悪役公爵令息の断罪回避大作戦
その朝、ヴィンセント・アストレアは、久しぶりに確かな手応えを感じていた。
「……順調だ」
自室の机に広げた紙を見つめながら、彼は小さく頷く。
紙には、几帳面な文字でいくつもの項目が書き込まれていた。
――原作イベント回避状況。
その隣には、簡単な進捗が記されている。
原作で起きるはずの出来事現在の状況
弟レオンとの家督争い→目立った対立なし(良好)
婚約者シャルロットとの関係悪化→なぜか膝枕される(そんなこともあるか)
聖女アリエとの敵対→護符を渡される(まぁ、あるか)
主人公リュシアンとの決闘→友達になった(ないことはないな)
教師ギリアムからの冷遇→授業中に褒められる(何故?)
ヴィンセントは、ペン先を顎に当てた。
「……おかしいな」
原作の展開から、あまりにも外れている。
もちろん、ヴィンセント自身が積極的に悪事を働いていないことも影響しているだろう。
ヒロインを虐げない。
弟を敵視しない。
聖騎士と争わない。
教師に反抗しない。
できるだけ人と関わらず、問題を起こさず、静かに過ごす。
その結果、今のところ大きな破滅イベントは発生していなかった。
「このまま何も起こらなければいいんだけど……」
ヴィンセントは、紙の下部に新しい項目を書き加えた。
目標:原作終盤まで生存。可能なら追放。
これが彼の人生設計だった。
公爵家の地位に執着はない。
財産も、名誉も、権力も、ほどほどでいい。
何なら、田舎の小さな屋敷で本を読みながら暮らしたい。
ただし、処刑だけは避けたい。
それだけだった。
ヴィンセントが満足げにペンを置いた、そのとき。
扉が勢いよく開いた。
「兄上!」
入ってきたのは、レオンだった。
淡い金髪はいつもより少し乱れており、青灰色の瞳には明らかな焦りが浮かんでいる。まだ十歳の少年らしい小柄な体つきだが、普段は整えている襟元もわずかにずれていた。
「どうしたんだ? そんなに慌てて」
「大変です!」
「落ち着いて」
「落ち着いていられません!」
レオンは、両手で一枚の書類を握りしめていた。
「兄上が、学園の中央広場で糾弾されることになりました!」
ヴィンセントの手から、ペンが落ちた。
「……何?」
「本日、昼の鐘が鳴ったあと、公開糾弾の場が設けられるそうです!」
数秒間。
部屋の中から音が消えた。
窓の外で小鳥が鳴いている。
遠くから使用人の足音が聞こえる。
そしてヴィンセントは、ゆっくりと机の上の紙に目を落とした。
目標:原作終盤まで生存。可能なら追放。
彼は、静かに紙を裏返した。
「……来たか」
「兄上?」
「ついに、原作の強制力が動き出したんだ」
ヴィンセントは、遠い目をした。
これまでの出来事は、すべて序章に過ぎなかったのだ。
シャルロットが優しくなったのも。
アリエが護符を渡してきたのも。
リュシアンが友達になろうとしてきたのも。
ギリアムが意味ありげに頷いていたことなど、まさにその証拠だ。
すべて、今日の公開糾弾に向けた準備だったのかもしれない。
「兄上、何をおっしゃっているのですか? これは明らかに誰かの陰謀です!」
「そうだね」
「家令様に相談して、父上にも連絡を――」
「いや、待ってくれ」
ヴィンセントは、弟の肩に手を置いた。
「これは、僕自身で対処しなければならない問題だ」
レオンの顔が青ざめた。
「まさか……」
「大丈夫だよ」
ヴィンセントは、できるだけ穏やかに微笑んだ。
「僕は、最悪の事態を想定して準備してきた」
「兄上……」
レオンは、兄の言葉を別の意味で受け取っていた。
ヴィンセントは、これから始まる断罪を自分一人で引き受けるつもりなのだ。
また、誰かを守るために。
また、自分だけが傷つくつもりで。
レオンの小さな拳が震えた。
「……させません」
「え?」
「今度こそ、絶対にさせませんから!」
レオンは踵を返すと、部屋を飛び出していった。
「レオン?」
呼び止める間もなかった。
ヴィンセントは首を傾げる。
