1-3:もういっかいすすむ
ぽぺん。
なんというか、こんな時に腑抜けた音だな、と思った。
紫か青か、狭間あたりのアイコンがくるくると回る。いらっしゃいませ、の歓迎する文字。
あの後置いてかれた俺は、怯えながら家に帰った。
地面をしっかりと踏み締めているはずなのに、すとんと足が空を切り、底へ抜ける瞬間が未だ消えない。
どこまでも落ちていく感覚。
覚束無い足取りでベッドに倒れ込んでから、この柔らかいシーツさえも安全保障がされていないのだと気付く。
それでも、今日の疲れには勝てなかった。
落ちた。歩いた。走った。少し座って、また落ちて、それから……。
ああ、頭が鈍っていく。眠い。ただひたすら眠い。
そのまま俺は目を閉じて。
どすん、と情けなく転がり落ちた——なんてことは、無かった。
いや、厳密に言えばベッドからは落ちたのだけど。
それ以上落ちることは無かった。なんだったか、花屋敷さんの言う、「のーくりっぷ」もしくは「すりぬけ」みたいな異常は起こらなかった。
なんとなく、これが夢だったら良いのに。
そんな希望に縋りつつスマホを見れば、相変わらず「ようこそ」の招待は楽しげに表示されていて、変わることは無いと知る。
そのまま寝てしまっていたせいで、充電残量は少ない。20パーセントあるかないか程度か。
充電しなくちゃな、とか、喉が乾いたな、とか。そういう日常のことを考えていたせいだろうか?
油断していたのだろう。
起き上がった瞬間、浮遊感と重力が身体全体に押しかかって。
どさ、と投げ出された。
「は……?」
それしか言いようが無かった。
慌てて周囲を確認する。
黄色い部屋。点滅が果てしない蛍光灯。経年劣化で固いカーペット。右手にはスマートフォン。それだけ。
……誰もいない。少なくとも、今はまだ。
どっ、どっ、と心臓音が五月蝿い。落ち着け、落ち着け。まだ大丈夫、とりあえず広い空間にいるのはまずい。視認性が良いということは、相手からも見えるということだ。どこに行くにしろ、死角は減らしたい。
二回目だからだろうか?嫌に頭は冴えていて、思ったよりも落ち着いている。
もしかしたら彼女——花屋敷さんが先に教えてくれたおかげかもしれない。良くも、悪くも。
動け、足、歩け!
「っは、どこに……」
半ば這いずるように近場の壁へ移動し、そこから曲がり角。この空けた空間に化け物が現れたら、直ぐに身を隠せるように。
大丈夫。この前も逃げきれたのだし、今回は強くてニューゲームだ、油断しなければ大丈夫。
深呼吸をするように息を整える。
それと同時だった。
スマートフォンが震えた。
「あ……?」
なんで震えたんだ?
前回は使えなかった。充電が切れたように動かなくなっていた。
――そこで花屋敷さんの言葉を思い出す。そう、後遺症のおかげで、とか、連絡はとれる、とか言っていたような……?
「まさか」
届くのか?彼女に、助けが?
