何かとても大切な事を忘れていましたが、今、それを思い出しました
「駄目ですね」
ベリアルとユージは中央広場の中で立ち尽くした。
住民、冒険者、商人たちがひっきりなしに二人を追い越していく。
「この人混みじゃあ、聖痕の追跡は難しいですね」
ベリアルはまだ痕跡を探している。
「諦らめんなよ、他人事だと思って」
現在、ベリアルはアマテラス製薬から人造依代を盗みだした最重要容疑者。
魔法庁からの追手はまだかかっていない。ただ、それも時間の問題。
証拠となるサロメの頭部も何者かによって略奪され、おまけに、その犯人はベリアルの部屋を滅茶苦茶にしていった。
何よりもベリアルが大切にしていた人形――ドラキューンを破壊したことがベリアルは許せない。
とはいえ、実際問題として今の状況は絶望的。
サロメから漏出する聖水を追ってきたものの、聖痕は中央広場の中に向かっていたのだ。
ユージが主張するように、この往来の中で犯人が残した痕跡を探し出すのは極めて困難になった。
ベリアルは頭を抱えて空を見上げた。
「ん? なにあれ」
マンションの上に奇妙な物体が浮かんでいた。
「ああ、あれば私の車ですよ」
よく見ると、風船の下に車が吊り下げられていた。
「ああやって、空中に浮いて回収を待つんです。リモコン操作でここに呼ぶこともできますけど」
「へー、まあ地面に駐車するよりは安全か」
その車を見ていて、何かとても大切な事を忘れていたことに気がついた。
突然容疑者になったり、車で空を飛んだり、部屋を荒らされたり、色々あってすっかり忘れていたけれど、そもそもの目的は聖水に汚染された下着や服を洗濯することだった。
「そう言えば、洗濯物ってどうなったんだ?」
ベリアルは記憶を反芻する。
「そうだよ、洗濯物、ユージ、洗濯物」
「ああ、それなら、トランクに入れておきましたよ」
ベリアルは耳を疑った。
トランクに?
入れた?
「待って、待って、どういうことなのか説明してくれる?」
ユージは不思議そうな顔をしている。
なんでそんな事を疑問に思っているんですかとでも言いたげ。
「まおーちゃんがドリンクバーに行っている時に回収しておきました」
「そうなんだ、ありがとう」
ベリアルは頭を下げた。
「ってなるか! ぼけぇ」
「え、え、なんで怒ってるんですか」
「怒るだろ。初対面の男に下着を見られて平気な女の子がいるか!」
ベリアルは声を荒げる。
通行人が二人を避けていくのが分かる。
だが、これは大事なこと。
体面なんか構っていられない。
「大丈夫です、ちゃんと上向いてましたし、手袋もしましたから」
ユージは何故か誇らしげ。
ことの重大さを理解できてない。
「そういうことじゃない、勝手にやるなって言ってるんだ」
「でも、忘れずに回収できたんだから、いいじゃないですか」
「良くない! 問題は回収したことじゃなくて、勝手に私の下着に触ったことだ!」
「だから手袋を――」
駄目だこいつ。
謝れない男だ。
ユージの主張は合理的。
だけど、合理性が常に正しいとは限らない。
ユージはそれを理解できていない。
ベリアルはため息をついた。
これまでのユージの言動からして、それを言っても伝わらないだろう。
ベリアルはこれ以上の議論は時間の無駄だと判断した。
「で、トランクって?」
ユージが指を差した。
ベリアルはその指先を辿る。
「嘘だろ……」
「あそこなら絶対安全です! それにちゃんと回収しますから」
空中に浮いた車の中に洗濯物は眠っている。
「屋上に停めた時に回収できたじゃないか」
「あの時は急いでましたし。それに、今すぐ使うわけじゃないですよね」
ユージの返答にも若干の熱が籠りだす。
ユージの行為自体に悪意はない。
寧ろ、まおーちゃんのためを思って行動した善意によって形成された不正解。
ベリアルは自分の指を軽く噛んだ。
「……まあ、あそこにあるのなら、今はいいか」
ベリアルは妥協という言葉を知っている。
魔王なのに。
「忘れていた洗濯物を回収してくれて、ありがとう」
納得はしていないが、今、ユージと敵対するのはもっとも悪い選択肢。
「どういたしまして」
ユージのドヤ顔にはイラッとしたけれど、ベリアルはそれを飲み込んだ。
「じゃあ、行きましょうか」
「どこに?」
「どこって、犯人追跡を諦めるんですか?」
ベリアルは首を横に振る。
「でも、さっき、聖痕の追跡は難しいって」
「聖痕の追跡は難しいですよ、でも、他に手が無いとは言ってませんよ」
ユージは自分の足をポンポンと叩いた。
「魔王の城から生首を盗み出して冷静でいられる人間なんていません。何かしらおかしな行動をしているはずです。それを聞きに行きましょう」
「お前……仕事はできるんだな」
ベリアルは、尊敬と軽蔑の入り交じった視線をユージに送った。




