オタクにだけ優しいギャルなど存在しない④
『協力』とは、一体どういう意味なのか。
――とりあえず、辞書を引く。
なるほど。
『力を合わせて事にあたること』だそうだ。
簡潔で、分かりやすくて、そして何の役にも立たない。
日本語というものは、一つの言葉の中に、
平然と複数の意味や温度を押し込めてくる。
たとえば「やばい」だ。
危険を指すのか、程度を表すのか、
あるいは感情の爆発なのか――
文脈ひとつで、いくらでも顔を変える。
最近ではさらに進化して。
『ヤバみ』だの『ヤバみざわ』だの『ヤバたにえん』だの、
若者たちは新しい語尾を生やしては、意味を拡張し続けている。
語彙力に乏しい俺の脳は、もうとっくにキャパオーバーだ。
いや、キャパい。
そのギャルカルチャーの最前線に立つ階堂が、
ケミカルカラーの旗でも振るように、軽々しく口にした。
「協力してあげよっか?」
あいつの言う『協力』が。
本来の意味通り、力を合わせることなのか。
具体的な策を授けてくるのか。
それとも、ただ面白半分に背中を押してくるだけなのか。
――あるいは。
もっと別の意味を、含んでいるのか。
考えれば考えるほど、輪郭は曖昧になる。
ともあれ。
俺は、そんな正体不明の『協力』に頼るつもりはない。
恋花との距離を縮めるなら、
自分の足で踏み込むしかないのだ。
夏休みは、もう目前に迫っている。
終業式までに何か一つでも形にしなければ、
九月まで、何も変わらないまま引き延ばされる。
それは――
復縁プロジェクトに、自分で期限を設けた俺にとって、
ただの先送りでは済まない。
敗北だ。
夏休みの課題のように、
終わらなければ補習システムでも設けるべきだっただろうか。
「今更、期限を延長してくれなんて言えないよなあ……」
生徒のまばらな図書室。
長机の端で、誰に聞かせるでもなく呟いた。
その直後、入口の戸がガラガラと音を立てる。
「清継さん、こんな所にいらしたんですかい。
探しましたよ」
「なんだ、五里か。
どうしたんだよ、何か用?」
「いえ。用というほどでもないんですがね。
最近、昼休みになると清継さんが一人でどこかへ行っちまうもんで。
目撃情報を集めてたんです」
俺はUMAか。
まさか巨大猿人類ビッグフットの側から、
捜索願いを出される日が来るとは思わなかった。
頬杖をつき、わざとらしく溜め息を吐く。
「それで? 未確認生命体キヨツグを捕獲した特典は何?
懸賞金とか付いてる?」
「プライスレスで、昼休みが半分潰れる、ですかねえ」
「それ、完全に赤字だろ」
視線を図書室の時計に向ける。
――確かに、残り時間はもう半分を切っていた。
五里は、その半分を使って、俺を探していたのか。
胸の奥で、何かが小さく引っかかる。
俺は向かいの席を、指先で軽く叩いた。
五里はそれを合図に、
あの大きな身体を軋ませながら椅子に腰を下ろす。
パイプ椅子が、わずかに悲鳴を上げた。
「王子も圭吾の奴も、清継さんのことを心配してましたよ」
「そうなのか?
何でまた王子まで?」
「笹本の件があったからに決まってるじゃないですか」
図書室の静けさが、
わずかに重くなる。
「王子にこの前の教室での出来事を尋ねても、
俺にさえ、未だ口を割らないんですよ……」
五里は肩をすくめる。
「まあ、お二人がどんな約束をしたか、
大体は想像つきますけどね」
思い出す。
あの日。
俺が笹本に粘着していたと、クラスの前で口にしたことを。
もちろん、嘘だ。
けれど。
あの場にいた全員の記憶の中では、
もうそれが“事実”になっている。
王子は、その嘘を守っている。
俺のために。
――いや。
俺のせいで。
友人にさえ詳細を明かさない、その口の堅さは、
銀行の貸金庫みたいなものだ。
破られない代わりに、
中身を取り出すことも出来ない。
その信頼に、敬意を抱く。
同時に。
あの場で王子に背負わせたものを思い出すたび、
胸の奥が、じわりと焼ける。
多分、これからも。
王子はあの日の嘘を、誰にも否定しない。
そのたびに――
あいつが、少しでも痛まずにいられればいいと、
そんな都合のいいことを考えてしまう。
「王子は、あれからクラスの連中に何か嫌なことをされてないか?
