第3話『伝説の神獣』
「はは……クソみたいなスキルだ。誰かに迷惑を掛けて、恩を仇で返し、危険を振りまくことしか出来ない」
こんなスキルを持って生まれてきたことを後悔したのは一度や二度じゃない。
いや、後悔しない日など無かった。
そして、その度に思い知らされる。『自分は、誰かと共にいることは許されないのだ』と。
ダンジョンのあった崖沿いに、また宛ても無く歩き出す。
空は暗く、足元さえよく見えない。野宿でもしたいところだが、旅慣れた彼らがいなくては火の一つすら起こせない。
(無力すぎる……惨めだな)
自嘲する気力も無く溜息を吐く。その時。
キィン、と。
突然、空気が震えた。
それは音だったようにも思えたし、空気の張り詰めた気配にも思えた。
「な、何だ……?」
周囲を見回しても何もいない。だが。
(いや、いる。……何かが、いる……!)
戦闘の経験の無い俺にすら分かる『何か』の気配。
牙を向いた獣に迫られるようなプレッシャー。背中が汗で濡れていくのが分かる。
(逃げないと――!)
それは本能的な衝動だった。
目の前の岩壁に洞穴のような入口があるのを見付け、何も考えずに飛び込んだ。
中は当然、真っ暗だ。
壁の岩肌に手を添えて、暗闇の中を一歩一歩慎重に、だが出来るだけ急いで進む。
その背後で、音も無く洞穴の入口が閉ざされていくことに、俺は気付いていなかった。
◇◇◇
どれくらい歩いたのか、洞穴の先に微かな光を見付けた。
それは水晶のような半透明な鉱石で、淡い輝きを放っている。氷のようにも見えるが、触っても冷たくはない。
少し進むとその鉱石が壁も床も全て覆い尽くしている、広い空間に出た。
「なんだ、ここ……?」
天井は見上げるほどに高い。
岩壁の向こうにこんな大きな空間があったとは、信じられないほどだ。
発光する鉱石が大量にあるおかげで視界には困らなくなったが、ただ何も無く広い空間だということ以外に収穫もない。
空間の奥にはとてつもなく巨大な鉱石の塊があるだけだ。
建物にして三階分くらいの高さがあるだろうか。
突然、またあの気配が俺の体を硬直させた。
正体が分からない気配に『見られている』感覚。まるで獣の牙がすぐ喉元にあるような緊張感だ。
自分を簡単に殺してしまえる何かに命を握られているような、そんな気分になる。
そのプレッシャーは洞穴の外で感じたものより、ずっと濃い。
「――何者だ」
腹の底を震わせるような、低い声がした。
突然聞こえた声に脳内はパニックだ。が、体は恐怖に凍り付いて、ついてこない。
奥歯が震えてガチガチと鳴る音が聞こえ、今にも膝から崩れ落ちそうになる。
返事をする余裕などなかった。
「こちらへ来い」
鉱石の塊が、俺を招いた。
そう直感する。
抗えない命令に従うように、震える足が前に出る。
やがて、見上げるような大きさの鉱石に立つなり、分厚い結晶の表面にヒビが走り、割れた。
建物が崩壊するかのような轟音を響かせて砕け散った塊の奥に残されたのは、黒い影。
巨大な獣の身体が1つ。漆黒の毛皮。俺を見下ろす三つの頭と六個の瞳。
それは、伝説を綴る物語の中でだけ、見たことがある存在。
「ケ……ケルベロス……」
無心で呟く。
神との対峙にすら近い気分だった。
実在していたというのか。なぜこんな場所に。どうして俺が。
幾つもの疑問が脳内を駆け抜けては消える。
「いかにも」
その巨体は唸るように答えた。
声が聞こえるというよりは、頭の中に直接響くような、不思議な声だった。
(……ああ、殺される……)
体の震えは止まっていた。恐怖を越えて、体は本能的に生を諦めている。膝の力が抜けてその場に崩れ落ちるが、目だけは離せない。
薄暗闇で、発光するように輝く金色の瞳に釘付けになっていた。
「我が封印を解きし者よ」
細長い瞳孔が、ぐっと大きく拡がるのが見えた。
地獄から響くような低い声が空気をビリビリと揺らす。
(俺は、ここで……死……)
(ん?)