そう思ってしまったら、こんな招待通知に参加するしかなかった。縋るしかなかった。
ぽぺん。
間抜けな音が響いて、そして。
【新しい仲間に手を振りましょう!】
総表示されると同時に、勢い良くスタンプが送られてきた。
ぽぺ、ぽぺ、ぽぺん。
それで漸く俺は携帯をマナーモードにして、あたりを見回した。
……良かった、近くには何もいない。聞こえなかったみたいだ。
もう一度画面に目を戻す。そこには何人かが既に居るグループサーバーのようで、様々な項目が並んでいた。
安全な階層。敵の情報。今どこにいるか。自己紹介欄、雑談。
何から手を付ける?今ここはどこにいるのかもわかっていない。前回は走って逃げただけだったから、化け物がどういう条件で現れるのかもあまりわかっていない。しかし悠長にはしていられない。ここは安全ではないのがわかっているのだから、なるべく今すぐにでも安全な場所、もしくは身を守る武器かなにかが欲しい。
なにをするべきか。
なにを言うべきか。
迷っていると、一つのメッセージが送られてきた。
【彼が昨日話した弓哥さんです。弓哥さんは自己紹介チャットで自己紹介文を書いて下さい】
ニックネームは【はな】。
十中八九花屋敷さんだろう。
雑談チャットに打ち込まれている文字を見て、俺は慌てて送信した。
【また落とされた、どうすればいい】
助けて下さい、とは年上の意地で言えず、しかし死にたくないのもまた事実。
動揺しているのだろう、送信してから敬語をつけ忘れたことに気が付いた。けれど、訂正できるような達観した精神を持っているわけでもない。
チャットに【入力中】と表示されているのを確認しながら、辺りの警戒を続けるしか出来なかった。
【またですか】
端的にそう文字が見えた。
嘘を吐くわけないだろうと言ってやりたいが、その手段は生憎ない。
しばらく花屋敷さんはぐるぐると文字入力を行っていたが、そのうち人数が増えた。複数人が入力中、と表示されてから、数秒後。
【通話へ移動 @全員】
その簡素な文字だった。
通話ってどれだ?そう思うより先に、三、四人が続々と【ばっくるーむ】と書かれた場所へ参加していく。
慌てて俺もそこを押した。
ぴぺん。
やっぱり間抜けな音だ。
「スピーカー操作だったら今すぐ止めて下さい。できればイヤホン、無ければ耳元に当ててお願いします。どこにいるかわかりませんが、音に反応する敵は多いので」
開口一番、花屋敷さんから注意を受ける。返事をする間もなく、彼女は続けていく。
「今どこですか?話せそうであればこのまま、無理ならチャットにどうぞ。弓哥さん以外はミュートで」
言葉を皮切りに、ほぼ全員がミュートに切り替えた。
同時に通話チャットへ文章が送られては流れていく。今の俺ではよくわからないけれど、多分、階層とかなにかしらを相談し合っているんだと思う。
「……花屋敷さん、俺……黄色い部屋に落ちて、今は何もいないけど、充電もあまりないし、どうすれば」
「まだ入口ですか。そうですね……正直、そんな頻度でばっくるーむに入る人は稀なので油断していました。結構好かれてますね」
冷静に返答が帰ってきて、俺の情けなさが目立っている……気がする。
ポケットを弄ったけれど、イヤホンなんて高等なものは何も無い。本当にただスマホだけを握りしめている状況だった。
「とりあえず……そのれべるに滞在するのは好ましくありませんから、ひたすら歩いて下さい。敵には……えっと、一般的には、えんてぃてぃ?でしたっけ、十分に注意しながら、なにか変わったところがないか見つけなければいけないのです」
「……変わったところ?」
「ええ、変わったところです。出来れば階段。床は破らない方が良いでしょう。同様に深淵も。兎に角、その黄色い部屋に存在する僅かな違和感を見逃さないことです」
「そんなこと言ったって……」
それ以上は飲み込んだけれど。こんなゴールも見えない空間で、化け物に会うかもしれないのに。
「ここでの合流はかなり難しいので……れべるいち、に行って貰えばかなり希望はあるというか……もしくは……いいえ、兎に角なにか感じたら連絡を。それまでは充電も充分ではないのでしょうし、黙っているのです」
ぷつんと音がして、ミュートにされた。
そんなこと言ったって。本当にその文字通りではあるのだが。
とりあえずここから離れたい。多分聞かれていないとはいえ、音を鳴らしていたから、ここに何かが集まってくる可能性も考えられるし。
……花屋敷さんと話したおかげだろうか?本当に僅かだったけれど、少し動けるような気がしてきた。
どうにか立ち上がって、辺りを再度見回す。何も変わらなかったけれど。
そういえば、左手で壁伝いに行けば迷路でも迷わないとか、そういう話を聞いた覚えがある。こんな嘘みたいな空間に意味があるのかはわからないけれど、駄目元でやってみることにした。
手汗かわからない程度に濡れている……ような気も、する。嫌な湿度だ。
一人ではどうしても後ろの警戒がしにくいな、と思いながら進んでいく。あまり広がった道を歩きたくないが、角でばったり出会すのも嫌だ。
なにかないか?花屋敷さんは階段と言っていたけれど、前回俺はどうなったんだっけ。化け物に追われたのは覚えている。それから、それで……?
