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第8話『初戦』


 小さな子猫をポケットから出し、地面に下ろす。

 目の前には戦闘体勢のモンスターがいる。端から見れば正気ではない。

 戦闘能力も無く、武器も持たない人間がモンスターの前に立つ時点で自殺行為だ。首筋に冷たい汗が伝う。


(あの時、ケルベロスが大きくなれた理由……もし、俺の感情に呼応したというなら)


 サソリのような形のモンスターが、武器であるハサミを振り上げながら近付いてくる。


「今だ! 行ってくれ、ケルベロス!」


 俺は叫ぶ。

 戦うために。ケルベロスがまたあの鋭い牙を剥いて、唸る姿を思い描きながら、強く念じた。

 だが。


「みゃう」


 サソリのハサミは勢い良く振り下ろされ、鈍い音を立てながら地面を打った。

 小さい足でなんとか転がるように逃げ出した子猫は、細い毛を逆立てている。

 苛立ったような低い声が脳内に響く。


『真面目にやれと言っている』


「や、やってるって……!」


 正直、相当に焦っている。


(今のでいけると思ったのに! じゃあ、一体どうしたら……!)


 戦いたいと、勝ちたいと強く願うことこそがトリガーだと踏んでいたのだ。

 そうでないなら、もう心当たりがない。ケルベロスの言った通り、考える時間さえ無い。

 モンスターに距離を詰められれば、攻撃されてしまうし、モンスターは次の標的に狙いを定めている。俺だ。


 ふと、馬上のステラと目が合った。ピンチを察して、今にも馬を降りて駆け出してきてしまいそうだった。

 事実、既に姿勢を変えて足を下ろし始めている。


「だ、ダメだ、ステラ! 危ないからまだ……!」


 慌てて声を張るが、地面に足が届かないと判断したステラは迷いなく馬から飛び降りた。

 恐らく俺を助けるため、走っている。あの時、商人の腕を止めようとした時のように。

 ガチガチと鋭いハサミを打ち鳴らし、威嚇を繰り返すモンスターが視界の端に映る。


(ダメだ! 守らないと……ケルベロスだってあのままじゃ危ない! なんとか、守らないと――!)


 声にもならず、無音のままそう叫んだ時。

 またバチンと、何かが弾けるような音が聞こえた。


 一瞬にして黒い子猫の体は大きく膨らみ、真っ黒な毛皮を逆立てた獣の姿に変わった。

 その体躯は、やはり大型の豹ほどある。しなやかな尻尾が苛立ったように揺れて地を擦る。

 三つの頭の内、一つと視線がぶつかった。


(さっさとやれよって顔だな……)

 

 呆けている頭で、そんなことを思った。

 次の瞬間、身を低くしてからケルベロスはモンスターへと飛びかかった。

 中央の頭がサソリの頭を呑み込むように噛み付き、左右のハサミはそれぞれの頭が狙う。一瞬にしてモンスターの体は引き裂かれた。周囲には、鋭い牙に砕かれた甲羅の欠片が体液を纏って飛び散る。

 

 サソリの尻尾は痙攣するように大きく何度か揺れたが、やがて力無く垂れた。細い脚の一本さえ動かない。

 たった一撃で仕留められていた。


「ケルベロス!」


 俺はサソリの一部だったものを吐き捨てているケルベロスへと近寄った。

 このモンスターの体液は毒だ。それを顔中に浴びて、口にも含んでしまっている姿を見て青ざめる。


「ぜ、全部吐くんだ! コイツは体液に毒が混ざってて……!」


『毒?』


 グラグラと、低く喉奥を鳴らして笑うような声が聞こえた。

 頭の一つが口を開けて見せる。牙からは以前も見た紫の液体が垂れていた。焼けるような音を立てて、落ちた先の地面を焦がしている。


『この毒こそ、全ての命を奪うもの。我に、雑魚の毒など通用するものか』


 

