原形質流動
見た目に反して白い壁は柔らかい。
ベッドメイキングされたシーツの中に潜り込む感覚で、アンナの上半身を包み込む。
誰かにお尻を叩かれている気がする。
白い壁が螺旋状に捩れて通路を作る。
アンナは絞り袋のクリームのように白壁の内側へと押し出された。
そこは予想外にも水の中。
(あたたかい)
アンナは冷静だった。
体に染み付いた水中生存訓練のおかげだ。
体の力を抜いて流れに身を任せる。
それから、体を緩やかにくねらせて、明るい方へと向かった。
水面から顔を出したアンナは、浅瀬を見つけて這い上がった。
「ベリアルめ!」
口の中に入った液体と一緒に悪態を吐く。
「塩味、だけど、しょっぱくないわ」
唇に残った塩分を舐めまわし、アンナは辺りを見渡した。
「……奇妙さが飽和しているわね」
アンナは今、渚に立っている。
その地面はとても細かい砂。
真っ白な砂浜がどこまでも続いている。
アンナの頭上まで。
「どうなっているの?」
アンナは波打ち際を目で追った。
その直線は上側に登り、頭上を越えてぐるっと一回りして、また戻って来た。
「巨大な球の内側にいるのかしら」
アンナが這い上がって来た海はより奇妙に見える。
見慣れた水平線はどこにもない。
視界の消失点まで全てが海なのだ。
一見すると、アンナの前に巨大な水の壁が立ち上がっているようだった。
「これじゃ、水平線じゃなくて、水平点ね」
海は穏やかではない。
大小様々な構造物が浮かんでは沈み、沈んでは跳ね上がるように浮き上がり、衝突を繰り返していた。
激しい海流で海自体が攪拌されているようだ。
「あれは何?」
薔薇の形の構造物と巨大なそら豆がぶつかった。
その勢いで薔薇が咲き中から何かが海に向かって投げだされた。
「あれってベリアル?」
アンナは波打ち際をひた走る。
「やっぱりベリアルじゃない」
ベリアルは沖でもがいていた。
浮いたり、沈んだりを繰り返している。
「その漂流物に捕まって!」
アンナが叫ぶと、ベリアルはそばの細長いチューブにしがみついた。
アンナは再び海の中に飛び込んだ。
***
「ああ、酷い目にあった」
しばらく後。
ベリアルとアンナは浜辺に同時に這い上がった。
「まったく! 魔界でも水中生存訓練を義務付けないさいよ」
「うげー」
ベルアルは盛大に胃の中の液体を吐き出した。
彼女の前に虹がかかる。
力尽きて仰向けになったベリアル。
「むしろ、なんで教会が戦闘訓練しているんだよ」
「誰かを助けるためよ」
アンナも仰向けになって応戦する。
「自分を守れない奴が他人を守れるわけないでしょ」
実際、戦闘訓練が必要なのかという議論は常にある。
無理解な外の意見、理想主義の内部の意見はいつもアンナを悩ませる。
「戻ったらカリキュラムを強化するわ。あんたも参加しなさいよ」
「戻れたらね」
「不吉なことを言わないでよ。戻るんだから」
アンナは重い体を起こして、立ち上がった。
いまだに寝ているベリアルを足で小突いた。
差し出された手を掴んでベリアルも立ち上がる。
「で、何か言うことないの?」
「え、言う事?」
「はあ? 何すっとぼけてんのよ」
いきり立つアンナにベリアルは、髪を掻き上げるついでに小さな声で応えた。
「ありがと」
「聞こえない」
耳に手を当てて、これみよがしのアンナ。
「あ、り、が、とう、ございます」
ベリアルは大声で叫んだ。
「ふん、まあいいわ。それ以外にも色々と聞きたいんだけど」
「ここはどこか? という質問?」
「まずは、そうね」
「だよね」
ベリアルは周辺を見渡す。
アンナと同様にその視線がぐるりと大きく一回りした。
「ここ、どこなの?」
「はあ?」
「私の知っている目録管理室の様子とはまったく違うんだけど」
ベリアルは困った笑顔を浮かべた。
「じゃあ、お風呂は?」
「さあ」
ベリアルは肩をすくめた。
「ふざけんなー」
アンナはベリアルの両肩を掴んで盛大に揺さぶった。