「おい!右から来てる!離れろ!」
——耳に爆音が飛び込んで来た。
花屋敷さろんではない、もうひとりの声。
芯のある男性の声だ。声が通るタイプの声質だからか、なんだか酷く大きく聞こえる。
待って、右から来てるって言った?
俺は慌ててしゃがみ込む。近場に——段になっていると言えばいいのだろうか、辛うじて身を隠せる……かもしれない障害物の壁があった。
どくん、どくんと心臓がまた大きな音を立て始める。落ち着け、落ち着け。あいつらは認識したものに一直線に走ってくるはずだから、今来ないということはまだバレていない……はず。
花屋敷さんもミュートに変更した。チャットは忙しなく動いてはいるが、見る余裕は流石にないだろう。
かさ、かさ、かさ。
厚い布の上を、金属か何か、少なくとも生き物のではないようななにかが這いずる音がする。
今、そこの曲がり角にいる。
こちら側に回られたらバレるから、あの化け物の対角線上になるようにして迂回しつつ、あいつらが行く方向と反対に行くべきだろう。
出来るだけ見たくない。視線を足元にしつつ、化け物の影だけを見るようにして動く。
それでも足は目に入る。二足歩行なのが腹が立つ。黒い金属だか、無機物だか分からないが、ぐにょんぐにょんと捻り曲がって、人間のシルエットだけを真似しているように見えてしまう。
気付いていない、はずだ。
落ち着いて動け。
角から現れた化け物は、目的地がなさそうな足取りでふらふらと歩いている。気兼ねない散歩のようだった。
十字路になっている地点へ歩いたかと思うと、また右に曲がって行ったかと思えば、くるりとUターンをかました。
「っぶね……!」
そう口にしかけた言葉はギリギリ漏れなかったようで、化け物は特に気付くことは無く消えていった。
何はともあれ、向こうに行くことは避けた方が良さそうだ。
十字路を真っ直ぐ行ったのだろうか?広がっている場所もあるとはいえ、不自然に自然的というか、ルールのなく無差別な壁と道だ。入り組んでいて見え辛いが。
ひとまず脅威は去った……のだろう、多分。
「行ったそうなのです。よく隠れましたね、流石です」
「あ、ああ……花屋敷さん、ありがとう……よく気付いたね」
スマホから彼女の声。驚いているのかも、心配してくれているのかもよく分からないが。誰かと話せるのは、正直かなり有難い。少しだけ気が楽になる。
「気付いたのは、彼のおかげ、なのですよ」
「彼って……あ、さっきの?」
「はい。ばっくるーむにいても通信出来たり、気配や音を感じ取れたりするのは、彼の後遺症のおかげ……せい、なのです」
「……よくわからないけれど、ありがたいってことでいいんですよね?」
「ただし、彼がここのれべるに電波を繋げているとき、彼はこの場所の音も映像も、その身で受け止めているのです」
「……うん?」
「貴方が聞いている黄色い部屋のノイズも、這いずるような敵の足音も、下手したら貴方には聞こえていない呻き声や風切り音や敵の声も、全て耳に、目に、入ってる……」
のです。
彼女は当たり前のように告げた。
そんな気が狂いそうなことを、さっぱりと。
「へ、平気、なんですか?」
「正気ではないかもしれませんね」
花屋敷さんはあっさり答える。
「だから彼はいつも怒鳴るのです」
「怒鳴る?」
「自分の声が聞こえないので」
言われてみれば、先程の声はやけに大きかった。
「まあ……おいおい自己紹介をして、仲良くなって欲しいのです。ところで、弓哥さん」
「はい」
「先の敵が行った方に、この階層の出口になりそうな階段があるとのことです。行けますか?」
……本気ですか、とは言えなかった。あまりにも冷静な口調だったから。
「それがわかるのも、その……?」
「そうですね。私はこの目で見ないと見えないのです」
