人は皆、生来のボランティアワーカー②
「階堂さんと清継君って、仲いいんだ。意外だね」
「待て恋花。
俺は一方的に絡まれてるだけだっての。
このまとわりつく絡まりを解くためなら、今すぐ石鹸水の池にでも飛び込む」
「へえ……そんなに普段から一緒なんだ。
もしかして最近、昼休みも一緒?」
一拍。
「……心配して損しちゃった」
「マジで心配してくれてたの?
それ、普通に嬉しいんだけど」
「もう二度と心配しないけどね」
喜びと、悲しみが、同時に胸に流れ込んでくる。
どちらを優先すればいいのか分からず、
感情の針だけが振り切れた。
結果――表情は、無に落ちる。
まるで情緒という機能だけ切り離された、試作型のアンドロイドみたいに。
その様子で、ようやく何かを察したのか。
階堂が慌てて口を挟んだ。
「あー、恋々《れんれん》。
さすがに昼休みまで一緒じゃないよ」
大げさに手を振る。
「ちゃんと話すようになったの、ほんと最近だから。
実はさ、唯菜バイト始めたんだけど――
そのバ先に清っちいたの。マジで偶然。めっちゃ笑った」
一人で思い出し笑いを始める階堂。
その隣で、恋花が、静かに俺を見る。
問いかけるでもなく、責めるでもなく。
ただ、確かめるような視線。
俺は、何も言わず。
ただ一度だけ、小さく頷いた。
階堂は、その仕草を合図にしたみたいに、続きを重ねる。
「それでバイト帰りに、夏休みの課題どうしよっかーって話になってさ。
清っちはもうボランティア先決まってるっぽかったから、参考にしよーと思って。
アドバイスもらいに来ただけ。ね、清っち」
わざとらしいウインクが飛んでくる。
事実に、ほんの少しの演出。
嘘ではない分、疑う余地もない。
――これで問題ないでしょ、と言わんばかりの顔だ。
恋花は、それ以上踏み込もうとせず、
「ふーん、そうなんだ」
とだけ言う。
頬杖をつき、視線を外したまま、続けた。
「で、清継君はボランティア先、どこにしたの」
「どこでもいいでしょうよ」
「どこでもいいなら、教えてよ」
一瞬、考える。
別に、隠すようなことでもない。
そう判断して、肩の力を抜いた。
「……養護施設。
夏に、ちょうど募集してるらしい」
それだけ告げる。
――教室のざわめきが、わずかに遠のいた気がした。
「へえ、意外なところが出てきたね。
どうしてまた?」
「……他に、これって候補が思い浮かばなかっただけだよ。
市のマラソン大会のスタッフとかでも良かったけど、夏場だろ?
暑いの嫌なんだ」
恋花は、何かを思い浮かべたように、わずかに眉を寄せる。
「それは……確かにきつそう」
間髪入れず、階堂が被せた。
「汗で化粧崩れるし。
会場、絶対くさい」
「お前はまず場違いだろ」
「えー。じゃあ唯菜も清っちと同じとこにしよっかな」
「は?」
意味が分からない。
俺が行こうとしている場所も、
十分に場違いになる未来しか見えないのだが。
「別に、その二択ってわけじゃないだろ。
他にも選択肢はいくらでもある」
「えー、いいじゃん。
唯菜、最近清っちのこと気になってるし。仲良くしたいもん」
「どうせ、考えるの面倒なだけだろ」
「それもあるかも」
階堂は舌を出して笑う。
――テヘペロ、だったか。
可愛い可愛い。
だが相変わらず、何がしたいのか分からない。
俺のことが気になっている、
なんてのも冗談だろう。
さっきもそうだが、
階堂は事実に、ほんの少し嘘を混ぜる。
本音の部分だけが、器用に隠されて見えなくなる。
それでも。
俺と恋花のボランティア先を同じにする――
そんなメッセージを送ってきたのは、こいつだ。
なら、この発言も。
――その延長線上、なのか。
なら、一度だけ。
試してみるか。
「……まあ、好きにしろよ」
自分でも驚くほど、あっさりした声が出た。
「やった、夏休みも一緒に居れるね。
清っち、もちろんバイトも入れるっしょ。
ほぼ唯菜たち、ニコイチじゃん」
階堂はそう言うと、
ほとんど抱きつく勢いで身を寄せてきた。
距離が、近い。
俺たち、別にそんなに仲良かった記憶はない。
甘ったるい香水の匂いが、思考を鈍らせる。
そのまま階堂は、
わざとらしく恋花を視界の外へ押しやるようにして、
何でもない調子で尋ねた。
「恋々は、行き先もう決めたん?」
「いや、まだだけど」
「そっか。
良さげなとこ、見つかるといいね」
「……」
――なるほど。
そう来たか。
嫌な女だ。
てっきり「一緒に来ない?」くらいは言うと思っていた。
それを言われたら言われたで腹が立つが、
言われなかったら言われなかったで、やっぱり腹が立つ。
……いや、待て。
これ、逆効果じゃないか?
