裏側の女神は勇者の嫁にしばかれる
五十過ぎのおっさんが寂れた公園で揺れている。
「たそがれているな、勇者」
「元、勇者だ」
少女はブランコの前で見栄を切る。
「あるときは、ダンジョンの奥地で配信する美少女、またある時は東都新聞通信の敏腕記者、その実体は――」
「魔王だろ。魔王ベリアル」
「なんだ、知ってたのか」
「もういいだろ」
「何がだ!」
「勇者を罠にはめて追放に追い込んだんだ。満足しただろう」
「してない! 」
「ハァ、何の用なんだよ」
魔王は端末を元勇者に見せつけた。
「小さい画面だな。最近、ピントが合いにくいんだ」
メガネをずらして、裸眼で覗き込む。
「みろ、フォロワーが1万人をこえた! まだ全盛期の百分の1程度だが、力が戻って来た!」
「良かったな……いや、良くないか」
「力が戻ったら、まずは勇者! お前にリベンジだ!」
「まあ、期待しないで待ってやるよ」
「そうしろ、勇者。首を洗って待っておれ」
「だから、元、勇者だって」
「あ、そうか。めんどくさいな! 名前、名前を教えろ!」
「教えて下さいだろ」
「いーじゃん。別に、減るもんでなし」
「じゃあ、知らなくてもいいだろ」
「教えて下さい。お願いします」
元勇者は溜息をつく。
「マモルだ」
「マ、モ、ル?」
「ディフェンスとかプロテクトって意味の異世界の言葉だよ」
「へー、じゃあ、マモル」
「何だよ」
「私の仲間になれ!」
「はあ?」
「元魔王と元勇者が仲間になったら、無敵だろう」
「いやだよ、もう俺は勇者を引退するんだ」
「引退してどうするつもりなんだ」
「そうだな、田舎に引っ越して悠々自適なスローライフ」
「嘘くさいな」
「蕎麦屋でもやるかな」
ベリアルの顔から笑みが消えた。
「それはマジで止めとけ。脱冒険者の転職No.1だが、成功者は一人もいない修羅の道だぞ。趣味で蕎麦を打つ、友達が褒めてくれる、いい気になって会社を辞める、出汁ひとつで丸一日、腱鞘炎になるまで蕎麦を打つ。それが毎日だぞ!」
ベリアルは妙に生活感のある説教を始めた。
「……何でそんなに詳しいんだよ」
マモルはブランコの鎖を握る手を少し緩め、怪訝な顔で魔王を見た。
「ネットだよ! 現代のインフルエンサーを侮るな。ネットには『脱サラ蕎麦屋の悲劇』という涙なしには読めないドキュメンタリーが溢れているんだ」
ベリアルはフンと鼻を鳴らし、端末の画面を素早くタップした。
「見ろ、これが元・大賢者が開いた蕎麦屋の末路だ。こだわりが強すぎて客が来ず、今やただの『偏屈なじいさんがやってる高くて量が少ない店』だぞ」
「大賢者、蕎麦屋やってたのか……」
「そうだよ! だからお前も絶対に失敗する。店を始めるのは簡単なんだ。だが、それは業者の罠! あいつらは、中年の独立心と虚栄心を利用して退職金を巻き上げようとする秘密結社だ。世界を牛耳るエルフの結社なんだ!」
「お前なあ。魔法ネットワークに毒され過ぎなんだよ。ネットで知った知識で専門家気どりかぁ。 魔王が陰謀論にはまるなんて笑えないぞ」
「このまま進めば破滅だぞ。私はお前を買っている、だから私と組もう!」
「冗談に決まってるだろ」
「え?」
「こんなに蕎麦屋に喰いついてくるとは思ってなかった」
「酷い、弄んだのね!」
「人聞きの悪いことを言うな。だいたい、お前と組んで何やるんだよ」
「配信者だ!」
マモルは露骨に嫌な顔を隠そうともしなかった。
「……おい、その顔はやめろ。大真面目だぞ!」
ベリアルは小さな画面をマモルの顔の前に突き出す。
「いいか、よく考えろ。元魔王と、元勇者だぞ? かつて世界を二分して戦った宿敵同士が、まさかのコラボだ。これ以上のキラーコンテンツがどこにある!」
「一人で充分だ」
「はあ?」
マモルは自分の頭をつついてみせた。