「……ずいぶん積極的な役割だな」
彼は、原作の展開を思い出そうとした。
悪役貴族の公開糾弾。
ヒロインが涙ながらに被害を訴え、正義の主人公が立ち上がる。
婚約者は悪役を見限り、周囲の貴族たちが次々に糾弾の声を上げる。
最後には、国王の命によって処罰が決まる。
原作では、物語の大きな転換点となる場面だった。
ただし、ヴィンセントが読んだ小説には、ひとつ気になる点がある。
この公開糾弾が、物語のかなり後半に描かれていたことだ。
「……早すぎないか?」
ヴィンセントは、時計を見た。
まだ昼まで時間がある。
それなのに、なぜ今なのか。
「まさか……」
彼の顔から血の気が引いた。
「原作よりも、展開が前倒しになっている?」
それはつまり。
原作の強制力が、想定以上に強いということだった。
ヴィンセントは椅子から立ち上がった。
「まずいな」
そして、すぐに別の結論にたどり着く。
「……逃げよう」
彼は迷いなく決断した。
***
同じ頃。
王立魔法学園の中央広場では、すでに異様な光景が展開されていた。
「これは一体、どういうことですの?」
シャルロット・ルヴェリエは、集められた生徒たちと教師たちを見渡していた。
銀白色の髪はいつも通り美しく整えられ、淡い紫のドレスの上には、ルヴェリエ大公家の紋章が刺繍された外套が掛けられている。
紫水晶の瞳は冷静だった。
ただし、その奥には明確な怒りが燃えていた。
「公開糾弾の場だと聞いていますが」
「は、はい……」
学園の教員が、震えながら答える。
「匿名の告発状が提出されまして。ヴィンセント・アストレア様が、複数の生徒に対して不正な魔法を使用し、聖女アリエ様を陥れようとした疑いがあると……」
「疑い?」
シャルロットが微笑んだ。
美しい微笑みだった。
だからこそ、教員はさらに震えた。
「証拠は?」
「現在、確認中でして……」
「証拠もないのに、彼を広場へ呼び出そうとしたのですか?」
「そ、それは……」
シャルロットは、手にしていた扇を閉じた。
ぱちん、と小さな音が響く。
「では、告発状を提出した方を先に呼びなさい」
「それが、差出人の名がなく……」
「ならば、公開糾弾など成立しませんわね」
シャルロットは、優雅に一歩前へ出た。
周囲の生徒たちが、自然と道を空ける。
「ヴィンセント様に対する不当な告発は、私が許しません」
その声は大きくなかった。
しかし、広場の隅まで明瞭に届いた。
彼女はすでに、ルヴェリエ大公家の名で学園側に正式な抗議を申し入れている。
告発状の筆跡も、魔法的な細工も調査させていた。
ヴィンセントを糾弾するどころか、告発者を追い詰める準備が進んでいる。
そのとき、広場の入り口から、アリエが駆け込んできた。
「シャルロット!」
赤茶色の髪が跳ね、白い衣装の裾が揺れる。
彼女は細身の体つきながら、鍛えられた脚力で人混みを押し分けてきた。手には、握りしめた一枚の紙がある。
「告発状、見つけたわ!」
「本当ですの?」
「ええ。学園の倉庫に隠されていたわ」
アリエは紙を掲げた。
「それから、これを書いた罪人も見つけた!」
「……見つけた?」
「うん。逃げようとしたから、捕まえたわ」
シャルロットは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
「どのように?」
「腕を掴んで、ちょっと持ち上げて……」
「ちょっと?」
「壁に背中をつけてもらった」
「……壁は無事ですの?」
「たぶん」
シャルロットは、深々とため息をついた。
シャルロットは、深々とため息をついた。
「アリエさん。証拠を確保したことは評価しますわ。ただし、次からはもう少し穏便に」
「穏便にしたわよ。前は壁に穴を開けたけど、今回は開けてないもの」
「比較対象が不適切です」
そこへ、金髪の青年が歩いてきた。
リュシアン・ヴァルグレイ。
深い緑の瞳はいつものように明るいが、今はその奥に鋭い警戒心が宿っている。鍛えられた体は騎士のように引き締まり、制服の上からでも身体能力の高さが伝わってくる。
