神託のシンタックス
『起きるのです、ユージ』
母親に呼ばれて、真っ白なベッドの上で目が覚めた。
白い光で満たされた見慣れない部屋なのに、何故か実家のような安心感がある。
「トイレに行かなければ」
本能的な欲求に突き動かされて、ベッドから起きて部屋を出た。
長い廊下を進む。
泥の中を歩くみたいに足が重い。
なかなか前に進まない。
手を大きく動かして、泳ぐように進んだ。
十以上の部屋を通り過ぎた頃、部屋と部屋の間に上に続く階段が現れた。
長く住んでいるけれど、ここに階段があるなんて知らなかった。
この階段を上がると隣の家に繋がっているのだ。
ん、でもなぜそんな事を知っているのだろう?
それを知るには、1から2000までの数字を順番に並べる必要がある。
「1、2、3……」
足を階段に乗せた時、自分がまだスーツ姿だったことに気付いた。
そうだ、会議に行かないと。
いや、待て。何かおかしくないか?
さっきから全てが繋がっているようで支離滅裂。
「ああ、思い出した。辺獄か、ここは」
前回、ここに来たのは5年前。
もう、すっかり忘れていた。
階下から自分を呼ぶ声がする。
「今行くよ」
上に続く階段を降りていくと崖の上に出た。
ここは女神の庭。
猫の額のような場所だけど、常に花の香りに包まれていなければならない女神アンナが人間としていられる唯一の聖域。
そんな彼女の庭には、きゅうり、なす、セージ、パセリ、トウモロコシが植えられている。
今年の流行りはゴーヤらしく、蔦が盛大に絡んで日陰をつくっていた。
その日陰の中に女神が立っていた。
光に包まれていて、表情はよく分からない。
女神は一言も発すること無く、崖下を指差す。
恐る恐る覗き込むと、雲の下でベリアルがユージを激しく揺さぶっていた。
「あ、思い出した」
女神に後ろから抱きしめられた。
耳元で秘密が囁かれた。
「え?」
振り向いた女神の顔は何故かベリアルに似ていた。
「早く起きなさい!」
そのまま崖から突き落とされた。
悲鳴は声にならない。
滅茶苦茶に手足を振り回す。
衝撃が走った。
顔に。
頬に。
「あれ」
「お、やっと気付いたな」
「お母さん」
ベリアルにもう一度ビンタされ、ユージは完全に目を覚ました。
「痛いです」
「ふう、心配させやがって」
自分が発した冗談のせいで失神したと思い込み、ベリアルは本当に心配していた。
徐々に人間らしくなっていくな、とベリアルは感じる。
でも、嫌な気はしなかった。
「最近は無かったんですが」
「何が?」
「ストレスがかかると魂が剥離することがあるんです」
ベリアルは目を丸くする。
何を言ってるんだこいつ、という顔。
「そうすると辺獄に連れて行かれる」
「大丈夫か? お前。水呑むか?」
「店長」
厨房で仕事していた店長に声をかける。
洗い物をしていた店長が、それを中断して来てくれた。
「おう、大丈夫か? いきなり倒れたもんで、びっくりしたがね」
「このお店の名前のアウレウスは、古代ローマの金貨。そして、黄金という意味ですね」
「そうだがね、おみゃあさん詳しいがね」
「でも、本当の由来は、黄色ブドウ球菌の学名ですね」
「……なんで知っとりゃ―す」
店長はベリアルを見る。
ベリアルは首を振る。
「私も初耳なんだけど」
「辺獄に行くと、女神が一つだけ世界の秘密を教えてくれるんです」
「それがお前の固有スキルか……」
ベリアルはユージの顔をまじまじと見つめた。
「もっと役に立つ秘密を貰えよ! なんでこの店の由来なんだよ」
ベリアルはユージの胸ぐらを掴む。
「自分じゃ選べないですよ」
「ったく、まあ、いいや、おかえり、ユージ」
「……ただいまです」
ユージは照れくさそうに笑った。
黄色ブドウ球菌
Staphylococcus aureus
スタフィロコッカス・アウレウス