「なんて?」
「我が封印を解きし者よ」
黒い獣は二度言う。
心当たりは無い。
「……それは、ちょっと……人違いだと思います」
「人違いでなどあるものか」
獣は低く即答する。
俺を捉えていた瞳がぎょろりと動き、俺の来た細い通路へと向けられる。
「今しがたこの封印の間へ至る結界を解き、この忌まわしい結晶による封印さえも解いて見せただろう」
一つ一つ、言葉を反芻して理解していく。
直後、俺の背を震えるほどの悪寒が走った。
(まさか……解錠――!?)
ありえない。解錠スキルとは『施錠された鍵を開ける』それだけの能力だ。
当然封印の解除など、出来るはずもない。
が、目の前で『事』は起こってしまっている。
伝説の神獣、ケルベロスが一歩前へ足を踏み出すと、空間全体が揺れた。
細かい砂が頭上から降り注ぎ、岩盤の崩落を警戒すべく反射的に上を向く。
「では往こう」
「え?」
「封印は解けたのだ。人の世へ往く」
ケルベロスの三つの頭、禍々しい輝きを灯す六の瞳は、外へ繋がる細い通路を睨んでいた。
俺は焦る。
(こんなモンスターが外に出たら、とんでもないことになる!それこそ災厄だ。鍵を開けて回るのとは話が違う、死人が出る……!)
考える間も無く、体は勝手にケルベロスの前に立ちはだかった。
両腕を大きく広げて行く手を遮るが、そんなものは当然、障害になりはしない。
次の一歩で踏み潰されて終わりだ。
(だが、行かせない……行かせられない!近くの街には、父さんと母さんがいるんだ……!)
緊張で酸素が回らず、視界が暗くなる。
だが俺は肺いっぱいに空気を吸って叫んだ。
「止まれ!!」
その声がこだまする空間の中、獣は少しも動かなかった。
時が止まったかのようにさえ思えた。
それからしばらく、その静寂は続いて。
「……あの……?」
「何だ」
ケルベロスは俺の命令を聞いて『止まって』いた。
「なんで律儀に従ってくれてるんですか……?」
思わず疑問が口を突く。
獣は問われている理由が分からないとでも言うように、一つの首を傾げた。
「主の命令だ。従わぬわけにはいかぬ」
「主?」
覚えの無い単語を、反射的に復唱する。
ケルベロスは、先程と同じように言った。
「そうだ。封印を解きし者よ」
◇◇◇
「つ、つまり封印を解いちゃった人を、主人として認識しちゃうってこと……?」
「うむ」
ケルベロスは傍らで手足を折って座っていた。あのまま立たれていては威圧感のあまり会話もままならない。俺がお願いすると、ケルベロスはすぐに丸くなってくれた。
「マズすぎる……雛鳥が初めて見るものを親だと思うアレとは、桁が違いすぎる」
「何を迷っている」
相変わらずケルベロスが言葉を発する度に腹の奥がビリビリと震える。
俺は背を丸め、それに耐えながら言った。
「だって俺が外に出たらケルベロスも着いてきちゃうだろ。こんな巨体、隠しきれない。外に出た瞬間、世界中の冒険者が討伐にしに集まってくる。いや、軍隊だって出てくるはず」
「――ならば、気付かれなければ良い」
言うなりケルベロスの身体は、一瞬で縮んだ。先程の巨体は影もなく、傍らには黒い豹のような獣が一匹佇んでいるだけだ。
相変わらず頭部は三つに分かれてはいるが。俺は目を見張る。
「ち、小さくなれるの……!?」
「当然だ」
黒い獣はどこか誇らしげに言う。
まだ相当異質ではあるが、これなら、誰もまさか伝説のモンスターだとは思わない。……多分。
「これなら……いや、まだ目立つけど……」
状況はどうあれ、ずっとここに居座っているわけにはいかない。
ダンジョンから逃げ帰ったばかりで、腹も減っている。
少し考え、顔を上げる。
「外に出られるかも!」
「ああ、往くぞ。主よ」
しなやかな長い尻尾を揺らして先導する獣を追って、俺は歩き出す。
それにしても。
(豹のような身体。低い鼻。細い瞳孔。ケルベロスは三つ頭の犬だと言われているけど……)
(これ、猫じゃないか?)
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