「告発者は、俺達が見張ってる」
リュシアンは、広場の端を親指で示した。
そこには、数人の騎士と学園の職員に囲まれた男子生徒がいた。
「こいつ、どうやら誰かに金を掴まされていたらしい。背後にいる連中も調べている」
「まあ」
シャルロットの瞳が冷たく輝く。
「それは、ぜひとも詳しくお聞きしなければなりませんわね」
アリエが腕を組んだ。
「でも、肝心のヴィンセントはどこ?」
三人は、同時に周囲を見渡した。
いない。
どこにもいない。
「……まだ来ていないのかしら」
シャルロットが呟く。
リュシアンは首を傾げた。
「いや、もう呼び出しの時間は過ぎてるはずだ」
「まさか……」
アリエの顔が険しくなる。
「ヴィンセントが、誰かに捕まった?」
その瞬間。
広場の反対側から、ギリアム・フェルディナンドが歩いてきた。
灰色がかった黒髪。
厳しい目元。
魔術師としての威厳を漂わせる長身の姿。
彼は、三人の前で立ち止まった。
「ヴィンセント・アストレアは、現在学園内にいません」
「……え?」
「先ほど、裏門から出ていく姿を確認しました」
シャルロットの表情が、凍りついた。
「裏門から?」
「はい」
ギリアムは、手にしていた紙を差し出す。
「彼の机に置かれていた書き置きです」
シャルロットは、震える手で紙を受け取った。
そこには、ヴィンセントの整った文字でこう記されていた。
皆様へ。
これまで大変お世話になりました。
僕は少し遠くへ行きます。
探さないでください。
ヴィンセント
沈黙。
広場の空気が、凍りつく。
アリエの顔から血の気が引いた。
「……遠くへ?」
リュシアンは、紙を見つめたまま動かない。
ギリアムは、眼鏡の奥で目を伏せた。
そして、シャルロットは。
ゆっくりと扇を開いた。
「……なるほど」
その声は、驚くほど静かだった。
「彼は、逃げたのですね」
「シャルロット、落ち着いて」
リュシアンが声をかける。
リュシアンが声をかける。
「落ち着いておりますわ」
シャルロットは微笑んだ。
ただし、笑顔がまったく目に届いていない。
「ええ。とても落ち着いております」
アリエが拳を握った。
「また、一人で全部終わらせようとしているのね」
「違う」
ギリアムが即座に否定する。
「彼は、何かを誤解している可能性が高い」
「誤解?」
「公開糾弾の場が設けられた。彼はそれを、原作における断罪の開始だと受け取ったのでしょう」
全員が黙った。
その可能性は、あまりにも高かった。
ヴィンセントは、自分が悪役として処刑されると信じている。
だからこそ、今回の出来事を「ついに来た」と考えたのだろう。
シャルロットの扇が、ぱきりと音を立てた。
「……追いますわ」
「もちろん」
リュシアンが頷く。
「俺も行く」
「私も!」
アリエが手を挙げた。
「見つけたら、今度こそ逃げられないようにするわ」
「物理的に拘束するのはやめなさい」
ギリアムが言った。
「でも、逃げたらまた死ぬかもしれないでしょう?」
「でも、逃げたらまた死ぬかもしれないでしょう?」
「……」
ギリアムは、何も言い返せなかった。
シャルロットは、広場の外へ向かって歩き出す。
「全員、急ぎなさい」
彼女の声には、逆らうことのできない力があった。
「ヴィンセント様を、必ず見つけます」
***
一方、その頃。
ヴィンセントは、学園から少し離れた街道を歩いていた。
黒い外套のフードを深く被り、銀髪を隠している。
背中には小さな旅行鞄。
中身は着替えと、保存食と、数冊の本。
それだけだった。
「……これでいい」
彼は、街道の先を見つめた。
学園を出る前に、ヴィンセントは慎重に考えた。
原作の公開糾弾イベントが始まった。
ならば、そこで潔白を証明しようとするのは悪手だ。
原作の主人公リュシアンは、正義感が強い。
ヒロインのアリエは、聖女として周囲から支持される。
婚約者シャルロットは、大公家の令嬢だ。
