3-4:あくしゅ!
「ひーくんは三人分に耐えきれなくてショートしちゃったみたい〜。後で見舞ってあげてねっ」
「あ、はい、……あの、それで」
「たぐのチャットは確認済み?や、どうせスマホ狂っちゃったよねぇ」
「え?あぁ……そうですけど、」
「ぐれーったらどこ落ちちゃったかなぁ?まぁ無事だろうし、ふぁんは有限だからそのうち会えるかぁ」
「ふぁん?」
「ふぁん」
ぴーす、と彼女は手を動かす。
あんまり人の話を聞く気がないまま、好き勝手に喋る子だ、というのが今のところの第一印象。
それでも現在の状況がざっと把握できたのは、彼女の実力だろうか?
「のーくりっぷしたらはぐれちゃった、ってことであってる?」
「あ、はい、そうです、れべるわんの、亜種……?みたいなとこから」
「ふ〜ん」
彼女は少し瞬きをする。それから、手に持っていたナイフに視線を向けた。
「壁の傷はそれでつけたのっ?」
「そうです、迷わないように……目印にもなるかな、と」
「めじるし」
こん、と壁を叩く音。
「だからバレちゃったんじゃない?」
「……えっ?」
かりかり。
カーディガンの裾からはみ出る、彩られ光る爪で引っ掻く音。
「えんてぃてぃの知能をナメちゃ駄目だよ〜、というか、えんてぃてぃはれべると同一、みたいなっ……?」
「それは、つまり、」
「言語化が面倒だから後でたぐとかに聞いて〜」
爪についた壁の粉のようなものをパッパッと払う動作。
つまり、俺が生き残るための足掻きのつもりでナイフで刻んだ矢印は、この空間自体に──そしてここに巣食う化け物たちに──俺の居場所を自ら教え込む導になってしまっていた、ということだろうか。
冷や汗が背筋を伝い落ちる。
無知は罪どころか、ここでは文字通り罰になり得る。
「……すみません」
「まぁ結果オーライ?いいよぉ、別に。帰り道とぐれーでも探そぉね〜」
彼女はそう言うと、拍子抜けするほど軽い足取りで歩き始めた。
足元に落ちている紙吹雪をぱらぱらと音を立てて踏みつけながら進む姿は、まるで休日のテーマパークを散策している女子高生そのものだ。
適当なのか、それとも目論見がついているのか、ふらふらと自由に進んでいく彼女を慌てて追い掛ける。
「あの……未定系、さん?」
「ふあでい〜よっ」
「……ふあんさん、は、俺たちを助けに来てくれたんですか?」
「助けにっ?」
首を傾げる動き。
「じゃあそれでいいや。そおそお、助けに来たよ〜」
ふあさんはそのまま、歌でも口ずさみそうな足取りで廊下を歩いていく。
ツインのお団子が歩幅に合わせて軽く揺れ、制服のスカートは翻る。
足元には相変わらず目を痛くする程の原色の風船の破片や紙吹雪が散らばっているが、彼女はそれを避けるでもなく、踏み鳴らしながら進んでいく。
「あの、ここ、危険なれべるなんですよね……?」
「うん、危険だよっ?」
あっけらかんと言い放つ彼女の横顔には、恐怖の欠片も浮かんでいない。
「ぐれー……えと、めぐるの心配?それとも怖いっ?」
「……どっちもです」
「まぁ、大丈夫じゃない?ふぁんはねぇ、慣れればどうってことないカワイイ空間だよぉ」
……カワイイ?
