第5話『奴隷の少女』
「な、何が起きたんだ……?」
正座のような姿勢で座り込む少女の横で、俺は半分地面に転がるように倒れていた。
目の前には小さい黒猫の姿がある。相変わらず三つの頭が重いようで、腹を地面につけて転んでしまっている。
数秒前に俺を守るように立ちはだかってくれた獣と同一だと、頭が信じないでいる。
「俺を助けてくれたの?今……」
問うと、三つの頭のうち一つだけが俺へと向いた。
『我ではない。お前がそう命じたのだ』
「俺が?」
『むしろ問いたいのはこちらの方だ。何故、我の姿を戻した。あのままにしておけば良いものを……』
「ま、待って。何が何だか――」
◇◇◇
要するに。
あの瞬間、俺がケルベロスにそう命じたことで巨大化したのだという。
ケルベロスが子猫になってしまっているのは俺のせいで、先程のように俺が命じることでケルベロスは元の姿に戻れるはずだという話だ。しかし。
「ぐぬぬぬ……!戻れ戻れ戻れ!」
『真面目にやれ』
「やってるよ!」
二度目はなかった。
相変わらずケルベロスは子猫の姿で、あれやこれやとポーズを変えて全力で念じる俺だけが汗だくだ。
そんな姿を、例の少女が顔色一つ変えずに静かに眺めていた。
これ以上は無駄だと判断し、ケルベロス復活作戦を諦めた俺は少女へと向き直る。感情の色が無い赤い瞳が真っ直ぐに視線を返していた。
「それで、えっと……君は?」
「貴方様の所有物です」
そうきたか、と俺は思った。
聞きたかったのは名前とか、どうしてここにいるのかとか、そういう話だったのだが。
咳払いを一つ挟んで、また質問をする。
「君の名前は?」
「ありません」
「どこから来た?」
「分かりません」
「………………」
しかしこの調子だ。
答える気が無いというわけでもない。本気で答えていると、少女の目が告げている。
首を捻り、質問を変えてみる。
「じゃあ、なぜ売られていたの?」
「私がレアなスキル持ちだからです」
初めてしっかりとした答えが返ってきて、俺は目を丸くする。
同時に苦い気持ちになる。話には聞いたことがあった。レアスキルを持つ人は、捕らえられ高値で売買されることがあると。
当然、違法だ。
だが、この世界のどこかには人身売買専用のオークション会場なんてものさえ存在する。そんな話だった。
先程見せられた契約書に刻まれていた金額を思い出して身震いする。
「そのスキルというのは?」
「分かりません」
「じゃあ、その……ご主人様というのは?」
「私が仕えるべき方のことです」
(手詰まり感があるな……)
あの商人は『洗脳』という単語を使っていた。
この少女を拘束していた枷を解いたものに尽くすように、洗脳を掛けたと。
その非道な手段はともかく、少女が俺を主人と呼ぶ理由はそこにある。
だが、それ以上の情報は聞き出せそうになかった。
分かっているのはこの少女を一人残しておけばまた危険に晒されるであろうことと、俺の行く宛てはやはり無いということ。そして。
「一応相談なんだけど、俺から離れて自由になるっていうのは……」
「出来ません。お側におります。どこまでも――あなたと共に参ります、ご主人様」
「……だよね」
その洗脳とやらがある以上、彼女を自由の身にすることは出来ないということだ。
「ケルベロス、この洗脳って解けるのかな?状態異常の一種だよね、きっと」
『分からぬな。だが、そうだとすれば、維持するには定期的に洗脳を掛け続ける必要があるはずだ。放っておけばじきに治るだろう』
「そうかな……」
なぜだか腑に落ちない感覚があるが、今は仕方ない。
少女に向き直る。
「仕方ないな。じゃあ、しばらくは一緒にいよう。ええと……」
本心で言えば、街にも入れない旅に付き合わせたくはない。だが、状況が状況だ。あまり選べる手段は多くない。
名を呼ぼうとして、言い淀む。彼女は名前を『無い』と言った。
今、呼ぶ名が無いのだ。
「なんて呼べばいいかな?」
「何でも構いません。ご主人様が名前を付けてくださるのなら」
