃光を放ちながらショートさせた。
「…………ギ……」
断末魔の呻きとともに、十五メートルの怪獣の巨体がドサリと河原に倒れ伏し、二度と動かなくなった。
戦闘開始から、わずか二十秒。
河原には、焦げ付いたオゾンの匂いと、静かな川のせせらぎだけが戻っていた。
「ハァ……ハァ……。さすがに硬かったな。だが、電磁誘導で粘液を飛ばしてから雷を流し込むプロセスは完璧だった」
カロンが息を整え、魔力の残量を確認していた、その時だった。
「お、おい! 今の轟音は何だ?!」
「川の方から雷が落ちたような音がしたぞ!」
ルーセンの北城門の詰所から、槍と剣を構えた四名の帝国警備兵が、血相を変えて土手を駆け下りてきた。
そして――彼らは河原に横たわる全長十五メートルのメガロサラマンダーの巨体と、その傍らに平然と立つ九歳のドワーフの少年を見て、石のように硬直した。
「な……ッ?!」
「こ、これは……ライネス川の深淵に棲むと言われる、災害級の怪獣『深淵大山椒魚』じゃないか……?! な、なんでこんな化け物が陸に上がって……しかも、頭を丸焦げにされて死んでいるんだ……?!」
隊長らしき恰幅の良い兵士が、ガチガチと歯を鳴らしながらカロンを見下ろした。
「ぼ、坊ず……お前、ここで何があった?! まさか……お前が一人でこの怪物を仕留めたとでも言うのか……?!」
「え……あ、いや、それはですね……」
カロンは返答に窮した。
ここで「はい、魔法で瞬殺しました」と言えば、一昨日の侯爵邸での暗殺阻止に続き、ドワーフの少年が超絶的な軍事戦闘力を持っていることが街中に知れ渡ってしまう。それは目立ちたくないカロンの本意ではなかった。
その緊迫した空気を切り裂くように、軽快な馬車の蹄の音が響いた。
「――そこまでですわ、警備兵の皆様」
土手を滑り降りてきたのは、ゲオル商会の紋章を掲げた馬車だった。
扉が開き、深緑のドレスを翻したゲオル会頭が、凛とした足取りで歩み出てきた。
「ゲ、ゲオル会頭……! これは一体どういう状況で……?!」
ゲオルは冷徹なビジネススマイルを崩さず、扇子で倒れた怪物を指し示した。
「見ての通りですわ。この水力発電所の建設現場を守るため、我がゲオル商会が秘密裏に雇用しております『特級冒険者の傭兵部隊』が、川から這い上がってきたこの魔獣を迎撃・討伐したのです。
傭兵たちは手柄を誇示することを好まず、討伐後にすぐさま次の任務へと去っていきました。このカロン親方様は、現場の被害状況を確認していただけに過ぎません」
「そ、そうだったのですか……! さすがはゲオル商会様、手配に抜かりがない……!」
警備兵たちは疑うこともなく納得し、敬礼して引き揚げていった。
巨大な怪物の死骸の処理も、商会の後続部隊が一括して引き受けるという話でまとまった。
兵士たちが土手を登り去っていくのを見届けた後、カロンはホッと胸を撫で下ろした。
「ふう……助かりました、ゲオル会頭。ナイスな言い訳でした」
すると、ゲオルはカロンの前にスッと歩み寄り、腰を屈めて耳元へと顔を近づけた。
香油の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「……ふふっ。親方様、『貸し、一つ』ですわよ?」
悪戯っぽく微笑む琥珀色の瞳。
カロンは苦笑いしながら肩をすくめるしかなかった。
ゲオルが後始末の指示を出すため馬車へ戻り、周囲に誰もいなくなったのを確認したカロンは、一人、河原でステータスウィンドウを展開した。
(災害級の魔獣を単独討伐したんだ。経験値(EXP)の蓄積はどうなっている……?)
――ピロリィィィンッ!
視界に、目映い黄金の光とともに、かつてない情報量の幾何学ウィンドウが跳ね上がった。
【レベルアップ!】
カロン(中山 実)
レベル:4 ────► レベル:7 (+3上昇!)
体力:31 ────► 38 (+7)
腕力:34 ────► 42 (+8)
守備力:25 ───► 32 (+7)
素早さ:12 ───► 15 (+3)
知力:102 ───► 122 (+20!)
魔力:42 ────► 56 (+14!)
精神力:36 ───► 50 (+14!)