「カワイイんだよ」
念を押すように振り返った彼女の頬。宝石を象ったシールが光を反射してチカリと跳ねる。
何をどう見れば「カワイイ」のか、俺には分からない。
足元に転がる風船の残骸は惨殺された何かにすら見えるし、甘ったるいケーキかなにかの匂いは頭の奥をじわじわと麻痺させていくようで。
壁にスプレーで描かれた不気味な顔文字だって、こちらを品定めするように見下ろして、時折聞こえる変な歌声は賛美歌にも似ていててより奇妙だ。
「あのえんてぃてぃはちょっと邪魔だけど」
カラフルな風船。足元に下がっているそれをローファーで軽く蹴り飛ばしながら、軽快な足取りで曲がり角を曲がる。
「そういえば、さっき、どうやったんですか?」
「さっきぃ?」
「えんてぃてぃを倒した方法です、……戦うなって言われてる相手をあんな簡単に」
さっき、俺の危機を救ったあの破裂音。
拳銃か、特殊な道具でも使わないとああはならないと思うけれど。
彼女の両手は空いている。
「ぐっとやってから判定を戻しただけ〜。ふあは強いんだよっ」
にぱ、と歯を見せて本当に無邪気に笑う彼女。
どうしよう。何一つわかるようでわからない。
言葉の意味を脳内で噛み砕こうとしたが、緊張もあってどうも要領を得ない——いや、俺の頭が回っていないのだろう。勿論、彼女が説明する気がないのもあるが。
後遺症、だろうか。
後遺症なのだろう。
それは聞いても良いものなのだろうか。
「あ、音楽」
彼女はぴたりと足を止める。
制服のプリーツスカートがふわりと広がり、紙吹雪が少しだけ舞った。
「……ちょっとこっちきてっ」
くいと腕を引っ張られる。
連れてこられたのはすぐそこの小部屋。テーブルクロスが付属したそれにしゃがまされ、自身が着たときの体制みたいに潜り込まされる。
「そこいれば安心安全だから、ふあがいいよ〜って言うまでそこ居てっ!」
「え?ふあんさんは?」
「ちょぉっとやっつけてくる〜」
そう言うと彼女は持ち上げていたテーブルクロスの端を下ろした。
カーテンのように視界が遮られ、暗がりの中に閉じ込められる。
「ふあんさん!」
小声で呼びかけたが、返事はない。
代わりに、紙吹雪が踏み鳴らされる音がどんどん遠ざかっていった。
「あ……」
残された俺は、子供用の狭い机の下で膝を抱え込む格好で固まっていた。
中途半端な丈のテーブルカーテンが、足元を僅かに覆っているだけ。
潜んでいるというにはあまりにも頼りない。心許ない。
耳を澄ませる。
廊下の奥から聞こえていたあの曲。
どこか懐かしく、けれどピッチのおかしくて不安になるようなオルゴールに近しい音楽。それが、段々とこちらに近付いてくる。
いや、一つ消えた。
複数体居たのだろうか、ハーモニーが消えていく。音の厚みが無くなっていくのがわかる。
けれど、それは確実にこちらに近付いてきている。
「……ふあんさ、!」
テーブルクロスを翻そうかと手をかけたところで、黄色い何かが直ぐ側に来ているのがわかった。
這いずるような音。けれど、金属音とはまた違う。
何かが、眼の前に居る。
薄布一枚で遮っているその向こうに、化け物が。
けれど、そのえんてぃてぃはそれ以上は動かない。見下ろしているのだろうか。しゃがみもせず、ただ突っ立っているように見える。
見つかっているのだろうか。
薄暗いテーブルの下から、恐る恐るより姿勢を低くして、代わりに視線をほんの数センチ上を見る。
——人形だ。
いや、ひどく人形に近しい、なにかだ。
関節がないからそれ以上首も肘も膝も曲げられることが出来ないのだと、テーブルの下を確認することが出来ないのだと、なぜか理解する。夢の中みたいに。
同時に何故か、これを倒さなきゃいけないという圧迫感にも襲われている。思わずナイフを持ち直す。息が乱れる。もし、この金属を、化け物に刺したら、俺は——
「えい」
軽い声。
それから、ごとんと重いものが倒れる音。
「出てきていいよぉ」
幕を引くように、テーブルクロスがパッと捲り上げられた。
眩しい原色の光とともに現れたのは、少しだけ髪型を乱したふあんさんの笑顔だ。
「……ふ、ふあんさん、無事ですか!?」
「ほら、言ったでしょ?ふあは強いんだよっ」
——テーブルの真横に、さっきまで突っ立っていたえんてぃてぃが転がっていた。
どうやったんだ、とか。
怖くないのか、とか。
あまりにも「すごいだろう」という、ある意味純粋無垢な表情に。
俺は言葉を詰まらせるしかなかった。
「……あ、ありがとうございます……助かりました」
「いいよいいよ〜、感謝してねっ?」
ふあんさんは転がった化け物の足元をローファーでトンと突くと、興味を失ったように背を向けた。
「じゃ、まだまだ歩くよぉ。疲れてなぁい?」
「は、はいっ、大丈夫です、けどその」
「なぁに〜」
彼女は足を止めずにすたすたと歩いていく。
やけに迷いなく歩く。
「……行く宛はあるんですか?さっきからやけにはっきり歩くから」
「ないよ〜」
それもまた、一切の迷いない真っ直ぐな返答だった。
「ないんですか」