「お、俺が付けるの!?」
申し訳ないが、ネーミングセンスには自信が無い。だが名前が無くては、あまりに不便だ。
しばらく頭を悩ませて、口を開く。
「よし、名前はロリ――」
『アリ・ステラ』
俺の声をケルベロスが遮った。
『古代語で原初の星という意味だ。人名とするのなら、無垢なる者という意味になる』
目を丸くし、そして俺は頷く。
「カッコいいじゃん!ケルベロス、センスあるな!」
『お前に名付けられるのでは、あまりに不憫だ』
先程『ス』と名付けられそうになった頭が言った。
「じゃあ、君の名前はステラ。それでいいかな」
「はい。ご主人様」
こうして俺とケルベロス。そしてステラとの、三人の旅が始まった。
とはいえ、やることは変わらない。
宛て無く歩き続けるだけだ。
出来るだけ安全な街道沿いに進む。夜になると川の近くまで行き、水を確保しつつ野宿をする。
そうして二日程が経った時、街道の終わりが見えた。
街に着いたのだ。街をぐるりと囲む防壁が見える。
「入れたらいいのにな。せめてまともな服を用意してあげたいんだけど……」
ステラを横目に見ながら呟く。
ボロボロの布を体に巻き付けただけのような、形ばかりのワンピースはあまりに不憫だ。
だが俺のスキルがある以上、服屋どころか街に入ることさえ許されない。
俺を慰めるように、ステラが俺の手を握った時だった。
肩を落とす俺の隣を、ゆっくりと荷馬車が通っていく。
油断してしまっていた。いつもは馬車の音が近付くと大きく道を外れ、距離を置くようにしていたのに。
(しまった、また――!)
青ざめて馬車を見上げると、馬を歩かせている商人と目が合った。
反射的に謝罪が口を突く。
「うわ、す……すみません!」
商人の男性は訝しむように肩を竦めて見せた。
「何を謝ってるんだ?」
「そ、その……俺のスキルで、荷物の鍵を開けてしまったかと」
言葉を交わせる距離だ。間違いなく『解錠』の効果範囲にいる。
たとえ盗まずとも、解錠スキルで他人の手荷物を勝手に開けることは、盗もうとしたことと同義だ。これだけで罵倒されても文句は言えない。
だが、商人は傍らの箱をガチャガチャと鳴らした後、肩を揺らして笑った。鍵の開いていない箱に肘を乗せて。
「ははは、面白いことを言う!商人を脅そうってかい?」
「――え?」
「にしたって、連れになんて格好させてんだよ、兄ちゃん。街で服でも買ってやりなよ。奴隷を連れてるんじゃないんだからさ」
呆れと軽蔑を入り混ぜたような、そんな表情を残して商人は去っていった。
小さくなっていく馬車を、俺は呆然と眺めているしか出来なかった。
「……今、鍵が開いていなかった……」
『そうだな』
ケルベロスは事もなさげに言う。
破れてしまったポケットとはまた別のポケットから顔を出して、ステラと俺の手が繋がれているその場所を見ている。そして言った。
『なるほどな。他者の能力を強制的に封じる……確かに、非常に希少な能力だ。高値も付こう』
「……まさか、『スキル封印』……!?」
それは、歴史が動く時に度々目にするスキルだ。
例えば王族の暗殺。王族を守る者達のスキルが一切使えないとなれば、襲うのも容易だ。
またある時は戦争の中で。一つそのスキルがあるだけで、戦況は大きく変わる。
それを成せる、伝説のスキル。
本来であれば国が直々に保護し、厳重な管理下に置くと言われているが。
「レアどころの話じゃない……そんなものが、どうして、ここに……」
当のステラは、無感情な瞳で俺を見上げていた。
繋がれた指は、とても細い。十分な栄養を与えられていなかったことを示している。
ごちゃつく思考のまま顔を上げれば、目の前には大きな街がある。
「……行って……みるか」
緊張に強張る指で、ステラの手を握り返し、呟く。
一歩一歩慎重に歩み、やがて街へと続く門をくぐった。
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