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第4話『そして夜が明けて』


「みゃう」

「にゃあ」

「なう」


「ほらやっぱり!猫じゃん!」


 俺は叫んでいた。

 理由は分からないが、ケルベロスは『封印の間』と呼ばれたその場所を出るなり、子猫の姿になってしまっていた。

 小さな身体に三つの頭。バランスが悪すぎて転がってしまっている。

 見かねて抱き上げてもほとんど重さはない。


「なんで子猫になっちゃったの?」


 問うとケルベロスは恨めしげな視線――なのかは不明だが、なんともつぶらな瞳を俺へと向けた。


『お前が弱すぎるからだ。ここまで身体を維持出来ないとは思っていなかった』


 三つの内のどれも口を開かず、脳内に直接声が響く。

 テレパシーだ。伝説級のモンスターはそうして人間に意思を伝えることがあると言われているが、当然証明した者はいない。

 まさかこんな子猫がそれを成しているとは誰も思わないだろう。姿形に似合わず、地を揺らすような低い声のままだが。

 

「俺?俺のスキルは魔獣使いとかじゃないけど……」


『スキルの話ではない。お前自身の強さの話だ』


 ケルベロスの言う言葉はイマイチ要領を得ない。

 

『お前が強くなれば、いずれ我を使役する日も来るだろう』


「俺が伝説の神獣ケルベロスを?面白い冗談だ」

 

 話は終わりだと言わんばかりのケルベロスに肩を竦めて見せる。

 とはいえ、いつまでもそうしている暇はない。安全に夜を明かす必要があるのだ。


「ケルベロス、火を吐くことは?」


『出来ない』


「そっかー……」


 獣を遠ざけるのに最も安全な方法は火を焚くことだ。

 大抵の獣は火を恐れる。

 とりあえず今日寝る場所を決めはしたが、焚き火が無いとあまりに心もとない。

 地面に直接寝転がった俺の腹の上で、ゴロゴロと喉を鳴らしたケルベロスは言う。


『我がいるのだ。近付く獣などおるものか』


 心の内を呼んだような言葉に、俺は目を丸くする。


「そういうもの?」


『そういうものだ。そういう意味では、獣は人間などよりよほど聡い』


 事実、うたた寝を繰り返しながら朝を迎えるまで、一度も獣に襲われることはなかった。

 

 日が昇って目覚めた後は近くの木になる果実をもいでかじる。その一部をケルベロスにも分け与える。三つの頭は取り合うようにしてかじりついていた。

 街に行ければ食事をすることも出来るが、それさえ俺には難しい。


 荷物もほぼ持たず、家を飛び出してしまったことを後悔するが今更だ。

 この高台から、俺が住んでいた家はよく見えた。


 その街に背を向け、歩き出す。


 

 ◇◇◇


 

「名前とかってあった方がいいのかな」


 また街道に沿って歩きながら、俺は一人で問う。

 ケルベロスは上着のポケットへと押し込んだ。そこから三つの小さい頭だけが顔を出す。


『名前?』


「そう。頭が三つあるだろ。ってことは三頭分の名前がいるのかなって。例えば左から順に『ケル』『ベロ』『ス』……」


『ス』


「……いや、何でもない。忘れて」


 自覚していることだが、俺にネーミングセンスはない。

 名前があればそれぞれを区別出来るかと思ったが、やめておいた方が良さそうだ。

 無理矢理に会話を打ち切り、周囲を見回す。


 街から街を繋ぐ街道は比較的安全だ。

 野生の獣はもちろん、モンスターもほぼ出ない。

 それに街道を行く冒険者たちが周囲の危険を払いながら進んでくれる。

 

 ケルベロス曰く、獣は避けられてもモンスターは襲ってくるという話だった。

 本来の姿であれば到底脅威にはならないだろうが、今は子猫だ。一瞬で丸呑みにされかねない。


「とはいえ、街には入れないからなぁ」


 街道を辿ったところで、いつかは道を逸れなければならない。そうすればモンスターとの遭遇率は格段に上昇する。

 どうしたものかと頭を悩ませる俺の脇を一台の荷馬車が抜けていく。

 だが、直後。


「うわあぁぁ!」


 その馬車から悲鳴が聞こえた。

 何事かと顔を上げると、馬車の荷台に積んであった檻が、錆びついた音を立てながらゆっくりと開いていくのが見える。

 檻は布を被せられていて中を伺うことは出来ない。


(ま、またやった!)


