第12話『薬師』
聖獣ユニコーンの加護を受け、バイコーンと名付けられたその馬の脚はすごかった。
歩くのも大変だった足場の悪い森を、平地のように難無く駆け抜けていく。そして少し合図を出せば、速度を上げて飛ぶように駆けた。行く手を遮るモンスターのどれもが、その脚に追い付けない。
それに不思議な力によって乗り心地もいい。例え手綱から手を離したって振り落とされないんじゃないか。そう思わせるほどだ。
「すごい……! これなら一日でかなりの距離を移動することが出来る!」
当然、あまりに速いと異質すぎる。人に見付かっても不自然ではないようにある程度は速度を落とす必要があったが、疲れを知らない脚は休むことなく駆けていく。
休息は、俺かステラが疲れた時にだけ行われた。
とは言っても彼女が自分から疲労を訴えることは無いので、大抵はステラの様子を伺っているフェニックスの指示によるものだった。
街道を少し逸れた場所で、足を投げ出して休む。
ステラは行く先々で薬草を集めては摘んでいた。あの薬草学の本に書かれた情報を片っ端から記憶し、実物と照らし合わせているようだった。
最近では薬草をすり潰して薬にする道具も買い、いよいよ本格的な調薬に取り掛かっている。
薬師とは、薬によって人を治療する人のことを指す。
世の中には『治癒魔法』のスキルを持った治癒師と呼ばれる者がいるが、決して数は多くない。
その大半は名の有る冒険者のパーティに所属しているか、神殿に所属し助けを求める者に治癒を施している。但し、奉納金という名目でそこそこの金が掛かる。
いつかに俺を助けてくれたパーティにも治癒師がいたが、無名なパーティがああして治癒師を抱えている方が珍しい。
ポーションと呼ばれる回復薬も存在するが、その入手方法は『ポーション生成』のスキルを持つ職人が作るか、ダンジョンからドロップさせるかの二通りしかない。
小さな傷や少しの疲労を治す下級ポーションならまだしも、中級や上級のポーションとなると需要に対して供給が少なく、非常に高価だ。
一方で、スキルを扱わずに知識で人を治していくのが薬師だ。
世界に多数ある薬草の効能を記憶し、それを正しい分量で混ぜ合わせ、人の傷や病を治す薬にする。
治癒師の魔法には劣るが、その分安価に薬を購入出来るため一定の需要がある。
大抵は自分の店を持っているが、たまに世界中を旅している薬師もいる。
「そのうち有名な薬師になったりして」
『親馬鹿のような発言を』
薬草を集めるステラの小さな背中を見ながら呟く俺に、ケルベロスが呆れたような声を漏らす。
ステラは摘んだ薬草を種類ごとに分け、小瓶に入れて保管していた。
そこに突然、嗄れた声が響いた。
「薬師……薬師様ですか……!?」
ステラが振り返る。俺もその方向へと視線を向けた。
くたびれた服を着た老人が、小さな子供を背負って向かってくる。その背から垂れる小さな手は赤く腫れ、力無く揺れていた。
「どうか、どうかこの子を診ては下さりませんか……! 医者を探しに行くところだったのです……」
そう言って背中から下ろしたのは頬を真っ赤に染め、荒い呼吸を繰り返す子供だった。
明らかに体調を崩している。息をするのもつらそうだ。
彼が来た方向を見ても、反対側を見ても、街は見えない。一体どれ程の距離を歩き、そして更に歩いていこうとしたのだろう。
(だけど、ステラは医者じゃない。病気の診断は出来ないし、薬もまだ作りはじめたばかりだ……!)
