3-3:けいほう
どすん、と重力が一気に伸し掛る。
全身を打ったような気がする。
痛みを堪えながら顔を上げると、案の定、また知らない景色だ。
先程までの清潔感ある白い空間ではなく、また黄色い壁。
けれど、最初のれべる——ろびーとはまた違っている。
あちらこちらに、この前めぐるさんが描いたようなクレヨンの落書きや、決して何故か恐ろしくない傷跡。天井を見れば赤や青、原色の風船がふわふわと浮いており、地面は柔く心地いいカーペットに紙吹雪が落ちている。
のーくりっぷ間際のめぐるさんはあんなに焦っていたけれど、正直、そこまでには思えない。
まるでここに迷い込んだ子供を歓迎しているようなのだ。
「……あれ?」
慌てて起き上がる。
そういえば、めぐるさんは何処だ?
「めぐるさん?」
小さく呼んでみる。
けれど返事はない。
大声を出そうか迷ってしまう。このれべるに得体の知れないえんてぃてぃが居たら?聴力が良かったら?そう思うと動けない。
「……あっ、スマホ……!」
慌ててポケットをまさぐる。
イヤホンは耳から外れて、服の中に潜りこんでいたけれど、幸いにして持ち物はそのままあった。
「東、聞こえてる?」
兎にも角にも声をかけてみる。
一応電波のアンテナは一本たってはいる。たってはいるが、少しマシになったとはいえ、変わらず画面は不自然にバグっているままだ。
チャット欄を見るのさえ少し疲れる。
……一旦スマホは置いておこう。
もう一度辺りを見回してみる。
部屋だ。
子供部屋サイズ程度の、小さい部屋。
背もたれのついた丸椅子がひとつ。小さな机には、丈が短く中途半端なテーブルカーテンらしきもの。
映画とかでしか見たことがないけれど、どことなくアメリカンカントリーを感じる、気がする、ような……?
後ろを振り向けば、廊下らしき明るい場所へ繋がっている。
どうするべきか。
現状、音はなにも聞こえない。
ということは、えんてぃてぃはいないのではないか?
それならば、少し廊下の様子を伺っても良い気がする。
めぐるさんと別れてしまった以上、自分で出来ることを見つけてこなさないと。
「……」
少しだけ顔を覗かせて廊下の左右を見る。
先はうねっていてよく見えない。
ただ、どことなく左からは音楽が聞こえるような……?
パンクなロックとかではなくって、安心するような歌声に近い。
行くとしたら、どちらに行くべきなのだろうか。
音の鳴っている方が、めぐるさんと合流しやすいだろうか?
もう一度スマホを見る。
変わらない。
通話とまでは行かなくても、せめて手繰さんとチャットが繋がれば、このれべるが一体どんな場所で、どんな脅威があるのかわかるのに。
めぐるさんとはぐれてのーくりっぷしてしまったのも手痛い。彼女の知識と嗅覚のお陰で、安心して——というのは変だとは思うが、探索出来ていたのだ。
わからないことは、怖い。
改めて、俺一人ではなにひとつできないことを突き詰められている。
【のーくりっぷして、めぐるさんとはぐれました。移動する予定です。】
慣れ親しんだフリック入力は、見え難い画面でも多分入力できてるだろう。
取り急ぎメッセージを送っておく。本当に送信出来ているかはわからないが、何もしないよりかはマシだ。恐らくは。
移動しようと思ってから、めぐるさんが前回していたクレヨンの落書きを思い出す。
手持ちに絵画の道具があれば、メッセージを残せたんだけど。
リュックサックを漁る。
大容量のモバイルバッテリーや予備のイヤホン。冷えているアーモンドウォーターも今は役に立たない。
手に握っていた懐中電灯とナイフはそばに落ちていた。
貰ったノートと普通のボールペンはあるけれど、固定は出来ないし、道先を逐一記すのは手間がかかる。それに、壁に直接書いても、元からある落書きで目立たないだろうし……。
仕方が無いので、ナイフで壁に傷をつけておくことにした。
わかりやすく、行く方向へ矢印。
器物破損の気分だ。
