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女神の庭

「さっきからどうも妙だな」


 ベリアルは自分の右手首を握ったまま動きを止めた。


「ドアが開けたくてたまらない」


 恐る恐るドアノブに触れたベリアル。


『鍵は掛かっている。諦めろ』


 ドアには呪いがかけられている。

 高レベルの冒険者による鍵の破壊と突破を防ぐための安全装置。


「お前のせいだろ」

『何のこと?』

「お前が行動を強制しているんだろう」

『お前が、と言うのは正確ではないわね』

「どういう意味?」

『そのうちわかるわ。おっと、喋り過ぎちゃったかしら。また会いましょう。せいぜい、抗がって』

「ちょっと」


 ドアを見たら?

 開ける。


 そこは他人の家だけど?

 無断で侵入しても構わない。


 壺を見たら?

 割らないと。


 お金が出てきた。誰のもの?

 もちろん、見つけた冒険者のもの。


 想いがとめどなく溢れてくる。


「まるで勇者みたいじゃない」


 ベリアルはドアノブから手を離した。

 その場でしゃがみ込んで、クラウチングスタートの姿勢。


「小市民を舐めるなよ。こちとら、欲しくても買えない人形で鍛えられているんだ」


 ベリアルは走り出した。


「見なければどうということはない!」


 廊下は一本道。

 足元の矢印さえ見ていれば、迷うことはない。

 ベリアルはそう信じてひたすら走った。

 廊下はどこまで進んでも変わり映えしない。

 ただ、ドアのプレートの数字だけが大きくなっていく。

 不思議なことに、この世界ではスタミナ管理に気をつけていれば、息が上がらない。

 走る速度を調整して、右下のバーを青色に保つだけの簡単なお仕事。


 他にやることがないので、ベリアルはステータス画面のフレーバーテキストを読み漁る。


 HbA1c

 ヘモグロビンとグルコースのアルデヒドが反応した糖化タンパク質である糖化ヘモグロビンの一種。それは血に刻まれた呪いの証。


 前回観測時から数字が変化すると色がつくようだ。


「生命値《LP》が地味に減ってる。ヒットポイントと何が違う?」


 LP

 セフィロトの根と枝が指し示す力の具体。それは不可逆な破滅の女神の息吹である。


 HP

 魂の活量。未来の時間的可能性。女神と魔王が定めた歴史的遺物。


「なるほど……全くわからん」


 その時、足元の矢印に反応があった。


「おっと、ここら辺か」


 ベリアルは走るのを止め、矢印が反転するところまで戻った。

 そこにはこれまでと何ら変わらない重厚なドア。

 ドアノブが金色に輝き、ベリアルを誘っている。

 プレートの数は、2の136279841乗から1を引いた数。


「よし、それじゃ行ってみよう」


 ベリアルは躊躇うことなくドアノブに手を掛けた。


『え。ちょっと待って、これって素数?』


 そんな声が聞こえた。


「知るか!」


 無視してドアに体当たり。

 問答無用でドアを開け、ベリアルは中の部屋に転がり込んだ。


「ここは」


 断崖絶壁の先端にベリアルは立っていた。

 少しずつ描写がはっきりしていく。

 空は青い。

 眼下には海が広がっていた。

 空の色と混ざりあって境界線は曖昧。

 岸壁に打ち付ける波の音。

 頬を撫でる潮風。

 白い雲が浮かんだ。


 ようやく地面が読み込まれ、そこが小さな畑であるとわかった。

 ベリアルはきゅうり、なす、セージ、パセリ、トウモロコシの間を通り抜け、ゴーヤの棚の前まで来た。


 そこにアンナがいた。

 両手を広げてTのポーズで待機している。


「あなたが女神?」

「ここは女神の庭です」


 無表情の黒髪の少女がそう告げた。

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