記憶の迷宮 目録管理室
「なんて広さなの」
空は太陽もないのに青く光って、360度の地平線を照らしている。
雷鳴が轟いて、地面から空に向かって放電する様子が見えた。
風もなく、匂いもなく、暑さも感じない、無味無臭の空間が見渡す限り広がっていた。
「あれは何?」
アンナが指差したのは規則正しく並んだ白い立方体。
「巣箱だよ」
「あの蜂の?」
「そうそう」
「え、こんな所で蜂蜜取ってるの?」
「ほら、あれ見て」
ベリアルが指し示した巣箱から大量の蜂たちが吹き出す。
それはまるで黒い棒。
天に向かって伸びて、無限の記号を描いて旋回する。
よく見るとあちこちの巣箱で同じ現象が起きていた。
「じゃあ、行こうか」
「行くって、どこに」
「目録管理室だよ」
「え、そんな部屋どこに、まさか!」
「あの巣箱が目録管理室」
「ちょっと待って」
「え、ここまで来て、何もしない気なの」
「そうじゃない」
「じゃあ、何さ」
「なんで、あなたがそんなに詳しいのよ」
上空で旋回していた蜂たちが急に向きを変えた。
地面に開いた穴に吸い込まれていった。
そこには別の階段が続いている。
「赤い蜂を追いかけて、一回ここまで来てるから」
「えーとそれって、500階下で、あなたが一瞬いなくなった時の話?」
「一瞬?」
「そうよ、床に置いた本が蜂たちに食べられて、書棚で芋虫が繭を作るぐらいの時間」
「嘘だぁ」
ベリアルは怪訝な表情。
「ここまで来るのにどれだけかかったと思っているんだ」
「えーと、一週間ぐらい」
「正確には、十日だよ。迷わずにね。最初に来た時は探索しながらだったから往復で一ヶ月ぐらいかかった。ちゃんとログにも残っているから間違いないよ」
二人はお互いに顔を見合わせた。
「何か根本的な思い違いがありそうね」
「とりあえず、ここにいると蜂が突っ込んでくるから、管理室に移動しよう。あそこなら休憩もできる」
「休憩。それはありがたい。で、どの巣箱?」
「そうだな」
ベリアルは辺りを見渡した。
「あの巣箱にしよう」
それは、先ほど蜂を吐き出した巣箱だった。
「また歩かないといけないのね」
「たかだか数キロの辛抱だよ。ゴールは見えているから歩けるだろう」
「うんざりするわ」
「お風呂もあるよ」
「お風呂!」
アンナが駆け出した。
「どうしたのです、さっさと行きますよ!」
「急に元気になったな」
「お風呂、お風呂!」
巣箱に近づいてみると、その異様さに目を奪われる。
まず大きさ。
「こんなに大きかったの」
アンナの素直な感想。
一辺が五十メートルの立方体。
白磁のような質感は見る者を圧倒した。
蜂たちが出入りするスリットが中央に走っている。
それ以外特徴のないツルンとした外観。
「どこから入るの」
「こっちだよ」
案内されたのは白い壁の前。
「何もないじゃない」
「ここは許可された者以外は入れない」
「ええ!? ノープラン?」
「プランならあるよ」
ベリアルの手には、どこからか取り出した広口瓶。
蓋を開け、アンナを呼び寄せる。
「何?」
「まずは、これをこうする」
おもむろに、瓶の中に手を突っ込んで、中身を掻き出した。
「そして、こうする」
アンナの頭に黄金色の粘稠な液体がぶっかけられた。
「うわ、何すんの。何これ、甘い。蜂蜜?!」
ベリアルは問答無用でアンナに蜂蜜を塗りたくる。
そして、大混乱しているアンナの背後に回り込んだベリアル。
「じゃあ、行こうか」
アンナの背中を突き飛ばす。
よろめくアンナ。
何を! という抗議の言葉は声にならない。
足がもつれてバランスを崩し、そのまま頭から白い壁に。
「ははは、本物の壁尻、初めて見た」
ベリアルは、アンナのお尻をペチンと叩いて、蜂蜜まみれにした。
アンナの足がバタバタ動く。
ベリアルは、瓶に残った蜂蜜を自分の体に塗り込んだ。
白い壁にもたれると、その体がズブズブと白い壁に沈んでいった。
すべてが飲み込まれた後、白壁に赤い蜂が一匹止まった。
背中が縦に裂け、中から、黒い蜂が羽化してくる。
濡れた羽を伸ばして乾かすと、またどこかに飛んでいった。




