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はろーばっくるーむ  作者: 雨季如き


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1-2:はろーばっくるーむ

ほんへ

「ばっくるーむ、と呼ばれています」


店に入って開口一番がそれだった。

お冷もまだ貰っていないのに。

一瞬なんの話なのかわからなくて、数秒してから「はあ」とか何とか絞り出す。

彼女は一見しっかりしているように見えるがその実、随分突拍子もないのかもしれない。


「あんまり私も知らないんですよね、インターネットでのあそこは……情報収集担当ではなくて」

「えっ……と、その」

「あ、ご安心くださいね。このお店は私の知り合いが経営しているので。誰も彼も人間ですよ。食べ物も美味しいし」


当たり前だ、と言いかけて止めた。

だってさっきまでいた、あのカフェテリアには、明らかに人間では無いなにかがいた。

口がなかった。下手したら顔そのものが無かったかもしれない。ただ、メニューを提示されて、彼女が言うままに注文した。それだけなのに、未だに恐ろしい。


そうだ、さっきまでの全て。

あのカフェテリア以前もそうだ、不気味な空間だった。

全て現実とほとんど変わらないのに、何か強烈な違和感がある。偶にじゃない、常に付き纏っていた。

逃げ出したいのに、どこに行けばいいのか分からないあの感覚が、まだ、残っている。


「よくあそこまで来られましたね。体力もそうですが……運が良いみたい」

「運が良いって……それは、下手したら」

「下手しなくても死んでいたでしょうね」


黄色い壁の部屋を見ましたか?

彼女がそう問い掛けてくる。

黄色い壁——もしかしてそれは、一番最初に迷い込んだ、いや、落ちたの方が正しいのかもしれないけれど、兎も角あそこだろうか。

ただひたすらに黄色い壁。少し柔いカーペットに、チカチカと音を鳴らす蛍光灯。それから。


「あそこから出たことも、いきものに出会わなかったことも、奇跡に近いのですよ」


三つ編みが揺れる。

いきもの。生き物。

いや、違う、俺が見たのは少なくとも生物なんかではなかった。あれは、もっと、形容し難い。意思も思想もない。人型であること以外人の要素がない。


「あ、出会ったのですね」


あっけらかんと彼女が言うから、余計に意味がわからなくなった。

あれはなんだ。どうして戻って来られたんだ。お前は誰だ。そもそもあそこはなんなのだ?

聞きたいことだけが積もり積もって、口を開いては閉じる。

知りたいのに知りたくなかった。あれが夢だったら良いのに。

もしくは、もう、面白みもなければ恐ろしさもない、辺鄙のない日常生活に戻れるならそれでいい——そう思ったのに。


「一度惹き込まれた者は、また引き込まれてしまうのですよ」


彼女の言葉で、淡い期待も粉々にされた。


「……すみません、説明は苦手なんです」


本当に心底申し訳なさそうな顔をされて、俺は慌てて「大丈夫」とかなんとか返答する。

それを聞いた彼女は、一度息を吸った。深呼吸。

どう考えても説明不足だろう、と喉元まで出かかった言葉は飲み込んだ。

少なくとも彼女に悪気がないことだけは分かる。

分かるのだが、だからといって状況への理解が深まるわけではない。

得体の知れない場所から帰ってきたばかりで、帰ってきたと思ったら今度は知らない女性と向かい合って座っている。


「そもそも……自己紹介を忘れておりました。私、花屋敷と言います。花屋敷さろん。良い名前でしょう?」

「え、ああうん、良い名前……」

「貴方は?」


良い名前でしょう、と本人から言われるのは初めてのことで、動揺してしまった。

はっきりとした吊り目も、編み込んでからおさげに下ろした三つ編みも、真っ直ぐに切られた前髪も。

その全てが誇張した学級委員のような記号ですらあるのに、彼女自体は結構おちゃらけているのだろうか。


というか、自分の名前を褒める人間を初めて見た。


「名前」

「あ、(はなし)、っていうんだけど、その」

「はなしさん?はながお揃いですね。呼びにくいです。名字は?」

「……弓哥(きゅうか)。弓哥話が名前」

「ふーん」


ふーんて。

聞いてきたくせにそこで興味が無さそうな反応をされる。

からりと音が鳴って、運ばれてきたアイスティーを彼女は躊躇うことなく飲んだ。注文もまだなのに。いや、知り合いとか言っていたから注文の必要がないのかもしれないけれど。