【新スキル・派生魔法の獲得】
<火魔法>
・ファイヤーボール LV4
・トーチ
<水魔法>
・ウォータースプレー LV4
・アイスボール LV4
<雷魔法>
・サンダーボルト LV5
・サンダーストレージ LV1 (魔力電力の蓄電・バッテリー)
<風魔法>
・ウインドカッター LV4
・ストーム LV1 (広域気流制御・突風)
<土魔法>
・ロックボルト LV4
・ゴーレム LV1 (自律土木作業体の生成)
<光魔法>
・ヒール LV3
・ピュリファイ LV3
・キュアポイズン LV3
・キュアパラライズ LV1 (麻痺治療)
・ターンアンデッド LV1 (不浄退散)
<闇魔法>
・アナライズダーク LV3
<元素魔法>
・解析 LV4
・生成 LV4
・加工 LV5
・合成 LV3 (異種元素・分子の強制結合)
・抽出 LV3 (混合物からの単体元素分離)
<複合魔法>
・電磁誘導 LV2 (磁場と電流の直接励起)
・熱線放射 LV2 (プラズマビーム収束)
「……おお……ッ!」
カロンは自分の両手を握りしめ、全身を満たす凄まじい万能感に息を呑んだ。
レベルが一気に「7」へとジャンプアップし、知力は驚異の「122」に到達。
頭脳のクロック周波数はさらに加速し、周囲の空間に漂う分子の運動ベクトルや、川の流れの乱流方程式が、まるで視覚情報のようにリアルタイムで解けていく。
さらに、新たに習得したスキルのラインナップが凄まじかった。
(【サンダーストレージ】……魔力や電力を空間や物質にロスなく蓄電するバッテリー魔法か! これがあれば蓄電池の技術が一気に完成するぞ。
それに【ゴーレム】……自律型の土木作業体か。人手不足の工事現場で単純作業を任せるのに最適だ。
元素魔法の【加工】もレベル5に達したし、合成・抽出もレベル3に上がった……)
随分とまた新しい魔法を覚えたものだ。
カロンはニンマリと笑みを浮かべ、これらの新機能を追々テストしていくことを心に決めた。
「さて、素材の回収だ」
カロンは倒れているメガロサラマンダーの巨体に触れ、【無限収納】を発動させた。
十五メートルの巨体が音もなく亜空間へと吸い込まれていく。
心臓部の巨大な水魔石と、耐熱・耐水性に優れた高密度の皮や骨は、今後の発電所設備のシーリング材や特殊合金の触媒として極めて有用な最高級素材になるはずだ。
現場の片付けを終えたカロンは、この日の土木工事を早めに切り上げ、街へと戻った。
向かった先は、いつもの西の貧民街にあるメリス教の教会。
改修されて美しくなった礼拝堂で、待っていた子供たちとトーマス神父に、昨日の続きである「水圧とパスカルの原理」、そして「簡単なピストンの仕組み」を教えた。
レベルアップして知力と精神力が向上したカロンの講義は、より一層洗練され、子供たちはまるで冒険小説を読むかのように目を輝かせて工学の基礎を吸収していった。
夕暮れ時、子供たちに手を振って別れを告げ、カロンは自分のアパートへと帰還した。
一階の大衆食堂のドアを開けると、今日も香ばしいチーズとミートソースの焼ける匂いが充満していた。
「いらっしゃい、カロンの坊や! 今日も精が出たねぇ!」
看板娘が笑顔で迎えてくれる。
「こんばんは。今日の夕食をお願いします」
「今日はね、平たいパスタ生地と、刻んだ牛豚の挽肉を煮込んだ特製トマトソース、それに濃厚なホワイトソースとチーズを何層にも重ねて、オーブンでじっくり焼き上げた『重ね焼きパスタ(ラザニア風グラタン)』だよ! シャキシャキの緑葉サラダもついてるよ!」
「……それを一つお願いします!」
数分後、目の前に運ばれてきた耐熱陶器の皿には、表面のチーズがグツグツと黄金色の焦げ目を立てて泡立つ、熱々のラザニアが鎮座していた。
フォークを入れると、何層にも重なったモッチリとしたパスタ生地の間から、ジューシーな肉汁を含んだミートソースと、とろけるチーズが糸を引いて溢れ出してくる。
(……サクッ、トロッ、ジュワッ)
「……美味い!!」
濃厚なチーズのコクと、トマトの程よい酸味、牛肉の旨味が完璧なハーモニーを奏でる。
合間に食べる新鮮なレタスとハーブのサラダが、口の中の油分を爽やかにリセットしてくれる。
昼間の激戦で消費したエネルギーが、温かな極上の料理によって細胞の隅々まで満たされていくのを感じながら、カロンは無心で皿を綺麗に平らげた。
(現場で働き、子供たちに知恵を教え、美味い飯を食う……。これが日課になりつつあるな。悪くない生活だ)
食堂を後にしたカロンは、二階の自室へと戻り、魔法で沸かした特製木製風呂桶の湯に肩まで浸かった。
四十一・五度の熱い湯が、今日一日で戦い、働いた筋肉の疲労をじんわりと融解させていく。
「ふうぅぅ……極楽、極楽……」
湯船から上がり、ふかふかのベッドに潜り込むと、清潔なシーツの心地よい感触がカロンを包み込んだ。
瞼を閉じると、意識は滑らかに深い眠りの底へと沈んでいった。
夜明けまで、あの騒がしい駄女神の邪魔が入ることもなく、カロンは静かで安らかな休息を心ゆくまで堪能したのだった。




