明るい学友も無口な教師も、考えが分からない
王立魔法学園への入学式。
広大な講堂には、王国中から集められた貴族や平民の子どもたちが並んでいた。
色とりどりの制服。
家格を示す紋章。
期待と緊張に満ちた声。
ヴィンセントは、そのすべてから距離を置くように立っていた。
黒に近い銀髪は学園の制服によく映え、青灰色の瞳は周囲の視線を自然と集めてしまう。
本人は目立ちたくないのに、容姿と家柄がそれを許してくれない。
(入学式からこれか……)
ため息をつきかけたとき、背後から声がした。
「ヴィンセント!」
振り返る。
そこにいたのは、明るい金髪の青年だった。
金色の髪は短く整えられ、陽光を受けて眩しいほどに輝いている。深い緑の瞳には、まっすぐな光が宿っていた。鍛えられた体つきは騎士らしく、制服の上からでも肩幅の広さとしなやかな筋肉がわかる。
リュシアン・ヴァルグレイ。
原作の主人公。
光の聖騎士として名を上げ、やがてヴィンセントを討つ人物。
ヴィンセントは、反射的に一歩下がった。
「……何か?」
「何かって、同じクラスだろ?」
リュシアンは、まるで昔からの友人のように笑った。
「一緒に行こうぜ」
「いや、僕は一人で――」
「そう言うなよ。せっかく同じ学園に入ったんだ」
リュシアンは、ヴィンセントの隣に並ぶ。
距離が近い。
あまりにも自然だ。
(どういうことだ?)
原作では、リュシアンはヴィンセントを強く敵視していた。
彼の悪行を知り、正義感から対立する。
その後、決闘や事件を経て、ヴィンセントを追い詰めていく。
だが、目の前のリュシアンは、警戒するどころか親しげに笑っている。
「なあ、ヴィンセント。お前、剣は使えるか?」
「人並みには」
「じゃあ、今度一緒に訓練しようぜ!」
「遠慮しておくよ」
「即答かよ!」
リュシアンは声を上げて笑った。
その笑顔には、裏がないように見えた。
けれど、ヴィンセントは簡単には信じられない。
人の好意ほど、後から牙を剥くものだ。
原作の物語では、リュシアンは最初、ヴィンセントの本性を知らなかった。
しかし、一度目の人生で、彼は知った。
自分が戦場から戻れた理由。
聖騎士団が壊滅を免れた理由。
王都の民が救われた理由。
それらの裏で、ヴィンセントがどれほどのものを犠牲にしていたのか。
そして最後に、彼が誰にも真実を告げないまま処刑台へ消えたことを。
(今度は、俺がそばにいる)
リュシアンは、胸の内でそう誓っていた。
「なあ、ヴィンセント」
「何かな?」
「俺たち、友達になろうぜ」
ヴィンセントは、しばらく沈黙した。
友達。
その言葉が、妙に重く感じられた。
(原作に、こんな展開はなかった)
彼は慎重に答える。
「……友達、か」
「ああ!」
「僕と友達になると、何かと面倒だと思うけど」
「そんなの、なってみなきゃわからないだろ」
リュシアンは、屈託なく笑った。
ヴィンセントは、彼の顔を見つめる。
まっすぐな瞳。
飾り気のない笑顔。
そして、疑いようのない親しさ。
(……根が明るい人間は、すごいな)
ヴィンセントは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「好きにすればいい」
「よし! じゃあ、今日から友達な!」
リュシアンが、嬉しそうに拳を突き出す。
ヴィンセントは戸惑いながらも、その拳に自分の拳を軽く合わせた。
その瞬間。
リュシアンは、誰にも見えない角度で目を細めた。
ヴィンセントを狙う者がいるなら、必ず見つけ出す。
彼が再び孤独に沈む前に。
彼が自分を犠牲にする前に。
今度こそ、隣に立つ。
魔法学園での授業が始まってから、数週間が過ぎた。
ヴィンセントは、できるだけ目立たないように振る舞っていた。
魔法の実技では、あえて平均的な成績に抑える。
討論では必要以上に発言しない。
他の生徒と争わない。
教師から褒められそうになると、適当な理由をつけて話題を逸らす。
その努力の甲斐あって、今のところ大きな問題は起きていない。
――ただし、一人を除いて。
「ヴィンセント・アストレア」
魔法理論の授業中、教師のギリアム・フェルディナンドが彼の名を呼んだ。
ギリアムは、灰色がかった黒髪を短く整えた壮年の男だった。鋭い目元には深い皺が刻まれ、口元は常に厳しく引き結ばれている。背筋はまっすぐで、長年の魔術研究と軍務経験を感じさせる、隙のない立ち姿をしていた。
「この術式の欠陥を説明しろ」
ヴィンセントは、黒板に描かれた魔法陣を見た。
簡単な問題だった。
しかし、目立ちたくない。
「……魔力の流れが不安定になるため、発動時に術式が崩壊する可能性があります」
「理由は?」
「中心核の接続が、外周の循環と噛み合っていないからです」
教室が静かになった。
ギリアムは、ヴィンセントを見つめる。
そして――
小さく頷いた。
「正解だ」
ヴィンセントは、内心で固まった。
(……何だ?)
ギリアムは、もう一度頷いた。
意味ありげに。
まるで、何かを伝えようとしているように。
(僕に何かを知らせている?)
授業が終わったあとも、ギリアムはヴィンセントを見ていた。
そのたびに、わずかに頷く。
ヴィンセントの背筋に、冷たいものが走った。
(これは……警告か?)
原作では、ギリアムはヴィンセントを落ちこぼれと見なし、厳しく扱う教師だった。
それなのに、今は妙に気にかけてくる。
褒める。
頷く。
視線を向ける。
(僕が何かを知っていると思われている?)
ヴィンセントは、慎重に教室を出た。
その背中を見送りながら、ギリアムは静かに息を吐いた。
(今度こそ、あなたを危険にさらさない)
一度目の人生で、ヴィンセントはギリアムの妻を救うために、禁じられた魔術の研究資料を探し、危険な取引に身を投じた。
ギリアムは、後になってその事実を知った。
自分がヴィンセントを見下していた間も、彼は誰にも知られずに手を尽くしていた。
今度の人生では、妻の病はすでに別の方法で治療されている。
ヴィンセントに頼る必要はない。
だからこそ、ギリアムは彼を守る側に立てる。
教室の外では、ヴィンセントが真剣な顔で考え込んでいた。
(……やはり、何かある)
彼は、ひとつの結論を出す。
(ギリアム先生は、僕が油断したところを狙っているのかもしれない)
ギリアムの頷きは、ヴィンセントにとって謎の警告だった。
そしてギリアムにとっては、精いっぱいの信頼と誓いの表現だった。
両者の認識が交わる日は、まだ遠い。