俺の前にもアイスティーが置かれたが、手はつけられなかった。

店内には小さくジャズが流れていて、窓の外では人が行き交っている。ごく普通の昼下がりだ。

だから余計に現実感がない。


「弓哥さん。ご相談があります」


花屋敷がストローから口を離す。もう大半を飲みきったらしい。


「私たちと、ばっくるーむを解き明かしませんか」


突拍子もないその言葉に、いよいよ俺は頭がパンクしそうだった。

とにかく、口に出たのは「冗談じゃない」たった一言で。


「あんな、あんなとこ行きたい訳がない、嫌だ」


震える声を必死に抑えて、ようやくそれだけを口にする。

ほとんど懇願だった。

年下相手に何をやっているんだとも思う。けれど、絶対に嫌だった。そんな提案に乗ることは出来なかった。

しかし、花屋敷は悲しむ風でも、怒る風でもなく、ただ変わらない目つきでストローの先で氷を小さく突いた。カラン、と現実的な音が響く。


「ばっくるーむに惹き込まれたら、もう駄目なのですよ」

「なにが……」

「私たちは後遺症と呼んでいます。あっちが私たちに目をつけている限り、逃げきれないのです。そのための印みたいなものです」


こん、と彼女が自身の目を指差した。

真っ赤、真っ赤な目。


「私の場合はこれでした。見えてしまうのです、隙間が」

「隙間……っていうのは、あの穴のこと?」

「弓哥さんは落ちるタイプでしたか」


ああ。落ちた。

コンビニに出掛けた時だった。ちょっとアイスとかカップラーメンが食べたいな、みたいな動機だったと思う。ただ普通に歩いていただけだったのに。

道路の途中で、すかっと足が虚空を切った。

目の前は地面だ。転ぶ、と思った。

なのに、そのまま()()()のように虚空に落ちていって。

どんとぶつかったと思ったら、黄色い世界だった。


「私には見えるのです。あそこに続く道が。……道、と言うよりはバグの方が近しいかもしれませんが」


バグ。

俺にはすり抜けのチートのように感じたけれど。

「公には、のーくりっぷ、とかなんとか」と付け加えられて。

兎に角現実感の無い話ではあるけれど、事実なのだ。


「多分、弓哥さんにも何かしら変化があると思います。加えて」


彼女は一度躊躇ったようにも見えた。

アイスティーを持って、もう一口飲む。


「……あそこは貴方を覚えた。次は、自分の部屋で寝ている時かもしれない。学校?会社?その帰りかもしれない。ある日突然、またあの黄色い部屋に呼び込まれてしまうのです」

「それは、つまり」

「脅威にただ怯えるのと、対抗策を見つけること。どちらを選択しますか?」


そんな選択の自由のようで、決まった質問。

彼女はかなり意地が悪いみたいだ。


「私たちは決して、人助けや知識欲の為に解き明かそうとしている訳では無いのです」


黙り込んでいると、彼女がぽつりと呟いた。

赤い目だ。

太陽のように燃えている。


「——怒っているのです。あんな情も条理も無い、クソッタレの世界を、暴くために」


舌打ち。

こんなに真面目そうな面から出てきたのは、あまりにも泥臭い単語だった。


「弓哥さん。私達は、突如としてあの場に日常を奪われたのですよ」


剥き出しの敵意。

正義心でも、探究心でもない、純粋な悪意。

……それに対して俺はどうだろうか。

怒る気力なんてない。楽しむ余力もない。ただ、恐怖に圧倒されているだけ。


「……ずるいよ」


掠れた声しか出なかった。


「選択肢になってないよ、俺は今日から、自分の部屋で寝るのすら怯えなくちゃいけないのか?いつ落ちるかわからないまま、次落ちたら、きっともう、……」


じっとりと手に汗をかいているのがわかる。

湿度が嫌に高い黄色い部屋。生温い停滞した空気。チカ、チカと耳鳴りに似た蛍光灯のノイズのフラッシュバック。


「……死にたくない」


そういうのが精一杯だった。

それ以上言葉にできなかった。

その言葉に、花屋敷は少しだけ目を細めた。口元も緩めた。知っている、そう言うような表情で。


「交渉成立、ですね」


彼女はそう言うと、スマートフォンを出してアプリを起動した。

ぽへ、とか腑抜けた音の後、すいすいと指を動かしているかと思うと。

「こっち向いて、はい」

ぱしゃ。

ツーショットを撮られた。


「えっ?今、写真」

「撮りました。紹介用です」


しゅっとかぴこんとか、有りがちな操作音とともにそのデータは軽々しくアプリに送信されていったのがどうにか見えた。


「しょ、肖像権!」

「死ぬのに比べたら安いでしょう?はい、スマホ見て下さい」

「いや、ちょっと……」


エアドロップで何かが送られてくる。

花屋敷さろんさんから、貴方にリンクが共有されました、の文字。


「我らのチーム連絡用です。参加しておけば良いと思いますよ」

「……いや、写真……」

「あそこでは基本的に携帯は使えませんが。後遺症のおかげで――不適切かもしれないですけど、連絡はとれるのです。今度紹介しないと、ですね」


彼女はそう微笑んだ。それから、いきなり立ち上がる。

本当に「知り合いの店」なのだろう。店員に軽く手をふって席を立った。


「私、学校があるので!詳しい話はこっちでしましょう、では、また!」


こんこんとスマホを叩いてから、からりとドアベルが鳴った。

一人残されたテーブル。

水が滴るガラスを眺めていた。

逃げたかった。

でも、あの恐怖には抗えなかった。

震える手で、リンクを開く。

ようこそ、の文字。


いらっしゃいませ、メンバーへ!


その文字だけが、日常の終わりを教えてくれた。

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