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『悪役公爵令息は、穏やかな余生を望む』   作者: はたとうばん


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3/7

明るい学友も無口な教師も、考えが分からない

王立魔法学園への入学式。

 広大な講堂には、王国中から集められた貴族や平民の子どもたちが並んでいた。

 色とりどりの制服。

 家格を示す紋章。

 期待と緊張に満ちた声。

 ヴィンセントは、そのすべてから距離を置くように立っていた。

 黒に近い銀髪は学園の制服によく映え、青灰色の瞳は周囲の視線を自然と集めてしまう。


本人は目立ちたくないのに、容姿と家柄がそれを許してくれない。

(入学式からこれか……)

 ため息をつきかけたとき、背後から声がした。

「ヴィンセント!」

 振り返る。


そこにいたのは、明るい金髪の青年だった。

 金色の髪は短く整えられ、陽光を受けて眩しいほどに輝いている。深い緑の瞳には、まっすぐな光が宿っていた。鍛えられた体つきは騎士らしく、制服の上からでも肩幅の広さとしなやかな筋肉がわかる。

 リュシアン・ヴァルグレイ。

 原作の主人公。

 光の聖騎士として名を上げ、やがてヴィンセントを討つ人物。

 ヴィンセントは、反射的に一歩下がった。

「……何か?」

「何かって、同じクラスだろ?」

 リュシアンは、まるで昔からの友人のように笑った。

「一緒に行こうぜ」

「いや、僕は一人で――」

「そう言うなよ。せっかく同じ学園に入ったんだ」

 リュシアンは、ヴィンセントの隣に並ぶ。

 距離が近い。

 あまりにも自然だ。

(どういうことだ?)

 原作では、リュシアンはヴィンセントを強く敵視していた。

 彼の悪行を知り、正義感から対立する。

 その後、決闘や事件を経て、ヴィンセントを追い詰めていく。

 だが、目の前のリュシアンは、警戒するどころか親しげに笑っている。

「なあ、ヴィンセント。お前、剣は使えるか?」

「人並みには」

「じゃあ、今度一緒に訓練しようぜ!」

「遠慮しておくよ」

「即答かよ!」

 リュシアンは声を上げて笑った。

 その笑顔には、裏がないように見えた。

 けれど、ヴィンセントは簡単には信じられない。

 人の好意ほど、後から牙を剥くものだ。

 原作の物語では、リュシアンは最初、ヴィンセントの本性を知らなかった。

 しかし、一度目の人生で、彼は知った。

 自分が戦場から戻れた理由。

 聖騎士団が壊滅を免れた理由。

 王都の民が救われた理由。

 それらの裏で、ヴィンセントがどれほどのものを犠牲にしていたのか。

そして最後に、彼が誰にも真実を告げないまま処刑台へ消えたことを。

(今度は、俺がそばにいる)

 リュシアンは、胸の内でそう誓っていた。

「なあ、ヴィンセント」

「何かな?」

「俺たち、友達になろうぜ」

 ヴィンセントは、しばらく沈黙した。

 友達。

 その言葉が、妙に重く感じられた。

(原作に、こんな展開はなかった)

 彼は慎重に答える。

「……友達、か」

「ああ!」


「僕と友達になると、何かと面倒だと思うけど」

「そんなの、なってみなきゃわからないだろ」

 リュシアンは、屈託なく笑った。

 ヴィンセントは、彼の顔を見つめる。

 まっすぐな瞳。

 飾り気のない笑顔。

 そして、疑いようのない親しさ。

(……根が明るい人間は、すごいな)

 ヴィンセントは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

「好きにすればいい」

「よし! じゃあ、今日から友達な!」

 リュシアンが、嬉しそうに拳を突き出す。

 ヴィンセントは戸惑いながらも、その拳に自分の拳を軽く合わせた。

 その瞬間。

 リュシアンは、誰にも見えない角度で目を細めた。

ヴィンセントを狙う者がいるなら、必ず見つけ出す。

 彼が再び孤独に沈む前に。

 彼が自分を犠牲にする前に。

 今度こそ、隣に立つ。




魔法学園での授業が始まってから、数週間が過ぎた。

 ヴィンセントは、できるだけ目立たないように振る舞っていた。

 魔法の実技では、あえて平均的な成績に抑える。

 討論では必要以上に発言しない。

 他の生徒と争わない。

 教師から褒められそうになると、適当な理由をつけて話題を逸らす。

その努力の甲斐あって、今のところ大きな問題は起きていない。

 ――ただし、一人を除いて。

「ヴィンセント・アストレア」

 魔法理論の授業中、教師のギリアム・フェルディナンドが彼の名を呼んだ。

 ギリアムは、灰色がかった黒髪を短く整えた壮年の男だった。鋭い目元には深い皺が刻まれ、口元は常に厳しく引き結ばれている。背筋はまっすぐで、長年の魔術研究と軍務経験を感じさせる、隙のない立ち姿をしていた。

「この術式の欠陥を説明しろ」

 ヴィンセントは、黒板に描かれた魔法陣を見た。

 簡単な問題だった。

 しかし、目立ちたくない。

「……魔力の流れが不安定になるため、発動時に術式が崩壊する可能性があります」

「理由は?」

「中心核の接続が、外周の循環と噛み合っていないからです」

 教室が静かになった。

 ギリアムは、ヴィンセントを見つめる。

 そして――

 小さく頷いた。

「正解だ」

 ヴィンセントは、内心で固まった。

(……何だ?)

 ギリアムは、もう一度頷いた。

 意味ありげに。

まるで、何かを伝えようとしているように。

(僕に何かを知らせている?)

 授業が終わったあとも、ギリアムはヴィンセントを見ていた。

 そのたびに、わずかに頷く。

 ヴィンセントの背筋に、冷たいものが走った。

(これは……警告か?)

 原作では、ギリアムはヴィンセントを落ちこぼれと見なし、厳しく扱う教師だった。

 それなのに、今は妙に気にかけてくる。

 褒める。

 頷く。

 視線を向ける。

(僕が何かを知っていると思われている?)

ヴィンセントは、慎重に教室を出た。

 その背中を見送りながら、ギリアムは静かに息を吐いた。

(今度こそ、あなたを危険にさらさない)

 一度目の人生で、ヴィンセントはギリアムの妻を救うために、禁じられた魔術の研究資料を探し、危険な取引に身を投じた。

 ギリアムは、後になってその事実を知った。

 自分がヴィンセントを見下していた間も、彼は誰にも知られずに手を尽くしていた。

 今度の人生では、妻の病はすでに別の方法で治療されている。

 ヴィンセントに頼る必要はない。

だからこそ、ギリアムは彼を守る側に立てる。

 教室の外では、ヴィンセントが真剣な顔で考え込んでいた。

(……やはり、何かある)

 彼は、ひとつの結論を出す。

(ギリアム先生は、僕が油断したところを狙っているのかもしれない)

 ギリアムの頷きは、ヴィンセントにとって謎の警告だった。

 そしてギリアムにとっては、精いっぱいの信頼と誓いの表現だった。

 両者の認識が交わる日は、まだ遠い。

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