「お前も知っているだろ、俺の頭は女神と接続されている」
「戦闘中に独り言を言っていたのは知ってる」
「何でも答えてくれる代わりに、俺が見た映像や音は女神に筒抜けなんだ」
「へーまるで呪いだな」
マモルはゆっくりと頷いた。
「天界は物価が高いらしくてな。あいつ、遊ぶ金が欲しさに副業を始めたんだ」
「生々しいな」
「女神は天界の配信者なんだ」
「……は?」
ベリアルは差し出していた端末を握りしめたまま、完全にフリーズした。
寂れた公園に、カラスの鳴き声とブランコのきしむ音だけが響く。
「ちょっと待て、マモル。今、何て言った? 女神が……なんだって?」
「だから、配信者だよ」
マモルはめんどくさそうに首の後ろをかいた。
「俺がお前たちと戦ってたあの過酷な旅路な、あれ、天界で全部『生配信』されてたんだよ。お前との最終決戦なんて、あっちの同接、過去最高を記録したらしいぞ」
「じゃあ、お前が追放された時も……」
「あぁ。『【悲報】闇落ち?勇者マモル、やらかしてギルドを追放されるwww』ってタイトルで、枠が立ってた。女神のやつ、同情を誘ってスパチャ稼ぎやがったんだ。俺には一銭も入ってないのに」
マモルの目が、現役の魔王すら怯むほどのディープな濁りを帯びている。
「お前、魔王だなんだって粋がってるけどさ。ネットの海じゃ、俺たちはとっくに『コンテンツ』なんだよ。だから、今さらお前とコラボして配信なんてやっても、あいつの二番煎じだ。おまけに『元魔王と元勇者が和解して草』とかコメントで煽られるのがオチだろ」
ベリアルは呆然と天を仰いだ。 魔王として世界を恐怖に陥れ、現代ではインフルエンサーとして力を取り戻しつつある自分。
そのどちらの領域でも、天界の「女神」という巨大な壁が先手を打っていたのだ。
「……クソが。エルフの秘密結社どころの騒ぎじゃないじゃないか。黒幕は天界のプラットフォーマーだったのか……」
「だから言ったろ。配信者は一人で充分、お腹いっぱいだってな」
「女神と話がしたい」
「謹慎中だよ」
「はぁ?」
「そんな配信されて、俺の嫁が黙っているわけないだろ」
「奥さんって元聖女の?」
「天界に直接乗り込んでいったよ」
「うわ、不倫相手に乗り込む本妻かよ」
「そこで、あれを見つけてしまったのさ」
「あれ?」
「勇者と聖女の夜の営み実況配信」
ベリアルの顔から完全に血の気が引いた。
「ま、待て……マモル。それは、つまり、その……」
「有料限定配信でな」
マモルは感情の消え失せた目で、静かに空を見上げた。
「もちろん俺にも嫁にも、同意なんて取っちゃいない」
「……」
ベリアルは、自分がさっきまで「フォロワー1万人で力が戻ってきた!」と無邪気に喜んでいたのが急に恥ずかしくなってきた。
世界を滅ぼそうとした魔王の邪悪さなど、天界の闇に比べれば、あまりにも健全で、あまりにも矮小だった。
「なぁ、マモル……」
「なんだよ」
「私、エルフの秘密結社とか言ってる場合じゃなかったな。天界、普通にコンプライアンスの地獄じゃん」
「だから言ったろ。ネットの海じゃ、俺たちはただのコンテンツなんだ。魔王も勇者も、デジタルタトゥーの前には等しく無力なんだよ」
マモルはブランコからよっこらしょと立ち上がり、ズボンの砂を払った。
「さて、俺はそろそろ行くわ。これから嫁を迎えにいってくる」
「……お前、本当にスローライフとは程遠い世界で戦ってるんだな」
「蕎麦屋のほうが、よっぽど平和だったかもしれないな」
そう言って自嘲気味に笑う元勇者の背中を見送りながら、ベリアルは手元の小さな端末を見つめた。
画面には、自分の拙いダンス動画と、それに群がる有象無象のコメント。
「……コラボとか、やめとこ。地道にソロで、ゲーム実況から始めよう……」