「……なるほど」
なるほど、では全然ない。
なるほどではないのだけれど、今更そこを掘り下げても仕方がない気がした。
階段がある。
出口かもしれない。
それだけでも十分な情報だ。少なくとも、前回一人で落ちた時には知り得なかった情報。
「……行けますか」
少しだけ心配そうな声色をしている、気がする。そうだよな、話が出来るのに、状況がわかるのに、その場に居ないというのは酷く辛い。
あんまり心配はかけらんないよな。
「行く」
数時間前なら絶対に嫌だと叫んでいたと思うけれど、実際今も本当に嫌だけど。
行くしかないとわかっているから、行くしかないのだ。
「十字路を左に。そこから真っ直ぐ……?まあ、出来るだけ真っ直ぐ突き進めばいいらしいのです。チャットに書き込んでくれている分は私が伝えますから、死なないことだけ考えて下さい」
「本当に見えてるんですね……」
「見えてるのは私ではないのですよ」
ああ、そうだった。
俺が歩くたびに、通話を繋いでいるたびに、誰かがこの気味の悪い空間を体験している。そう思うとどこか申し訳ない気持ちになる。
……あれ?ちょっと待てよ。
「……もしかして、俺がここにいなくても、ずっと見えてるんですか?」
「いいえ、彼の場合はオンオフできるそうなのです」
「じゃあ、なんで最初から電波が繋がって……?」
少しだけ沈黙。
「貴方がラッキーすぎるのです」
「ラッキー?」
「今日もうちの特攻隊長が、頭のおかしい階層で遊んでいるのです。そこと階層が近かったのもあって、本当に偶然、グループに参加が出来たのです。それを確認できたから、彼が範囲を広げて通話できるようにしてもらってます」
「うん……?」
「混線しているだけだったのですよ」
意味のわからない単語がぽんぽん出てくる。
説明が下手なのは致命的なんじゃないか?できることなら、さっきの彼に変わって欲しいくらいだ。うるさいけれど。
多分、戦闘かなにかに長けた仲間がいて、その仲間がここから近い場所に居る、だから彼が通信のスイッチをオンにしていて偶々受信できた……そういう解釈が近い気がする。
「出来ればはやく移動してもらえると良いのです。今もきっと彼の脳内は、蛍光灯の音と、あの階層の不愉快なパーティーミュージックとが同時に流れていて地獄絵図、なのですよ」
不愉快なパーティーミュージック?なんのことだろうか。それが、頭のおかしい階層、とやらの象徴なのだろうか?
「……善処します」
「助かります。そこ、壁がありますが、右に回れば進めるそうなのです」
なんというか、酷い能力だ。いや、彼女たちの言葉で言うなら後遺症、か。確かにこれはマイナスな面が多すぎる。
それ以降は何も言わなかった。ただ、時折花屋敷さんが出す指示に従いながら歩いていると、階段は案外あっさり見つかった。
もっと劇的なものを想像していた。
隠し通路だとか、空間の裂け目だとか。
けれど実際は、黄色い壁の途中に、最初から居るかのように、ぽつんと存在するだけの古びたコンクリート階段だった。
「なんか……上りの階段があります。じゃっかん汚れた、灰色の」
「十中八九それがその階層からの出口です。もし余裕があればビデオに出来ますか?肉眼より精度が落ちるとはいえ、見ればどこの階層に行けるか——あっ」
「あっ?」
彼女の声と、後ろから物音がするのは同時だった。
かさ、かさ、かさ。
気の悪くなるような金属音。凡そ生物では出せないような音。
「振り返らないで、進んで!」
花屋敷さんの声が響いた。
その声で我に返る。ただ、考えるより先に足が動いた。目の前の階段に縋るように駆け込む。
片足が段に乗っかったその瞬間だった。
「っは……?」
ぐにゃりと、俺の体はまた、落ちていった。
れべるぜろ、ろびー、だっしゅつ。