 頑丈な檻だ。魔獣でも出てくるのだろうかと、顔を引きつらせる。

 馬車に乗っていた商人のような身なりをした人物が、慌てて馬車を降りてくる。

 その表情は驚愕と絶望を混ぜ合わせたような色に染まっていた。


 やがて開ききった檻から出てきたのは、魔獣ではなく少女だった。

 青白く細い手足に、ぼろきれのような汚れたワンピースを身に纏っている。

 その首には重そうな金属で出来た首輪が嵌められていたが、それは施錠などされていなかったかのようにゆっくりと開き、地面に落ちた。


 商人が叫ぶ。


「な、なぜだ!なぜ勝手に拘束具が外れる!なぜ勝手に檻が開いた!」


 そして少女に向けて声を張り上げる。


「戻れ!檻に戻るんだ!」


 しかし少女は聞き入れない。まるで命令など耳に入っていないかのように、俺の元へと歩み寄った。


「……え?」


 月明かりを宿したような白い髪に、ルビーのような赤い瞳が特徴的な少女だった。

 その子は俺の目の前で両膝をつき、頭を垂れて見せる。

 そしてこう言った。


「ご命令を……ご主人様」


「な――」


 理解が追いつかず、一歩たじろぐ。

 そこに顔を真っ赤にして足を踏み鳴らし近付いてきたのは商人だ。


「お、お前が開けたのか!何をした!こんな貴重な商品を……!」


 興奮のあまり肩での呼吸を繰り返している。

 一通り怒鳴った後、商人はがしがしと頭を掻いてそして溜息を吐く。


「……この娘には洗脳が掛けてあります。あの拘束具を解いたものに尽くすようにと。本来、特殊な魔道具でしか開かないものだが、どうやって……いや、それはもういい」


「それを開けた時点で、あなたはこの商品を購入したことになる!さあ、今すぐに、支払っていただきましょうか。その商品の代金を!」


 押し付けるように突き出されたのは一枚の紙。

 『売買契約書』と書かれているその紙に記された金額は、豪邸を建ててもまだ余るような、とてつもない金額だった。

 思わず青ざめる。


「は、払えません!こんな額……!」


「ああ、そうだろうとも!お前が手を出していいような商品では無かったのだ!この盗人!――ああ、折角……この商談が成立したら、ようやく私は……!」


 怒鳴り、錯乱するように商人は独り言を混ぜて呟き、そして最後は俺に視線を定めた。


「いや、そうだ。お前ごと売ってしまえばいい。結局この女が指示に従えばいいのだ。お前も一緒に洗脳して傀儡にしてやる。……来い!」


「ちょ、止め……!」


 強引に襟首を掴まれる。

 そこに白髪の少女が飛び出し、商人の腕を掴む。


「ご主人様を、離しなさい……!」


 だがあまりに細い腕は、男の腕には勝らない。

 顔を真っ赤にして怒る商人は、当然のように片手を振り上げ少女の頬を引っ叩いた。


「――っ、あ……!」


「大人しくしていろ、この奴隷風情が!」


 細い身体が無抵抗に地面を転がる。


(女の子を……殴った?)

 

 突然のことに一瞬は呆けたが、次の瞬間、俺は視界が眩むような怒りに襲われた。

 あり得ない。男として、人として、許せはしないと思った。


「な――何をしてるんだ!離せ!」


 そう声を荒げた瞬間、バチンと何かが弾けるような音がした。

 

 突然『何か』に押されるように、地面に倒れる。

 手を土で汚しながら見上げたのは、ポケットに入っていたはずの、ケルベロスの姿だ。

 人の背丈ほどの体高を持ち、三つの頭、六つの黄金の瞳で、商人を睨んでいる。

 ケルベロスを入れていたポケットは裂けて破れていた。


 傍らで商人が叫ぶ。


「ひいぃぃ!お前、魔獣使いだったのか……!?な、なんだコイツは……!」


 突然現れた黒い獣。その口から覗く牙は、人など易々と切り裂き、砕いてしまえるほど鋭利だ。

 その牙から垂れる紫色の唾液は、恐らく高濃度の毒。地面に落ちた唾液が、シュウウ……という音を立てながら土を焦がしている。

 

 獣の喉奥で低く唸り声が上がる。

 今にも飛びかからんとする魔獣の姿に、商人は言葉にもならない声を上げ、這うように馬車へと走り寄り、馬を走らせて去っていった。

 その荷台では檻が開いたままだ。もう中身は何も入っていない。


 ゆっくり身体を起こす少女と、座り込んで呆けたままの俺の隣で、ケルベロスはいつのまにか子猫の姿に戻ってしまっていた。

 

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