腐っても、それまでの俺は人気者だったからな。
――俺が落ちぶれるきっかけを作ったって意味じゃ、
王子の方が、よっぽど割を食っててもおかしくない」
言い終えると、
五里は眉間に手を当て、深く息を吐いた。
「ほんとに清継さんは……」
言葉を飲み込む。
「……いえ、みなまで言う必要はなさそうですね」
一拍。
「王子の奴なら、いつも通りですよ。
むしろ笹本を庇ったことで、前より信頼を得て――
人気者になったくらいです。本人は不服そうですがね」
「あいつらしいな」
「ええ」
五里は頷く。
「あれから笹本も、何事もなかったみたいに登校してます。
友達にも囲まれて、別人みたいですよ。
……まず、目つきが違う」
「……俺が望んだ通りの結果になって、良かった」
口に出してから、
少しだけ言葉が軽すぎた気がした。
「まあ、それが不服なんでしょうけどね。王子も、俺も」
五里は、乾いた笑いを漏らす。
そして。
長テーブルの上で、拳をぎゅっと握り込んだ。
「この結果は、清継さんの上に乗っかって出来てるんですよ」
低い声だった。
「それなのに、どうして笹本だけが、
何事もなかった顔で日常を過ごしてるんでしょう」
抑えているのが分かる声。
だからこそ、余計に刺さる。
「清継さんは汚名を被って、
人としての信頼まで失った」
一語一語、確かめるように。
「最近、一人でいることが増えたのも、見てれば分かる。
昼に教室を抜けるのだって――」
そこで、ほんのわずかに言葉を選ぶ間があった。
「向崎や、他の連中から距離を取るためじゃないですか」
「……」
「清継さんと関わってるだけで、
“あの件の奴”と同列に見られる。
だから、先に自分から離れてる」
五里は歯を食いしばる。
「……そういうことでしょ」
言葉が、胸の奥にそのまま刺さる。
五里はしばらく黙り込んだあと、
小さく息を吐いた。
「……すみません、清継さん。
あんたが必死に手を伸ばした相手ですけど。
俺はやっぱり、笹本のこと、好きになれそうにありません」
ほんの少しだけ、声が震えていた。
「あれから、まるで他人みたいに振る舞ってるあいつを見ると――」
一度、言葉を切る。
「たまに、殴りたくなる」
静かな声音だった。
「……きっと王子も同じだ。
もしかしたら、向崎も」
「いや、殴るなよ」
間を置かず、俺は遮る。
「笹本はメンタルが豆腐で出来てるんだ。
拳を振り上げただけで、簡単に崩れるぞ」
「なら、そのまま土下座の一つでもさせましょう」
やめて。ほんとに。
やめてよ。
チンピラは力関係を分かりやすく示すために、すぐ土下座させたがる。
でも、する側は屈服したわけじゃない。
場を穏便に収めるための、
無難なカードを切ってるだけだから。
みんな銃社会の方が平和って言いたくないだけだから!