そんな三人を敵に回した悪役貴族が、どれほど弁明したところで信じてもらえるはずがない。
ならば、早いうちに姿を消す。
国外へ逃げるか。
辺境で身分を隠すか。
あるいは、どこかの商会で働くか。
公爵家の嫡男という立場を捨てれば、少なくとも処刑される可能性は下がる。
「僕がいなくなれば、原作の展開も変わるはずだ」
ヴィンセントは、自分に言い聞かせる。
「誰も僕を断罪する必要がなくなる。みんな、平和に暮らせる」
それは、彼なりの善意だった。
ただし、ひとつだけ大きな誤解がある。
誰も、彼を断罪しようとしていない。
むしろ全員が、彼を守ろうとしていた。
「……それにしても」
ヴィンセントは、背後を振り返る。
誰もいない。
追手の気配もない。
「意外と、あっさり逃げられたな」
彼は、少しだけ安心した。
これまでの周囲の過剰な親切は、すべて自分を公開糾弾の場へ誘導するためのものだと思っていた。
しかし、誰も追ってこない。
つまり、原作の強制力は、ヴィンセントが逃げることまでは想定していなかったのかもしれない。
「よし。このまま隣国へ――」
「ヴィンセント様!」
背後から、凛とした声が響いた。
ヴィンセントは、ゆっくりと振り返る。
街道の向こうから、シャルロットが歩いてきていた。
その隣にはアリエ、リュシアン、ギリアム。
さらに後方には、息を切らしたレオンと、数人の護衛がいる。
ヴィンセントの顔が引きつった。
「……なぜ?」
シャルロットは、微笑んだ。
「お迎えに参りました」
「迎え……?」
「ええ」
彼女は一歩ずつ近づいてくる。
「私たちを置いて、どちらへ行かれるおつもりですか?」
ヴィンセントは、反射的に後ずさった。
「いや、これは……」
「旅行ですか?」
「そう。ちょっとした旅行で――」
「書き置きに『探さないでください』とありましたが?」
「それは、その……」
「旅行へ出かける方が書く言葉ではありませんわね」
シャルロットは、笑顔のまま距離を詰める。
その背後で、アリエが腕を組んだ。
「ヴィンセント、どうして逃げたの?」
「逃げたわけじゃない」
「じゃあ、何?」
「……戦略的撤退」
「逃げたのね」
「言い方の問題だよ」
リュシアンが額に手を当てる。
「お前なあ……。俺たちが何をしようとしていたと思ってるんだ?」
ヴィンセントは、慎重に答えた。
「僕を糾弾して、原作通りに断罪するつもりだったんだろう?」
全員が沈黙した。
あまりにも堂々とした誤解だった。
アリエが、口を開けたまま固まる。
リュシアンは空を仰いだ。
ギリアムは目を閉じ、深く息を吐く。
そして、シャルロットは。
「……私が?」
「うん」
「あなたを?」
「そう」
「断罪?」
「そうだね」
シャルロットは、扇を閉じた。
ゆっくりと。
とてもゆっくりと。
「ヴィンセント様」
「はい」
「私は、あなたの婚約者です」
「私は、あなたの婚約者です」
「知っているよ」
「そして、あなたを守るために、これまでどれほどの手を尽くしてきたか、ご存じですか?」
「……何かの罠を仕掛けるためだと思っていた」
シャルロットの微笑みが消えた。
「そうですか」
彼女は、静かに頷く。
「では、説明いたしましょう」
そのとき、アリエが勢いよく手を挙げた。
「私から言う!」
「アリエさん?」
「だって、私のほうが簡単に説明できるもの」
アリエは、ヴィンセントの前に立つと、胸を張った。
「私たちは、あなたを断罪するために集まったんじゃないわ」
「……では?」
「あなたを守るために、あなたを狙っていた連中を捕まえたの」
「……」
「それから、あなたに対する告発状も偽物だった。証拠もあるわ」
アリエは、紙を取り出した。
「これを書いた人も捕まえた。だから、あなたは何も心配しなくていいの」
ヴィンセントは、紙とアリエの顔を交互に見た。
「……僕を、守る?」
「そうよ」
「なぜ?」
アリエの表情が、少し曇った。
しかし、彼女はすぐに明るく笑った。
「あなたが大切だから」