「パーティールームに道なんてあるわけなくないっ?」
ふあんさんはさも当然と言い切って、鼻歌交じりに歩きを進める。
「じゃあ、どうやって合流を?」
「いっぱいいそうな方へ歩くっ!——のは、半分嘘だけど、実際歩くしかないよぉ」
「……そんなの、途方もなさすぎませんか」
思わず出た困惑が混じった俺の声に、ふあさんは「そうかなぁ?」と適当な返事する。
ぽーんと蹴られて弾む赤い風船。
「あっそっか、ここのれべるあんまり知らないんだっけ」
くるり。
少しだけ振り向く顔。
俺の返事を待たずに彼女は続ける。
「ふぁんはねぇ、無限生成じゃないんだよ。有限。端っこがある〜。れべるぜろとかわんとかは——なんだっけ、そう、たぐとかぐれーとかがよく使う言葉——生成マップ、だけどっ」
生成マップ、有限、端っこ……まるでゲームの仕様でも説明されているかのような言い回しだった。
暗記した攻略wikiを思い出しながら読み上げるように。
彼女は当たり前のように言い切る。
「探せば見つかるんだよ、シンプルなはなしっ」
「シンプル、ですかね……」
苦笑い混じりに答えるしかない。
確かに無限の迷宮を彷徨うよりは希望があるのかもしれない。
しれないけれど。
有限の空間に化け物がいるのも事実で。いったいどれだけの化け物が蠢いているのかを考えれば、とても素直に喜べる話ではないだろう。
「あれっ、行き止まりっ!珍しい〜」
「珍しい?」
「ふぁんはいっぱい通路がぐちゃぐちゃに繋がってるから、ハズレだねぇ」
ふあさんはつま先でカツンと壁を叩く。
普通の壁の音だ。辺鄙なことはない。
「……引き返しますか?」
「えぇ?」
不満げな声を漏らす彼女。
けれど、すぐに納得したように向き直った。
「そっか、そうだよねぇ。ふあ一人じゃないからなぁ……。壁とか壊せないの?」
「いや、流石に……」
「ふーん」
ふあんさんは心底つまらなさそうに相槌を打つ。
壁を破るなんて発想がどこから出てくるのか。いや、さっきの、判定を戻したとかいう謎の言葉を思い返せば、彼女にとってはそれすら選択肢に入っているのかもしれない。
「じゃあ、戻るかぁ……あーあ、めんどくさぁい」
彼女はだるそうに肩を竦め、今来た道をそのまま引き返し始めた。
紙吹雪を踏みしめるくしゃり、くしゃりという軽い音。
その音が妙に耳につく。
「ぐれーったらはやく鼻使ってくれないかなぁー。ひーくんもまだショートしてるの?電波まだぁ?」
かんかん、と彼女はスマホを叩く。
そういえばふあんさんはイヤホンもヘッドホンもしていない。
通話にも入っていなかったようだけれど、一体どうやって来たのだろうか。
相変わらずチャットもろくに読めず、電波はゼロと一を往復している。
「その……ショートっていうのは、どういう意味なんですか?文字通りなわけ……」
彼女の後ろを歩きながら、気になっていた疑問を投げかけてみた。
ふあんさんは足を止めず、ツインのお団子をゆらゆらと揺らしながら、振り返りもせずに答える。
「文字通りだよぉ。文字通り言葉通り。情報がバチバチっていっぱい流れ込んじゃったから、処理落ちって感じっ?」
「情報……処理落ち……?」
「そもそも基本的に、探索は多くても二人で、おんなじ場所。映像も音も通信処理もなるべく軽くしてたんだけどぉ、ほら、二人バラバラになっちゃったでしょ?」
「 ……あ、俺と、めぐるさんが」
「ぐれーはまあ平気だけど、あなたは平気じゃないからふあが来てあげたの。三人目。どういうことかわかったかなっ?」
三人目。
つぶやいた言葉が、原色の廊下に虚しく消えた。
標識は的確なナビゲーションをしてくれていた。俯瞰した映像を見て、その場にいるみたいに音を聞いて、手繰さんの収集した情報をすぐに伝えてくれて。
けれど、それは当たり前の魔法なんかじゃない。
俺とめぐるさんが離れ離れになり、そこにさらにふあんさんが加わったことで、彼の情報処理の限界を超えてしまったのだ。
「……変な顔っ。ふあ、慰める気ないから。今は落ち込まないこと〜」
顔を覗き込まれていた。
ふあんさんはわかりやすく顔を顰める。
慰める気がないと素直に明言するのは、彼女なりの優しさだろうか。
「……すみません」
「ねぇ、面倒っ!ていうか、静かにしたら?ほらっ」
彼女が指を立てたまま、ぴたりと動きを止める。
指示通り、俺も口を閉ざす。
紙吹雪を踏むくしゃりという音すら消えた廊下に、ふあさんの制服の布地が擦れる微かな音だけが落ちる。
……いや、なにか聞こえる。
音楽、だろうか?
……違う。
かすかに、本当にごくわずかに、廊下の角の向こうから、声——
「甘ったる……こっち……汗と石鹸。それから……ふあの匂い、する」
高くはない、けれどどこか焦りを含んだ、聞き覚えのある声。
「めぐるさん……!?」
叫びそうになり、思わず口を手で覆った。
間違いない。めぐるさんの声だ。
ふあんさんと目が合う。
きらきらした瞳に、ラメに、光がチカリと反射する。
「ほらね、鼻が利く人はすぐ見つけてくれるのっ!」