思わず表情を歪める。縋るように頭を下げる老人に断りを入れなくてはならないことが、非常に心苦しい。
だが、意を決して口を開こうとした時、ステラが言った。
「分かりました。診てみます」
「……えっ」
思わず呆ける。
そんな俺の頬を、肩に止まったフェニックスがつつく。
『あの子を信じてやるべきじゃ。なに、いざとなったら妾がおる』
そう耳元で囁いていた。
ステラの手際は、意外に良かった。子供の服を捲り肌を確認していく。
「背部と腹部、手足の発疹。発熱。意識の混濁……」
子供の手、そして足を撫でるように触れていき、最後は右の足首を指して動きを止めた。
「ここに小さな噛み跡があります。恐らく超小型モンスター、ミニアントの噛み跡と思われます。牙に毒を持ち、発疹と発熱の症状を引き起こします」
「ミニアント……! そういえば、この子は倒れる前に草むらに入って遊んでおりました! ……それで、薬師様、この子は治りますでしょうか……?」
縋るような視線だった。神に祈るように、拝むように、皺だらけの両手を合わせている。
ステラはじっと幼い子供を眺めた後、口を開いた。
「解毒薬の作成に必要な素材は、キリル草、ミージュの葉。そして毒を持つモンスターの牙……」
たくさんの薬草が入った自分の鞄を見遣り、そして僅かに眉尻を下げた。
「薬草はありますが、モンスターの牙が……」
「そんな……!」
老人の悲痛な声が漏れる。ステラは表情を翳らせ、動かない。
俺も急いで自分の鞄を漁ってみるが、立ち寄った街でモンスター素材は全て換金してしまった後だ。何も無い。
ふと、ポケットの中のケルベロスと目が合う。六つある瞳の全てが俺を見ていた。
「ねえ、ステラ。毒のあるモンスターの牙なら何でもいいの?」
「……? はい、毒が含まれていれば何でも」
「それが超強力な毒でも?」
「はい、毒そのものを使うわけではありませんので、問題ありません」
「そっか」
言いながら俺はポケットに手を突っ込んだ。
『何を考えている』
ケルベロスが短く唸る。
俺はステラと老人に背を向け、躊躇無く小さな子猫を抱き上げる。
『我は伝説の神獣、ケルベロスであるぞ。まさかお前、子供の虫食い如きに、この我の牙を使おうと思っているわけではあるまいな』
「ごめん、そうです。協力してくれ」
『冗談ではない!』
「ステラがあんなに悲しそうな顔をしているんだぞ!」
小声で叫ぶ。小さな手足は手の中で抵抗を示してじたばたと暴れている。
肩の上で冬毛のスズメのようなふっくらした小鳥が笑った。
『ほほほ! 良いではないか。牙などまたすぐに生えてくる物じゃ』
『そういう話ではない! この獣の神たる我の、希少な素材を——』
ゴリゴリと、素材がすり潰される音が響く。
小さなすり鉢の中で薬草と小さなモンスターの牙とが砕け、混ぜられていく。
それはやがて粘り気のある緑色のクリーム状の薬になった。
子供の足にくっきりと残る噛み跡に薬を塗った残りは、透明の瓶に入れて老人へと手渡された。
塗って少しすると、心なしか子供の呼吸が少しだけ落ち着いているように見えた。
「傷口を清潔にした後、薬を塗ってください。治るまで一日三回ほどで良いと思います」
「ああ、薬師様! ありがとうございます! ……少なく、申し訳ないのですが……」
そう言って老人は小銭を差し出す。
恐らく、無理矢理に掻き集めたものだ。まとまった額の硬貨は無く、少額の硬貨ばかりが手のひらの上にあった。
「私への報酬は不要です」
ステラはすぐにそう答えた。老人は訝しむように顔を上げる。
「は、……いや、しかし……」
老人は手を引けずに困っている。俺は見かねてステラの横へと立ち、老人の手をそっと拒んだ。
「この子はまだ見習いなんだ。むしろ、貴重な経験を積ませてくれた礼を言いたい。どうもありがとうございます」
そう頭を下げると、老人も深々と頭を下げた。そしてまた子供を背負って、来た道を戻っていく。
その背を見送ることなく、ステラは使った道具を片付けていた。
「すごいじゃないか、どこであんな知識を得ていたんだ」
そう声を掛けるとステラは薬学の書を引っ張り出してきた。
あまりに重いので普段はバイコーンの鞍から下がる鞄に収めてある。
「薬草の説明文の後に、よく使う症状に対しての記載があります。ミニアントの毒に関しては、このページに」
何ページあるのかも分からない分厚い書物の一ページを迷わず開き、ステラは指を差す。そこには確かにミニアントという超小型モンスターの牙に含まれる記載があった。但し非常に簡潔な数行だけの情報だ。
「まさか……これを、読んで覚えていたのか?」
「はい」
何ということは無いようにステラは頷いた。
「いや、本当にすごいぞ! ステラはあの子を救ったんだ。きっと立派な薬師になる! 興味があるなら医学書も買って良いかもしれないな」
そう褒めるとステラはきょとん目を丸くした後、その唇にほんの僅か、笑みを浮かべた。
何度もページを捲られた形跡のある、分厚い書物を抱いて。
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