ヴィンセントは、黙った。
シャルロットが、静かに言葉を継ぐ。
「あなたが傷つくことを、私たちは望んでおりません」
リュシアンも頷いた。
「むしろ、俺たちはお前の味方だ」
ギリアムは、厳しい表情のまま告げる。
「あなたに罪がないことは、私が証明します。少なくとも、根拠のない告発によって処罰されることはありません」
レオンは、とうとう我慢できなくなったのか、ヴィンセントへ駆け寄った。
「兄上!」
小さな体が、ヴィンセントの腰に抱きつく。
「もう、勝手にいなくならないでください!」
ヴィンセントは、弟の頭を見下ろした。
淡い金髪が、風に揺れている。
「レオン……」
「兄上がいなくなったら、僕は……僕は……」
レオンの声が震える。
ヴィンセントは困惑した。
なぜ、弟が泣きそうになっているのか。
原作では、レオンは自分を追い落とす側だったはずだ。
それなのに。
「……みんな、本当に僕を断罪するつもりはないの?」
ヴィンセントが尋ねると、全員が声を揃えた。
「ありません!」
あまりにも息の合った返事だった。
ヴィンセントは、一歩後ろへ下がった。
「……では、なぜそんなに親切にするんだ?」
「え?」
「シャルロット嬢は、いつも僕を休ませようとする。アリエは護符をくれる。リュシアンは友達になろうとする。ギリアム先生は授業中に意味ありげに頷く。レオンは僕の予定を減らそうとする」
彼は、真剣な顔で全員を見渡した。
「普通に考えて、何か企んでいるとしか思えないだろう」
今度こそ、誰も言葉を返せなかった。
アリエが、頭を抱える。
「どうしてそうなるのよ!」
「僕が悪役だからだよ」
「それはあなたが勝手に思っているだけでしょう!」
「原作ではそうだった」
「原作って何よ!」
アリエが叫んだ。
リュシアンが、彼女の肩に手を置く。
「落ち着け、アリエ。たぶん、俺たちが何を言っても、こいつは自分が悪役だと思い込んでる」
「でも!」
「まずは、逃げる必要がないことを理解してもらおう」
リュシアンはヴィンセントに向き直った。
「なあ、ヴィンセント。お前は、本当に俺たちが敵だと思ってるのか?」
ヴィンセントは答えに詰まった。
敵。
そう考えていたはずだった。
けれど、思い返してみれば。
シャルロットは、いつも自分を気遣っていた。
アリエは、危険な場面で何度も自分を守った。
リュシアンは、何の見返りも求めず友人として接してきた。
ギリアムは、厳しいながらも魔法の才能を正当に評価していた。
レオンは、まだ十歳なのに自分のために大人へ相談していた。
それらをすべて、ヴィンセントは罠だと思っていた。
「……敵、ではないのかもしれない」
彼が小さく呟くと、シャルロットの表情がわずかに緩んだ。
「ええ」
「でも、まだ完全には信じられない」
「それでも構いませんわ」
シャルロットは、彼の前に立った。
紫水晶の瞳が、まっすぐにヴィンセントを見つめる。
「信じていただけるまで、何度でもお伝えします」
「……何度でも?」
「ええ。あなたが逃げるたびに、追いかけます」
ヴィンセントは、顔を引きつらせた。
「それは、少し怖いな」
「怖がらせるつもりはありません」
「でも、追いかけるんだろう?」
「もちろんです」
即答だった。
アリエが手を挙げる。
「私も追いかけるわ!」
「君は壁を壊しそうだから、できれば遠慮してほしい」
「壊さないわよ!」
「前に壊したよね?」
「今回は壊さない!」
リュシアンが笑い出した。
「ははは! よかったな、ヴィンセント。お前、ずいぶん愛されてるじゃないか」
「……愛されている?」
その言葉に、シャルロットが一瞬だけ視線を伏せた。
アリエは顔を赤くする。
レオンは、当然だと言わんばかりに頷いた。
ギリアムは、何も言わずに眼鏡を直した。
ヴィンセントは、彼らの反応を見て、さらに困惑した。
(……やはり、何かの作戦なのでは?)
しかし、今度はその疑念を口にしなかった。
口にしたら、また全員が頭を抱える気がしたからだ。