「よし」
片手にナイフ。現状意味を成してないイヤホンも一応着用。ポケットにスマホを入れて置いて、すぐ確認できるようにはした。
「行くか」
左右確認。誰もなし。
音のする方へと移動する。
直線の廊下ではなく、うねっていたり、れべるぜろのような謎の仕切りに似た壁があったりして見通しは良くない。
廊下を歩く度に、紙吹雪をくしゃと踏まなくてはいけないのがまた不思議な感覚にさせてくる。
左手にナイフを握って、迷路に迷わないようにする裏技みたいに傷をつけて歩く。
道中、方向とは違う仕切りを覗けば、同じような部屋があった。
風船、椅子、机。
たまに何故かロウソクが刺さったショートケーキが落ちている部屋もある。
そこまで危険度が高くなさそうに見える。ただ、めぐるさんのあの表情を見ると、よくわからないけれど……。
数分歩く内に、だいぶ音声が近付いてきた。
この曲の先にめぐるさんがいれば最高だけど、先にいるのがえんてぃてぃであれば最悪だ。
気を引き締めなければ。
震える手で再度ナイフを握りしめて、立ち止まって一度深呼吸をする。
「……あれ」
なにか、変だ。
違和感。
「なにが……?」
思わず後ずさる。
なにが変なのかわからない。
それがより気持ち悪い。
落ち着いて音楽を聞く。目的の方向。変わらないはずだ。
変わらない……
「あっ」
失敗した、気付かなかった!
慌てて背を向けて走る。
自分が音楽を目的値にしたせいで、その音楽がこちらに近付いているのに気がつけなかった!
立ち止まらなかったら気付けなかったかもしれない。そう考えるとゾッとする。
独り立ちする音楽なんてものはない。
おおよそあれは、えんてぃてぃが発しているか持っているかしているものだろう。
いつからかはわからないが、ずっとこっちに来ていたのだ。
どうするべきだろうか?
壁に傷を付けたことが原因?それならば走らずに戻るべきだろうか?
いや、廊下は見通しが良い。それに、後ろから来ていないとも限らない。さっき見た部屋でやり過ごすべき?袋小路にならないだろうか?
バレているのかバレていないのかもわからない。
とにかく、あの部屋の前までは辿り着かなければ——
「……はは」
近付いてわかる。
これは歌声だ。
それが、前からも後ろからも聞こえる。
本気で走れば次の四つ辻に間に合うだろうか。後ろか前、どちらかが気付かないまま戻っていくのを祈ってやり過ごすべきだろうか。
ああ、最初にばっくるーむに迷い込んだ時、なんで俺は生還できたのか不思議なくらいだ。
走って、走って、走っていたら、花屋敷さんが居て。
やっていることは今も変わらない。ただ逃げてるだけ。誰かの助けを待っているだけ。
「くそ……」
せめて、やってくるえんてぃてぃだけでも倒そう。
延命だけじゃない。このれべるにえんてぃてぃがいくついるのかは知らないが、倒す一体がめぐるさん達を助けられる……かもしれない。
真っ直ぐに突き進む。
刺し違えても、の覚悟で。
目の前になにかいる。暖色の、顔文字みたいな笑顔。
足がすくむ。
その顔が、ゆっくり、走馬灯みたいに近付いてきて、それでもどうにか手を動かして——
「見つけたぁ!」
突然、声がした。
明らかに壁から。
響き渡る知らない女性の声。
「動かないでっ!」
——パァン、と何かが弾け飛ぶ音。
思わず目を瞑る。
それから焦って目を開くと、えんてぃてぃは倒れていて。
代わりに、少女が立っていた。
「危なかったねっ?」
笑顔で。
けれど、化け物とは正反対の、本当の笑顔で。
「死んでなくって良かったぁ、ぎりぎりだったねぇ」
髪の毛を高めのツインお団子にして纏めて。
頬にはラメがかったシール。
派手なカラーのアイシャドウとは裏腹に、服装は至って普通の制服で。
あまりにも普通の笑顔だから、どこか拍子抜けしてしまって、全身から力が抜けていく。
「ふあだよぉ、はじめまーしてっ!」
彼女はそうやって、手を差し伸べてきた。