「……笹本が他人行儀なのは、あいつも色々考えてるからだと思う」
一拍。
「あいつ、馬鹿だけど賢いんだよ。
考えなくてもいいことをぐちゃぐちゃ考えて、
その結果、今は俺と“他人”でいる方が良いって結論に至ったんだろう」
声を落とす。
「そこを責めようとは思わん。
ただ――」
俺はどこかでぼんやり考えていた思いを、
口にしてしまっていた。
「いつか、和解したいな」
もう叶わない気もするけれど。
それでも。
今のフードを被らなくなった、綺麗な瞳の笹本と、
また一から友達になれたらいい。
もしあいつが清継復縁プロジェクトに加わってくれたら、
これ以上心強い味方はいないだろう。
遠い目をしている俺を見て、
五里はテーブルに突っ伏した。
「まだそんなこと言ってるんですかい。
この人はもう駄目だ。病気だ」
「それ、笹本にも言われたよ。
百倍きつい言い方だったけど」
「笑い事じゃないですよ」
顔を上げる。
「……本当に、放っておけない人ですね」
「はは。
五里もそう言ってくれるのはありがたいんだけどさ……」
一度言葉を切る。
「もう、学校ではあんまり、俺と関わらない方がいい」
「何故ですかい」
「俺は今、ストーカーだの器物損壊だの停学だの――
分かりやすい“悪役”だからな」
世間体、というやつだ。
それに巻き込む必要はない。
だが五里は、あっさりと言った。
「その“世間”ってのは、俺の一生の友になってくれるんですかい」
「え」
「仮に清継さんが引っ越したら、
その世間とやらは、清継さんのことをあっさり忘れやがるでしょう。
それくらい薄情なものに気を遣って生きるなんて、馬鹿馬鹿しいですよ」
――やだ、このゴリラ。格好良い。
いや、待て神よ。
俺とこのゴリラに、変なフラグを立てるな。
可愛いヒロインを攻略しているつもりだった高校生活が、
気付いたらゴツい男に攻略されるクソギャルゲーになるじゃないか。
誰が買うんだよそんな地獄。
照れ隠しに、俺は五里の頭を小突いた。
「惚れさせる気か!」
「何でぇ!?」
*
昼休みの終わりが近づく。
教室へ戻るため、廊下へ出ると、
まだ鳴らない予鈴を惜しむように、足取りは自然と緩くなった。
階段をだらだらと上る。
誰に急かされるでもない時間ほど、
どうしてこうも、重たく感じるのか。
ふと、次の授業の内容が脳裏をかすめた。
「そういえば五里よ。
お前、夏休み中の課題、どこ行くか決めたか?」
「どこって言いますと、課外ボランティアの事ですかね」
「ああ、それだ。
強制させるボランティアとはこれ如何に」
「強制させないとボランティアなんてしないからでしょう」
「哀しい世の中だな。
給料が出れば、もっとボランティアも増えるのに」
「清継さんはボランティアの意味を知ることから、始めた方が良いでしょうな」
意味くらい知っている。
さっき『協力』の意味を辞書で引いた時、たまたま見つけたからな。
自ら進んで、無償で社会に貢献するんだろう?
——本当だ。
俺はただの求職者だ。
「清継さんは、もう決めたんですかい?」
「ああ。昔縁のあった施設に行くつもりだ。
申請が通るかは分からないけどな」
「縁のあった施設……保育園とかですかい?」
「まあ、そんなところだ。
里帰りみたいな——」
言いかけたところで、ポケットの中のスマホが震えた。
取り出して画面を見る。
「……階堂?」
「き、清継さん!
階堂って、あの階堂ですかい。
なんでまたあんな奔放ギャルと関わりを……」
「ああ、バイト先が一緒になったんだよ。
結構喋るし、うるさい」
通知を開く。
画面いっぱいに広がる絵文字の群れが、
視覚にノイズを撒き散らしてくる。
『次の授業で夏休みのボランティア先決めるじゃん?
清っちの行くとこと、恋々《れんれん》の行くとこ同じにしたげる!』
――は?
一瞬、意味が理解できなかった。
どうやって。
親指が、半ば反射的に動く。
『どうやって。
お前、恋花の弱みでも握ってるのか』
送信。
画面を閉じるよりも早く、既読が付いた。
そして、間を置かず返ってくる。
『わらう』
笑えん。




