1-5:怒りを以って錨と為せ
クラシックな喫茶店。目の前に居るのは、花屋敷さんとめぐるさん。
聞けば、さっきまで合流して通信を繋いでくれた標識さんは、先に家に帰ったらしい。ふらふらしているけれど、まあ大丈夫でしょうと花屋敷さんは言う。それが信頼なのか、それとも日常なのかは分からない。
相も変わらず冷えたアイスティーが目の前にある。それと、机の端の端に、空になった同じコップがある。
「さて、話くん。君はこの二十四時間のうちに、二回ばっくるーむへ誘われた。そう無い頻度なんだよ、これってさ」
ホットコーヒーが運ばれてくるやいなや、めぐるさんは飲みもせずに喋りかけて来た。
花屋敷さんは相変わらずアイスティーのストローを回しては戻し。手遊び中だ。
「好き好んでばっくるーむに行っているふあ——それから、常に薄くのーくりっぷしているひーくんを除けば、せいぜい三ヶ月に一回のーくりっぷすれば頻度が高い方なんだよね」
「ふあ?好き好んで?」
「まあ、そこは置いておいて。だから、何が言いたいのかっていうと……」
めぐるさんはそこまで言ってから、ちらりと花屋敷さんの方を見た。
良いんだよね?のような、確認する動き。
肝心の花屋敷さんは、彼女の方を一瞥もせずに飲み物を見つめているだけだったけど。
「やらなきゃいけないことが沢山あるよねー、って訳」
「やらなきゃいけないこと、ですか?体力作りとか?」
アイスティーを一口飲む。冷たい。
めぐるさんがばっくるーむ内でくれた、白い缶以外は半日くらい口に入れていないような気がする。とにかく染み渡る。
「それもあるけど、急いでやるべき事、かな」
彼女はぴっと手で三つを象る。
「一つ目。今後いつのーくりっぷしても良いように、準備をする」
「……充電器を持つとか、電灯とか、そういう話……ですか」
花屋敷さんが漸く話に参加してきた。
未だに片手はストローを用いてかき混ぜているが。
というか、なんだろうか、若干眠そうな声だ。
「帰りにドンキ行こっか。余ってる備品とかも渡せるし、まあここはどうにでもなるよ」
「あ……懐中電灯、持って帰ってきてたみたい。これとかも準備するべきもの、なんだよね?」
「そうそう。充電ある?減りがはやいから充電池も持っておくべきだね。それは話くんが持ってて構わないよ」
かち、かち。
相変わらず接続の調子が悪そうに点滅するライトを、言葉に甘えてポケットに収める。
それを確認しためぐるさんは、淡々とピースをした。
「二つ目。話くんの後遺症を見つけて、確認すること」
「後遺症……ですか」
「うん、後遺症です」
ちらりと花屋敷さんの目を見る。
真っ赤だ。いや、最初に出会ったときよりかは心なし薄いような気もするが、どちらにしろ一般的な東洋人の目ではない。
「さろんみたいにわかりやすかったら良いんだけどねー。ぱっと見自分で変わったなーってとこある?」
彼女は自分のバックを漁って、手鏡を取り出した。はい、だかなんだか言いながら渡してくるから、それを受け取って確認する。
「いや……特に」
「やっぱ外見上はないか。五感も特にないんだよね?うーん、こればっかりはなあ、いつ気付くかだし」
「二人はどうやって?」
「ん?んー、さろんはまあ、見ればわかるし、わたしも嗅げばわかるからなあ……」
ああ、確かに。
通信をしてくれている、えっと……『ひーくん』、標識さんと違って、彼女らは五感がモロに変化したのか。そりゃあ直ぐわかりそうだ。
「標識さんは?電波を繋ぐとか、通信できる、とか」
「ひーくんはねえ、ばっくるーむ内で出会った時、普通にスマートフォンを使ってたんだよ。頭も痛そうにしてたしけど、そういうものだと思っていたみたいだし。ばっくるーむ内と外ではちょっと後遺症の扱いが変わるみたいで……まあ、そういう感じ」