 こうして、俺の初戦は終わった。

 緊張が解けたらケルベロスの姿はまた子猫に戻ってしまったが、浴びた体液を拭うにはちょうど良かった。


 街で買った防毒の手袋を嵌めて、サソリの甲羅を拾っていく。微々たる額ではあるが、これも貴重なお金になる。

 世の冒険者達はこうして稼いでいるわけだ。

 隣ではステラも一緒に素材を拾ってくれていた。


「あのさ、ステラ。さっき、俺を庇ってくれようとしていただろ」


「はい。ご主人様が危険だと判断しましたので」


 当然だと言わんばかりの物言いだった。


「レアスキル持ちとはいえ、そのスキルは戦闘向きじゃない。君だって戦えるわけじゃないんだから……」


 言葉に詰まる。

 目の前の瞳は何を言われているのか分からない、そういう表情をしていた。

 まるでステラの身を盾にするのが当たり前だと、本心から信じているようだった。

 俺は言い方を変えてみる。


「あー……これは戦略だ。俺はケルベロスと一緒に前に出る。ステラ、君は後方だ。俺が呼んだ時だけ応戦してくれ。それ以外は……足手まといになるから、出てこないように。これは命令だ」


 ぎしぎしと心が痛む感覚がする。

 自分を助けようとしてくれた子に、事実助けてくれた子に対して足手まといだなどと、そんな言葉を使いたくはない。


(だけど、この感じは……そうでも言わないと、いつ飛び込んでくるか分からない)


 気まずさのあまり、やけに時間が経った気がするが、その後にステラは頷いた。


「はい、かしこまりました。ご主人様」


 

 ◇◇◇


 

「という訳で。守れって願うのがトリガーみたい」


 思い返してみれば、最初に巨大化した時もケルベロスはそう言っていた。『俺が助けてほしいと願った』と。

 あの時は頭に血が上ってしまっていてそんな自覚も無かったが、言われてみればそうだ。


「だけど、あれ以上大きくはならないな。……いや、元の大きさになんかなったら、とんでもないことになる。いいんだけどさ」


 また馬で道を辿りながらひたすらに南を目指す。

 あれから二~三回の戦闘を経たが、ケルベロスは問題無く大きくなれたし、毎回無傷で勝利していた。

 それもそのはず、大きくなったケルベロスの体毛は岩のように硬かった。

 試しに刃物を押し当ててみたが、切ることすら叶わない。


「刃を通しもしない毛皮。本当にケルベロスって伝説のモンスターなんだな……」


『何だ、今更』


「だって、今まではずっと子猫だったからさ。毛もこんなにふわふわだし」


 ポケットに手を突っ込めば、温かく触り心地の良い毛皮にすぐ触れる。

 抵抗するでもなく、かといって擦り寄るでもなく。ケルベロスはされるがままになっていた。

 不意にその小さな頭が持ち上がる。

 近くにモンスターがいる時にケルベロスは毎回こう反応した。

 注意深く周囲を見回す。


「ん?あれは……」


 街からしばらく離れた場所に広がる森。

 その入口にあたる場所に、扉のついていない門のような物が見えた。


 ダンジョンの入口、ゲートだ。

 そのゲートの先に、ダンジョンと呼ばれる異空間が広がっている。


 ゲートに一般人が入ることは、別に禁じられてはいない。

 が、実際はほとんど入ることはない。

 

 冒険者として登録した者は、大抵最寄りの冒険者ギルドに申請してからダンジョンに入る。

 申請後に踏破すると報酬が出るからだ。

 そして、もし冒険者がダンジョンから戻ってこない時は捜索クエストが張り出され、他の冒険者が救助しに来てくれる仕組みだ。


 だが一般人にはその制度が適用されない。

 自殺同然の行為とみなされている。


「今の俺達なら……行けるかもな」


 小さく呟く。

 ケルベロスが鼻を鳴らした音が聞こえた。

 

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