裏世界へ
「困った」
ベリアルはアンナの運搬に絶賛苦戦中。
アンナをドアの中に押し込むところまでは順調だった。
あと二、三歩アンナを動かせば、無限回廊に出られるはずだった。
ところが痛恨のミス。
角度がほんの少し甘かった。
あっと思った時にはもう遅い。
アンナがドアの枠組みにちょっぴりめり込んだ。
当初、修正は容易だろうと考えていたべリアル。
今や、その目論見は破れ、次第に焦りの表情。
動かす度にアンナが壁の中にめり込んでいくのだ。
ドアの前で小一時間近く格闘している。
アンナの瞬きの回数が増えている。
声を発することができないけれど、もう、半分ぐらいめり込んでいる。
壁の向こう側の世界が見えているのかもしれない。
「まずいよなぁ」
古来よりドアは鬼門である。
裏と表。
入口と出口。
ルールの異なる世界をつなぐ境界線。
それと同時に、ドアは厚みを持つ物体としての性質も持つ。
つまり、領域が曖昧な部分を併せ持つ厄介な存在である。
「どうしよう」
これがゲームであれば、迷わず押し込んで様子を見るのだが。
「リセットって可能なの?」
アンナが三度瞬きをした。
「当然リセット不可だよね」
リセットが効かないこの世界で、裏世界行きは取り返しのつかない要素に違いない。
かといって、アンナをほじくり返す妙案もない。
そうこうしている内にも、アンナがゆっくりと壁に飲み込まれていく。
ベリアルは頑張った。
けれども、人生はままならない。
どうしようもないことは、どうしようもない。
壁から手が出ている。
まるで人形の様で、ひんやりと冷たく生気がない。
ベリアルはその手を握り締めた。
引っ張ってみたけれど、びくともしない。
ゆっくりと壁の中に沈むことを止めることができない。
「こんな映画あったな」
アンナの手はサムズアップはしなかった。
「ああ、消える……」
そしてとうとう、アンナの手は完全に壁に埋もれて、見えなくなった。
「アンナ、貴女の尊い犠牲は忘れないわ」
ベリアルはアンナが消えた壁にそっと手を添えた。
突然、壁の中から腕が伸びて、ベリアルの手首を掴んだ。
「うわ」
小さな悲鳴を残して、ベリアルも壁の中に引きずり込まれる。
「何してんのよ!」
「うるさいわね! あんたが下手くそだからでしょ」
ベリアルのすぐ隣でアンナが叫ぶ。
抗議の悲鳴はあっという間に上の方に消えていく。
女神の庭の地面と、無限回廊が空に見える。
それが、だんだんと小さくなっていく。
「これ、落ちてるの?」
「そうよ!」
そこはあまりに広大で、何もない。
比較するものがないから、落下している感覚も沸かない。
彼女たちのたなびく髪がかろうじて落下していることを示していた。
しばらく待ってみたけれど、状況は変わらない。
とうとう、庭の構造体も視界から消えた。
「これからどうなるの」
心配そうなアンナの問いに、ベリアルは欠伸しながら答えた。
「ゲームなら底に到達すると思う」
「それから」
「それだけよ」
「それだけ?」
「底に着いても、何があるわけじゃない」
「随分呑気ね」
「心配しても、どうしようもないことは、どうしようもないからね」
ベリアルは頭の後ろで手を組んで寝そべった。
「ここが、ゲームじゃないことを祈るわ」
それから二人は、この世界について知っていることを話し合った。




