それは魔法における最大の禁忌
部屋の端には古い木製テーブルが置かれている。
デリアがそこで熱心にメモを取っていた。
ベリアルはデリアの様子を覗きこむ。
(これが、『切断』の魔法式?)
メモには奇妙な記号と数字が並んでいた。
(そんなに、簡単じゃないか)
パパラパー!
頭の中でファンファーレが鳴り響いた。
同時に、ベリアルの視界の片隅に文字が踊った。
「『切断』の数式を獲得しました」
(え、まじで)
ベリアルはメモに描かれた数式を眺める。
記号から色が滲みだす。
シアン、マゼンダ、イエローそして、黒。
四つの色が広がって、魔ざり合う。
それは、やがて一枚の巨大な絵となってベリアルの視界を覆い尽くした。
(そんなバナナ)
目頭を押さえて強く目を瞑った。
左目から血が溢れて頬を伝った。
巨大な一本の黄色いバナナが、真ん中で二つに分断されている。
(これは、ゼロ除算!)
ゼロ除算。
それは魔法における最大の禁忌。
それは1=2を証明し、無限のエネルギーを汲み出すことを可能とする禁断の技術。
魔法を破壊し、友人関係を敵対関係に変換する。
家族を崩壊させ、やがて、世界を破綻に導く、禁断の呪法。
故に、魔界において、ゼロ除算には公には名前がない。
その性質を定義することすら重罪である。
(魔さか、こんなところで実装されているとはね)
ベリアルは下唇を強く噛みしめる。
その耳に、先々代魔王との会話が蘇る。
それは、ベリアルが五歳の誕生会のこと。
「おいでベリアル」
「なんでしょう、おばあさま」
「ベリアル、お前はこれからこの魔界を支配し、繁栄させなくてはならないよ」
「心得えておりますわ」
「お前は魔法が得意だったね」
「ええ。この間も、人間を煉獄の炎で炙ってやりましたのよ。おばあさまにも見せてあげたかったわ」
「それは頼もしいね。でもいいかい、ベリアル」
「なんでしょう」
「魔法には表と裏、その二つの顔があるのよ」
「そうなんですね」
「ベリアルが魔王としてより強く、より立派になるには、魔法の裏、つまり、悪いことも知らなくちゃあいけない。わかるかい?」
「はい、おばあさま」
「いいかい、これは誰にも言ってはいけないよ」
「それでは、おばあさまも、私に教えられないではないですか」
「……それは、私は魔王だからいいんだよ」
「ずるくないですか」
「魔王だからずるくないよ。理屈臭い子供だよ、全く。誰に似たんだろうね」
「おばあ様の孫ですから、仕方ありませんわ。それより、早く教えていただけませんか」
「は! 生意気な。欲しければ自分で、奪ってみせよ!」
「おお、あたぼうよ。表に出やがれ!」
ベリアルは右の頬を撫でた。
それは、祖母と孫との楽しい語らい。
先々代魔王の左ストレートを顔面で受けた後、無意識で放ったクロスカウンター。
そのパンチは祖母の顎を捕らえた。
そうして、ベリアルは、魔法の暗部、ゼロ除算を手に入れた。
祖母との思い出と共に大切に封印されている
(今考えると、トンデモねえばばぁだな)
ふいに蘇った記憶にベリアルは顔をしかめた。
(だけど『切断』の魔法式がこれだと言うなら……『切断』を元に戻す方法がない)
ベリアルは頭を抱えた。
髪を掻きむしりながら、実験室の中を歩き回る。
(この式が巧妙なのは、時間の連続性を保ったまま、空間の連続性をゼロ除算で破壊している点よね。空間の情報が消えるから元に戻せない)
ベリアルは歩くのを止め、デリアの姿をぼんやりと見つめた。
(でも、何となく、違和感がある。デリアのあの様子)
デリアは一心不乱にメモを取っている。
(本当にあなたが考えたの? ただ、書き写しているだけだけじゃないの?)
かちゃり。
同時に、ベリアルの視界に文字が現れる。
どこかで鍵が開いたようだ。




