地平点
「白い壁を騙す?」
ベリアルは深く頷く。
「目録管理室には出入り口がない」
「そういえば、さっきもなかったわね」
「でも、中には重要な情報がある。アンナならどうする?」
アンナは軽くシャドーボクシング。
右ストレートを華麗に放って答える。
「物理で押し通る」
「あんたらしいわね」
「蜂蜜かけるよりは分かりやすいもの」
「目録管理室の白壁は柔らかい材質だから、殴っても、切ってもすぐに修復されると思う」
「まるで生きている壁ね」
「そう、それ、生きている。じゃあ、生きるためには何が必要?」
「酸素とか?」
「他には?」
「水、それから栄養――あ、それで蜂蜜???」
「正解!」
ベリアルは片手を掲げた。
釣られてアンナはハイタッチ。
「あ」
アンナの顔にしまったという表情が浮かぶ。
「別に、あなたと慣れ合うつもりはないから」
ベリアルはニコニコしている。
「その顔、やめなさいよ……それじゃ、壁が私たちを糖分と勘違いして飲み込んだということなの?」
「そういうこと」
アンナは釈然としていない。
「へーって納得していい話なのか分かんないわ」
二人は立ち止まる。
いつの間にか地面が砂地でなくなっていた。
「道理で歩き易くなったわけだ。蝋で固まってる」
「もう、後ろが見えないわね」
幾重にも重なった薄膜のベールが浜辺からの光を散乱して風景を曖昧にしている。
「でも、管理室の中の様子は随分違うわ。私もびっくりだけどね」
「普通なら……普通って言っていいのかしら?」
「まあ、いいんじゃない」
「普通の管理室ならどうなっているわけ?」
「円形で、すり鉢状で、さっき言っていた目録カードが収納された棚が並んでる」
「雑誌で見たことあるわね、そういう古い図書館」
「中央に泉があって、温泉になっていたんだよ」
「温泉!」
アンナがベリアルに恨みがましい目を向けた。
「体がベッタベタ。本当にお風呂に入りたいわ」
「ひょっとしたら、この先にあるかもしれない」
「聞き飽きたけど、行ってみましょう。ひょっとしたら、ひょっとするかも」
それから一時間ほど歩き続けた。
その間に数百枚のベールをくぐった。
「前方に何か見えてきたよ」
その歩みは次第に速くなる。
ひょっとしたら、という期待は、ひょっとしなかった。
二人はび白い壁の前。
ただし、前回とは状況が少し違う。
「これまた大きな壁ね」
「ほら、遠くに見えていた頭の上の地面があんなに近い。あっちまで壁が続いているね」
「じゃあ、ここがゴールの地平点なのかしら」
「だと思うよ」
「じゃあ、もう一つ質問があるんだけど」
「なにかねアンナ君」
「アレって扉よね」
アンナが指を指す。
「板チョコ、ではないと思う」
「ここが最後かな」
「ここが最後かも」
二人は走った。
扉の前に来て、深呼吸。
息を整えて、二人は扉のノブに手をかけた。
ガチャリ。
鍵はかかっていない。
キィ。
巨大な壁のスケールに比べると、とても軽い音が響た。
二人は顔を見合わせ、頷きあった。
「ベリアルさんの方がこちらには詳しそうですし、お先にどうぞ」
「レディーファーストだよ、お先にどうぞ」
「あなたも女でしょ」
「依代の表現形が女性というだけで、魔王に性別はないから」
「魔王なんだから勇気見せなさいよ」
「勇気見せるのは勇者側の女神の責務だろ」
二人は顔を見合わせる。
アンナは拳を振り上げた。
「最初は」
「グー」
「じゃんけん」
その勝負の結果は結局分からずじまい。
なぜなら二人はいつの間にか扉の内側にいたからだ。