普通の人間は、
「見つかるといいね」で会話を切られたら、
「あ、じゃあ別々なんだな」って思うだろ。
終わってる。
完全に会話が終わっている。
何してくれてんだ、この女。
胸の奥が、じわりと焦げつく。
考えるより先に、言葉がせり上がってきた。
「な、なあ。恋花も一緒に来ないか?」
声が、わずかに上ずる。
「室内で、勉強教えたりするみたいだぞ。
……結構、向いてると思う」
言ってから気づく。
逃げ道ばかり用意した、下手な誘い方だ。
恋花は一瞬だけ視線を伏せ、
それから、ほんの少し困ったように笑った。
「うん……考えてみる」
拒絶でも、承諾でもない。
どこにも触れないまま、言葉だけが宙に残る。
――その時。
教室の戸が開く音。
空気が、切り替わる。
「ごめんねー! 職員会議、長引いちゃって!」
近島先生が息を切らしながら頭を下げると、
それを合図に、階堂をはじめ、教室をふらついていた連中が
潮が引くように自分の席へ戻っていった。
普段の俺なら、このタイミングで
近島先生の少し間延びした声色に意識を奪われているはずだった。
けれど、今日はそれどころじゃない。
胸の奥に、まだ焦げたままの感情が残っている。
机の下でスマホを開く。
誰にも気づかれないように、
短く打ち込んだ。
『何が協力だ。
普通なら、もう一緒に行こうとは思わないぞ』
送信。
階堂は悪びれもせず、堂々とスマホを操作している。
返信は、すぐに返ってきた。
『大丈夫。
恋々、普通の人じゃないから』
意味が分からない。
どこをどう読めば、安心できる要素があるのか。
画面を見つめたまま固まる。
その時、近島先生の声が、少しだけ低くなる。
「階堂さん。授業中は携帯しまおうねー?」
「はーい、すみませーん」
階堂は素直にスマホを伏せた。
まるで、何もなかったみたいに。
――俺だけが。
何か大事な前提を知らされていない。
そんな違和感だけが残って、
言葉にできないまま、黒板を見つめていた。
◇ ◇ ◇
「恋花ちゃん、先行くね」
「うん、バイバイ」
放課後になって、しばらくが経った。
いつの間にか、隣で意味もなく時間を潰していた清継君の姿も消えている。
どうやらバイトに向かったらしい。
教室に残っている生徒は、もうほんのわずかだ。
机の上には、一枚のプリント。
居残りなんて、
小学生の頃、宿題を忘れてきた時以来かもしれない。
計算式を埋めるだけの問題なら、
何も考えずに終わらせられるのに。
私のプリントは、
名前欄以外が、きれいな白紙のままだ。
これを提出するまで、私の放課後は始まらない。
夏休み中の課題――
ボランティア参加の希望先を、第三希望まで記入して提出する。
たった、それだけのこと。
参加可能なボランティア先は、
さっきの授業で、すべて黒板に書き出されていた。
その中から三つ選んで、書き写すだけでいい。
それで終わり。
早く、部活に行きたい。
――それなのに。
私は、ペンを持ったまま、
ただじっと、プリントを見つめ続けていた。
穴が開くんじゃないかと思うくらい。
選べばいいだけなのに。
決めればいいだけなのに。
どれを選んでも、
どこかが、間違っている気がする。
「はあ……」
気づかないうちに、溜め息がこぼれる。
机に額を軽く打ちつけてみるけれど、
白紙に文字が浮かび上がるわけもない。
もう、誰かに書いてもらおうかな、なんて。
本気とも冗談ともつかない考えが、
頭の中で、ふわりと浮かんでは消える。
――その時だった。
「まーだやってんの、向崎」
声の方へ、思わず顔を向ける。
息が、止まった。
瞳が、自然に見開かれる。
そこに立っていたのは――
数カ月前とはまるで別人のように、
澄み切った瞳と、柔らかく明るい顔色をした、
「笹本……さん」
「よっ」
かつて清継君と一番近くにいた人で、
今は、いちばん遠くにいる人。
笹本悠里ちゃんが、そこにいた。
胸の奥で、何かが小さく弾ける。
記憶の中の彼女と、
今、目の前にいる彼女。
そのわずかな“差”が、
言葉にならないまま、心をきつく締めつけた。