「なるほど」
「だから、本人が自覚するか、あるいはまたあっちに落とされた時の極限状態で発現するのを待つしかないんだよね」
いまのところは。
めぐるさんはそう言って、ようやく、少しぬるくなったであろうホットコーヒーに口をつけた。
外見に変化がない。五感にも自覚症状がない。
それならば一体何が変わってしまったのだろうか?俺の脳のどこかも、すでに不可逆の変質を遂げているのだろうか。そう考えると、自分の頭蓋骨の裏側が急にひどく不気味なものに思えてくる。
「三つ目」
ぴっと指をまた立てる動き。
「話くんをチームのみんなに紹介して、なんで君がこんなにばっくるーむに好かれてるのか、作戦会議をすること。……作戦会議ってなんだか、子供っぽいね」
くすり、と笑う彼女。
和ませようとしてくれているようにも見えるし、本当にただ思ったことを言っているだけにも見える。
「一日に二回だよ?変だよ、そんなのは。さろんの目も、私の鼻も、全部後遺症のせい。なら、話くんがこんな短期間に何度も引きずり込まれるのも、何か理由があるはずなんだよね。それは後遺症かもしれないし、違うかもしれない、けど……」
ぴん、と彼女が指で花屋敷さんのアイスティーを弾いた。
かろんころんと氷が鳴って、眠そうな目で彼女はめぐるさんを見、それから俺を見る。
「変、なのです、明確に。規則正しく不規則なばっくるーむにおいて、常に異常なのが正常というか、わからないことがわかっている、というか……」
考えながら喋っている、という印象。
「……すみません、いっぱい見た後は、頭がぼんやりしてしまうのです」
返事も曖昧なまま、花屋敷さんはもう一口アイスティーを飲んで、机に倒れた。
目は閉じていないが、間もなく寝ますよ、という表情。
どちらかといえば充電切れに近い。
「必要品買って、おやつ買って、ひーくん家にでも行こっか。多分見越して帰ってくれてるんでしょ?ねー、さろん」
「……なのです」
チャリと花屋敷さんは金属を取り出す。鍵だ。
「ひーくん家、両親が忙しいみたいでさ。あ、ちゃんと仲は良いらしいからね?大丈夫。普通に友達数名が、友達の家に遊びに行くだけの話だよ」
「……変な遠慮は、いらないのですよ。向こうだってきっと、私たちがマックかなにかを買ってくるのを待っているのですから」
めぐるさんは手際よく自分のコーヒーを飲み干した。
テーブルに突っ伏したままの花屋敷さんは、気だるげに人差し指だけを動かして、カチャリと机の上に鍵を滑らせてくる。少し古びたキーホルダーが付いた、どこにでもある普通の鍵。
きちんとめぐるさんは受け取って、ポケットへしまった。
「会計は、まあ、良いのです。行きますよ……めっきり行かないと、私が、寝る」
ふらふらとした足取りで花屋敷さんはジャズの流れる扉を押し開ける。
外はすっかり夕暮れ時だった。
西日がアスファルトに長い影を落としている。地面は固く、靴底を通じて確かな反発を返してくる。すとんと足が空を切る気配は、今のところ、無い。幻想かもしれないが。
「まずは駅前のドンキね。モバイルバッテリーのいいやつと、あと話くんの目印になるような変な帽子でも買わなきゃ。それからハンバーガーでも買ってこ。予算多めに見といてねー」
「え、俺の奢り?」
「新入りの洗礼、みたいな?」
めぐるさんは前を歩きながら、夕飯の献立でも決めるかのような軽い調子で指を折っていく。
日常のすぐ裏側に、あの果てしない狂気と不条理が口を開けて待っている。俺の脳のどこかも、すでに彼らと同じように修復不可能な変質を遂げているのかもしれない。
あまりにも世俗的で、けれどあまりにも切実なサバイバル。




