迷宮組曲
「こっちだ」
「もう随分、上に来たわね」
二人はベリアルの足元で動く矢印に従って、奇妙な図書館の中を彷徨っている。
どこまで行っても同じ構造の部屋が続いている。
自分がどこにいて、どこに向かっているのか全くわかっていない。
「もう戻れないんだから、進むしかないよ」
「それはそうなんだけど、目的もなく進むのは、キツいわ」
アンナは、ハアハアと息を切らしていた。
「ここで少し休憩しよう」
ベリアルは書棚に寄りかかり、アンナは床に腰を下ろした。
「まあ、喉が渇いたり、お腹が減ったりしないのはいいけどね」
「目的は何度も言ったろう」
「デリアが使った『切断』の特性方程式を入手することでしょ」
「それが手に入れば『切断』を逆に動かして『結合』できる」
ベリアルは元の世界でキューブ状に『切断』された自分の依代のことを考える。
「時間的な連続性を保ったまま空間を切断するなんて、ややこしい技術だ」
この世界に来てから随分時間が経ったはず。
「自分の体はどうなっているんだろう」
「まだ、会話できているなら、死んではいないんじゃない」
アンナもまた、デリアに切断された息子ユージの安否を憂いている。
「あなたが生きているなら、ユージもまだ大丈夫なはず。意識の速度は物理時間よりもずっと速いの。ここが辺獄なら、外の時間はまだそんなに経っていないはずよ」
「だといいけど」
そういえば、ここにきてからずっと気になっていたことがあった。
ベリアルはアンナに尋ねる。
「ねえ、あなたの視界の中にも窓が映ってるの」
「窓?」
「ほら、ゲームなんかでステータスが出るじゃない」
「ないわね」
「ないの? 私、28頁もあるんだけど」
「28頁! 何それ」
ベリアルは自分のステータスを開いて、読み上げてみた。
「LDLコレステロールに、ガンマGTP? 何それ、健康診断じゃない」
「だよね。異世界転生には相応しくないよね」
「ひょっとして、元の世界のあなたのステータスなんじゃない?」
アンナに指摘されて、ベリアルはハッとした。
「生命力《LP》ってそういうことか」
「ん? どういうこと」
「LPだけ少しづつ減っている。もし、これが元の世界の体の生命力だとしたら」
アンナも気づいて立ち上がった。
「のんびりしている場合じゃないわ。早くその『切断』の数式を手に入れましょう」
「簡単に言うね」
「簡単でしょ。ここは、記憶の迷宮なんだから」
ベリアルは深いため息。
「迷宮の奥底に、記憶を封印したアイテムが置いてあるんじゃないの」
「私もそう思っていた」
ベリアルは適当に書棚から一冊取り出して、表紙を撫でた。
「この表紙の紙質はたまらないね」
「それは同意するわ」
「普通は迷宮の奥に、こんな感じの本が置いてある」
「それを取ると、知識が得られるわけ?」
「得られるというか、追体験するんだ」
「じゃあ、動画再生される感じなんだ」
「そうそう、VRのね、動画再生」
ベリアルは頁をめくった。
「ん、この本は、字が埋まっていないな」
その時、小さな虫が開いた頁の上に止まった。
「羽蟻? いや蜂か」
真っ黒なその蜂は、触覚を盛んに動かしていた。
文字に沿って移動した蜂が文章の終端まで来た。
ベリアルとアンナが見守る中、その蜂は突然、自分の体を齧り始めた。
「え」
黒い体液が飛び散る。
体液が本の上に広がって『G O』の文字に変化した。




